2020年9月11日(金)
隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和2年(2020年)度第5回(2020年第16回)、「小町山沢コースから東城寺へ」ウォーキングに参加した。
この日は1か月半に及ぶ夏休み明け最初の例会でもあり、標高361mの小町山とは言え
平均年齢が後期高齢者の我々にとってはいきなりのハイキングは厳しいのではないかと
判断されたため、沢コースの途中から熊の石を経て、東城寺へ抜けるコースに変更と
いうことになった。
この日第一集合場所の乙戸沼公園に集まったのは自分も入れて5名である。
これでは目標の15名も集まらないのではないか・・・
不安に駆られながら車2台に分乗して第二集合場所の小町の館駐車場へ向かった。
小町の館駐車場には既にいつものメンバーが集まっていた。
人数を数えるとこの時点で18名が集まっていた。
一応15名という目標は上回ったことになり、ひと安心である。
新規入会、また今年度初参加の人もいて、皆さん本当に久しぶりなので、出発前に
小町の館をバックに記念撮影を行うことにした。
記念撮影も終わり、各自出発の準備をしていたちょうどそのとき、笠間在住のDD子さんが
到着した。
既に三脚は仕舞った後だったので、残念ながらDD子さんは写真には写っていない。
これで参加者は計19名となった。
9時52分、いつものようにTK会長を先頭に小町山方面を目指して出発!
小町の館のシンボルとも言える水車小屋前を通り、
会長の後に続く皆さん。
小町山登山口へ。
朝日峠登山口への分岐点を左に曲がり、小町山登山口方面へ。
集落から小町の館方面を観たところ。
間もなく米の収穫の時期を迎える。今年の稲の育ちは良さそうに見える。
『形の良い瓢箪だねっ』
小町の館を出発しておよそ7分、小町山登山口に到着した。
急な坂道を上り、
大きな木の根元に祀られている山ノ神へ。
山ノ神に無事を祈り、
ハイキング開始と同時に急な山道が始まった。
急な山道を上り切り、
少し進むと、小町山沢コース(左)と尾根コース(右)の分岐点があり、左の沢コース方面へ。
沢コース方面へ。
竹林を通り、
続いて杉林を抜けると、
小さな沢があり、天の川沢コースの始まりだ。
丸太の橋を渡ったところで後続との間隔を詰めるため小休止。
沢に沿って上る。
沢を流れる水音が心地よい。
坂道の登山道が続く。
”石割桜 小町山の神 50m”の案内標識が現れた。
せっかくの機会なので、もう一つの山の神へ参拝して行くことにした。
案内標識に従って丸太橋を渡り、
やや急な坂道を進むと、
「小町山之神」と書かれた看板があった。
大きな岩を包み込むようにして山桜の木が生えている。
山之神の石割桜である。
めいめい山之神に参拝を済ませ、山之神を後にして小町山登山道へ。
戻りは別の道を下ることになる。
山道を下ると、”奇石 熊の石 100m”と書かれた案内標識があった。
この日は夏休み明けということもあり、小町山へは上らずに熊の石から東城寺へ
向かうことにしている。
小町山は361mの低山だが、夏休み明けでいきなりは、後期高齢者の我々には相当
堪えるはずだ。
今日は足慣らしということで、東城寺を目指すのが賢明ということではなかろうか。
右手に”願いの滝”を観ながら沢を渡る。
以前はここにたぬきの人形がおかれていたのだが・・・
竹の樋を伝って沢の水を流している。
『そうめんを流すと良いかもねっ』
”願いの滝”は、熊の石・東城寺方面への分岐点になっている。
先ずは熊の石を目指そう。
斜面の山道を熊の石へ向かう。
”願いの滝”の熊の石・東城寺方面への分岐点からおよそ100mほど進むと・・・
右手に大きな岩が見えてきた。
10時28分、熊の石前に到着した。
大きな岩である。
熊が両手を上げて覆いかぶさるように見えることから名付けられたそうだ。
『いやぁ 何度見ても凄いねぇ』
熊の石の前で一息入れて・・・
熊の石真下への階段を上り、
熊の石の左側面を通り抜け、急坂を東城寺方面へ。
急な坂道を50mほど上ると、小町天の川コースと東城寺・宝篋山の分岐点に出た。
東城寺・宝篋山方面へ。
しばらくつづら折りの山道が続く。
下山するGとすれ違った。
『こんちわぁ』 『頑張って~っ』
まだまだ急坂の山道が続く。
『東城寺も思ったより楽じゃないわよね~っ』
熊の石からおよそ10分、東城寺と三ツ石奇石群への分岐点に到着した。
木に括り付けられている地図で現在地を確認する。
左下の赤い四角い印が現在地を示している。
東城寺・宝篋山方面と三ツ石奇石群方面への分岐点である。
三ツ石奇石群方面へもそのうち一度は上ってみたいコースである。
ここ(分岐点)で一息入れることに。
休憩(1)
休憩(2)
休憩(3)
休憩(4)
10分ほど休憩した後の10時48分、東城寺を目指して出発!
