鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

誰が鈴図小柄 園部

2010-03-16 | 小柄
誰が鈴図小柄 園部


誰が鈴図小柄 無銘園部

 桜に鈴を組み合わせて瀟洒な趣のある画面を創出した作で、園部(そのべ)派と極められている小柄。作風はまさに後藤のそれであり、江戸時代中後頃の後藤と極めても間違いはない出来である。
 誰が桜の樹に鈴を結びつけたのであろうか、そんな雅な疑問がそのまま題とされている。そして桜と鈴の結びつきは、如何なるところにあるのか。
 そもそも桜の下で行われる花見は、田の神に新たな季節の到来を通じて豊作を祈願する儀式である。近頃の、目を覆うような破廉恥な飲み食いの場ではない。鈴を飾りつけた理由も、神として崇める意味があったのであろうか、神社にあるように、鈴は神に問いかける際の合図でもある。
 そのような意味を考えなくても美しい構成が魅力である。もちろん江戸時代前期には、すでに花の下で宴を催すほどに古い時代の花見の意味は廃れていたであろう。この作者は、あるいはこの図を製作させた武人は、深い思いを胸に秘めていたことであろう。風に枝が揺れ、かすかに鈴の音が聞こえてきそうな作品である。赤銅魚子地高彫に美しい金銀色絵。

吉野桜図鐔 加賀

2010-03-15 | 
吉野桜図鐔・小柄 加賀

 
① 吉野桜図鐔 無銘加賀後藤


② 吉野桜図小柄 無銘加賀後藤

 秋草の図ではずいぶんと季節感に温度差が出てきたので、春を題材に桜図の装剣小道具を紹介する。まずは、加賀後藤(かがごとう)の手になる爛漫の吉野の桜樹図鐔、同じく加賀後藤の桜樹に鳥居を描き添えて春の吉野を表現した小柄。
 Photo①の鐔は秋草の解説中で紹介している。吉野桜は古くから知られており、幾重にも折り重なるようにして花を咲かせる桜樹の、その連なる様が美しく、この鐔でも写実を超越して文様化が追求されている。鐔の中心を軸とする円周方向に魚子を打ち施して空間の広がりを感覚的なものとし、桜樹に包まれて眩暈を起こしたような、非現実の空間に立っているような錯覚を楽しんだ構成。金は蕾部分に施しているだけだが豪奢で贅沢感に満ち溢れている。漆黒の赤銅地の魅力は、金との対比によって明確となる。後藤家の作品に見られる伝統的な美意観がその代表であり、赤銅を魚子地とし、ここに鏨を効かせた図柄を高彫とし、金色絵を施すを通常とする。赤銅魚子地に施された銀の魅力も、作品によっては金さえも足元に及ばない場合があろう。ここでは、銀の花に散し配された金の蕾が活きている。
 Photo②の小柄は金魚子地で、柔らかな春の陽を受けて輝く下草と大地の様子が明るく表現されており、これを背景にして密集した花が、たなびく雲のように描き表わされている。これも文様表現だが、鳥居を添えて単調になりがちな画面に強い印象を与えている。花の連なりが屏風絵の雲に似ているのは、もちろん屏風絵を意識しての構成。盛り上がるように、画面から溢れ出るように桜花が表現され、この量感こそ贅沢の極みに感じられよう。
 作品表面が綺麗に揃った微細な点の連続であるため、モニターによってはモアレが生じて
見難い場合があります。ご容赦下さい。

