鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

枯木象嵌図鍔 林 Hayashi Tsuba

2014-11-29 | 鍔の歴史
枯木象嵌図鍔 林


枯木象嵌図鍔 林

 肥後林派の布目象嵌による装飾。松樹などに施し、枯木や枝を這う蔓草の枯葉を想わせることから、特に枯木象嵌と呼んでいる。侘び茶に通じる美意識である。布目象嵌という剥落し易い技法を用いている点が面白い。即ち、使用の過程で必ず剥落することが分かっているからで、その剥落した様子をも美観として捉えてしまおうという意図である。これが破れ扇図と関わりがあるところ。鉄地の肌合いとの調和も魅力である。単に布目象嵌を配して絵を描いているだけではないのだ、地鉄との微妙な調和を求めた結果の美観である。この鍔では枝垂桜や柳などの冬枯れした様子を捉えているのであろう、素敵な平面美が生み出されている。

大根図鍔 甚吾 Jingo Tsuba

2014-11-28 | 鍔の歴史
大根図鍔 甚吾


大根図鍔 甚吾

 無銘ながら甚吾の特徴が良く現れている作。肥後金工も布目象嵌を巧みにしている。この例では、葉に微細な鑢目を切り施し、その隙間に金が埋まるように擦り付けている。月や根には銀を、同様の擦り付け象嵌したものであろう。銀の性質として空気中の硫黄と反応して黒くなり、あるいは表面に漆などが塗ってあると、そのごくごく狭い隙間に硫黄と反応した黒化した銀が滲んだように広がる。銀を少し厚手処理いているのであろう、量感がある。

双龍図鍔 南蛮 Nanban Tsuba

2014-11-27 | 鍔の歴史
双龍図鍔 南蛮


双龍図鍔 南蛮

 鉄地に金や銀を擦り付けることによって金の装飾を施した例である。布目象嵌象嵌の一種で、擦り付け象嵌と呼んでいる。鑢目に擦り込まれた金銀の表情が面白い景色を生み出している。図柄は異風な龍神を巴状に構成したもので、いかにも南蛮風。地を網のような唐草文としているのも南蛮鍔の特徴。南蛮鍔とは言うも、古くは南蛮とは中国の権力者にとっての中央から見た南の地域に住む野蛮人といった意味であったが、西洋文化が海上交通の発達と共に南周りで到来したことから、西洋文化全般を、その南蛮という経路から南蛮文化と呼んでいる。ただし、鍔については西洋の鍔ではなく、南蛮風鍔といった意味合いであり、実際の製作は室町時代から江戸時代を通じて日本各地で行われていた。もちろん西洋に開かれていた長崎を中心とする九州北部が最も盛んであった。だが、実際に遺されている南蛮鍔の多さから、江戸時代には南蛮鍔の大流行があったと考えられる。確かに南蛮鍔は意匠としても面白い。奇妙なる意匠を好んだのも江戸時代の風流に違いない。

糸巻透に唐草文図鐔 正阿弥伝兵衛 Denbei Tsuba

2014-11-26 | 鍔の歴史
糸巻透に唐草文図鐔 正阿弥伝兵衛


糸巻透に唐草文図鐔 出羽秋田住正阿弥伝兵衛

 耳を丸く環状に仕立て、地面を糸巻形にして耳と連結させている。伝兵衛の得意とする作風である。伝兵衛は秋田正阿弥派の巧手。やはり布目象嵌を得意として装飾に採り入れている。もちろん彫り込み式の象嵌も行っている。この鐔の布目象嵌は文様が複雑であり、緻密であり、とても華やか。京から離れた土地であったことから、文化的に遅れているのではないかと想像する方もおられるようだが、中央と比較して文化的な高低の差がないことの証である。
 こうして布目象嵌による作品をみていると、本当にすごいなと感じる。素材の表面に切り込んだ鑢目に薄い金属を叩き込んで絵を描くという手法の発見についてのことである。金属同士を擦り付けることによって、柔らかい金属が堅い金属の表面に付着することに気付いたのであろう。それを絵画にしてしまったのだ。

菱透に雷文図鐔 埋忠 Umetada Tsuba

2014-11-25 | 鍔の歴史
菱透に雷文図鐔 埋忠


菱透に雷文図鐔 埋忠

 真鍮地に大胆な左右の透かし。この透の縁取りと耳際を金銀の布目象嵌で装飾している。透かしの縁は銀に所々金を交えているため微妙に色が違っており、剥落したかのような、あるいは年を重ねているかのような、古さが感じられる。耳の布目象嵌が薄れているのも同様に作者の意図があろう。単純な意匠だが、布目象嵌を活用した面白い作品である。