ここから先東城寺まではほぼ平坦な道である。
このコースは下見も兼ねて何度か歩いているので安心だ。
ところどころに大きな岩を見ることが出来る。
『どれも熊の石クラスの石だよねっ』
東城寺を目指す。
急坂の下りだ。ロープに掴まりながら下る。
『しっかりロープに掴まって~っ』
急坂を下り、東城寺を目指す。
大木が倒れたままになっている。
頭をぶつけたりしないよう注意が必要だ。
『森の中は直射日光が避けられるからこのコースは女性にとっては優しいよねっ』
森の中を東城寺を目指して進む。
『下りはやっぱり楽で良いわよね~っ』
小さな沢を渡り、
左に大きく曲がって進む。
『かなり歩いた感じだよねっ』
前方が急に明るくなってきた。
11時8分、東城寺の本堂裏に到着した。
『ここに出るんだぁ』 想定外の場所だったようだ。
三ツ石奇石群方面への分岐点からおよそ20分かかったことになる。
東城寺本堂
山号は朝望山、院号は東光院で、真言宗豊山派の寺院。
東城寺は桓武天皇の勅願寺であり、命を受けた天台宗の開祖最澄が弟子の最仙を派遣して
延暦十五年(796年)に開山したと伝えられている。
山号の朝望山は『朝廷を望む山』の意味で鎮護国家の思想が含まれていると云われる。
隆盛を極めた東城寺だったが次第に衰退、それを広智上人が再興し、その後、東城寺は
鎌倉時代初期小田氏の尊崇を受け真言宗に改められた。
江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。
以前の建物は平成九年(1997)に火災にあい、現在の本堂は平成十六年(2004)に再建された。
本堂には薬師三尊像が安置されている。
本堂前に建つ地蔵菩薩堂
建長五年(1253)に造立された結界石。
結界石は一定の地域を区切る境界石のことである。
仏教で受戒や布薩等の儀式を行うために定めた大界・戒場・小界等の限られた地域を
摂僧界というが、東城寺の結界石は、これを示す標石に”大界外相”と彫ったものと
紹介されている。
真言律宗の高僧忍性が布教のため関東に下向した際、戒律を保つため立てたもので、
中央には「大界外相」と刻まれている。
県指定文化財に指定されている。
慈母観音像
祖師堂
六地蔵石幢(ろくじぞうせきどう)
石柱の側面には、本石幢は花崗岩製で室町時代後期から安土桃山時代のものと
推定される、と刻まれている。
日本庭園の一角に建立されている県指定文化財の六地蔵石幢
鐘楼
梵鐘
11時24分、東城寺を後にして、東城寺名物の長い石段を下る。
『下が見えないくらい長い石段だよねっ』
石を敷き詰めた階段で、石毎に段差が異なっているため歩き難い。
『石を踏み外しそうで怖いよねっ』
『慎重にねっ!』 『ゆっくりで良いのよっ!』
後ろからエールが送られる。
5分ほどで全員無事に石段を下ることができた。
山門へ向かう先頭G。
『やっぱり平坦な道は歩き易いね~っ』
東城寺の参道脇には古タイヤが敷かれているのが特徴だ。
『古タイヤはお寺の参道には似合わないよね~っ』
間もなく山門だ。
11時33分、東城寺山門(仁王門)に到着。
右側の仁王像(阿像)
正面から見た山門(仁王門)
扁額には東成寺と書かれている。
東城寺はかつて東成寺と言っていたが、 土浦城主土屋氏が参拝した折改めたと云われる。
東城寺を後にして小町の館を目指す。
道の右側の墓地には古いお墓が目立つ。
土浦市東城寺地区の長い歴史が感じられる。
『小町の里まであと1.4Kmだねっ』
小町の館を目指す。
刈って脱穀した稲わらを焼いている風景
焼いた稲のにおい(香り)が風に棚引き、懐かしく感じられる。
『昔の田舎のことを想い出すよねぇ』
『最近じゃぁこんな景色はあまり目にすることが無くなったよねっ』
吐出水槽入口
吐出水槽とは霞ケ浦用水機場から送られた水を吐き出す水槽で、筑波山の麓の東城寺にある。
正にここのことなのだろう。
霞ヶ浦用水機場より、8機の大型ポンプを使って毎秒最大20t程度の水を汲み、筑波山へ
