鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

十六代揃小柄 Goto Kozuka

2012-08-31 | 鍔の歴史
十六代揃小柄

 こうして初代から十六代までの作品を並べてみると壮観である。江戸時代後期にはこの例のように十数代の作品を集めることが流行したのである。これまでに説明してきたように後藤の作品には銘の刻されたものが少ないが故に、この流行期の後藤の当主は、祖先の作品の極めという作業にも費やさねばならなかった。小柄の補修、笄から小柄への転用など、それに伴う極め銘、折紙の発行があり、思いのほか業務は多かったとみられる。
 多様な図柄、多様な表現方法ではあるが、一本の筋が通っているように、図柄に風格があることが感じられよう。これこそ後藤家の独風に他ならない。散逸してしまった揃い物が多いなかで、このように揃っていることは貴重。いずれも揃いの極め札が遺されている。□


能道具図縁頭 後藤光晃 Mitsuakira-Goto Fuchigashira

2012-08-30 | 鍔の歴史
能道具図縁頭 (鐔の歴史)

 
能道具図縁頭 銘 後藤光晃(花押)

 これも物尽くしによる表現だが、作品は遺例が稀な縁頭。後藤家は縁頭を製作していないような印象だが、このような作例が間々みられる。ここでは縁頭だけだが、恐らく揃金具として製作されたのではないだろうか。朧銀魚子地高彫金銀赤銅色絵で、中間色の朧銀地を背景に、各々の色金の色調を活かしている。頭は扇で分かり易いが、縁に描かれているのは能面を納めた箱である。


十七代光則の作例は頗る少ない。写真資料が残してなく、ここで紹介できないのが残念である。

武具図三所物 後藤光晃 Mitsuakira-Goto Mitokoromono

2012-08-29 | 鍔の歴史
武具図三所物 (鍔の歴史)


武具図三所物 後藤光晃(花押)

 弓具であろう、伝統的な武具を題材に物尽しの意識で表現した三所物。奇麗な魚子地を背景に主題を高彫にし、金銀の色絵表現。古後藤時代の武具図とは趣を異にして精密さが感じられ、事物の配置による画面構成という空間創出意識も強いようだ。小柄や笄の中央にドンと武具を置くという構成ではない。
 後藤光晃は光美の嫡子。天保六年に家督を相続。安政三年四十一歳の若さで没している。町彫り金工に押されているとはいえ、伝統の技術を絶やすことなく受け継いだ名工の一人。これまでにいくつかの光晃極めを紹介したことがあるように、祖先の作品の補修と極めという仕事も重要な位置付けであった。

寿老人図鐔 後藤光美 Mitsuyoshi-Goto Tsuba

2012-08-28 | 鍔の歴史
寿老人図鐔 (鍔の歴史)


寿老人図鐔 銘 後藤光美(花押)

 表を朧銀地、裏を赤銅地とした、昼夜の意匠になる鐔。陰陽の意識は、古典においては思想的な面が強かったが、江戸時代も降ると、美観を強く求めた昼夜に表情を違えるという創造性、即ち表現としての陰陽対比を活かした作品が製作されるようになった。
 時代の降った光美といえども鐔の作例は少ない。これまで後藤の作品を通覧しているが、在銘の鐔はほとんどない。貴重な遺例の一つである。描法は毛彫と片切彫。寿老人は七福神の一人で、図柄としては好まれていたとみえ、後藤以外の町彫り金工にも多い。64.7ミリ。

獅子図小柄 後藤光美 Mitsuyoshi-Goto Kozuka

2012-08-27 | 鍔の歴史
獅子図小柄 (鐔の歴史)



獅子図小柄 銘 後藤光美(花押)

 謡曲の題としても良く知られる『石橋(しゃっきょう)』の図。牡丹はないが、獅子の左に橋をわずかに描いている。獅子の表現は後藤の伝統。打ち出し強く高肉に仕立て、表面を強く打ち込んで量感のある姿か格好に仕上げている。石橋部分は朧銀の色絵。このようなところに、古後藤の時代とは異なる風合いがあるも、獅子のみの観察では、時代の上がる風格が備わっている。

