置縄透図鐔 林又七
置縄透図鐔 無銘林又七
緊張感に満ち満ちた、鉄そのものの美観を、楕円形の輪違い模様の中に表現した鐔。縄を置いただけの文様と捉えたものであろうか置縄文と呼んでいるが、筆者は茶道具の一つでもある釜敷きを意匠した図であると考えている。
肥後鐔の背後にある茶の意識とは何であろうか。という疑問が起こると思う。茶の精神性が作品に表されることは不可能であろう。もっと感覚的であり、時には具象的な図案もあろう。後藤家の作品には茶道具をそのまま図として採った例も多々あり、他の流派にもある。肥後金工は茶道具を文様化しないとは言えまい。櫃穴を餌畚形にするのも餌畚が茶席を飾る道具として利用されたり、その造形が焼物に採られたりしているから。轆轤鑢文も茶道具に直接関わるし、見方によっては茶器の底の文様はまさに轆轤文である。装剣小道具における茶の美意識とは、様々な要素によって成り立っていると思う。置縄も茶道具を文様化した一つであると考えているのである。
それにしてもこの鉄地の美しさには超を付けて良いだろう。林又七が丁寧に仕立てたその過程が想像されよう。以下は『銀座情報』に掲載したこの鐔の解説である。
肥後金工の作品が、千利休に学んだ細川三斎の茶の美意識を根底に置く芸術であることは、その風情が充満している平田彦三や林派の作品の鑑賞、あるいは茶に関わる造形美が隠されている作品の鑑賞によって知ることができる。例えば彦三には、茶碗の底や内面にみられるような轆轤の痕跡や、茶筅を彷彿させる放射状の細線が文様として施された鐔があり、茶の精神性のみならず、茶道具の造形をも作品に取り入れた点が想像される。
最も分かり易い茶の湯の風情とは、彦三による焼手腐らかし手法の素銅や真鍮地の朽ちかけたような自然な凹凸のある質感の創出であろう。このような焼手腐らかしとは、楽や信楽などの焼物が呈する肌合いに似た、鐔にも存在する金属の素材そのものの美を追求したものであろうが、鉄地の腐らかし肌とは異なって文様風に変化を見せ、その地相は視覚に迫るものがある。ところが林又七の創出した鉄の地肌は、さらに自然味の溢れた抑揚変化のある地様とその表面を覆う錆によるものであり、焼物の質感を指先で感じ取り掌で愛でるそれのように、鍛鉄が滲み出す強靭でありながらも繊細で緻密な皮質を、眼のみに頼らず触感を通して鑑賞するところに特徴がある。
ここに紹介する鐔は、古くから置縄透図鐔と題され親しまれていたもので、縦に長い御多福竪丸形の造り込みに、細縄を巻き寄せたような抽象的な図柄に特徴がある。後の数奇者が見た印象によるこの呼称が、果たして作者の創作意図を詳らかに表わしているものであろうかは一考を要する。
この鐔では、色合い黒々とした表面に地鉄鍛えと造り込みの際の槌目が明瞭に窺え、その一部が焼物の窯変のように躍動変化し、これを掌にして鑑る者の指先にねっとりとした質感を伝える。地鉄の所々に小さな粒状となだらかな筋状の鉄骨が自然に現われ、槌目と働き合って幽玄の趣を呈する。図柄が抽象的であるが故に図柄の持つ意味よりむしろ鐔そのものに視点が注がれ、鑑賞者は必然的にその素材美に心を向けるのである。
刀装具の図柄として採られる茶道具としては茶器・釜・炭など、あるいは香道具など雅味ある関連の道具類が後藤家の作品に多くみられる。肥後金工の作品では、先に記したように具体的な図柄より轆轤文(ろくろもん)や日足文(ひあしもん)が多い。また、漂い来る香の匂いを想起させる肥後の特徴的唐草象嵌、風化してゆく様子を思わせる枯木象嵌(かれきぞうがん)なども茶の風情に深く関わる要素である。
さて、この図の巻き寄せられた帯状の物体は、炭斗(すみとり)や花籠などに用いられる籐や竹を素材とした細工物ではないかと考えられる。籐細工には武野紹鷗が最初に用いたと云われる釜敷がある。後に利休が吉野紙の釜敷を考案したが、素材は木や籐、紙縒など様々で、竹釜敷は千宗旦が好んで用いたことも知られている。掲載の鐔は、この籐を巻き寄せただけの古風な造りになる釜敷を図に得たもので、その素朴な風合いを鍛鉄の錆肌によって求めたものではないだろうか。