3日ほど前か、雨が降る、しばらく
雨降りがつづくの天気予報で梅を近く
へ採りに行った。しかしながら梅はま
だ熟しきっておらず、廊下に広げて熟
すのを待った。3日も経つと梅の香り
が部屋にまで流れてきてこれはいい感
じだなと。
それで昼から塩漬けに、甕などをき
れいに洗ってスプレーに焼酎を入れて
カビ留めを。梅5キロである。そんな
ことをしていたせいで、唐突に梅子熟
せりの句を思い出した。
大梅法常752ー837年が修行の旅に出
て馬祖道一禅師709−788年に弟子入
りし問法した有名な故事。法常が馬祖
禅師に「仏とはなんですか」と問うた
のに対して、馬祖禅師は即心是仏と。
それを聞いた法常が悟りをえて、大梅
山に籠もって修行に励んだと。それを
伝え聞いた馬祖禅師が弟子を法常のも
とにやって、その後の消息を聞いた話。
その弟子が最近の馬祖禅師は非心非仏
と言われています、を聞いた法常はわ
れは即心是仏と言い放つのを聞いた馬
祖禅師は、法常のことを梅子熟せりと。
道元さんは「いわゆる諸仏とは、これ
即心是仏なり。過去、現在、未来の諸
仏ともにほとけとなるときは、かなら
ず釈迦牟尼仏となるなり。これ即心是
仏なり」また、この天地法界のあるが
ままが仏であり、この天地の道理、大
自然の法則がそのまま仏と「峰の色、
渓の響きも皆ながら、吾が釈迦牟尼
の声と姿と」
即心是仏とはここでは坐禅のことを
指していますが、それは同時にわれ
らの日々の暮らしのありようすべて
にかかわることであり、そこのとこ
ろを「ただわが身をも、心をも、は
なち忘れて、仏の家に投げ入れて、
仏の方より行われてこれにしたがい
もてゆくとき、力をもいれず心をも
ついやさずして仏となる」と。