12.3付、産経新聞の見出し「日本を滅亡させるバカげた戦い」、これでは築地(朝日)・竹橋(毎日)の反日ペテン紙と同類だ。
「日米開戦70年目の検証」という特集最終回のタイトルである。
まず、この文言フレーズが、当時の木戸幸一内大臣によるものと記述されている。
開戦時(12.8)の東條英機首相を、近衛文麿後継の内閣首班に推挙したのは木戸自身であり、わずか2ヶ月足らず前(10.18)のことである。
およそ出てくる言葉は、「(東條を)推挙した己の不明を詫びる」が妥当ではないのか。
たとえ木戸が「日本を滅亡させるバカげた戦い」と口にしたにせよ、政情全体の流れからタイトルに使うことは、歴史を見る読者に対して不適切であろう。
さらに掲載文のなかで、日ソ両軍の国共紛争・ノモンハン事件(1939.5~9)に触れた件があるが、ソ連崩壊後の資料流出、関係者証言などから、ソ連側に日本以上の損害があったことが明らかにされている。
ノモンハン衝突における(愚かな)日本関東軍の大敗論は、敗戦とソ連側工作を受けて戦後に偽造定着されてきたもので、近年に明白となった事実関係から日本側の損害も大きかったが、ソ連側の損害はそれ以上であり、装備・兵力(日本軍3万、ソ連軍30万)から比較すれば日本側の善戦敢闘とされるものである。
このような事実関係を理解しないままに執筆がされているとは、ソ中朝工作紙となんら変わら無い。大東亜戦争の「無謀な戦争論」があるが、ブログ゛子の理解でもっとも共感できるものは、(1941)9.6御前会議における、永野修身・軍令部総長の発言が身にしみる。
「戦わざれば亡国と政府は判断された。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は魂まで失った亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活路を見出しうるであろう。戦ってよし勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、われらの子孫は再起三起するであろう」、苦悩の中での痛い思いである。
子孫たる現世のものたちが、この言葉の意味を理解したときこそ、日本の戦後が終わり真の再起時代が訪れるときかもしれない。
それが近年に迎えるのか、解からずにただ時を重ねるのか、その前に日本国が消滅してしまうのか。
永野発言は永野だけでなく、当時の多くの日本人が持ち合わせていた共通のものと考える。
先の大戦を「日本を滅亡させるバカげた戦い」と短絡表現するようでは、売国ペテン紙と変わりは無い。
「日米開戦70年目の検証」という特集最終回のタイトルである。
まず、この文言フレーズが、当時の木戸幸一内大臣によるものと記述されている。
開戦時(12.8)の東條英機首相を、近衛文麿後継の内閣首班に推挙したのは木戸自身であり、わずか2ヶ月足らず前(10.18)のことである。
およそ出てくる言葉は、「(東條を)推挙した己の不明を詫びる」が妥当ではないのか。
たとえ木戸が「日本を滅亡させるバカげた戦い」と口にしたにせよ、政情全体の流れからタイトルに使うことは、歴史を見る読者に対して不適切であろう。
さらに掲載文のなかで、日ソ両軍の国共紛争・ノモンハン事件(1939.5~9)に触れた件があるが、ソ連崩壊後の資料流出、関係者証言などから、ソ連側に日本以上の損害があったことが明らかにされている。
ノモンハン衝突における(愚かな)日本関東軍の大敗論は、敗戦とソ連側工作を受けて戦後に偽造定着されてきたもので、近年に明白となった事実関係から日本側の損害も大きかったが、ソ連側の損害はそれ以上であり、装備・兵力(日本軍3万、ソ連軍30万)から比較すれば日本側の善戦敢闘とされるものである。
このような事実関係を理解しないままに執筆がされているとは、ソ中朝工作紙となんら変わら無い。大東亜戦争の「無謀な戦争論」があるが、ブログ゛子の理解でもっとも共感できるものは、(1941)9.6御前会議における、永野修身・軍令部総長の発言が身にしみる。
「戦わざれば亡国と政府は判断された。戦うもまた亡国であるかも知れぬ。戦わざる亡国は魂まで失った亡国であり、最後の一兵まで戦うことによってのみ死中に活路を見出しうるであろう。戦ってよし勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、われらの子孫は再起三起するであろう」、苦悩の中での痛い思いである。
子孫たる現世のものたちが、この言葉の意味を理解したときこそ、日本の戦後が終わり真の再起時代が訪れるときかもしれない。
それが近年に迎えるのか、解からずにただ時を重ねるのか、その前に日本国が消滅してしまうのか。
永野発言は永野だけでなく、当時の多くの日本人が持ち合わせていた共通のものと考える。
先の大戦を「日本を滅亡させるバカげた戦い」と短絡表現するようでは、売国ペテン紙と変わりは無い。