一疋獅子図小柄 後藤光美 Mitsuyoshi-Goto Kozuka

2012-08-25 | 鍔の歴史
一疋獅子図小柄 (鍔の歴史)



一疋獅子図小柄 銘 後藤光美(花押)

 後藤宗家十五代光美は光守の嫡子。文化元年に家督を相続している。天保十四年六十四歳没。活躍したのは江戸時代後期における文化成熟期の、化政期とも呼ばれる文化文政頃。芸能や絵画などあらゆる面で町人文化が隆盛しており、古作の再現などにも目が向けられている。光孝なども行っているが、祖先の作品に対する研究が進み、極め折紙の発行なども盛んであった。
 この獅子図小柄は、古作回帰というわけではないだろうが、後藤家の伝統を守り伝えている光守の美意識が良く示されている。赤銅魚子地に高彫された金の塑像を据紋した作で、金の色合いが活きている。

釣り道具図小柄 後藤光守 Mitsumori-Goto Kozuka

2012-08-24 | 鍔の歴史
釣り道具図小柄 (鍔の歴史)



釣り道具図小柄 銘 後藤光守(花押)

 まさに道具の図。だが、古後藤に見られるような古典的な風合いは全く感じられない。写実味を帯びて、のんびりとした風情も感じられるのだが、釣り舟の上、あるいは磯などの場に置かれた事物としてより、伝統的な図柄の一つでもある恵比寿留守文様としたものであろう。造り込みと描法は後藤家。先に紹介した龍の図とは異なる。

這龍図小柄 後藤光守 Mitsumori-Goto Kozuka

2012-08-23 | 鍔の歴史
這龍図小柄 (鍔の歴史)



這龍図小柄 銘 後藤光守(花押)

後藤宗家十四代桂乗光守は、十二代光理の三男で、兄光孝の養子となって天明四年に家督を継ぐ。元文五(1740)年~享和四(1804)年六十五歳没。
 後藤家としては異風な趣の有る龍の姿態。赤銅魚子地も地板に直接彫り込む手法の、いわゆる袖小柄、あるいは棒小柄と呼ばれる造り込み。時代の要求によるものであろう、古典的な後藤の作風とは異なる意匠も増えている。漆黒の赤銅地が示す風合いは重厚であり、図柄の印象は異なれども確かに風格がある。

杉田梅図小柄 後藤光孝 Mitsutaka-Goto Kozuka

2012-08-22 | 鍔の歴史
杉田梅図小柄 (鍔の歴史)



杉田梅図小柄 銘 後藤光孝(花押)

 杉田の梅林は、現在の横浜市杉田辺りに広がっていた農村の梅林。東海道を脇道に入った位置であったことから名所として訪れる者も多かったと聞く。このような観光名所の類の図をみると、江戸時代後期に発達した名所観光の文化が一段と高まったことが想像される。江戸から川崎を経て江ノ島に至り、大山に詣でて岐路につく、その道すがらに立ち寄ったのがこの杉田梅林であろう。現在ではその名残が近くのお寺にあるとも聞く。
 赤銅魚子地に高彫で農村風景と梅林を描き、雲間に月を添景としている。箱庭のような面白さがある。


舞鶴図三所物 後藤光孝 Mitsutaka-Goto Mitokoromono

2012-08-21 | 鍔の歴史
舞鶴図三所物 (鐔の歴史)


舞鶴図三所物 銘 後藤光孝(花押)

 赤銅魚子地に赤銅地高彫仕上げの舞鶴図も美しい。金地高彫と同様に優雅な構成で精密な高彫。毛彫の線も美しい。要所に加えた金銀の色絵は、嘴と足、翼、目玉というように表現では典型だが、色彩鮮やかであり、金地一色の仕上げと比較しても見劣りすることはない。
 こうして三作品を見たが、これ以外にも多くの鳥を題に得た作例があり、得意としていたのではなかろうかと想像する。

鳳凰図三所物 後藤光孝 Mitsutaka-Goto Mitokoromono

2012-08-20 | 鍔の歴史
鳳凰図三所物 (鍔の歴史)


