妙好人 2

2013-06-25 20:36:01 | 日記
 ぼくにすればご両親がともに深い信仰者であると、その息子はどうなるのかと最初はおもったんだ。けれどお会いしてみれば分かると思うけれど、ごく普通に篤い念仏者である。何も飾ること無く取り立てて何ということなど無いけれど、ともあれそばにおるだけで安心させてもらえる。その彼、助田篤郎さんの文章である。長いので半分は省略させて貰った。
 『館野泉さんのこと。1936年生まれの世界的ピアニスト。
 2002年1月、フィンランドでのリサイタルが終わり、聴衆にお辞儀をして数歩、歩いたところで倒れる。脳溢血で右半身不随に。リハビリに努めるも元には戻らず、音楽に見放されたと思う日々は辛いものであったと言う。
 私がテレビのインタビューを拝見したときに、アナウンサーはまさに前述のごとくの辛い日々を克服して現在にいたったドラマチックで感動的な話に導きたいようであった。
 しかし当の本人は、済んだことは眼中になく、ただ左手でピアノが弾ける喜びを楽しまれておられる。
 両手を自在に使ってできた演奏と、現在のそれを比べて、どうのなどという比較の世界を超越しておられる。すごい人がいるものだと思ったことである。
 今年喜寿となる館野さんは、2004年の5月に<左手のピアニスト>として復帰された。そのとき、こう言っている。「音楽をするのに両手であろうと片手であろうと関係ない。左手だけで充分な表現が出来る。なにひとつ不足はない。そのことをしっかりと納得したのです。
 私には、左手だけで弾いているという認識は最初からありませんでした。皆さんに聴いていただいているのは音楽そのものなのです。左手というのは、飽くまでも手段、方法にすぎません。」
 そんな館野さんの演奏をCDで聴く機械があった。元来、私には馴染みの薄いクラシック、直ぐに眠くなるばかリであった。』   平、25、5、28    助田篤郎
 
 ぼくが鯖江のお家から辞去する時、見送りに車の所まで来られた。エンジンをかけたらそれまで流していた演歌の歌が大ボリュウムで聞こえた。篤郎さんそのときなにやらにやっと笑われた。笑ったのは多分、あっ自分と同じとおもったのかもしれないと、これを読んでそう巡らしたのだ。
コメント
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