ツバメと鈴虫

2013-08-31 18:17:17 | 日記
 鈴虫がようやく鳴きはじめました。今年は羽化するのが遅かったものね。やはりコオロギなどとは明らかに違い、バイオリニストなのです。彼らが登場したことで、秋を迎えたなとおもいます。
 ここのところ雨が続いています。秋の長雨を思わせるような天気模様です。例年なら残暑厳しく、その残暑のお陽様が大根などの芽立ちを揃わせてくれるのですが、この雨どうなるのでしょうか。
 これから本格的な活動に入るものもいれば、南の方に行くものたちもいます。ツバメです。そろそろ旅たちの用意だろうか。稲穂の上の虫たちを捕まえるため、例のツバメ返しをしながらせわしく飛び交っています。あのまだ巣のなかで黄色いくちばしを口一杯に広げていた彼らがです。
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供養

2013-08-28 22:09:43 | 日記
 お盆も済んでしまってから、こんなことをいうのもなんですが。先祖供養のことである。毎年お盆に行ってしみじみ思うことは、神妙にお参りしている姿がうつくしいである。お参りしないと罰が当たるとおもっているやもしれぬ、みんながやっているからやっているだけとおもっているかもしれない。そんな慣習的にやっておられる方も大勢だろう。けれども、それでも仏壇にお供え物を用意して家族全員が揃ってお坊さんが読経する後ろで、ほとんど正座して一心に手を合わせる行為は敬虔である。お参りする気持ちは、仏壇にいるだろう父や母またはじいちゃん、ばあちゃん、近親者であろう。なれどそうやって手を合わせて一心にお参りしている姿そのものは、その今の自分自身に、御蔭さまでありがとうございます。と、自身に告げている。
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時ということ

2013-08-27 20:51:47 | 日記
 夜になるともう虫の奏でる声でいっぱいである。それとともに、涼しくなったせいだろう、時の過ぎ去るのを感ずる。夏も終わったか、である。過ぎてしまうとホント早い。それがこのところとみにそうおもう。時間というのは誰にとっても同じであるはずである。けれどこの時間は、わたし独りの身の上に置いても、ゆっくり過ぎ行く時とやたら長い時がある。
 こんな山の中で暮らしていても、現代の風のなかで生きている。それゆえ、時間や仕事に追われて我を埋没させてしまうときもある。
外仕事の時はなるべく、空を眺めるようにしている。わずかなときでも雲の流れや空の青さに引き込まれるとそれだけで心やすまるものがある。ことになにやら自意識ばかりを強調させられる世のなかでは、そればかりではないもっと大きなものがおのがなかにも流れていることを、からだで味わうことになる。
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涼しい

2013-08-26 20:57:59 | 日記
 昨日まで3日程雨が続いたせいでしょう、昨夕から急に涼しく半袖一枚ではなにやら心細いようなのである。
大根の種蒔き時期に雨が降り続いて、タイミングを逃しそうです。秋の種蒔きは一日違うと一週間も成長が違うと言われており、やきもきしながら晴れるのを待っておりました。今日ようやく草を刈ってその草をきれいにして明日耕運できるようにしました。
 ニホンミツバチ来月になったら蜜をとるつもりでいますが、今のところスズメバチが毎日偵察?にきているようです。見つける度に、ハエたたきなどでやっつけるのですが、失敗するとこちらに向かって来るのでおそるおそるやってます。採蜜までまだいろいろありそうです。
 ともあれここはもう秋になりました。

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放題

2013-08-25 18:32:38 | 日記
 先日友から山崎放題の歌人の話を聞いた。本名は、方代。親が9人兄弟の何人目でようやく育った子どもの名前に、「生き放題、死に放題から名前をとったと言う。
 「手のひらをかるく握ってこつこつと石の心をたしかめにけり」
 「母の名前は山崎けさのと申します日の暮れ方の今日のおもいよ」
 「地上より消えゆくときも人間は暗き秘密をひとつ持つべし」
 戦争で右目は失明、左目も視力0、01に。傷痍軍人の職業訓練で習った靴の修理をして各地を放浪しながら創作活動を。
59歳の1973年に鶴岡八幡宮前にある鎌倉飯店の店主が自宅に6畳一間の家を建て「方代」を迎え入れます。1985年71歳肺がん死去。 
 「私が死んでしまえばわたしの心の父はどうなるのだろう」
 「茶碗の底に梅干しの種二つ並びおるああこれが愛というものだ」
 「人生を覗いてみると面白い死んでしまえばそれっきり」

 こういう生き様の人がおらんような世の中なんだなと、ふとおもう。生きることそのものが壮絶で躍動感に充ちている。そんなあたりまえのすがたをおもう。
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