勉強会のこと

2022-05-07 20:35:56 | 日記

 勉強会が終わった翌日、遼雲と台所仕事をしながら、今回の勉強会どうでしたか。

などとちょっと話した。その会話の中で、彼云く多くの人がわからない、わからないと

言うけれど。ほんとうにわからないのかなぁ。と。なにって、

そんな難しい哲学的なことでなく、ごく当たり前の事実そのものの

しかも誰でもその人自身のことなのに。

 この自分のことを自分という前に、すでにこれはここにある。

それは名前もつけられないが、すべてのものとともにここにおかれている。

それもなまなましくいつも待ったなしに、今ここですべてのものと

ともにはたらきながらおかれてある。と言うことそのものが

そんなに難しいことなのだろうかと。

 いつもぼくが感じるのは、一人一人はほんとうにそれぞれの物語があり、

そのそれぞれの思いの中からしかものが見えないと言うことだけは、

分かるし違うと言うことも分かるけれど。

 内容はじつに単純明快なことなのだ。それを、わからないと言わせるのは

思考回路の中で、完全に蓋をしてしまっているのではないのか、そんな気がしてならないと。

私は論理的思考の人間だから、と言うのは理由にはならない。

論理的に考えればふつうのできごとなのに、なんともへんだよね。

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3 コメント

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Unknown (ふう)
2022-05-10 10:22:52
これ読んで、それ、私も思ったーということで、コメントしてます。
いや、なんとはなし、わかってるんじゃないんかな、だけど、わからない、と言ってないといけないというのか、わかったー!と言うたらダメっぽいしー、みたいな(笑)
けど、実際そのなまなましさに触れてはいても、それに自分では認知?できてない分、言葉では説明できない=わからない、としか言い様はないんだけど、わかったとも言えない、というところなのかな。
けど、なんかわかる、から、聞けるんだと思うんだけどね。全くわからなかったら聞けない気がするのだけどね。
けど、もうひとつ、わかった、というところからまた改めて始まる?ことがある気がする、というのか、もうわからない〜はいいんじゃないかな、と思ったりするよね。

という長々と失礼しました。
Unknown (わ)
2022-05-10 21:58:23
はい。これって存外やはり根の深いもんだいだと思っている。「わからない」「わかった」で終わらないことですものね。そう言った途端にそこからまた自身が問われてくるよね。それとなまなましさに触れるって言うけんど。これもあなたが言うように言葉の問題とも絡んで、どこまでも自分の認識、思いで判断するでしょ。そこの自分が壊れないと、はっきりとしないことでもあるよね。
Unknown (じゅんこ)
2022-05-11 21:19:04
今年の勉強会に参加していないので、私なりに感じたことなのですが、(10年ほど前に1回だけ参加しています)
「わからない」ということで、ふうさんのコメントにもありましたが、何かがあると感じるけど、つかめない、言葉にならない状態を表現されているのではと思いました。
一方で、その「わからない」状態を良しとして、スタイルとして「わからなさの中にいる」となってしまうおそれもあるかと思います。それが蓋でしょうか。
私の現成公案の勉強は10年で全くといっていいほど進んでいない、とも言えますが、一方でとても親しく大事なものになっています。
そう思えるのも、わじゅさんや加島さんや、皆さんのおかげです。 そもそも「わかる」ことが最終目標なのだろうか?などとか考えてしまいました。
そして今「わかってないかと思いますが」と言いたい心境です。苦笑

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