秋草に虫図鐔 藻柄子宗典

2010-03-14 | 
秋草に虫図鐔 藻柄子宗典

 
秋草図鐔 銘 江州彦根住藻柄子入道宗典製

 風変わりな秋草図を紹介する。作者は、先に秋草図鐔を紹介したこともある江戸時代中頃の近江の金工藻柄子宗典(そうてん:むねのり)。咲き乱れる秋草を高彫にして金銀素銅の象嵌を加え、自然のいとなみを文様風に表現した作に違いないのだが、この賑やかなほどの生命感とは裏腹に、不気味な重さを感じるのはこの造形に理由がある。即ち、野に捨て置かれ、朽ちてゆく髑髏の印象である。鐔の外周はまさに頭蓋骨、左右の櫃穴が窪んだ眼窩。『野ざらし』である。
 秋草図を紹介してきたが、この鐔で秋草図を一休みしたい。
 この鐔は、秋草の持つ生命感の不思議さ、その背後に何があるのかという心理的な面白さが感じられる作品でもある。梶井基次郎に『桜の樹の下には』という短編小説がある。桜の美しさの不思議さを心象表現した作品である。これと通じるとは言わないが、この鐔を眺め、ふとこの小説を思い出したのである。
 野ざらしの図が装剣小道具に採られた理由は、武士たる者、誰に気づかれることなく野に死に、草に隠れるように土に還ってゆくことを厭わぬ心構えが必要である、と考える。『桜の樹の下には』とはまったく意味が異なる。戦国時代が遠く過ぎ去った宗典の時代においてもなお、野の片隅には戦国の世の痕跡が残されていた。宗典は、装剣小道具の古典でもある秋草図に野ざらしを採り入れ、独自の死生感を表現したのである。

秋草図鐔 古金工

2010-03-13 | 
秋草図鐔追加資料

 
① 秋草に栗鼠図鐔 無銘古金工
 赤銅魚子地高彫金色絵の手法で自然の実りを表現した作。菊花や桔梗、萩らしき植物が描かれている。この古風な表現技法は殊に興味深い。耳際の造り込みは古典的な太刀鐔を想わせる木瓜形に変化を与えたもので、わずかに肉厚く、切羽台辺りが薄手、図は丸みのある高彫だが美濃彫ほど高くはない。

 
② 秋草図鐔 無銘古金工
 美濃彫様式に近いため、古美濃に分類しても良いと思われる作。この辺りの区分の着眼点は、鑑定家によって異なるところ。分類が難しい古作である。赤銅魚子地を六ツ木瓜形とし、菊と撫子を高彫し、金と素銅の露象嵌を散している。猪目を配して六ツに画面を割ったところに銀杏の葉が想像されよう。美しい造り込みである。

 
③ 秋草図鐔 無銘古金工
 赤銅魚子地を菊花丸形に造り込み、菊、撫子、葛であろうか花房の美しい植物を題に得、高彫に金の露象嵌を散した作。これも美濃彫様式を示しており、古金工と古美濃の分類の極めどころが難しい作である。②の鐔と同様に深彫が顕著であれば迷うことなく古美濃となろうが、それほどでもなく、と言って古金工よりも古美濃の風合いが漂っているのである。興味深い資料の一つでもある。

秋草図鐔 石黒是美

2010-03-12 | 
秋草図鐔 石黒是美


秋草図鐔 銘 石黒是美(花押)

 江戸でも特異な存在と言うべきか、極めて写実的、繊細、そして豪壮、多彩な色金を用いて華麗な空間を創出した金工の流派が石黒家である。初代政常(まさつね)に始まり、同銘三代続いて明治時代に至り、初代の門には政美(まさよし)、その子で二代政美を継いだ是美(これよし)など御家流の作風を良く伝えた名工が多い。画題は猛禽などの鳥図が頗る多く、これに植物を加えた花鳥図もみられる。赤銅魚子地に鏨を強く効かせた極肉高の高彫とし、細部には繊細な鏨を加えて真に迫る空間を創出するを得意としている。
 写真の鐔は是美(生没年不詳・明治中頃までの生存を確認)の作。屏風の散し絵のように秋草を散し配した構図で、絵画風だが明らかに古金工にみられるような文様表現。鐔の造り込みは古典的な太刀様式で、それを刀に用いるよう製作したもの。モニターによってはモアレが生じて見難いが、赤銅魚子地は美しく揃い、透明な空気のありようを想わせる。この魚子地が野原であり、大地であり、作品の上では無限に広がる大宇宙である。武家金工後藤家と同じ世界を目指しているのだが、石黒の場合には、より精巧な彫刻表現を成しているところに違いがある。くっきりと高彫された秋草は枝葉に量感があり、立体的で花弁もふっくらとして瑞々しくさえ感じられる。金銀朧銀に加え、朱銅とも呼ばれる赤味の強い素銅を撫子の色絵に用いている。

