山形の森 保守醒論

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阿信県行旅、(1908)明治41年11月、おしんは、母ふじの出稼ぎ先・銀山温泉「銀山閣(能登屋)」に会いに。

2013-11-11 11:07:04 | Weblog

 左手「小関館」の前で、おしん(乙羽信子)はタクシーを乗降する。右手「能登屋」、ドラマで「銀山閣」


     おしん(乙羽信子)が、圭と滞在する「銀山閣」(能登屋旅館)

銀山温泉の紅葉の見ごろは10月下旬らしいのだが、おしん(小林綾子)が、母ふじを訪ねて行くのが11月なので、合わせて遅れ気みのおしん探究・紅葉狩りとなった。
(1908)明治41年11月、おしんは、酒田の米問屋・加賀屋への奉公を前に、母ふじの出稼ぎ先・銀山温泉「銀山閣(能登屋)」を訪ね会いに行く。
栃窪から約60kmの道のりを、2日掛かりで歩いてゆくのである。
朝早く出て、(途中民泊)翌日の夜に着くので、厳しい道のり(背あぶり峠越え)ではあるが、おしんなら無理な設定でもないだろう。
秋の収穫作業を終えてからになるので、この時期になってしまう。
2年で米5俵の年季奉公、しばらく会えないだろうことから、おしんは母の胸の中で一夜を過ごす。
翌日、別れ際に渡される母代わりの「(おしん)こけし」が、83歳になったおしん(乙羽信子)の人生回顧の旅のモチーフにもなる。
この「銀山こけし」は、(1915)大正4年に山形県派遣の木地職人が技術伝授したとあるので、1908年頃にはまだ存在していない。
フィクションならではの制作フレームであろう。
橋田自身も、(おしん制作前に銀山温泉に行ったことは無く)NHKスタッフとのシナリオハンティングで初めて訪れたことを語っている。
NHK制作陣とのコラボならではの、小道具となったもののようである。
このたびの映画「おしん」では銀山温泉シーンは一切無く、県費支出しながら尾花沢市観光関係者はどんな思いであろうか。
好天に散策しながらの遅ればせの紅葉狩り、延沢銀山・銀鉱洞坑内も一巡して帰路に。
おしんが乗船したであろう、大石田河岸にも立ち寄って見た。
原作では、母ふじから舟賃を貰い荷馬車の便で(大石田河岸に)向かう。
最上川舟運の歴史文化の地であるのだが、あまり訪れる人が居ないのだろうか。
「大石田河岸」の案内版、1580(天正8)年と記すべきところ、(大正8)になっている。
平成4年3月設置とあるので、20年以上誰も間違いに気付くことなく経過しているのだろう。
国土交通省か?、大石田町なのか、訂正された方がよろしいかと・・・。
「(1908)明治41年11月、おしんは酒田の米問屋・加賀屋への奉公に、ここ「大石田河岸」から小鵜飼舟に乗船しました」などの表示板があれば、世界中から観光客が訪れるかもよ!。
素材を活かせない知恵とPR不足!。


    「大石田河岸」の案内版、1580(天正8)年と記すべきところ、(大正8)になっている?。
コメント
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