梅子熟せり

2023-06-28 15:59:01 | 日記

 3日ほど前か、雨が降る、しばらく

雨降りがつづくの天気予報で梅を近く

へ採りに行った。しかしながら梅はま

だ熟しきっておらず、廊下に広げて熟

すのを待った。3日も経つと梅の香り

が部屋にまで流れてきてこれはいい感

じだなと。

 それで昼から塩漬けに、甕などをき

れいに洗ってスプレーに焼酎を入れて

カビ留めを。梅5キロである。そんな

ことをしていたせいで、唐突に梅子熟

せりの句を思い出した。

大梅法常752ー837年が修行の旅に出

て馬祖道一禅師709−788年に弟子入

りし問法した有名な故事。法常が馬祖

禅師に「仏とはなんですか」と問うた

のに対して、馬祖禅師は即心是仏と。

それを聞いた法常が悟りをえて、大梅

山に籠もって修行に励んだと。それを

伝え聞いた馬祖禅師が弟子を法常のも

とにやって、その後の消息を聞いた話。

その弟子が最近の馬祖禅師は非心非仏

と言われています、を聞いた法常はわ

れは即心是仏と言い放つのを聞いた馬

祖禅師は、法常のことを梅子熟せりと。

道元さんは「いわゆる諸仏とは、これ

即心是仏なり。過去、現在、未来の諸

仏ともにほとけとなるときは、かなら

ず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是

仏なり」また、この天地法界のあるが

ままが仏であり、この天地の道理、大

自然の法則がそのまま仏と「峰の色、

渓の響きも皆ながら、吾が釈迦牟尼

の声と姿と」

即心是仏とはここでは坐禅のことを

指していますが、それは同時にわれ

らの日々の暮らしのありようすべて

にかかわることであり、そこのとこ

ろを「ただわが身をも、心をも、は

なち忘れて、仏の家に投げ入れて、

仏の方より行われてこれにしたがい

もてゆくとき、力をもいれず心をも

ついやさずして仏となる」と。

 

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