秋草図小柄 蒔絵師

2010-03-11 | 小柄
秋草図小柄 蒔絵師



秋草図小柄 銘 法眼永真図

 作品としては少々珍しい、蒔絵による小柄。秋草の乱れ咲く野に月が顔を出した、その瞬間を大胆な構成で描き表わしている。蒔絵のもつ繊細さに、金工は及ばないだろう。かろうじて加賀象嵌の極細平象嵌が比較の対象とされようが、一般的な金工とは較べられないだろう。色合いの多彩さも絵画に近く、様々に調合した金粉銀粉、漆粉を配して画面を造り出す。この小柄は、微細な金粉を叢に施した背景に金の平目を下半に蒔いて大地を表現、月は銀、わずかに盛り上げた蒔絵で秋草の姿態を、金銀で花弁を描き表わしている。時を重ねて紫色味に変色した銀の味わいが格別である。作者については不詳。

月影に秋草図鐔 愛山義行

2010-03-10 | 
月影に秋草図鐔 愛山義行

 
月影に秋草図鐔 銘 一丘斎愛山義行(花押)

 水辺に咲く菊花に薄を添え、さざ波起つ水面に映る月、興を感じたものか一片の菊の葉をこれに投じて菊水を楽しんだものであろう、美しい場面を描き表わした作品。菊水の語は、我が国では酒の名称に採られているように、薬種としての菊、それを育む名水の意味があり、その背景には長寿を望む古代中国の神仙の説話『菊慈童』がある。そのような伝説を思い浮かべずとも、この組み合わせを視覚的に楽しめば良い。この作品では、秋草である菊花は主題の一つ。朧銀地を磨地高彫とし、金銀赤銅素銅の色絵を加え、月は銀の平象嵌。一丘斎義行(よしゆき)は江戸後期の金工。居住地は不明。奈良派の作風に学び、独創を加えて印象深い風景を創出している。

萩に親子鶏図鐔 会津正阿弥

2010-03-09 | 
萩に親子鶏図鐔 会津正阿弥

 
① 萩に親子鶏図鐔 無銘会津正阿弥

 
② 萩に鹿図小柄 銘 自立斎友英(花押)

 萩を印象的に採り入れている作を二題紹介する。Photo①は会津正阿弥派の作で、この派らしく抑揚のある大地を描き、萩をその風景の一部として捉えている。主題は親子鶏で、萩はその背後にあって秋の風情を高める要素。餌を啄ばむ親子鶏の姿が鄙びた趣を漂わせており、萩だけでも充分に画題となるが、萩だけを見ると古金工にも紛れるような出来であり、正阿弥派の基本が古典にあることが想像されよう。赤銅地を石目地に仕上げ、高彫に金と素銅の色絵。
 Photo②の小柄は、縦の画面を巧みに利用して萩と鹿を描き表わしているも、ここでも萩は添景である。洗練味のある図柄構成で、彫刻技術も高く、鹿の振り返った様子は特に美しい。萩に鹿は和歌にも採られているほどに好適な組み合わせ。金工作品でも良く見られる図である。作者の自立斎友英(ともひで)は幕末頃の肥前長崎の工。赤銅石目地高彫金銀朧銀素銅色絵。

秋草に虫図鐔 会津正阿弥

2010-03-08 | 
秋草に虫図鐔 会津正阿弥

 
① 秋草に虫図鐔 銘 正義作


② 秋草に虫図鐔 無銘会津正阿弥

 陸奥国の会津正阿弥(あいづしょうあみ)派には、秋草を添景として採り入れた作品が間々みられる。Photo①は正義(まさよし)の作で、秋草にキリギリスであろう、大胆な構成ながら、主題であるキリギリスを正確で精密な写実表現を試みており、裏の水辺に川骨と蝶との関連も味わい深く鑑賞できる。ただし秋草は象徴的とも言い得る描写で、ふっくらと丸みを帯びた花の種類は女郎花であろうかと推測せざるを得ない作風。遠く霧か雲の彼方には木々がみえるよう構成しており、山水図を基礎に置く風景画としていることが分かる。こうした絵画風の表現は会津正阿弥派の得意とするところである。赤銅石目地高彫金銀色絵の工法。
 Photo②は無銘ながら会津正阿弥派の作と極められる秋草に虫図鐔。これも雲間に顔を出した月の下、かすかな明かりに窺い見る野の小さな自然のいとなみといった風情である。江戸時代の正阿弥派は、室町時代のいわゆる古正阿弥派の風合いとは異なり、彼らが移住した各地の特質や、江戸で学んだ感性と技法を展開している。作風から奈良派の影響をも受けているように思われる。鉄地鋤彫高彫金赤銅銀象嵌の工法。

