連れ合いの母さんがいよいよ本人では、トイレも食べることも難しくなってきた。尿からタンパクがでるから、それを押さえるためにステロイド剤を使い始めてから、すっかり変わってしまったのだ。ステロイド剤を使わなければとうぜんのことながら命を縮めることになる。ステロイド剤を使うことでアタマはぼやける。薬で身体は保たれているのだということを間近に経験させていただいている。で、連れ合いは腰が悪くなり、いままでのように母さんを思うように介護できなくなったのだ。本人はすでにおむつをしているが、どうしてもおむつのなかでしたがらない。それで夜中だろうがなんだろうが、起こす。ベッドのそばにあるポータブルトイレに向きを変えて、坐らせ脱がせてという一連のなかで本人が立っていられなくなってきているのだ。夜中に起こされて、一連のことをすませてふとんのなかに戻ってもすぐ眠れるものではない。そんなことを遅まきながら経験した。これは、これからどうなるのだろうかと、ある暗澹たる思いを抱かせるに十分である。こんなことが、何年も続きそれに加えて、グチや悪言をばらまかれたりしようものなら、知らぬまに手をかけて大きな事件を起こしてしまうことも、容易に想像できるような気がした。
これは、このことは母さんたちの問題だけではなく、やがてくるであろうこの身のことである。ほんにこれからは死ぬということを、自らの死に方、具体的なありようとして各自が思い描き、そうはならない対策を思案しなければならない時代に入ったんだと、あらためて強く感じた。