鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

柏図鐔 埋忠 Umetada Tsuba

2011-10-31 | 鍔の歴史
柏図鐔 (鐔の歴史)


柏図鐔 埋忠

 琳派の作風を説明する際に紹介したことがある。これも真鍮地に赤銅の平象嵌で、墨絵風に表現している。耳を打返風に仕立てて古紙の端部を想わせる工夫もある。色合いが何とも素敵だ。真鍮地がこれほどまでに美しいとは、現在では考えられないだろう。金や銀の鮮やかさはもちろん知覚できるし、赤銅の黒く深みがあり重厚な質感、朧銀地の華やぎも分かる。真鍮地のような金属が、さらに言うなら質朴な山銅地が、単に粗悪で廉価な素材であるというだけでなく、積極的に好んで用いられた理由が、このような色調にあることは明白である。

九年母図鐔 埋忠明壽 Myoju Tsuba

2011-10-29 | 鍔の歴史
九年母図鐔 (鍔の歴史)


九年母図鐔 埋忠明壽

 素銅地に赤銅平象嵌で九年母を墨絵表現した作。古紙を意図したものであろう、地金の表面には意図的に凹凸を付けており、茶に染まった古い絵画を見るような雰囲気。この鐔の製作の当初から明壽は意図していたものであろう、先に紹介した真鍮地の九年母図鐔も同じ風合いである。描かれている図柄だけでなく地にも景色が生まれている。古金工や美濃彫に写実的な植物図が多数ありながらも、精巧な描写を求めてはいない。単純な線と面のみによる表現ながら、何と味わい深いものであろうか。80ミリ。

九年母図鐔 埋忠明壽 Myoju Tsuba

2011-10-28 | 鍔の歴史
九年母図鐔 (鐔の歴史)


九年母図鐔 埋忠明壽

 平象嵌の技術を高め、その独特の持ち味を活かした作品世界を広げたのが埋忠明壽。桃山頃の金家、信家と共に三名人と崇められる金工、江戸金工発展の初祖の一人でもある。と同時に、この時代に流行し始めた、後に琳派と称される作風を積極的に装剣小道具に採り入れ、洒落た文様世界を展開した金工としても知られている。殊に、平象嵌という技術的な面から、主に文様表現において独創世界を見出している。
 平象嵌とは、地を彫り込んで別の金属を嵌入し、表面を地と同じような平面に仕上げる手法である。埋忠明壽の平象嵌は、仔細に観察すると象嵌部分がコンマ何ミリか高く仕立てられている。これによって如何なる状態が生まれてくるのかというと、その段差の生じた境界部分に黒味を帯びた古色が生じて景色となる。ぼかしの表現である。ぼかしという表現は、金工においてほぼ不可能であり、辛うじて布目象嵌や擦りつけ象嵌、水銀を用いたケシなどで行うが、和紙に墨描きした際に生じる滲みなどに似たぼかしは、まさにこの埋忠明壽の平象嵌によって意識されたと言えよう。
 写真がその例である。真鍮の明るい地に墨のような赤銅を平象嵌した、墨絵を想わせる意匠も墨絵象嵌と呼ばれている。透かしを巧みに活かし、金平象嵌をも加え、九年母を描き表わしている。81ミリ。

唐草文龍文図鐔 古平戸 Kohirado Tsuba

2011-10-27 | 鍔の歴史
唐草文龍文図鐔 (鐔の歴史)


唐草文龍文図鐔 古平戸

 南蛮渡来の文様は、西洋との貿易が活発になるまでもなく、新趣を好む武将によって盛んに取り入れられるようになる。江戸時代には肥前国長崎のみが公に海外と連続していたのだが、そこには、海外の文物意外にも文様は必然的に入り込んでいた。装剣小道具ではそのような南蛮渡来の装飾を南蛮金具、南蛮鐔などと呼んでいる。製作で最も影響を受けたと推測されるのは長崎の金工。江戸時代には平戸に繁栄した國重が知られているのだが、その先駆をなすと推測されるのがこの鐔。古風な魚子地を背景に、唐草と龍文を表裏に描き別けている。薄肉彫部分に金の色絵で、西洋の香りが漂う。因みに南蛮とは、中国大陸の南部を経て渡来したことからの呼称で、本来の中国大陸南部を指すものではなく、ポルトガルなどの貿易船がもたらした西洋のこと。桃山時代から江戸時代初期であろう。75.3ミリ。

唐草文図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-10-26 | 鍔の歴史
唐草文図鐔 (鍔の歴史)


