ここのところ新聞紙上でにぎわせている、イスラム教国や過激派のこと。あまりこういうことを言及したくない気持ちがある。それは過激派、テロはダメだの論説が主流に対して、なにか釈然としないものがこちらにわだかまるようにしてあるからだ。だいたい過激派やテロなどという名前を付けているのは誰かということ。そうやって名前を付けることで、またはそう言うことで何か見落としているもの、見えなくさせているものがあるとおもうからである。もうこういう言い方をすると、それだけであなたはあの過激派やテロの者たちに賛同しているのかなどと、言われかねないものがある。たしかに暴力は困るし、自爆テロのように油断させといて多くの人たちを巻き込むようなやり方は、何とも許しがたい。けれど、彼らにすれば西洋列強支配の世の中で、、アラブ社会の中でも西洋列強とのつながりが強い者たちだけが、上層階級を作りそうでないものはただ指をくわえて、眺めていることしかできないのかという彼らの差し迫った貧困、差別の中での暮らしをほんの少しでも知ると、「過激派」とか「テロ」などと言う言葉がはなはだ政治的な言葉として、使われているのも事実で、単純にこちらの正義感や平和観を出動させて、自らを慰撫することでヨシとするのは、どうなんだなどとおもってしまう。
例年ならばこの時期が一番冷えるときだし、積雪も。ところがここしばらく積雪も無く、御陰でとてもらくちん。なれど、どこかやはりさびしいと言うか、物足りなさもあるのだ。なんともへんなものよ。身体は楽で、願ったり叶ったりなんだ。だけど、やっぱりね雪降りが見れないというのは、さみしいのだ。それで今日は久々の雪降り。雪降りの時、毎度のように思うことがある。この雪が、仮に黒だったら、赤だったらなどと想像するだけで、幻滅する。真っ白だからこそ、さわやかな、そしてすがすがしいおもいにひたることができるということを。
古事記を読んでいる。ヤマトタケルの少年時代のお話の中で、父である天皇から、「専(もは)ら汝、泥疑(ねぎ)教覚(をし)へよ。」と言われます。それは兄にまだ論してはいないのかと言われる下りなのですが。この泥疑と書いてねぎと読ませること、それが神官の禰宜はその「ねぎ」を名詞化したもの、つまりねんごろとかねぎらうという意味である。それが息子のヤマトタケルにとっては、捕まえて手足を引きちぎってこもに包んで投げ捨てるという「ねぎらう」行為になっている。それはやくざ仲間で痛めつけるのを可愛がると言い、練習でしごくのをそうよんだりする運動部の「ねぎらう」に変わっている。「古事記講義」三浦佑之著、文春文庫から
ひとつの「ねぐ」という言葉で親子の決定的な行き違いを表現しているところ、これは語りでないと出せないところとあった。まさしくそうで今の僕らはなによりも、文字で、見た目で、知恵と知識でだけで判断していることの、足りなさを知らしめているシーンでもあるようだ。
古事記から万葉集、神道とひっぱられて、司馬遼太郎のものを久しぶりに開いた、神道にかんする文である。
「万葉集」巻第十三の3253に、「葦原の瑞穂の国は神ながら、言挙げせぬ国」という歌がある。他にも類似の歌があることからみて、言挙げせぬとは慣用句として当時ふつうに存在したのにちがいない。
神ながらということばは、<神の本性のままに>という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。
神々は論じない。アイヌの信仰がそうであるように、山も川も滝も海もそれぞれ神である以上は、山は山の、川は川の本性としてー神ながらにー生きているだけのことである。くり返すが、川や山が、佛教や儒教のように、論をなすことはない。
例としてあげるまでもないが、日本でもっとも古い神社の一つである大和の三輪山は、すでにふれたように、山そのものが神体になっている。山が信徒にむかって法を説くはずもなく、論をなすはずもない。三輪山はただ一瞬一瞬の嵐気をもって、感ずる人にだけ隠喩をもって示す。
ちなみに、別の段落では、三輪山に社ができたのは江戸中期のことであるらしいことと。伊勢神宮に一般のものが参詣をゆるされたのは、平安時代になってからとのこと、当時西行法師(1118~1190)も参拝。「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」の有名な句は伊勢神宮にお参りしたときの句なのであった。
ネルケ、無方さんから本が送られてきた。その題名がこれ「迷いは悟りの第一歩」(新潮新書)である。彼が育って来たドイツでのこと、それはキリスト教との原体験というか、絆。それから、高校生のときに坐禅に出会ってから、日本に来て禅僧になってからの佛教のことを自身のキリスト教体験とを比較しながら宗教というもののあり方。それはつまり人はどう生きるのかという問いの中にある生き方としての宗教を、特にここでは日本人として宗教をどうとらえているか、これからどうあればいいのかということを具体的に自身が出会って来た体験を語りながら、示している。とっても読みやすい。おすすめです。
あとがきに
「本書は、私の二つの名前である「ネルケ・イエンス・クリスティアン」と「ネルケ無方」の格闘の軌跡のようなものです。あるいは裡なる「夫婦喧嘩」(キリスト教と佛教の)かもしれません。それが読者の皆さんにとっても、自らの宗教観を考えるきっかけとなれば、これほど嬉しいことはありません。」