押し上げている。
霞ヶ浦から水を汲み上げる霞ヶ浦用水機場のポンプ場は、全てのポンプが運転すると
小学校の25mプールなら約40秒で一杯にすることができる、そうである。
左手の山の斜面のコンクリート建造物に”水資源機構”と書かれた水槽のようなものが見える。
あそこが吐出水槽なのだろう。
吐出水槽では、霞ケ浦用水機場のポンプ場から送られた水の一部を、新治幹線・藤沢幹線
という農業用水水路に分ける(分水)役割がある、とのこと。
分水して残った水は筑波山の下を掘ったトンネルに流れ込み、約14Km先の
南椎尾調整地(つくし湖)まで約2時間かけてゆっくり流れていく、そうである。
小町の館を目指す。
日枝神社への入り口が見えてきた。
せっかくなのでちょっとだけ寄って行こう。
日枝神社拝殿前の鳥居
鳥居の手前に流鏑馬(やぶさめ)の碑があった。
日枝神社の流鏑馬は、今では県の無形民族文化財に指定されている。
ここの流鏑馬は、馬を静止させて矢を射るのが特徴となっている。
「逃げ回る大猿を確実に仕留める」のを目的とするためだそうだ。
鳥居を潜ると右横に県指定工芸品の石造燈篭が。
永正八天(西暦1511年)未十二月廿日」の紀年銘があり、記銘在りのものでは
茨城県最古の石灯籠とのこと。
日枝神社拝殿に参拝を済ませ、
小町の館へ。
直射日光の日差しが暑い。30℃は優に超えていそうだ。
田んぼには稲刈り機が。
これから稲刈りされるのを待つ田んぼ。
柿の実も熟れ始めている。
今年の柿の出来具合はどうなんだろう?
柿好きの自分にとっては、気になるところである。
ゴールの小町の館はもうすぐだ。
12時5分、ゴールの小町の館水車前に到着。
ほぼ想定時刻通りのゴールである。
次回(9月25日 小貝川ふれあい公園)の説明をして、この日はここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『また次回元気にお会いしましょうっ!!』
ちょうど昼時だったので、相乗り3名で「小町庵」で蕎麦を食べていこうということに。
「小町庵」
当会の3名が既に着席して配膳を待っているところだった。
盛り蕎麦(710円)の大盛(+310円)を注文した。
腰があって美味しかった。
この日のコースは、小町山沢コースを上り、小町山から朝日峠展望公園を目指す
という企画だった。
しかしながら、1か月半に及ぶ夏休み明け最初の例会ということもあり、標高361mの
低山とは言え、平均年齢が後期高齢者の我々にとってはいきなりの小町山ハイキングは
厳しいのでは? と判断されたことから、急遽沢コースの途中から熊の石を経由して、
東城寺へ抜けるコースに変更しようということになった次第。
コース変更を事前に周知出来ていれば、参加者はもう少し増えていたかもしれない、
と思うと少々悔いは残る。
この日の万歩計は、9,500歩を計測していた。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。
隔週金曜日(2020年度から隔週に変更)、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が
主催する、令和2年(2020年)度第5回(2020年第16回)、「小町山沢コースから東城寺へ」ウォーキングに参加した。
この日は1か月半に及ぶ夏休み明け最初の例会でもあり、標高361mの小町山とは言え
平均年齢が後期高齢者の我々にとってはいきなりのハイキングは厳しいのではないかと
判断されたため、沢コースの途中から熊の石を経て、東城寺へ抜けるコースに変更と
いうことになった。
この日第一集合場所の乙戸沼公園に集まったのは自分も入れて5名である。
これでは目標の15名も集まらないのではないか・・・
不安に駆られながら車2台に分乗して第二集合場所の小町の館駐車場へ向かった。
小町の館駐車場には既にいつものメンバーが集まっていた。