唐草文図鐔 古金工

 山銅地の簡素な板鐔の左右を大きく透かして文様としながら、小柄笄の櫃穴としても使用可能な構造とし、唐草文を毛彫で耳際に配している。唐草の構成には唐草の枝や蔓に変調があるなど、古風なそれとはだいぶ風合いが異なり洗練味が感じられよう。
 唐草文は、何時の時代においても文様としては大きな、そして重要な位置付けにあったとも考えられる。時代の下がるに従い、多様に変化しており、その意匠の変遷を追うだけでも意義深い。そもそも唐草文は、世界各地において自然な形で生まれてきた。小型の渦巻文や古代中国の龍文、縄文土器にみられる火炎文なども広い意味では唐草文に含めて考えられる。その背後には、永遠に連続する生命の存在、それに対する憧れがあると思われる。枯れては再生する唐草。次々に新たな芽を生じて先端をのばす蔓草がそれに当てられたことは想像に難くない。
 唐草文の描写に毛彫という技法は合っている。線描を曲線的に連続させるだけで唐草に見える。そこに強弱変化を付け、添景なる何ものかを付属させると、洗練味を帯びた文様となる。82.2ミリ。

日足鑢唐草文図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-10-25 | 鍔の歴史
日足鑢唐草文図鐔 (鍔の歴史)


日足鑢唐草文図鐔 古金工

 山銅地を木瓜形に造り込み、耳が土手耳に仕立てて唐草文を毛彫で施し、これに金平象嵌でHの文字のような文様を散らしている。これは何だろう。さらに、耳から地まで虫食いのような窪みをも施している。一段低い地面には揺れるような日足鑢を施している。素朴な味わいながら面白い、興味深い作である。虫食いは意匠であり、金工が意図して施したもの。板塀などにみられる虫食いの穴を鐔の意匠に採り入れたもので、唐草も塀にからみつく蔓草を想わせるもの。西洋からの文化が盛んに入りはじめたころの作であることから、H型の文様は西洋文字を意匠に採り込んだものか。67ミリ。

牡丹文図鐔 平田 Hirata Tsuba

2011-10-24 | 鍔の歴史
牡丹文図鐔 (鐔の歴史)


牡丹文図鐔 平田

 太刀鐔にも類例のある牡丹唐草文を、山銅地に腐らかしの手法で薄肉に表現した作。微妙な凹凸が美しい。腐らかしの技術は、鉄鐔においては焼手と組み合わされることによって更なる変化のある肌模様を生み出す。山吉兵へや法安などによる強調された肌合いがそれである。この鐔においては、文様を浮かび上がらせる手法として採られている程度で、金属の質感の変化に美観を求める後の作とは明らかに異なる。肥後国平田派の作と極められている。江戸初期。74.5ミリ。

藤棚文図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-10-22 | 鍔の歴史
藤棚文図鐔 (鐔の歴史)


藤棚文図鐔 古金工

 山銅地を薄手に仕立て、表面に藤蔓と花房を薄肉に表現した鐔で、室町時代から戦国時代の製作と鑑られる。各々の文様部分は腐らかしによる手法。腐らかしとは、酸などで表面を腐食させることによって文様を浮かび上がらせる技術。時代が降っては肥後金工平田彦三や西垣勘四郎などが採り入れている。派手なところはなく、素朴な風合いに包まれており、実用具の文様とはこのようなものとの認識が新たとなろう。とはいうものの、仔細に観察すると、藤棚のような文様構成であり、決して稚拙な技術や平凡な感性ではないことも感じとれる。唐草様式の文様表現に古典の美意識が残されており、時代の移り変わるなかで次第に装飾への意識と、それを現実のものとする技術の応用が、高まっていることも理解できる。

海老図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-10-21 | 鍔の歴史
海老図鐔 (鐔の歴史)


海老図鐔 古金工

 色合いの黒い山銅地に赤味のある素銅で海老を線描写した作。桃山頃であろう。線描写は、線の部分を象嵌によって為したものだが、地面と同じ平面に仕上げるという平象嵌の技法を採っている。平象嵌は平安城象嵌の流れの工などにみられるが、多くは鉄地に色金を施す。山銅や素銅などの軟質の地に施すのは桃山頃からであろうか。有名な作者は、過去にも難度か紹介したことのある埋忠明壽。
 この鐔の形状がいい。天地左右の寸法がほぼ同じ。江戸時代の鐔の多くは縦長だが、時代の上がる鐔には、横がわずかに長い例が間々みられる。その類である。木瓜形としても扁平であり、時代の上がる太刀鐔などにもみられる形である。色調もいい。素朴かつ大胆な線描で、稚拙かというとそうでもない。計算された演出があると思う。86.8ミリ。

