鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

猿猴捕月図鐔 金家

2009-12-16 | 
猿猴捕月図鐔 金家                


 
猿猴捕月図鐔 山城國伏見住金家
 禅の問答に似て深い意味を備えており、しかも装剣小道具の題として良く見られるのが猿猴捕月(えんこうほげつ)図である。水に映った月を取ろうと腕を伸ばすも、それが適わず、ついには水に落ちてしまう。即ち、無謀な望みを避け己の力量を知ることの重要性を示しているわけだが、図柄構成としても面白いと思われたのであろう。
 良く知られている桃山時代の絵師長谷川等伯の同図(南禅寺金地院蔵)にも似ているのが、ここに紹介する金家(かねいえ)の鐔である。鉄地を抑揚変化のある槌目地(つちめじ)に仕上げ、耳も打ち返して肉高く量感を持たせ、高彫と象嵌を駆使している。鐔という特殊な画面に描かざるをえないとはいえ、墨絵のような簡素な表現ながら今にも水面に手が届きそうなこの瞬間に動きを与えている。
 金家の作品を鑑賞する上で興味を抱くのが表面処理。鍛えた鎚の痕跡を鮮明に残し、これに鏨を加えて地荒し風に変化を与えている。例えば裏面の右下の山裾あるいは草叢と思われる部分や、左上の堂塔の背後の空間など。特に空に当る部分の地の動き、変化は自然味があり、指先において鑑賞すれば、まさに古刀匠や古甲冑師の古作の世界。表の地も同様の処理だが、月が映っている水面の毛彫による微妙な動きも金家らしい繊細さと古調を兼ね備えており、見どころと言えよう。

虎の児渡し図小柄 後藤程乗・利壽・浜野政信

2009-12-13 | 小柄
虎の児渡し図小柄 後藤程乗・利壽・浜野政信          







虎の児渡し図小柄 利壽(花押)








虎の児渡し図小柄 紋程乗 光美(花押)


 瓢箪鯰図と同様、禅に関わる図として広く知られ、装剣小道具にも採られているのが虎の児渡し図である。二匹の温厚な児虎と、一匹の凶暴な児虎を連れた母虎が、川を渡る際にどのような順で運んだら、児虎が児虎に襲われずにすむであろうか、というような、現代のゲームにあるような話が題材となっている。一休禅師の頓知話でも知られるように、言葉を介した遊びやゲームが、古くから我が国において流行していたことの証しでもある。この問いに答えようとしたわけではないだろうが、図柄としての面白さを第一として、子を思う親のあり方、あるいは戦場における速やかな判断が、この画面から読み取れると思う。武士の戒めの一つと考えて良いだろう。
 さて作品をご覧いただきたい。作者は、将軍家の御用を勤めた後藤宗家九代程乗(ていじょう1603~1673)と、市井にあって武家だけでなく町人の需要にも広く応じていた利壽(としなが1667~1736)。程乗の虎は後藤家らしい彫口で、武家の美意識にも通じる風格がある。虎は現実に存在する動物ではあるが、獅子や龍と同様に霊獣としても捉えられていた。その古典的な見方が感じられよう。対して利壽の虎は視線鋭く迫力に満ち、まさに獲物を狩る猛獣の姿。対岸で待つのは凶暴な児虎に他ならないが、親にも牙をむけかねない恐ろしさがある。
 程乗作は赤銅魚子地を高彫にし、金銀の色絵平象嵌で華やかに表現し、金の縁取りで装具としての美観を考慮している。利壽作は鎚の痕跡を残した鉄地を高彫とし、金銀の象嵌をし、さらにその表面に鏨を切り込むことによって激しい動きと表情を浮かび上がらせている。利壽の門流の乙柳軒味墨(みぼく)政信の同図小柄を紹介したことがある。これも合わせて参考にされたい。





虎の児渡し図小柄 乙柳軒味墨(花押)

寒山拾得図鐔 海野勝

2009-12-10 | 
寒山拾得図鐔 海野勝               


 