人数を数えるとこの時点で18名が集まっていた。
一応15名という目標は上回ったことになり、ひと安心である。
新規入会、また今年度初参加の人もいて、皆さん本当に久しぶりなので、出発前に
小町の館をバックに記念撮影を行うことにした。
記念撮影も終わり、各自出発の準備をしていたちょうどそのとき、笠間在住のDD子さんが
到着した。
既に三脚は仕舞った後だったので、残念ながらDD子さんは写真には写っていない。
これで参加者は計19名となった。
9時52分、いつものようにTK会長を先頭に小町山方面を目指して出発!
小町の館のシンボルとも言える水車小屋前を通り、
会長の後に続く皆さん。
小町山登山口へ。
朝日峠登山口への分岐点を左に曲がり、小町山登山口方面へ。
集落から小町の館方面を観たところ。
間もなく米の収穫の時期を迎える。今年の稲の育ちは良さそうに見える。
『形の良い瓢箪だねっ』
小町の館を出発しておよそ7分、小町山登山口に到着した。
急な坂道を上り、
大きな木の根元に祀られている山ノ神へ。
山ノ神に無事を祈り、
ハイキング開始と同時に急な山道が始まった。
急な山道を上り切り、
少し進むと、小町山沢コース(左)と尾根コース(右)の分岐点があり、左の沢コース方面へ。
沢コース方面へ。
竹林を通り、
続いて杉林を抜けると、
小さな沢があり、天の川沢コースの始まりだ。
丸太の橋を渡ったところで後続との間隔を詰めるため小休止。
沢に沿って上る。
沢を流れる水音が心地よい。
坂道の登山道が続く。
”石割桜 小町山の神 50m”の案内標識が現れた。
せっかくの機会なので、もう一つの山の神へ参拝して行くことにした。
案内標識に従って丸太橋を渡り、
やや急な坂道を進むと、
「小町山之神」と書かれた看板があった。
大きな岩を包み込むようにして山桜の木が生えている。
山之神の石割桜である。
めいめい山之神に参拝を済ませ、山之神を後にして小町山登山道へ。
戻りは別の道を下ることになる。
山道を下ると、”奇石 熊の石 100m”と書かれた案内標識があった。
この日は夏休み明けということもあり、小町山へは上らずに熊の石から東城寺へ
向かうことにしている。
小町山は361mの低山だが、夏休み明けでいきなりは、後期高齢者の我々には相当
堪えるはずだ。
今日は足慣らしということで、東城寺を目指すのが賢明ということではなかろうか。
右手に”願いの滝”を観ながら沢を渡る。
以前はここにたぬきの人形がおかれていたのだが・・・
竹の樋を伝って沢の水を流している。
『そうめんを流すと良いかもねっ』
”願いの滝”は、熊の石・東城寺方面への分岐点になっている。
先ずは熊の石を目指そう。
斜面の山道を熊の石へ向かう。
”願いの滝”の熊の石・東城寺方面への分岐点からおよそ100mほど進むと・・・
右手に大きな岩が見えてきた。
10時28分、熊の石前に到着した。
大きな岩である。
熊が両手を上げて覆いかぶさるように見えることから名付けられたそうだ。
『いやぁ 何度見ても凄いねぇ』
熊の石の前で一息入れて・・・
熊の石真下への階段を上り、
熊の石の左側面を通り抜け、急坂を東城寺方面へ。
急な坂道を50mほど上ると、小町天の川コースと東城寺・宝篋山の分岐点に出た。
東城寺・宝篋山方面へ。
しばらくつづら折りの山道が続く。
下山するGとすれ違った。
『こんちわぁ』 『頑張って~っ』
まだまだ急坂の山道が続く。
『東城寺も思ったより楽じゃないわよね~っ』
熊の石からおよそ10分、東城寺と三ツ石奇石群への分岐点に到着した。
木に括り付けられている地図で現在地を確認する。
左下の赤い四角い印が現在地を示している。
東城寺・宝篋山方面と三ツ石奇石群方面への分岐点である。
三ツ石奇石群方面へもそのうち一度は上ってみたいコースである。
ここ(分岐点)で一息入れることに。
休憩(1)
休憩(2)
休憩(3)
休憩(4)
10分ほど休憩した後の10時48分、東城寺を目指して出発!
