よろみ村通信73号でお知らせしましたが、この9月に遼雲が新名住職として赴任します。彼がもう30を超えていることに、そうか潮時なのだと思ったのです。こちらがまったく不安なままこの地に入り込んだときは、30歳でした。その時の躍動感は、それ以前の自身とはおよそ違うものになったという印象なのです。それゆえ彼が30を超えたということは、不安感や躍動感を一人で味わう時期だと思ったのです。それで、こちらは普通ならば隠居になったり、後衛を守るという役目もあるのでしょうが、どうもそういう発想は出てこないのです。それでどこかお寺は最近空き寺が多いことだし、ご縁ができればあらためて、どこかお寺に入り直そうと考えている次第です。この山寺の中で培ったいろんな知恵を、今度は多くの人と共有していくことができたら、いいと思うのです。あまり都会の真ん中は困るけれど、ほどよい町、ほどよい田舎であればどこでもいいのではないか。地域のいろんな層の方々、個人個人がバラバラになってしまった我らの暮らしの中で、どこか分かち合える場所、共有空間としてお寺を開放できればいい。できるならば、週に一度でも、日に一度でも誰でもが自由に出入りして、ご飯を食べる場所ができたら、面白いな、とか。学ぶべきことは色々あり、それらの勉強会もやりたいし、歌を合唱団ができればいいなぁ、とか。体操教室もやりたいなどと、思いは湧いていますが、さてそんなご縁のあるお寺がありますでしょうか。どなたでも、これを読んでくださった中で、ここのお寺空いているよ、などという話があれば、教えてくださいませ。
この春の通信の原稿を。
存在ということ
ものごころというものが、いつつい
たものか、どうもはっきりしない。ふ
つう言葉を覚えるのは一歳から二歳ぐ
らいといわれるが、もちろんそんな時
期のことは、まったく記憶にない。
幼稚園に通っていた。その当時金沢
には、チンチン電車があってそれに乗
っていた。その車掌さんが、ずいぶん
おどけていて、面白かったこと。そん
な断片的な記憶から始まって、夏の渇
水期に金沢犀川の堰堤の下に、大きい
水溜りができていた。そこを素潜りで
岩の陰に手を突っ込むと、ナマズやウ
グイを捕まえた時の感触。擬似餌を
つけて鮎釣りに。水面をピチピチ跳ね
た鮎の姿が、美しかったこと、残酷なこと。おにぎりを持って海まで、子供たちだけで、子供用自転車でえらく時間がかかって。ろくに泳ぎもできないのに、流木につかまりながら、背丈以上も潜って、蛤を採った時の躍動感。
それらの記憶、無駄事を書き連ねて
いるのには、すこし訳がある。それは、
今でももちろんあるものなのです。伝
わりにくいと思いつつ、そのまま書い
てみます。裸木になった楓の枝や幹の
肌合いを眺めていて、その眺めている
当のわたしと楓とがそれぞれここにそ
のまま存在の開きとして共鳴している。
こうことばで言ってしまうと、それが
定義になりそうで、つまらないのです
が。神秘的なえにしがあることにおも
いいたります。これは存在というものの 持っているほんらい的なあり方なの
だ ろうと、思うのです。
それを古人は、霊性とか、仏性、ま
たは清浄なるものと呼びならわしてき
ました。今、それらのことばを使いた
くないのは、あまりにも手垢に満ちて
いて、余計なものもいっしょにくっつ
いてきそうだからです。
それほどにせんさい、やわらか、た
よりげのない状態なのでしょう。わた
しというものを、ここにそのままぽん
と置いておくと、はじめのうちは日常
の時間や空間のなかで、主役として働
いている意識が、この状態、なにもな
いただの状態に対して、言わば中ぶら
りんな感覚におちいって、何の所作も
できない、思いあぐねているような感
じになっています。
でも、その宙ぶらりんのまま放置し
て置いておくと、このこれ、わたしと
言っているこの当体は、「不思 議」
「不安定」「頼りなさ」「やわら かさ」
などのことばが、じつに形容しがたき
ものであることか。うん、今ひらめき
ました。そこに無理に名前などはいら
ないのですが、もどかしくて言いよう
がないから。ふにょと名付けてみます。
だれでもが、このふにょを秘めてい
る。このふにょは、いつも周りの事物
と一体にな っていて、そのうれしさ、
怖さ、たの しさとくっついているから、
見えにく くなっているだけで。そして、
そのふ にょ自身に触れることや捕まえ
ること はできない。いつも対象物を通
してだ けらしいのだ。お月さんの輝き
に、わ けもわからず涙がにじむのは、
このふ にょのせいだったんだ。
