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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

池之端の大茂

2009年02月10日 | 福神漬
池之端の大茂
もとは池之端仲町27番地にあった。大和屋が花街業態に転じて『大茂』と改名した。出入りする芸妓の立ち居のしつけが厳しいため大茂に出入するのが芸妓の誇りだった。大茂の招聘されるのを恐れる芸者も在った。また客も大茂の女将に叱られたのを酒席の自慢としていた客もあった。
下谷繁盛史より
幕末退廃的な時代の流れで、町芸者を女性の職業と黙認するようになり明治以後公然と芸者屋を名乗り、資本をかけた事業となっていった。そして遊郭がさびれ芸者の時代となっていった。下谷の花街は維新以前柳橋についで江戸一流の地位を占めていた。
明治38年警視庁は芸妓屋と待合の二業態に限り、指定地以外の営業および居住の禁止をおこなった。これが花街の始まりであった。
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