                          
寒山拾得図鐔 芳洲海野勝(金印)
 東龍斎清壽の描いた豊干禅師の、遥か遠くの山陰に佇む二人の姿を拡大するとこのようになる。巻物を持って月を指差すのが寒山、箒を携えているのが拾得。この鐔では、虎のみを裏面に描いて豊干禅師留守模様としている。作者は、明治期に皇室の御用を勤め、様々な装飾性の高い金工作品を製作した名工、海野勝(うんのしょうみん)である。勝は天保十五年に常陸国に生まれ、伯父に当る水戸金工海野美盛と同じ水戸金工萩谷勝平に学び、江戸に出たのは明治に入ってのこと。新時代の潮流を正面から受けるも、その一方で、本作のような古典に現代の美意識を投影した優れた作品をも遺している。
 本作は、朧銀地に微細な石目地を加え、表は高彫に金色絵、裏は石目地に片切彫平象嵌。微妙な抑揚を付けた高彫は、現代彫刻とは異なるレリーフの類で一般的に凹凸は三ミリ程度。にもかかわらず、ここまでの立体感と遠近感、質感を創出しているのである。

豊干禅師図鐔 東龍斎清寿

2009-12-09 | 
豊干禅師図鐔 東龍斎清壽                  



 


豊干禅師図鐔 一家式竜法眼(花押)
 装剣小道具の画題として採られる例の多い図の一つに、寒山(かんざん)と拾得(じっとく)図がある。また、これに豊干禅師(ぶかんぜんじ)と虎を添え、四者が眠る四睡(しすい)図も良く知られている。
 ここに登場する三者は、唐代の台州(現江省)天台山の国清寺に生きた、まさに隠者。我が国にあるような禅を突き詰めたというわけではないが、禅に通じる生き方をしたことが好まれたものであろう。特に寒山は狂人とさえ見られたように自由に行動し、自由な発想になる詩を遺しており、拾得も感化されたものであろうか寒山に追随したようだ。彼らの能力を見出したのが国清寺の豊干禅師。彼もまた特異な生き方をし、一頭の虎と心が通じ合っていたと言われている。
 まさに我が国に隆盛した、禅に生きるという意識を実践したような話である。この四者を図に得たのが写真の鐔。作者は、江戸時代後期の江戸に独特の作風で隆盛した東龍斎清壽(とうりゅうさいきよとし)。虎と戯れる豊干禅師を主題とし、遠景として山間に寒山拾得の両者を陰影のように添え描いている。鉄地高彫に金銀の象嵌、霞は金の真砂象嵌(まさごぞうがん)。
 ここには禅の意識や、瓢箪鯰のような禅の公案という意図は見られないが、禅に深く傾倒した人々の意識が明確に覗える。
 作者の東龍斎清壽は田中文次郎と称し文化元年の生まれ。河野春明に有縁とも伝えられるが詳細は不明。独特の構成感覚による風景や、特異な形態美を追求した作品があり、江戸時代後期に大きな流派を築き、多くの門弟も同趣の作品を製作して活躍している。銘の一家式は号の一つ。弘化三年に法眼に叙されたことから法眼を銘に添えることもある。竜は東龍斎の略。

瓢箪鯰図鐔 宮本武蔵

2009-12-01 | 
瓢箪鯰図鐔 宮本武蔵        


 
瓢箪鯰図鐔 宮本武蔵
 禅画として良く知られているのが瓢箪鯰(ひょうたんなまず)の図。その本歌は、足利家に仕えた如拙の作で三十一人の僧の賛が記された『瓢鮎(鯰)』図である。如拙の『瓢鮎』図については余りにも有名でありところから説明は省く。将軍の提示した公案に対しての各僧の答えも、ストレートなものがあり、捻ったものもあり、無駄なことと切り捨てるようなのもある。これらと同様に、後の武士も答えを導き出そうとしたようで、その一つとして知られるのが宮本武蔵作瓢箪鯰図鐔である。武蔵の思考や心に替わることができないので、想像の範囲だが、武蔵が瓢箪鯰図鐔を製作したことについては、禅に深く学んだという背景は明瞭。決して如拙の描いた図を独創世界で表現したものではなく、三十一人の僧と同じ姿勢で将軍の公案に向かったもの。『鐔Tsuba』で解説しているので参考にされたい。素材は素銅地で、鋤き下げの手法によりわずかに量感を持たせた造り込み。
 以降、江戸時代と通してこの図は描かれることとなる。下の写真は武家金工である後藤宗家六代栄乗(えいじょう)の作と極められている小柄。後藤家の作品の図柄は、武家が備えるべき心構えや戒めなどを明示したもの、あるいはその意識を漂わせる題材が基本。瓢箪鯰の図についても、この組み合わせが意味を持つのではなく、これを思考させるところに意味を見出していたとも思われる。本来、禅とは思考よりも実践に重きが置かれていた。とすれば、この図の装剣具を製作することを通じて思索するという目的があったとも推測される。同図は様々なパターンで、後藤家以外にも多い。赤銅魚子地高彫金色絵。


瓢箪鯰図小柄 後藤栄乗