われらが、周りの事物もこの世界も、
われら自身の内側もみんな言葉で表現
できてしまうものと錯覚して久しい。
そこに疑いの問いを向けるのは、はな
はだ厄介なことだ。なぜなら、われら
は自分を生きてしまっているからだ。
そしてこの自分とは、ほとんど言葉で
成立している。
この身で悩み、困り、ウロウロする
そのことも、言葉で解決しようとして
いる。言葉というものは、自分と言っ
ているこれよりも、はるかに古い。そ
れは人類が何百万年もかけて獲得して
きたものだからだ。
しかしながらこの身、存在というも
のは、そんな言葉の古さとは、ケタ違
いの壮大なとき、歴史が流れている。
この存在じしんにとうぜん触れること
はできないが、ふつうにここにこのま
まある。ことばでは表現できないもの
が、ここにそのままある。しかもまわ
りのすべてのものと、いつでもひとつ
らなりのものとしてあった。
村田 和樹この文章、本人はいたってスムーズに書けたので、やったぜよ気分で、上々だったのですが、じっさいの感想は面白かった!というのと、なんだか読みづらい、というのと半々だった。これは本人には意外で、そうか読みづらいか!と。その思いで読み返すと、確かにごちゃごちゃと煩瑣なかんじ。本人のヤッタァ感はあまり当てにならないということか。学生の時、論文を書いていて、じつに概念語が多いことに驚いたことがある。同じ仏性という言葉を指すのに、いろんな言い方があることに、初めは?だったのだ。けれど、ここでは「手垢がついている」と表現したけれど、言葉そのものに手垢がついたり、カビが生えたりはしない。それは使う人そのものがいつでも問題なのだ。要は概念語の意味を解ってしまうというか、素通りしてしまう。なんとなく解ったつもりになってしまうことを、手垢がつくと表現したのだ。そのことは先人たちもきっと苦労したに違いなく、それゆえ時代とともに人物とともに新しい概念語が生み出されたのだ。と、思い概念語から自由になってどこまで言えるものかが、それ以来小生の命題のようになっているらしいのだ。
いよいよ小学校の高学年に英語学習が始まるらしい。団塊の世代と言われる我らの時は、今でも英語が自由に喋れることに対しての憧れがある。しかしながら、よく言われることながら、中学から大学までおよそ10年も学んだにもかかわらず、まともに英語が喋れない。それはわたし一人の個人的なことなどではなく、この国の英語教育の欠陥だと言われている。憧れがあるから、当然のことながらろくに喋れないことのコンプレックスは、相当のものがある。けれど、もう一つの見方として言えば、われらの母国語である日本語の特異性ゆえに英会話としての英語が、できにくいと指摘する方も大勢いる。もう一つは、自分で考えるには母国語で巡らす。現在でさえ自分で考えることを放棄しているようなこの国で、英語学習を低年層の時から行うということは、どうしたものか。幼児の時から英会話をさせている親達が増えているとか。その方が将来の選択支が増えるとの判断なのだろう。しかし、仮に英会話が堪能になったとしよう。で、一体なにを語るのか。自ら考え、想像したことを語らなければ、使い物にならないのはどこの世界も同じ。ましてAIの技術が進めば、何ヶ国語も喋れるようになるだろう。どうもこの島国の政治家達は経済のことしか念頭にないのだろう。というか、自分の頭で物をじっくりと考えることが未来を、そして自分自身を切り開いていくんだけどなぁ。
畑に雪はなく。農作業の季節になってきただ。昨日今日とジャガイモ植えで耕運して整地、種芋を植えたのだ。残っているジャガイモ、芽が出てきているその芽を欠いた。これからジャガイモは甘くなる。野菜のない時期貴重な野菜だ。ほれから、ここのお寺の暦住職のお墓があり、そこまでの参道などを久方ぶりに綺麗にするべく、チェンソーなどを使って、初めはやんわりとやっていたけんど、だんだんここもあこもとやっていたら、気がついたら、腰がイタタである。春先はゆっくりと動かさないと、えらい目にあうのだ。
今日朝から金沢へ。金沢の友人の知り合いのお饅頭屋さんが廃業するとかで、餅つき機(業務用だから立派なもの)や冷凍庫(長さ180㎝✖️幅80㎝✖️高さ200㎝)のこれまた立派なものを取りに行く。それで、朝一番に外をみると雪で真っ白。これはと思いつつ、ご飯を食べて用意をして不安なまま、出発。雪で真っ白なのはここの境内だけで、幹線道路に出るともう雪なんてなかった。こちらから4人、金沢で3人とまるでお祭りの神輿を担ぐような騒ぎで。なにやらこんなことそのものが、えらい楽しいのだ。