![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/a2/54db72f9369b677eec9e7d76cccdde0e.jpg)
楯山・日本一公園から最上川を望む(大江町左沢) 最上橋右岸側で回想シーンロケ
「おしん」探究から鎌倉時代まで遡る。
先月、久しぶりに酒田を訪れた折、市役所向かいの鐙屋を見学した。
市役所駐車場をご利用くださいとの表記は、DC向けに市の協力体制が感じ取れた。
鐙屋は、NHK「おしん」の奉公先米問屋「加賀屋」のモデルとされており(スタジオセット撮り)、映画「おしん」では実際に鐙屋内外を使ったロケが決行された。
内容は公開時に期待するとして、鐙屋のルーツは、1189年に源頼朝の奥州出兵で滅ぼされた(4代)奥州藤原氏・藤原泰衡の遺臣36人が秀衡妹・徳尼公と庄内に逃れて、「酒田36人衆」を形成して廻船問屋などを営み現代に至るものとされている。
方や、橋田壽賀子原作の「おしん」はフィクションではあるものの、ヒロイン「おしん」の生誕地モデルは、西置賜郡白鷹町大字栃窪(旧栃窪集落)とされている。
この「おしんの古里」栃窪集落は、平家の落人伝説から約800年の歴史がある。
おしんの生家・栃窪も、「酒田36人衆」の流れを汲む鐙屋も、源氏(源頼朝)に滅ぼされた落人の共通ルーツがあることになる。
おしんの加賀屋奉公は、1908(M41)であるから約700年を経ての対源氏敗戦同志の歴史的邂逅となる。
このような観方をするとじつに面白い。
1189年、頼朝は寒河江荘・置賜郷の地頭に大江広元を任命。1192年、源頼朝は鎌倉幕府を成立。
後に寒河江荘は大江の長男親広に、長井郷地頭(置賜郷)は次男時広の統治となり米沢城築城を果たす。
「おしん」をテーマに鎌倉時代から語れば、最上川上流(置賜)から酒田河口までの歴史文化を辿ることにもなる。
先頃、鉄道両用バスとかサイクリングイベントなどで、(途切れた)左荒線復活らしき運動を見かける。
が、実用されたとして車社会のいまだれが恒常的に利用するだろうか。
広く国際的に宣伝アピールできるとすれば、「途切れた左荒線」路線間こそ、おしんが最初の奉公先左沢まで筏で下った「栃窪-左沢」にあたるのである。
本当に行政が、左荒線復活をやり抜くとすれば、「おしん」を活かして、世界中からの誘客を取り込むしかないだろう。
アイデアを幾度となく発してきたが、所詮、猫に小判、豚に真珠か!。
可能なら水陸両用で(おしん)最上川下りの方が現実味があるのではと思う 。