山水図鍔 有田原右衛門貞次 Sadatsugu Tsuba

2014-11-21 | 鍔の歴史
山水図鍔 有田原右衛門貞次


山水図鍔 長州萩住有田原右衛門貞次

 埋忠明壽との関連が考察されている光忠の鍔に似た表現とされた、長州鍔工の作例。水辺の風景と大空の雁であろうか、山水図としては比較的ポピュラーな題材。素銅地に金銀布目象嵌と毛彫のみで描いている。素敵な風景画である。耳を打ち返して地面に抑揚を付けているために時を重ねて地の色合いに変化が生じている。素銅地の色合いをこのように変質させて画面に活かし、夕景としている。剥落して擦れたような景色も、布目象嵌の特質である。剥落しても美しいのが布目象嵌である。この作例からも、埋忠派が長州に移住している、あるいは長州鍔工が埋忠に学んだことを証している。

二つ木瓜雷文透図鍔 長州埋忠 Umetada Tsuba

2014-11-20 | 鍔の歴史
二つ木瓜雷文透図鍔 長州埋忠


二つ木瓜雷文透図鍔 長州萩住埋忠作

 京都に栄えた埋忠派は、江戸時代前期から中期にかけて各地に移り住んでいる。中でも江戸埋忠は活動が活発であり、京を凌ぐ勢いであった。また、長州に移住した埋忠派の流れを汲む工も発展している。写真の鍔は、作風は明らかに埋忠の文様美の追求であり、後の長州鍔工の作風とは風合いを異にしている。鉄地地透の地面を腐らかしとして鍛え肌を明瞭に表わし、処々に金布目象嵌象嵌を散している。恐らく多くの布目象嵌が落ちてしまったのだろう。だが、微かに遺されている金の切れ端が、面白い景色となっていることは明白。剥落する布目象嵌の性質を活かした表現であろう。即ち、作者は布目象嵌が落ちることを計算して作品化している。この思考は、肥後金工も採り入れ、活用していた。

松樹透かし図鍔 正阿弥 Shoami Tsuba

2014-11-18 | 鍔の歴史
松樹透かし図鍔 正阿弥


松樹透かし図鍔 正阿弥

 正阿弥派の特徴の一つに、鉄地肉彫地透かし表現の所々に金銀の布目象嵌を施すという手法がある。古くは文様化された事物を題材に採っている。この鍔は松樹を丸い鍔内に意匠するという点では文様化だが、かなり写実味を追求している。肥後や赤坂のかなり装飾性の高い松樹とは雰囲気が異なる。巧みな構成で枝を耳から切羽台に連続させ、耳の右端でも枝先を触れさせている。ここでも金布目象嵌が、松の幹の表情として活かされている。

花桐図鐔 埋忠橘重義 Shigeyoshi Tsuba

2014-11-17 | 鍔の歴史
花桐図鐔 埋忠橘重義


花桐図鐔 埋忠橘重義

 桐に鳳凰が遊ぶという伝承があることから、花桐は桐の家紋の素材でもあり、古くから流派に関係なく装剣小道具に好まれた植物である。この鐔では、鉄地薄肉彫に鋤彫を加え、花や蕾に金象嵌を施している。地面の表情を見ると、細かな筋状の切り込みが一面に施されているため、見かけだけでは布目象嵌に感じられる。仔細に観察すると、葉脈は筋状に彫り込んだ部分に象嵌されており、花や蕾の薄肉彫部分に被せていることが分かる。

冬景色図鍔 埋忠彦右衛門

2014-11-15 | 鍔の歴史
冬景色図鍔 埋忠彦右衛門


冬景色図鍔 銘 城州西陣住埋忠彦右衛門

 まさに風景の文様表現。風景の心象表現と言っても良いだろう。洗練された美意識を背景に、陰陽に意匠した透かしと、平面的な象嵌手法の組合せからなる表現の鍔は埋忠明壽に始まると考えられ、その門流の金工は新たな美観を求めて表現世界が広がった。埋忠明壽は平象嵌で有名であるが、古法である布目象嵌も巧みに採り入れていた。装飾手法としての布目象嵌は歴史が古く、また近代に至るまで盛んに用いられた。この鍔は、切羽台周辺の牡丹、その周囲に配した唐草は枝葉というより、牡丹の香りを心象表現しているようだ。笹に積もった雪は、古風な雪輪模様。いまだ六角形の組合せになる雪の結晶図は一般的に採り入れられてはいない時代である。鉄地金銀布目象嵌陰透。