鳳凰図三所物 銘 後藤光孝(花押)

 赤銅魚子地に金の鳳凰。これもまた豪壮で華麗、風格が備わっている。鳳凰は獅子や龍と同様に霊獣の一つとして題に採られたが、後藤家では獅子や龍ほどは多く製作されていない。光孝は鳥を得意としたものであろうか、舞鶴の他にもこのような荘厳な趣の鳥の図を遺している。翼の文様などは、想像世界のものであるが故に舞鶴以上に装飾的である。


舞鶴図三所 後藤光孝 Mitsutaka-Goto Mitokoromono

2012-08-18 | 鍔の歴史
舞鶴図三所 (鍔の歴史)


舞鶴図三所 銘 後藤光孝(花押)

 光孝らしい、金無垢地高彫仕立てを活かした美しい作。奇麗に揃った赤銅魚子地を背景に据紋したもので、細部まで丁寧に施された毛彫の線が美しく、奇麗な曲面を生み出している。大きく広げた翼の様子もゆったりとして穏やかな中に風格が感じられる。
 後藤光孝は宗家の十三代。光理の嫡子。同時代に一宮長常・岩本昆寛・津尋甫・浜野矩随などの名工があり、技術を競いあった。


宇治川先陣図小柄 後藤光理 Mitsumasa-Goto Kozuka

2012-08-17 | 鍔の歴史
宇治川先陣図小柄 (鍔の歴史)



宇治川先陣図小柄 銘 後藤光理(花押)

 合戦図は後藤家の得意とするところで、宗家四代、五代あたりから盛んに製作されるようになったと考えられている。その伝統的な図柄を受け継いだこの小柄は、赤銅魚子地高彫に金銀素銅の色絵。緊張感に満ちた場面を創出している。
 今まさに戦いに向かう者は、自らの具足備えに不安があってはならぬもの、常に完全な状態にするべきである。先陣を切って馬を走らせている後方から、「帯が弛んでいるぞ」などと声をかけられ、慌てて馬を降り、帯を確認して締めなおすなんてことは愚か。
 佐々木高綱に嘘の指摘をされた梶原景季こそ、自らの状態を把握していなかったことの証しでもあり、騙した高綱を卑怯と評する声もあるが、戦いの場にある者としては景季のほうが指摘注意されるべきである。
 一見、合戦譚、武勇譚として理解されがちではあるが、実は戒めを秘めているのである。作品そのものは精巧で活力が漲っており、定型化した図柄との意見もあるが、町彫り金工を眺めても、これだけの作品が製作できる工は多くはない。

稲穂図小柄 後藤光理 Mitsumasa-Goto Kozuka

2012-08-14 | 鍔の歴史
稲穂図小柄 (鍔の歴史)



稲穂図小柄 銘 後藤光理(花押)

 近世、一国の生産力を米の収穫量に換算して石高で計算している。米はそのように、我が国においては単なる食物を超えた存在であった。それが故に、稲穂図は多くの金工が題に得ている。殊に後藤に学んで阿波蜂須賀家の抱え工となった野村家ではこの図を御家芸として代々の工が製作したほど。
 赤銅魚子地にくっきりと彫り描かれた稲穂の存在感は、確かに際立っている。葉の流れるような線のありようも、ふっくらとした実を印象付けている。確かに美しい。

枝菊図小柄 後藤光理 Mitsumasa-Goto Kozuka

2012-08-12 | 鍔の歴史
枝菊図小柄 (鍔の歴史)



枝菊図小柄 銘 後藤光理(花押)

 菊花の図も後藤家では間々見られることから伝統的なものと考えられる。古く古金工や美濃彫にもあり、後藤家でも装飾の要素の一つとして捉えていたのであろう。だが後藤家には短冊を添えた菊花図などもあり、装飾性から美観を極めた図へと進化を求めている。この小柄では、銀の花弁、中央部の小花部分の格子状毛彫などに新趣が窺える。後藤宗家十二代光理の在銘作。