パスカル、つづき

2012-09-30 21:07:39 | 日記
 パスカルが人として生きているということは、気晴らしである。
と云い放せるだけの、自己への洞察があったなどということは、
もちろんである。しかしそこにはヨーロッパで成熟した自意識が

ある。この強烈な自我があって、絶対としての神、つまりは抑え
が必要であった。けれど、現代の自我意識だけを増幅させてきた
ものたちには、とうぜん神はおらず、より強烈なる気晴らしを

そうとは知らずに探している。その気晴らしを見失ったものを
敗残者、または痴呆症と呼ぶのであろうか。
 さてわれらが、気晴らしなどではない、さわやかな人生を
送ることが出来るのであろうか。

パスカル

2012-09-29 22:09:49 | 日記
 パスカル、フランス人1623~62年のことば。
「わたしたちの悲惨さをなぐさめてくれる唯一のものは気晴らし
である。ところが、これこそ、わたしたちの悲惨さのなかで最大

のものである。なぜなら、わたしたちに自分自身のことを考えな
いようにさせ、知らず知らずのうちに滅びにいたらせるものは、
主としてこの気晴らしだからである。これがなければ、わたした

ちは退屈してしまうだろう。退屈すると、わたしたちはそこから
逃れるためにもっと確かな手段はないものかと探し求めずにいら
れない気持ちに駆り立てられるであろう。しかし気晴らしは、

わたしたちを楽しませ、知らず知らずのうちに死に至らせる。」
中略「情念もなく、仕事もなく、気晴らしもなく、専心すべき
営みもなしに、まったき休息のうちにあることほど、人間に

とって耐え難いことはない。かれはそのとき、自己の虚無、
自己の遺棄、自己の不満、自己の依存、自己の無力、自己の空虚
を感じる。たちまち、かれの魂の奥底から、倦怠、憂鬱、悲哀、
苦悩、悔恨、絶望が湧き出るであろう。」

お月さん

2012-09-28 21:09:48 | 日記
 先日からお天気よく、日増しにお月さんがまあるくなっていく
様子が見えていた。明日中秋の名月は天気悪しとのこと、それで
今宵のお月さんを撮ってみた。

この写真は黄色のツリフネソウ。

43年ぶり

2012-09-27 21:37:00 | 日記
 今日昼前に唐突に大学の同窓生がひょっこり来た。じつに43年
ぶりである。駒澤大学禅学科というところに入った。最初の一年は
寮に入ったのだ。その寮、永平寺などの日程を取り入れていた。

 朝は5時から坐禅、6時から朝課(読経)をした後、坐禅堂で
衣を着て坐禅をしながら、食事を食べる。衣もろくにそれまで
着たこと無かったものが、新しいことを先輩に怒鳴られながら

覚えて行く様は、今から思ったらなかなかいい思いでになってい
るが、あれを超える緊張感をそれ以後味わったことが無いから、
色んな意味でインパクトがあったに違いない。後日、4つ違いの

弟がいうには、最初の夏に帰って来たときの印象はまったく別人
というか、素晴らしく変わったらしい。云わく、玄関で履物を
脱ぐときもきちんとそろえるし、口を開けばそれまで本など

読んだことも無いものが、この本はいいんだなどとのたまうし
ともあれ変わったと。
 その寮生活でぼくは確かに変わって、それまで劣等生の
不良分子が懸命に本を読み出し、はまっていったんだから。

その時に出会った友とは先年彼が急折するまで、ポン友
だった。けれど、今日来た連中は、お寺の息子たちで東北から
初めて上京し、大学で酒やタバコ、麻雀などを覚えいっぱい

遊んだだろうの人たちでその寮以後一度も会ったこともなければ
噂を聞いたことが無い。ぼくがそう言う付き合いのところとは
縁がないということだが。それがである、43年経っているとは

もちろんアタマでは知っているが、見た瞬間からあーお前かと
解る。あの寮時代もろくにかれらと喋った記憶など無いが、
その3人が3ようともあの時に感じたそのままだったので、

おーお前らあの時となんも変わっとらんなと思わずいったら、
向こうの1人がムラタお前もな-んも変わっとらんと言われた、
自分の姿は見えないよね。

畦の花たち

2012-09-26 22:27:13 | 日記
 この時節、野の花たちがいい。仕事のときはカメラを持って行か
ないので、毎日のようにあーっカメラと田んぼについてから思うの
だ。それで今日は忘れずに持って行ったのだが、風が吹いていて

思うように撮れなくて、困っていた。

写真はツリフネソウ、ほんとボートが吊り下がっているよね。