文様散図鍔 梅龍軒清辰 Kiyotatsu Tsuba

2014-11-14 | 鍔の歴史
文様散図大小鍔 梅龍軒清辰作


文様散図鍔 梅龍軒清辰作

 清辰は江戸時代中期の京正阿弥派であろう、京献上鍔を製作した一人とも推考される。正阿弥派の得意とする布目象嵌を巧みに精密な文様美を展開した作。京献上鍔のほとんどが無銘であるため、実は作者が判る本作はとても貴重な例。鉄地全面に細かな筋を密に切り施し、これに線状の薄い金板を嵌入している。金は色違いの二色を用いて濃淡に変化のある文様としている。

洛中洛外図鍔 京献上 Kyo-Kenjo

2014-11-13 | 鍔の歴史
洛中洛外図鍔 京献上


洛中洛外図鍔 京献上

 鉄地を平滑に仕上げ、その表面に細かな筋を無数に切り込み、文様に沿って金の薄い板を叩き込んで象嵌する。この手法を布目象嵌と呼んでいる。江戸時代の京都では、正阿弥派などがこのような京都近郊の風景を文様表現した鍔を多く製作している。京都土産として自国の上司に献上したものであろう、「献上鍔」と呼ばれている。面と線、地透を組み合わせて華麗な鍔面を創出しており、広く好まれたと推考される。画題の多くが屏風にも採られるような洛中洛外や近江八景など京都近郊の風景である点も好まれた理由であろう。とにかく視覚的に面白い。布目象嵌という手法であるが故に金が脱落してしまった遺例も多いが、その風合いも味わい深い。

群蝶図鍔 正阿弥重勝 Shigekatsu Tsuba

2014-11-12 | 鍔の歴史
群蝶図鍔 正阿弥重勝


群蝶図鍔 正阿弥重勝作

伊予正阿弥派と思われる重勝在銘の鍔。重勝は江戸時代中期の京都にても活躍していたと考えられ、その作風を伊予においても展開したと考えれば分り易い。地透で文様化された蝶に金銀の布目象嵌。蝶の目玉のみ点象嵌であり、処方の違いが状態からも明瞭に判る。このような大胆な装飾を専らとして栄えたのが伊予正阿弥派である。


七宝文に群蝶図鍔 正阿弥

これも同様の手法になる作。銀の布目象嵌がかなり厚手に処方されている。時を経てくすんでいるが、当初は光沢もつよく華やかであったと推考される。

群蝶図鍔 正阿弥政徳 Masanori Tsuba

2014-11-11 | 鍔の歴史
群蝶図鍔 正阿弥政徳



蝶図鍔 城州西陣住正阿弥政徳

 政徳は江戸時代中期の正阿弥派を代表する一人。銘にある通り、京都で活躍した。京都の伝統的な文様文化は、織物の装飾でも良く知られている。その影響は頗る強く、装剣小道具の画題においても共通するところが多い。華やかな文様を、金銀を用いて散らし配したこの表現は、下地がどのような素材であろうとも美しく仕上がる。殊に華麗な蝶であればなおさらのこと。正阿弥派は鉄地を専らとしており、他の金属は少ない。恐らく、鍔には拳を護るものという目的があり、それに沿うように頑強な素材を用いたのであろう。この鍔では、かなり厚手の金銀を用いている。79.5ミリ。


鳳凰図鍔 河治友直 Tomonao Tsuba

2014-11-10 | 鍔の歴史
鳳凰図鍔 河治友直


鳳凰図鍔 長州萩住河治六郎右衛門友直作

江戸時代中期の布目象嵌の例。時代の上がる長州鍔には、枝菊を肉彫地透で表現した作があるも、布目象嵌などの色金はほとんど使われていない。江戸時代中期以降は、正阿弥派や埋忠派の影響を受けたものであろうか、布目象嵌を加えた作を多く見る。この鍔の作風は、精巧な構図と巧みな高彫になる写実表現であり、いかにも長州鍔工の雰囲気が漂っている。正阿弥派が得意とした耳に装飾的な布目象嵌を施す手法を採り、高彫に鮮やかな金を活かしている。82.5ミリ。