弔問

2014-11-30 18:07:52 | 日記

 50を過ぎたあたりからやけに周りのものたちが、旅立っていく。近頃はそれに拍車をかけているような気さえする。そういう年回りになったことを告げているようでもある。村の婆さまが亡くなったのだ。ここらの在所はほとんどが真宗門徒だから御通夜や葬式にむやみに出ることははばかれるが、それらが終ったあとや、その前にお参りするようにしている。今日お伺いしたお宅は、ここの在所の長的なおうちで、この婆さまの旦那さんには、この在所に入った30数年前の頃よくお世話頂いたのである。その旦那さんは3年前に90で亡うなられた。その当時、ちょっとお伺いしていろいろお話していると、まぁ玄関先ではなんですからお茶でも飲まさらんかいねと、誘ってくださる。特別なことをなにか話されることは何も無い。しかし今から振り返ってみると、包容力があってこんな訳の解らんものの相談を、じっと我慢して聞いておられた様子が今ならよくわかるような気がしている。その時出されるお茶が玉露で、ぼくも自分でお茶を入れるからそのじい様の手つき、急須にお湯を入れてから、出すまでの時間が大丈夫かなと思うぐらいのタイミングで、けれどそのお茶がみごとに美味しい。こんなおいしいお茶はそう呑めるものではない。この在所ではないが、やはり近くのその家の主がやはりおいしいお茶を入れてくださる方がおられた。ここらでは家の主がお茶を入れる習慣があるのではないかと思うぐらいであった。しかしながら、今日お伺いしたお家はその息子さんが主で温厚なお方お年も70を超えられているが、コーヒー党らしく今日もその奥様がお茶を入れてくだされたから、もうそんな文化もあの年配で終るのだろうかと思うとーー、田んぼのことにしろ、村のあり方も少しづつ変わるのだろうとおもうと、致し方ないとはいえ寂しいものがある。

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修理

2014-11-29 20:58:40 | 日記

 廊下に置いてあったミシンを先日まで羲母さんが寝ていた部屋に運び込もうとした。すると部屋の真ん中の畳が下がっているではないか。それは羲母さんがだんだんと動きが悪くなり、それでベッドを介護用のものに変えたんだ、リースした。で、その重いベッドを持ってきたときにその重さで畳がへこんだのだ。へこんでいることに今日気がついて、そういえばこの家はもともと親父が(その頃は方丈さんと呼んでいた)こちらに来たいというので、その親父の出してくれた資金で建てた。ぎりぎりのお金しか無かったから、安普請である。

 この畳が下がっているところは、親父専用の掘りごたつをするべく用意だけはしたんだ。けれど結局こちらには毎月のように来てはいたけれど、住むことは叶わなかったのだ。それで掘りごたつ用の穴も蓋をされたまま、忘れていた。へこんでいる原因を調べたら、大工さんが見せかけだけの作り方でつまりコンパネで簡単に打ち付けてあるだけなのだ。ぱっと見るだけだったら、それで間に合うのだ。いや事実二十何年間それでやってきた。ところがである、壊れてからその仕事ぶりがあらわになると、なんとも誤摩化しのその場しのぎのことでしかないことがはっきりする。これは今の政治にも同じことが言える。上辺だけのつまり大企業だけを優先してそれをアベノミクスとやらで、さも今にも変わりそうな幻影を散りばめながら、憲法まで改正しようというのだから。われわれ市民のことを本気で考えたことが彼は無いのではないか、小さな彼らが所属するグループの中だけで国というものを転がしている。選挙についても同じことが言える、どの人物もそれらしい言葉だけを並べるが、有権者、マスコミに受けるようなおいしそうなことを並べるだけ。国家百年の計として、この国がどうあってほしいか、どうすればこの国が生き生きとするのか、これから生まれてくる人たちがこの国に生まれてほんとによかったと言ってもらえるような、国のありかたはどんな姿なのかを示してほしい。

 そんなことはあの今の政治家たちに望むことそのもが遠い。わたしがわたしたちが自分たちでどんなささいな小さなことからでいい、生きていることの幸せ、うれしさを感得できる暮らしを築いていくことが遠周りなれど、政治を変えていく大きな一歩ではないのだろうか。

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この国のこと

2014-11-27 21:20:00 | 日記

 この国の今の政治のありようについて、ほとんど知らない。知らないがこの国の行く末、現在のありようはいつも気になっており、それは同時に今の政治家たちのやること、言っていることに、希望というか、このぼくの国を託せるものがいないとどこかで強く思っている(それはこういうたからとて、なにか運動を起こそうかとかじゃなく、ごくあたりまえにこの国に住むものの責務ちゅうか、固いなぁ、なんかちゃんとならんのかと思っているだけのこと)だけで一向にそういう機運が上がって来ない、もっとよさそうな人材が他の分野では出ているのにもかかわらず、ことこの政治に関してはなんでこうなるのかと、思っていた。

 そんなことを長く思ってきた割には、自分では格別なにをするということもなくずるずると時が流れてしまって、今のこんなひどい状況になってしまった。と自責にもならず愚図っている。

そこに、この文を読んだ。こういうことをまっすぐ言うことができるんだと言ううれしさと、これからのありかたも示してくれたように思い、かすかな光の一点が射されたようにおもった。是非皆さんもこの文章を読んでもらいたいと思う。

内田樹研究室(ブログ名です)11月26日記、「資本主義末期の国民国家のかたち」

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買い物

2014-11-27 19:56:58 | 日記

 いろいろ用事を頼まれた。それで買い物も。買い物はわりとよくする。安売りのものや,魚などの生ものを見るのも買うのも得意な気がしている。そんなもんだから、やっぱり目も肥えてくるよね。などと勝手に思っている。ついでに靴も買おうと思って。今履いている靴はある懇意な友人から頂いたものだ。しかしもうかれこれ15年ほどは履いているのではなかろうか。ここでの主流の履物が長靴でその長靴はやはり年に一度は買う。それも安物ではすぐダメになるからコウシンのいいものを買う。これが安くはない。けれど靴も15年も履いているとやはり外観はともあれ、なかがぼろぼろ状態でこれはやっぱりだめだよなぁと思って、靴屋をのぞいたのだ。けれど、こういうお店そういえば長いこと入ったことが無いんだよなと思いつつ、眺め渡す。どれもこれも、なんだか似たり寄ったりで、探すのが面倒になって諦めた。いやはやこんな買い物ひとつできないなんて。

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へっつい

2014-11-26 20:32:41 | 日記

 今、ここの住人のところに左官屋さんが出入りしている。いつか彼のこと書いたような気もするが。えーっと、例の古墳墓をやってくれたご仁です。腕はもちろんあるし、なんというか昔気質の職人さんというか、ようするにブリコラージュできる人なんだ。それにあったちゃんとしたものがなくとも、身近にある材料でそれ以上の仕事ができるんだ。で、庫裏のへっつい、竃口がもうだいぶ壊れていて、ようよう使っていたんだ。今では年に二度、年末の味噌作りと餅つきの時しか使わなくなっているけれど、これが無くては困る。そこで彼を捕まえて相談すると、すると、言うてくれた。早速ネットで検索、いやあ、こういうときのこの機械はほんますごい、おどろきだすよ、ほんま。うんたった何十分で注文だものね。いままでやったら、電話帳で調べに調べて、サイズやらなんやらを電話で伝えるの、ぼくなんぞはなはだ苦痛だったし。いやはや、こういうのだけはどんどん進化するのよね。

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