鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

茶の実透図鐔 古正阿弥 Koshoami Tsuba

2010-07-31 | 
茶の実透図鐔 古正阿弥


茶の実透図鐔 無銘古正阿弥



 時代の上がる正阿弥派、古正阿弥として分類される、味わい格別の作例を紹介する。
 ふっくらとして弾ける直前の茶の実を意匠した鐔。鉄地を実体感のある肉彫にし、この作では布目象嵌象嵌などの他の装飾は施していない。簡潔で美しい構成が魅力。
 時代の上がる正阿弥派には、正阿弥派の特徴の一つでもある布目象嵌が施されたものは少ないようだ。布目象嵌が多く施されるようになるのは、華やかな作が求められた桃山頃からと考えると分かり易い。

葡萄棚図鐔 正阿弥盛國 Morikuni Tsuba

2010-07-30 | 
葡萄棚図鐔 正阿弥盛國


葡萄棚図鐔 銘豫州松山住正阿弥盛國

 伊予正阿弥派を代表する江戸中期の名工盛國の優れた作。京都に栄えた正阿弥(しょうあみ)派の技術は、各地に伝えられ、鉄地高彫に金銀布目象嵌の手法を下地として様々な表現が試みられ、各地の風土に適合した作風が生み出された。伊予正阿弥派もその一つ。
 六角形に組んだ網目のような葡萄棚。これに這って蔓を伸ばし、葉を茂らせ、たわわに実る葡萄の実を、この鐔では薄肉彫に彫り出している。蔓は素銅、葉は金、実は銀の布目象嵌で、時を重ねて生まれた銀黒の渋い光沢が美しい。
 時代の上がる正阿弥派の分類研究は難しく、良く分からないところが多く進んでいないようだ。ただ、古く京都に源流を求めることができ、室町将軍に仕えた同朋衆(阿弥衆)の一との見方もあるが、古い記録がないので、阿弥の呼称からも推測の範囲で考察している。橋本晴夫先生が自著『文化の中の刀装具』で正阿弥派について詳しく述べておられ、これを背景に筆者も解説をする。
 江戸時代に各地に分派して栄えた正阿弥については考察が容易なのだが、時代の上がる古正阿弥や正阿弥、京正阿弥については、時代による分類なのか、作風による分類なのか、不明な点があった。2010年7月号の『刀剣美術』誌上で、福士繁雄先生が、古正阿弥と京正阿弥、正阿弥の分類について、古正阿弥を室町中期から末期までの作、京正阿弥を桃山時代の作、正阿弥は江戸時代初期から江戸時代中期元禄頃までの作としたらどうかと提案としておられる。比較的分かり易い分類方法であるため、筆者もこれに従いたい。ただし、時代観は、作品から受ける感覚的なものであるため、鑑賞者によっては多少時代の前後は修正することになろうと思う。
 江戸時代の各地に移住して栄えた正阿弥派の例として、比較的作品を見る機会が多いのは、京都はもちろんだが、伊予正阿弥、秋田正阿弥、会津正阿弥である。ここで、紹介した瓜図鐔は、秋田正阿弥派の特徴が良く現われている。正阿弥派の特徴は、基本が鉄地肉彫地透で、これに金の布目象嵌が施されている例が多い。
 江戸時代に入って以降の正阿弥各派の作風は多彩で、正阿弥派としての作風よりも各地域の特徴や金工の個性が鑑賞の要点となるが、江戸時代初期以前の作品を眺めてみると透かし鐔の意匠は頗る多く、この意匠の多様性だけでも楽しめる世界である。しかも、比較的価格が低いところがうれしい。