ここから先東城寺まではほぼ平坦な道である。
このコースは下見も兼ねて何度か歩いているので安心だ。
ところどころに大きな岩を見ることが出来る。
『どれも熊の石クラスの石だよねっ』
東城寺を目指す。
急坂の下りだ。ロープに掴まりながら下る。
『しっかりロープに掴まって~っ』
急坂を下り、東城寺を目指す。
大木が倒れたままになっている。
頭をぶつけたりしないよう注意が必要だ。
『森の中は直射日光が避けられるからこのコースは女性にとっては優しいよねっ』
森の中を東城寺を目指して進む。
『下りはやっぱり楽で良いわよね~っ』
小さな沢を渡り、
左に大きく曲がって進む。
『かなり歩いた感じだよねっ』
前方が急に明るくなってきた。
11時8分、東城寺の本堂裏に到着した。
『ここに出るんだぁ』 想定外の場所だったようだ。
三ツ石奇石群方面への分岐点からおよそ20分かかったことになる。
東城寺本堂
山号は朝望山、院号は東光院で、真言宗豊山派の寺院。
東城寺は桓武天皇の勅願寺であり、命を受けた天台宗の開祖最澄が弟子の最仙を派遣して
延暦十五年(796年)に開山したと伝えられている。
山号の朝望山は『朝廷を望む山』の意味で鎮護国家の思想が含まれていると云われる。
隆盛を極めた東城寺だったが次第に衰退、それを広智上人が再興し、その後、東城寺は
鎌倉時代初期小田氏の尊崇を受け真言宗に改められた。
江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。
以前の建物は平成九年(1997)に火災にあい、現在の本堂は平成十六年(2004)に再建された。
本堂には薬師三尊像が安置されている。
本堂前に建つ地蔵菩薩堂
建長五年(1253)に造立された結界石。
結界石は一定の地域を区切る境界石のことである。
仏教で受戒や布薩等の儀式を行うために定めた大界・戒場・小界等の限られた地域を
摂僧界というが、東城寺の結界石は、これを示す標石に”大界外相”と彫ったものと
紹介されている。
真言律宗の高僧忍性が布教のため関東に下向した際、戒律を保つため立てたもので、
中央には「大界外相」と刻まれている。
県指定文化財に指定されている。
慈母観音像
祖師堂
六地蔵石幢(ろくじぞうせきどう)
石柱の側面には、本石幢は花崗岩製で室町時代後期から安土桃山時代のものと
推定される、と刻まれている。
日本庭園の一角に建立されている県指定文化財の六地蔵石幢
鐘楼
梵鐘
11時24分、東城寺を後にして、東城寺名物の長い石段を下る。
『下が見えないくらい長い石段だよねっ』
石を敷き詰めた階段で、石毎に段差が異なっているため歩き難い。
『石を踏み外しそうで怖いよねっ』
『慎重にねっ!』 『ゆっくりで良いのよっ!』
後ろからエールが送られる。
5分ほどで全員無事に石段を下ることができた。
山門へ向かう先頭G。
『やっぱり平坦な道は歩き易いね~っ』
東城寺の参道脇には古タイヤが敷かれているのが特徴だ。
『古タイヤはお寺の参道には似合わないよね~っ』
間もなく山門だ。
11時33分、東城寺山門(仁王門)に到着。
右側の仁王像(阿像)
正面から見た山門(仁王門)
扁額には東成寺と書かれている。
東城寺はかつて東成寺と言っていたが、 土浦城主土屋氏が参拝した折改めたと云われる。
東城寺を後にして小町の館を目指す。
道の右側の墓地には古いお墓が目立つ。
土浦市東城寺地区の長い歴史が感じられる。
『小町の里まであと1.4Kmだねっ』
小町の館を目指す。