帰雁図鐔 浜野政芳

2010-03-06 | 
帰雁図鐔 浜野政芳

 
帰雁図鐔 銘 乙柳軒五代味墨

 奈良派の本流とも言い得るほどに江戸に栄えた浜野家、その五代政芳(まさよし:江戸時代後期)の、秋草の茂る水辺に降り立つ雌雄の雁を題に得た鐔。室町時代の水墨画を基礎におき、秋草の美しさとの調和を試みている作品。古典的な絵画表現を得意とする奈良派らしい構成で、写実味ある高彫表現と多彩な色絵の使用も奈良派らしい。鉄地に高彫、鋤下彫、毛彫、象嵌の技法による。
 もちろん秋草は添景。主題は雁だが、秋草は表裏へと空間を連続させるための素材ともされている。以前に紹介した利壽の作になる雉子に狐図縁頭も同様に、秋草が縁と頭を連続させる要素とされている。花鳥図のように、秋草が主題の一部である場合も多いが、このように添景とされて活きる例も多い。本作は同趣の中でも美しく構成された作品である。味墨は浜野家代々が用いた号。

秋草図目貫 後藤光来

2010-03-05 | 目貫
秋草図目貫 銘 後藤光来


秋草図目貫 銘 後藤光来

 元来は揃金具とされていたものであろうが、後藤光来(こうらい)の目貫のみを鑑賞することができた。多彩な色金を組み合わせ、岩をも添えて野の一場面として描き表わしている。彫刻表現が、より緻密に、より繊細になっていることが理解できよう。この目貫の大きさは、左右がわずか30ミリほどである。苔生す岩は素銅と朧銀、これに蔓を這わせる昼顔、岩の下には笹があり、菊と女郎花、薄が顔をのぞかせている。菊花と女郎花の小さな花の集まりを、鮮やかな金の粒の集合で表現しているところに新しさがある。ただし、岩を描くことは揺るぎない存在感を暗示しているもので、武家に好まれた画題の一つでもある。単に華やかだけでなく武家としての存在感、その中に清楚な美空間が楽しめる作品である。
 後藤光来は後藤一乗の次男で、文政十一年の生まれ。一乗の補佐をして京都と江戸を往還、装剣小道具の製作よりも他の職務に追われていたのであろうか、作品は少ない。

秋草図縁頭 永武

2010-03-04 | その他
秋草図縁頭 今井永武

 
秋草図縁頭 銘 今井永武(花押)

 野の草花を優しい視線で捉えた作品。作者は後藤八郎兵衛家六代一乗の門人の一人と考えられている今井永武(ながたけ)。永武は京都の紙商の子として文政元年に生まれる。幼くして一条家の家臣であった今井家の養子となるも、養父の没後に職を辞して金工となり、後に後藤一乗の門人となると伝えられている。ただし、正式に一乗の門人になったわけではないという説もある。明治十五年没。一乗風の綺麗に揃った赤銅魚子地を高彫色絵表現する、優雅で繊細な植物図を得意とした。
 この縁頭の造り込みは、美濃の風合いを残した一華の作例とは全く異なり、端整で瀟洒。過ぎることのない文様化された秋草。永武は金の平象嵌に似たケシ象嵌と呼ばれる霞みのような表現も得意としているが、ここでは、高彫に多彩な色絵を加えている。古金工にもみられるような古典的な風合いを、近代的な図取りとした作品である。このような空間を活かした構成は一乗一門の得意とするところである。一華などの作品と比較鑑賞すると、同じ一乗一門でも、金工による独創性がより強く示されていることがわかる。このように、より強く個性を追求するのは幕末の特徴でもある。