瓜図鐔 無銘秋田正阿弥

葡萄図鐔 重義 Shigeyoshi Tsuba

2010-07-29 | 
葡萄図鐔 重義


葡萄図鐔 銘 梅忠七左衛門橘重義作

 梅忠七左衛門重義(しげよし)は埋忠明壽の流れを汲む工で、平象嵌だけでなく、毛彫と、この鐔では極めて幅の狭い直線的な糸透かしという特殊な技法を施した作。赤銅地を石目地にし、竪丸形の中に葵木瓜を薄肉に彫り出して鐔面に抑揚をつけている。極細の線描写による平象嵌と毛彫で葡萄の蔓、葉、実を表わし、その竹棚を細い線状の透かしで描いている。縦横に走る直線が、曲線による画面に強い印象を与えている。糸透という難しい技法への驚きだけでなく、表現上でも優れている。
 江戸中期の京都に栄えた重義は、京都の文化をそのまま受け継いだ芸術家の一人である。実は同銘作者が同時代に複数あり、同人か、同銘別人かは、現在のところ解明されていない。この優れた芸術性と技法が、各地で求められていた証拠でもある。因みに埋忠派の後代は、埋めの字を梅に切る場合がある。□

葡萄図鐔 埋忠派 Umetada Tsuba

2010-07-28 | 
葡萄図鐔 埋忠派


葡萄図鐔 無銘埋忠派

 桃山時代の埋忠明壽(うめただみょうじゅ)に代表される、埋忠派の平象嵌(ひらぞうがん)の手法が活かされている作。埋忠明壽は京都の文様文化を装剣金工上に覚醒させた言わば芸術家で、作風は、真鍮、赤銅、素銅などの地金に平象嵌の手法で植物図や事物図を文様化して表現するを得意とし、この時代に急速に高まった本阿弥光悦や俵屋宗達などに通じる琳派の美観を展開した金工である。
 この鐔は、その明壽の流れを汲む埋忠派の、江戸時代中頃の作。素銅あるいは山銅といった渋い色調を呈する地金を用い、表面には微細な石目地を施し、金銀の平象嵌が生えるよう工夫している。この鐔では片切彫と点象嵌を加え、画面に平象嵌では演出できない量感を表わしている。一般に平象嵌は極めて平面的であり、即ち立体感や奥行き感よりもむしろ、平面が生み出す新たな美観を追究したもの。

葡萄図鐔 無銘埋忠派

葡萄棚図笄 古後藤 Kogoto Kogai

2010-07-27 | その他
葡萄棚図笄 古後藤



葡萄棚図笄 無銘古後藤

 時代の上がる後藤家の作と極められた、棚下に葡萄の図。『源氏物語』などに取材するのではなく、このような現実の風景を捉えた写生風の表現は、この時代の後藤には珍しい。上から眺め降ろす視覚的な構成は古典的で、棚に伸びる蔓と茂る葉、たわわに実る房が垂れ下がる様子にはまだ文様化の名残りが感じられる。図柄として眺めた場合、画面を切る竹棚の斜の線が活きている。

山葡萄図小柄 古美濃

2010-07-26 | 小柄
山葡萄図小柄 古美濃


山葡萄図小柄 無銘古美濃

 赤銅魚子地に高彫表現された、古美濃の特徴が窺える作。赤銅地一色の美観を追究したものであろう、一切の色金を用いずに、高彫の表情のみで蔓の伸びる様子、その所々に実の成る様を表現している。くっきりと立つ主題、文様化されつつある題材の、写実味ある描写。これも美しい作である。
 美しいとは、色金を多用することばかりではない。このように、高彫の表面に現われている微妙な表情からも美観を受けとることは充分に可能だ。
 筆者のすまいは神奈川県の、二十年程前までは植林された杉などの林が、家のごく近くに残っていた地域である。今でもその名残りというか、林は散在するし、ところによっては公園化されてもいる。そんな林の中に山葡萄の株があり、毎年紫色の実をつけていた。数年ほど前に完熟した実を採り、種を家の庭に蒔いておいたところ、なんという野にある植物の強さであろうか、頗る成長力が強く、現在では庭の片隅が藪になるほどに茂っている。

葡萄図笄 古金工 Kokinkou Kougai

2010-07-24 | その他
葡萄図笄 古金工



葡萄図笄 無銘古金工

 なんて美しいのだろうか。赤銅魚子地に高彫、金うっとり色絵の手法で一枝のたわわに実る葡萄を表現した作。葡萄の色絵が擦れて内部が露出しているのだが、その様子がむしろ美しい。ただ見とれてしまう。
 葡萄の一枝としたところも素敵だ。このシリーズでは蔓の伸びる様子を美しく捉えた作品を紹介している。それは自然の中で美しさを増すものだが、こうして枝を折りとった葡萄のなんと美しいことか。
 赤銅魚子地に高彫し、金のうっとり色絵を施している。

