横浜からマキシという古い友がやってきた。
彼は本当は龍昌寺の田んぼ草取りをするんだ、と
やって来たんだ。それがここの惨状に手伝いを。
本堂の須弥壇周りいかにも寺の有り難み、権威を発揚するために
作られた荘厳。それが田舎のお金のないお寺の精一杯の
造り。それはここの住職一人の問題などではなく、
教団という体裁を整えるための装置なのでありましょうか。
それらが、相当にくたびれており、少しだけ余計なものを
取るつもりが、とっている間にこれも要らん、あれも要らんに
なり、とうとう阿弥陀様ご本体のみに。まことにすっきりと
しました。すべてその本堂から、外に放り出したのはマキシです。
こちらは自分の持ってきた段ボール箱の荷物を、片付けるべく
棚を作ったりしていましたから。
それで今日だいたいのことは、片付いて近くの
ホームセンターに。そこで彼は本堂や台所にかける
柱時計。それに草刈り機を近くの若き友から
借りていると言ったら、それらも一式を。
そういえば、こちら龍昌寺の自分の部屋を片付けている時、
作務衣のなんと多いことか、それも袖も通してないものさえある。
すべて貰い物である。これまでの暮らしもさんざんに
もらいながらの、暮らし。これからもそうなるだろうの始まりでした。
なんというのんか、お金のないものの強みとでもいうのんか、
周りの人たちが心配してくれるほど、どうも本人は困っていないようで
のうのうとしている様子。じっさいのところ何もないし、
これからも入るあてもない暮らしに飛び込んだ。
さてさてどうなることですやら。