年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

3.11は金曜日で無いと

2021年03月10日 | 宅老のグチ
10年になるのかと思うと、2月の強大な余震もあって、記憶が戻る。しかし曜日が異なるので、ふと我に返る。あれは金曜日の午後2時半過ぎだった。築地の一番静かな時間で、水産部の人たちは大方家に帰ってしまっていて青果部の人たちが仕事をしていたという記憶がある。地震の揺れは長く、隣の築地浜離宮ビル(元はニチレイの冷蔵庫)と言う名前の建物は高さが100Mもあって、上部の揺れが築地市場の広い駐車場から見ていても、振幅の大きさが分かった。勤めていた会社の4階建ての建物は数か所のタイルが落ちるのを目撃した。慌てて帰宅の手配をしたが身体障碍者がいて、彼をどうして自宅に届けるかを考え、3時過ぎには築地を離れ、抜け道を探り、二人送り届け自宅付近まで来たが約1時間だった。これは普通の帰宅時間だったが自宅付近で300Mの距離で、車が動かなくなった。要は信号が変わっても一台しか通過できなかった。30分ほどで渋滞を抜け、家について風呂に入り、TVをつけると津波の映像が見えた。あの下でと今でも思う。10年は記憶を無くすにはまだ早い。
 でもやれることはやったと言う想いはある。
ここまで書いて、今日は3月10日という事を思い出した。父が埼玉から親族の福神漬を作っている商店に勤めた。そこは関東大震災で最大の焼死者を出した被服廠跡から歩いて数分の距離だった。また昭和20年3月10日の空襲でも焼け落ちた。3・11は3・10と9・1の記憶を上書きし、消し去るが親族・遺族の記憶はまだ消えない。
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