葡萄に栗鼠図鐔 友久 Tomohisa Tsuba

2010-07-23 | 
葡萄に栗鼠図鐔 河治友久


① 葡萄に栗鼠図鐔 銘 長州萩住河治友久作


② 葡萄に栗鼠図鐔 無銘

 ①は、赤銅地を肉彫地透にしてたわわに実る葡萄の蔓を走り廻る栗鼠の姿を描いた作。この描法も立体感に富んでいるが、長崎金工による南蛮風の立体感とは異なり、植物図に正確さと緻密な彫刻処理が窺えるのは、武州伊藤派に学んだ長州鐔工の特徴。葡萄の実はふっくらとし、艶やかで瑞々しい。蔓の伸びる様子にはもちろん生命感があり、栗鼠の姿も写実的で活きいきとしている。友久(ともひさ)は長州鐔工河治家を代表する巧者の一人。
 ②は作者不明ながら、このような作もあるという例。鉄地に高彫赤銅象嵌、金色絵象嵌。葡萄の粒立つ様子が綺麗である。

葡萄に栗鼠図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2010-07-22 | 
葡萄に栗鼠図鐔 古金工


葡萄に栗鼠図鐔 無銘古金工

 大振りの赤銅魚子地に緩やかな高彫で唐草状に蔓を彫り出し、これに粒大きく実る葡萄を高彫金色絵にて表現している。栗鼠も高彫に金色絵。現代ではこの組み合わせの『葡萄に立す』などという語呂合わせは親父ギャグなどと言われ、軽くあしらわれてしまいそうにも思えるが、我が国には平安時代の和歌の言葉遊びの根底にすでにこうした語呂合わせがあるように、伝統的な文化であることを忘れることはできない。
 まあ、言葉の意味や使い方は別として、作品の面白さは、長崎金工の作例と比較して鑑賞されれば分かるであろう。写実的ではないし、文様風でもないし、何とも言いえぬ妙味がある。これが本作の魅力である。古様式も魅力的だ。

葡萄に栗鼠図鐔 長崎金工 Nagasaki-kinko Tsuba

2010-07-21 | 
葡萄に栗鼠図鐔 長崎金工


葡萄に栗鼠図鐔 無銘長崎金工


 南蛮金具を製作していたと推測される金工の手になる、西洋の風合いを漂わせる鐔。赤銅地を肉取り豊かに仕立て、葡萄の蔓は光廣と同様に立体的に組み合わせている。
 葡萄と栗鼠の組み合わせになる図は殊のほか多い。葡萄は武道に通じ、栗鼠は律すあるいは立すに通じることから、いわば語呂合わせなのだが、このように音の通じる語を自らの信念に合わせて武具の装飾とした例は頗る多いのである。
 この鐔は肉厚くがっしりとし、殊に葉の描写に量感があり、その曲面の構成が美しい。下の螺旋状の蔓の様子にも生命感がある。

瓢箪図鐔 光廣 Mitsuhiro Tsuba

2010-07-20 | 
瓢箪図鐔 光廣


①瓢箪図鐔 銘肥前矢上住光廣


②瓢箪図鐔 銘長州萩住久次作

 西洋の装剣金具は、中国大陸を経て独特の風合いを帯びた作風となり、南蛮金具と呼ばれ、我が国でも製作されている。図柄は一般的に唐草文と双龍の組み合わせで、唐草は複雑に組み合わされて立体的。わずかに金銀の布目象嵌を施す。
 その影響を受けたものであろう、この肥前国矢上に居住した鐔工光廣(みつひろ)の瓢箪図鐔(Photo①)の彫刻による蔓の描法は南蛮の趣が横溢。鉄地を彫りぬき、まさに蔓が這っているように鐔面を網状に彫刻している。丸みのある瓢箪も実体的で、画面は複雑ながら妙趣を帯びている。
 ②は、正確で精緻な彫刻手法で植物図を彫り描くを得意とした、長州鐔工の特徴的な作風になる瓢箪図。精巧な彫刻表現だが、光廣のような立体的な構成とはしていない。
 千成瓢箪のように、瓢箪には多産、豊穣の意味がある。蔓草のような連続する生命感もあることから、装剣具だけでなく画題に採られた例は多い。