秋草図縁頭 一華

2010-03-03 | その他
秋草図縁頭 一華

 
秋草図縁頭 銘 一華(花押)田中福重應需

 美濃彫様式をそのまま伝え、豪壮華麗に作品化したのがこの縁頭。作者は後藤八郎兵衛家六代一乗の門人の中村一華(いっか)。京都金工で、美濃様式の作品を専らとした作家である。
 上質の赤銅地を大振りでふっくらと量感のある地造りとして小縁を鋭く立て、群れ茂る秋草を肉高く彫り出して古美濃にあるような深彫風に描写している。地に施した魚子地が見えないほど密に植物を配し、くっきりと立つ高彫部分には色違いの金、銀、金と銀の合金など鮮やかな色金を多用し、しかもグラデーションをつけるなど彩色に工夫をしている。秋草は菊、萩、女郎花といった定番に、頭の中央下辺りに布置しているのは芙蓉であろうか、作風手本は古作ながら、総体に新趣を楽しんでいることが良くわかる。菊の花を交差した曲線の切り込みで表現するのは、古金工や古美濃、甲冑の飾り金具にも良くみられる手法だが、古作と比較観察すると、力強い鏨が躍動的に切りつけられており、個性が感じられる。

秋草図三所物 信壽

2010-03-02 | その他
秋草図三所物 玄亀斎信壽




秋草図三所物 銘 玄亀斎信壽(花押)

 金無垢魚子地に秋草図を高彫し、赤銅、銀、素銅を用いて過ぎるほど華麗に表現した小柄と割笄、目貫の三所物。作者は幕末の江戸金工、玄亀斎信壽(のぶとし)。信壽と銘する工は数名を数える。先に紹介した信清の弟子にも同銘工がおり、信清の作風に似たこの小柄笄目貫三所物を重ね合わせると、師弟関係を研究する余地があるように思える。刀装金工事典(若山猛著)では信清の弟子とは別人と記している。同銘作者の作品が多数みつかるとありがたいのだが。
 さて、多彩な植物を題に得たこの三所物の魅力は、写実を極限まで追求したところにある。拡大鏡なしではとうてい彫刻が不可能であろう、細部まで精密に描写しており、葉や花の量感、柔らかさを見事なまでに再現している。技法は、後藤家に見られるような鏨の痕跡を活かした古典的彫刻と異なり、面は抑揚変化のある曲面、葉脈の量感も自然で、葉花の縁端部の表情も複雑である。また、本来は高彫を施さない小柄笄の裏板にも植物の端を高彫で描き表わしている。この点から、装飾性がより強く追求された作であることが分かる。目貫の構成と高彫の質感を鑑賞してほしい。花弁や葉の表情、多彩な色金の配色なども美しいという言葉が陳腐に思える作品である。題に得ている植物は、萩、菊、桔梗、撫子、薄の秋草に、朝顔、百合、芙蓉、蓬、その他植物図鑑を繰らねば分からないものまである。
 金地に色絵は難しい。多くは別の地金で別彫した塑像を金地の上に据え、ロウ銀などで固着する技法を用いる。この際にロウに含まれている銀が噴き出し、地に広がることがある。本作の、植物の背後に広がる灰色の色叢がその例であろう。ただし、本作では敢えてこの銀が広がることを想定し、あたかも霧がかかっているかのような表現を試みたのではないだろうかと推測している。美しい作品である。

秋草図鐔 宮田信清

2010-03-01 | 
秋草図鐔 宮田信清

 

秋草図鐔 銘 宮田織江藤原信清(花押)

 耳の装飾性を高めた作例をもう一つ紹介する。作者は京都出身の宮田信清(のぶきよ)である。文化十四年に京都に生まれた信清は木下織江と称し、加茂神社の宮田家の養子となるも、武家金工後藤光保に入門、後に後藤宗家十六代光晃に入門し、天保十四年に独立、江戸日本橋に開業、更に後に南部家の抱え工となる。明治十七年六十八歳没。
 この鐔は、加賀後藤の作例と同様に耳を利用して優れた構成美を追求した作品であることは誰もが認めるところである。漆黒の赤銅魚子地の美観を活かし、我が国の自然の恵みを素材に、みごとに文様化している。秋草は表裏を越え、自然の中に繁茂しているような構成だが、この構成そのものが美観の要。朝顔や新種の菊を題に採っている点、葉や花弁の量感、朝顔の花弁を構成している曲面、それらの表面に切り施された微細な鏨、殊に萩の小さな花房の風に揺れる様子は、これまで見てきた秋草にはない繊細さに溢れている。撫子の花の構成も見事。後藤流の表現様式を基礎に置いた作品群の中でも、写実が背景にあり、風景の文様化が採り入れられ、鐔という特殊な画面を装い美の極致にまで高めることを目的とされた名品である。