刈って脱穀した稲わらを焼いている風景
焼いた稲のにおい(香り)が風に棚引き、懐かしく感じられる。
『昔の田舎のことを想い出すよねぇ』
『最近じゃぁこんな景色はあまり目にすることが無くなったよねっ』
吐出水槽入口
吐出水槽とは霞ケ浦用水機場から送られた水を吐き出す水槽で、筑波山の麓の東城寺にある。
正にここのことなのだろう。
霞ヶ浦用水機場より、8機の大型ポンプを使って毎秒最大20t程度の水を汲み、筑波山へ
押し上げている。
霞ヶ浦から水を汲み上げる霞ヶ浦用水機場のポンプ場は、全てのポンプが運転すると
小学校の25mプールなら約40秒で一杯にすることができる、そうである。
左手の山の斜面のコンクリート建造物に”水資源機構”と書かれた水槽のようなものが見える。
あそこが吐出水槽なのだろう。
吐出水槽では、霞ケ浦用水機場のポンプ場から送られた水の一部を、新治幹線・藤沢幹線
という農業用水水路に分ける(分水)役割がある、とのこと。
分水して残った水は筑波山の下を掘ったトンネルに流れ込み、約14Km先の
南椎尾調整地(つくし湖)まで約2時間かけてゆっくり流れていく、そうである。
小町の館を目指す。
日枝神社への入り口が見えてきた。
せっかくなのでちょっとだけ寄って行こう。
日枝神社拝殿前の鳥居
鳥居の手前に流鏑馬(やぶさめ)の碑があった。
日枝神社の流鏑馬は、今では県の無形民族文化財に指定されている。
ここの流鏑馬は、馬を静止させて矢を射るのが特徴となっている。
「逃げ回る大猿を確実に仕留める」のを目的とするためだそうだ。
鳥居を潜ると右横に県指定工芸品の石造燈篭が。
永正八天(西暦1511年)未十二月廿日」の紀年銘があり、記銘在りのものでは
茨城県最古の石灯籠とのこと。
日枝神社拝殿に参拝を済ませ、
小町の館へ。
直射日光の日差しが暑い。30℃は優に超えていそうだ。
田んぼには稲刈り機が。
これから稲刈りされるのを待つ田んぼ。
柿の実も熟れ始めている。
今年の柿の出来具合はどうなんだろう?
柿好きの自分にとっては、気になるところである。
ゴールの小町の館はもうすぐだ。
12時5分、ゴールの小町の館水車前に到着。
ほぼ想定時刻通りのゴールである。
次回(9月25日 小貝川ふれあい公園)の説明をして、この日はここで解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
『また次回元気にお会いしましょうっ!!』
ちょうど昼時だったので、相乗り3名で「小町庵」で蕎麦を食べていこうということに。
「小町庵」
当会の3名が既に着席して配膳を待っているところだった。
盛り蕎麦(710円)の大盛(+310円)を注文した。
腰があって美味しかった。
この日のコースは、小町山沢コースを上り、小町山から朝日峠展望公園を目指す
という企画だった。
しかしながら、1か月半に及ぶ夏休み明け最初の例会ということもあり、標高361mの
低山とは言え、平均年齢が後期高齢者の我々にとってはいきなりの小町山ハイキングは
厳しいのでは? と判断されたことから、急遽沢コースの途中から熊の石を経由して、
東城寺へ抜けるコースに変更しようということになった次第。
コース変更を事前に周知出来ていれば、参加者はもう少し増えていたかもしれない、
と思うと少々悔いは残る。
この日の万歩計は、9,500歩を計測していた。
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