方言 2

2013-10-30 21:10:54 | 日記

 昨日の続き。M子さん云わく。わたしもはじめのうちは、夫を亡くした未亡人と、なにやらかわいそうな自分をやっていたようでした。ところが周りを見てみると、この辺りは山形市の郊外で典型的な農村地帯。今までは災害らしいものもなく、のんびりと過ごしやすいところと思っていたんです。そんなところで、殺人事件が起きたり、若い人が自殺したり、老人が孤独死したりと。それこそわたしみたいな、自分勝手なことばかり言うとる暇もないと、ある時気づいたんです。

 それで、住職もおらんような寺だから誰も相手にしないかと思っていたら、却っておばちゃん、おばちゃんと気安いのか誰でもお寺に入って来て、それで来られる人たちの力で食事会をしたり、被災地にボランティアに出かけたり、なんだかお寺だか何だかわからないような有り様だけんど。などとするりといわれるのだ。

 ただ残念なのはあの訛りを、再現できないものね。


方言

2013-10-29 21:13:16 | 日記

 毎年この時期しかも年に一度だけ逢瀬をする人がいる。逢瀬とはなみなみならぬ言い方ではあるが、我が輩にとってはそんなかんじなのである。修行時代の大事な法友が6年前に、唐突にあちらに一足逝ったのだ。

 それから奥さんのM子さんと電話で近況をお喋りしているのだ。彼女たちが新婚旅行にわざわざここにきたということもあり、M子さんとも長い付き合いである。お二人とも生粋の山形人で、特にM子さんは一度も山形を離れたことがない。

 それゆえ、きれいな山形弁でこちらにも喋ってくれる。彼女の訛りの声を聞いているだけで、彼のことを想いだすだけではなく、もうなにやらすっかりぼくがその声に癒されて心底ほっとしているのだ。そういえば、彼と喋っている時もそうだったはずで、もちろん彼らの人柄ではある。

 人柄ではあるけんど、こんな時にあーやっぱし方言っていいなぁってつくづく思うもの。


垂木(たるき)屋根板

2013-10-28 21:12:24 | 日記

 今日は垂木打ちである。垂木もここらで使う太さのもの4mものだと1本3000円はするので、45本も使うとなるとそれだけで大枚のお金になってしまう。それで輪島塗のお箸を作るのに製材の端ばかりを50本一束で5000円するものを買って来てそのなかから使えるものだけを抜き出して使う。

屋根板は風呂薪やストーブ用の薪に、同じ輪島の製材屋さんから貰って来ているもののうちから、いいものを抜き出してとっておいたのだ。てなわけで安上がりなのであるけれど、なにせ製品ではないから、それなりに苦労はある。けれど今までもずっとそうやって来たんだ。

 ともあれ、垂木や屋根板を打ち終えたらもう夕方であったよ。それと、この小屋作りの特徴は、ノコギリを使わないということ、チェンソーでみんな決めるのだ。

 夕飯を食べて、食器洗いのとき腰が疲れててイデデなどとやっていたら、風がもんでくれると言う。

一日屋根の上でしかもチェンソーを振り回しておれば、そりゃだめだぜと。気安く風にお願いした、これがぞんがいに的確にツボにきて効いたのであったよ。


車庫作り

2013-10-27 21:20:16 | 日記

 春先に車庫を立てた。というか、柱と梁ぐらいでそのまま田んぼ仕事が終わるまで、皆が揃わなくてようやく母屋や棟木を今日乗せた。車庫そのものの大きさが3軒×6軒、奥行き5,4m長さ10,8m。木は村の方から頂いたもの。自らの山で伐り出した松で、厚さ15㌢幅30㌢強のもの(40㌢のものもある)、ともかく立派、ごっつい。これらを束の上に乗せなくてはならぬけれど、とうてい持てるものではない。

 それで、ソウルが今世話になっている会社のユニックを借りて来てソウルに操作を頼んでやったのだ。

ユニックは会社の休みの日曜日しか空いておらず、来月からは日曜日も仕事に入るとか。ともかく今日しかユニックは都合が付かず。うーむだったのだが、夕方暗くなる前にどうやら無事に終わったのであったよ。

 さすがに、こういう時は大工の弾くんが力を発揮してくれて助かるのでありました。

明日はタルキを打って、屋根板そしてトタンとやるのだが。


クレジットカード

2013-10-26 22:16:07 | 日記

 最近本は全部ネットで買っている。いままでは、本屋さんに注文していたのだ。たまに金沢に用事で行った時にチェックしていたものをまとめて買ったり、古本屋さんに先ず出向いてからそれから大きな本屋に出かけていたのだ。それがネットになると、新刊にしろ中古にしろ必ずある。関連するものも探すこともできて、もう長いあいだ本屋に出かけることはなくなったのだ。それもなんともさびしいのだが。

 で、カードを持っていないものだから(必要のない暮らしだったんだ)買う度に近くのコンビニで支払いをやってきたのだ。それと、高速道路のetc、これもカードを持っていないからできなかった。

 そんなこんなで、カードを手に入れようとおもった。するなら娘のいるあいだの今しかないと、やってもらっていたのだ。自分でやらないでいて、文句言うのもなんだけれど、なんと言うのかなぁ。結局こんなものも(ネットでカードを注文)人がするのだということを改めて思ったね。あたりまえのことなれど、なんかぼくなんぞどうも誤解というか、パソコンのほうがもっと気が利いていてパソコンがスムーズにやってくれるようにおもっていたものね。便利なようでいて、そうではないんだな。することは同じなのだ。

 情報伝達が早くなったというだけで、書類のわずらわしさは何にも変わらないことに、驚いているのだが、こういうものなのだろうか。