茘枝図三所物 後藤程乗 Goto-Teijo Mitokoromono

2010-07-18 | その他
茘枝図三所物 後藤程乗


茘枝図三所物 銘後藤程乗 光晃(花押)




 茘枝(れいし)とは、ニガウリ、ゴーヤーのこと。実には苦味があって好き嫌いの評価が割れるところだが、古くから薬として捉えられていた。瓜と同様に勢い良く蔓を伸ばして成長する様子は生命感にあふれ、これに強い生命の源があるとも考えられたであろう。
 筆者はゴーヤーを、実が熟すまで育てたことがある。翡翠のようにあおあおとした実が次第に黄色くなり、ついに割れて中の真っ赤な種があらわになる。その様子は壮観だ。前回に紹介した瓜図目貫のように割れた実が反り返って種の集まりが柘榴石のような透明感を呈してその存在を鮮明にしている。独特の香りも良い。
 この三所物の図では、葉は瓜であるが実は石榴のようでもある。とはいえ、実の表面には凹凸があって、割れ方は瓜のそれ。
 この三所物は後藤宗家七代程乗(ていじょう)の作。時代は、桃山文化の影響が残る江戸時代初期。綺麗に揃った赤銅魚子地に高彫とし、葉と実に金を、花に銀を、割れた実から覗き見える種は素銅の色絵。実の色合いは微妙に銀を交えて色調に変化を与えている。

瓜図目貫 古金工 Kokinko Menuki

2010-07-17 | 目貫
瓜図目貫 古金工


瓜図目貫 無銘古金工

 赤銅地を打ち出し強くふっくらとした高彫にし、際を引締めてさらに立体感を高めた、時代の上がる造り込み。熟れて実の割れた瓜の特徴が良く捉えられている。瓜を熟して実の割れるまで採取しないのは種を得る目的からで、多くはそのみずみずしい実を食用にする。古くは、この種が薬と考えられたのであろうか、装剣金工の画題にまま見られる薬種図にも通じており、何か深い意味がありそうだ。真夏の太陽にも負けずに蔓を伸ばし、辺り一面を葉で覆い尽くす瓜の繁殖力、生命力そのものが画題として採られているのかも知れない。

夕顔図小柄

2010-07-16 | 小柄
夕顔図小柄


夕顔図小柄

 蔓を伸ばし強く主張するような花を咲かせるこの夕顔は、『源氏物語』に採られていることから、画題として好まれた素材でもある。絵画だけではなく、装剣小道具においても比較的多く、牛車に絡みつく夕顔、扇に夕顔などの取り合わせが理解し易い。
 何とも優雅に感じられるが、『源氏物語』では、食用にされることからむしろ品のない花とも考えられている。そこまで深読みせずとも、平安王朝の風雅を表現した図として眺めれば楽しめるであろう。赤銅魚子地に高彫。構成が巧みで、夕顔と扇のみで源氏留守模様とした点は作品として面白い。

葛図小柄 古美濃 Komino Kozuka

2010-07-15 | 小柄
葛図小柄 古美濃・葛図笄 古金工 


①葛図小柄 古美濃


②葛図笄 古金工

 風合いは異なるが、いずれも時代の上がる赤銅魚子地に高彫色絵とした作。
 深彫様式が典型的な①の古美濃の小柄は、葉も花も極端に肉高いが、密集した秋草図のような作とは異なり、葉に重なりが表現されているように図柄表面に抑揚があって立体感も優れている。漆黒の赤銅地に金色絵の花が冴え冴えとしている。
 葛は、葛粉や葛根湯で知られるように古くから薬として用いられていた。真夏に蔓を伸ばして下草を覆うように葉を茂らせる様子は、まさに生命の源。古くから画題に採られた理由も良くわかる。□
 ②の笄は、安定感のある画面構成を求めたもので、装剣小道具として刀身を装うに適した落ち着きのある作。派手に過ぎず、強く主張はしないものの存在感は確かにある。花は藤のように鮮やかで、巻き上がっている蔓は古典的。唐草様式を抑えているのは、花を主題にしているためであろうか。