ものもらい暮らし

2022-06-27 20:41:53 | 日記

 横浜からマキシという古い友がやってきた。

彼は本当は龍昌寺の田んぼ草取りをするんだ、と

やって来たんだ。それがここの惨状に手伝いを。

本堂の須弥壇周りいかにも寺の有り難み、権威を発揚するために

作られた荘厳。それが田舎のお金のないお寺の精一杯の

造り。それはここの住職一人の問題などではなく、

教団という体裁を整えるための装置なのでありましょうか。

それらが、相当にくたびれており、少しだけ余計なものを

取るつもりが、とっている間にこれも要らん、あれも要らんに

なり、とうとう阿弥陀様ご本体のみに。まことにすっきりと

しました。すべてその本堂から、外に放り出したのはマキシです。

こちらは自分の持ってきた段ボール箱の荷物を、片付けるべく

棚を作ったりしていましたから。

 それで今日だいたいのことは、片付いて近くの

ホームセンターに。そこで彼は本堂や台所にかける

柱時計。それに草刈り機を近くの若き友から

借りていると言ったら、それらも一式を。

 そういえば、こちら龍昌寺の自分の部屋を片付けている時、

作務衣のなんと多いことか、それも袖も通してないものさえある。

すべて貰い物である。これまでの暮らしもさんざんに

もらいながらの、暮らし。これからもそうなるだろうの始まりでした。

なんというのんか、お金のないものの強みとでもいうのんか、

周りの人たちが心配してくれるほど、どうも本人は困っていないようで

のうのうとしている様子。じっさいのところ何もないし、

これからも入るあてもない暮らしに飛び込んだ。

さてさてどうなることですやら。

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引っ越しのこと

2022-06-24 20:03:10 | 日記

 今日でこちらへきてちょうど1週間。

なんかね当たり前のようなことだけど、

まずは掃除するじゃない。本堂から風呂、

トイレ、台所などと順にやっている。まだ

まったく手をつけられない場所もあり、けんど

その点をそこを掃除するとそこにいた邪気がすーっと

消えていくんだね。これって面白いなぁ。と、やっぱり

最初はなんとも気持ち悪さが強くあったもの。その点と点が

つながっていくと、廊下を歩いていることの違和感が少しづつ

取れていくようで・・・。

 それに暁天の坐禅や読経もほんとはなんだか邪気祓いを

するが如くに、知らぬ間になっていたけんど、うん、なんとも

すなおにだんだんとなっているようだ。ここに来る2日前だかに、

あるお寺の奥さんがうちに布団や座布団が余っていて、

貰ってくれないなどと言われて、それにこちらの車に

全部詰め込めないものだから、その方も車を出してくれて

一緒にここまで持って来てくれたんだ。そうしてまだ

ほこりだらけの中を、その奥さんとずっと回ったんだ。

そうしたらその奥さん、突然そこの主に言うように

わじゅさんが入ってくれましたよ。きっと素晴らしいお寺に

なりますよ。よかったですね。などと声を天の方に向かって

叫んでいるじゃない。なんかね、こういうことって後から

パンチが効くんだよね。一番最初にこの寺を見た時、

まぁご縁があるものならぐらいの軽い感じだったもの。

それがある方のご尽力で、あれよあれよという間に決まってしまい。

とうとう引っ越しちゃったというのが、本当のところではないのか。

昨日は遼雲たちが手伝いに来てくれ、彼は珠洲地震の応援にも

駆けつけており、忙しい中、今龍昌寺にいる居候の学生を連れて。

こちらその前の日、寺の前を畑にするべく。

10年ほど放置してあったところを持ち主の了解を得て、

この近くに住んでいる若い友から、草刈機や耕運機などを借りて

一気に畑に仕上げたんだ。もう夕方にはへとへと状態で、

風呂上がりに縁側でビールを飲んでしばらくダウン状態だった。

んだから、遼雲たちが来た時は身体が重かった。

そんななか、彼ら本堂裏の部屋でここの住職(90歳で亡くなっている)

おばあちゃんの箪笥が3本ほどあり、中身を出してきれいにしてくれたんだ。

なんせ、こちらまだここに来たままの段ボール箱に荷物が入ったままで。

 今日は整地された畑にトマトやナスの苗をホームセンターに買いに行き

もうもうダメになる寸前、よれよれの半額品。それを早速植え付けて

本人はこれで大満足で風呂上がり、縁側でビールやったのら。

 そんなこんなでした。

 

 

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引っ越しのこと

2022-06-23 21:54:20 | 日記

 ネットがようやくつながって七尾に引っ越したよ。

などと書こうと思ったけんど、今日は何よりすることが

このネット上でありすぎて、ここまでなかなか

辿り着けなかった。

 それでともあれ無事に引っ越したよ。てんやわんやと

やっているよ。と書くつもりでいましたが。また今度書きます。

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田植え終え

2022-06-06 20:42:49 | 日記

  昨日で田植えは終わった。

今年はいろんな方が手伝いに来てくださり、大いに助けられた。

何よりも田んぼ仕事することそのものが、

たのしいというその心持ちが何よりも嬉しいのだ。

こちらは毎年のことだし、なんというか楽しみなんぞではなく、

やるぞぉ、だからだろう。それでも都会の中では味わえない、

空の青さ山の青さのうるわしさ。

そして水面の揺らぎなどが身にしみるのは、

われらも応援に来られる方々も同じである。

それからふだん人の姿が見えなくなった山里では人そのものが風であり波であり、

ということもなんともかんじさせて頂いた思いである。

 もう一つ、FB上で短歌の会をしている。

そこで思っていることもある種同じようなことなので、ちょっと書いてみる。

幾人もの方が投稿している。まして短歌だからおのずとその方の暮らしの

ありようがそのまま反映されている。そこでは嘆きも怨みもかなしみ、

それにうれしさ楽しみなども己の知らぬ間に披瀝していて。

そこでも人であること。

 人として生きてここにあることの奇縁、ご縁、不思議をいただくことができるのだ。

それはなんと言ったらいいのだろう。

人とは集い、会話することで自身をおのずと開かせるのだろう。

人そのものがすでに風であるような、波であるような。

こちらの好き嫌い、いい悪いを超えてじつに人であることの奇妙さ不可思議なものであることの、

あるなんとも言えぬ大きさを、おもうからであろうか。

 こちら今日久方ぶりの一日中雨だ。蛙が相当嬉しいらしく、

全山に響き渡るような声で合唱している。

人もお陰でゆっくりとくつろいでいる。

 

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