葛唐草文図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-10-20 | 鍔の歴史
葛唐草文図鐔 (鍔の歴史)


葛唐草文図鐔 古金工(太刀師)

 製作は桃山頃であろう、山銅地に毛彫と鏨の打ち込みによって花房をつける葛を瀟洒な唐草文とした作。線描写は美しく洗練味がある。造り込みはきっちりとした十字木瓜形で、耳に葵木瓜形を想わせる処理を施している。葛の方向は周囲に向かっており、太刀にも打刀にも用いることが出来るよう意匠されている。拵の中でも、太刀と打刀の両様式に使い別けることが可能な半太刀拵は、戦国時代から製作されたものと考えられている。そのような半太刀拵を想定した鐔であろう。78.8ミリ。□

家紋散図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-10-19 | 鍔の歴史
家紋散図鐔 (鍔の歴史)


家紋散図鐔 古金工

 これも素朴な鐔である。山銅か素銅地を薄手に仕立て、表面には阿弥陀状に鑢目を施し、桐紋、菊文、梅花文を毛彫と鏨の打ち込みで表わしている。桐文の一部と菊の花弁の処方が、特殊な鏨による打ち込みであることは明白。文様という、同じパターンの連続を、毛彫で行うか同じ鏨の連続で行うかの違いだが、金工は打ち込みを選んだ。そこには量産という背景があったと推測して良いだろう。とは言え、桐紋などは文様としてしっかりとした構成であり、稚拙ではない。実用鐔だから無文でも構わないのだろうが、使用者は何らかの装飾を望んでいた。桐紋や菊文は、文様としては古く伝統のものである。造り込みとして簡素で素朴だが、実は興味深い要素が潜んでいるのである。77ミリ。

文散図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-10-18 | 鍔の歴史
文散図鐔 (鍔の歴史)


文散図鐔 古金工

 山銅地の表面に粗い鎚目を打ち施して石目地に仕上げ、家紋などを刻印の手法で彫り表わした作。製作は桃山頃であろうか。刻印によって文様を施す手法は、平安城象嵌鐔の一部に細長い楕円形の刻文を浅く加えて菊花などを表現した例があるように、室町時代後期からのものであろう。鉄鐔への刻文は、桃山時代の信家などにみられ、次第に作品への応用が広まっていった。69.5ミリ。

瑞雲に松葉文図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-10-17 | 鍔の歴史
瑞雲に松葉文図鐔 (鐔の歴史)


瑞雲に松葉文図鐔 古金工

 山銅地を薄手に仕立て、表面には鎚の痕跡を残して地模様とし、瑞雲文を片切彫様式で彫り散らし、さらに松葉くずしの文様を細い線描写で透かしている。細い線状の透かしは、江戸時代後期にさらに細い線状透かしとなって金工の感性と技術の鋭さを鮮明にしたが、すでに室町時代にその下地があったとは驚きである。文様としても優れている。89ミリ。

藻貝図鐔 古金工 Kokinko Tsuba

2011-10-15 | 鍔の歴史
藻貝図鐔 (鍔の歴史)


藻貝図鐔 古金工

 山銅地を板鐔にし、魚子地と毛彫で文様表現した簡素な鐔。文様を鐔面に表現するというより、余りにも質素な板鐔であるが故に何か文様を加えてみようかと考えた、というような、美学とは異なるところにある文様のように感じられる。魚子地も叢な石目地のようで、線描写も後の強弱変化のある片切彫とは異なる。
 古い物は汚いという感覚で見られることがある。埃や手垢で汚れた器物は確かに汚い面もあるが、その汚れを落としてもなお時代そのものがそこにある。それを汚いと感じる人もあれば魅力と感じる人もある。81.4ミリ。

唐草文図鐔 古金工(太刀師) Kokinko Tsuba

2011-10-14 | 鍔の歴史
唐草文図鐔 (鍔の歴史)


唐草文図鐔 古金工

 古金工時代の太刀師の作であろうか、先に紹介した鐔とは、文様の処方がほとんど同じ、毛彫あるいは刻文による渦巻状の唐草文の鐔。異なるのは全面に文様を刻している点。頗る簡素で、しかも動感に満ちた文様。造り込みも簡素。時代の上がる鐔は、鉄地になる甲冑師や刀匠鐔とは同じような感覚で製作されているのだが、地に施す文様は、山銅などは鉄地よりも軟質であるために鉄地のような彫りの浅い簡素な鎚目や鑢目ではなく深く彫り込まれるようだ。決して洗練されているわけではないのだが、味わい格別である。91.5ミリ。