鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

這龍透図鍔 一柳友善 Tomoyoshi Tsuba

2015-09-30 | 鍔の歴史
這龍透図鍔 一柳友善


這龍透図鍔 一柳友善(花押)

 水戸金工友善も独特の二重耳仕立てになる鍔を遺している。本作が良い例で、これに雷文を象嵌しているのは、龍神と関連を持たせたものであろう。肉彫された龍神は、鏨が強く効いて鱗や鰭が起ち、しかも精巧で迫力がある。人気が高いのも良く判る。耳の端部に丸みを持たせているところにも特徴がある。これにより、龍神が玉の中に潜んでおり、今にも飛び出しそうに感じられるのは面白い。龍神と宝珠の関連性は言うまでもなかろう。

雲龍桐唐草文図鐔 京金工 Kyo-Kinko Tsuba

2015-09-29 | 鍔の歴史
雲龍桐唐草文図鐔 京金工


雲龍桐唐草文図鐔 京金工

 洗練された感性と技術を下地にし、すっきりと洒落た構成に仕立てた作。南蛮鍔の作例を先に見ておくと、これが少なからず影響を受けているであろうと想像される。でも、決して南蛮鍔ではない。赤銅地を肉彫に仕上げ、耳には雲龍を高彫に表わし、耳の内側に金の平象嵌で繊細な文様を廻らしている。桐に唐草は、特に唐草を密に施さないところが大らかでいい。桐は家紋風だがわずかに揺れており、ここにも美観が求められている。耳の活用が巧みな作と言えよう。

対龍図鍔 長州萩住次久作 Tsuguhisa Tsuba

2015-09-28 | 鍔の歴史
対龍図鍔 長州萩住次久作


対龍図鍔 長州萩住次久作

 典型的南蛮鍔であるが、長州鍔工の銘がある。銘があるから鍔工が判断できるものの、銘がなければどうだろう、南蛮と極めざるを得ない。南蛮鍔が製作されていたのは、肥前を中心にその近隣と考えられてはいるが、長門国、京都でも製作されていたし、もちろん江戸でも人気があったから製作されていたであろう。即ち、出来の良し悪しはあれども全国各地で製作されていたのであろう。そのくらい人気があったのだ。この鍔の耳も二重構造。銀の布目象嵌を、龍の身体と耳に加えて図柄が鮮明に際立つよう工夫している。

対獅子図鍔 南蛮 Namban Tsuba

2015-09-24 | 鍔の歴史
対獅子図鍔 南蛮


対獅子図鍔 南蛮

耳に特徴がある鍔として挙げられるのが、南蛮と汎称される一類だろう。多くは立体的に構成された唐草に龍や獅子などの霊獣が配されており、西洋の文様想わせるところに特徴がある。耳は多くが二段三段の複式の構成。この鍔では三段の真ん中に小さな点状の文様が加えられている。さらに布目象嵌で装われて華やかさも加味されている。地面の文様が複雑であるため、耳に目が行きにくいと言えようか、それが故に耳は少し複雑にすると調和がとれるようだ。南蛮鍔とは、必ずしも南蛮、即ち中国南方で製作されたわけではない。西洋文化が伝わりきた中国南部の名称を採って南蛮鍔とは呼んでいるものの、我が国での大流行があり、ほとんど国内製作の作者不詳である。即ち、著名金工が製作した南蛮鐔も存在すると思う。

竹林雀透図鍔 秋田正阿弥 Shoami-Akita Tsuba

2015-09-19 | 鍔の歴史
竹林雀透図鍔 秋田正阿弥


竹林雀透図鍔 秋田正阿弥

 正阿弥伝兵衛で紹介したような、耳の装飾に特徴がみられる作。浅い八ツ木瓜形に造り込み、竹林を意匠したものであろう、地面は、曲がり竹を題材にとって唐草文を暗示させるように肉彫し、耳には布目象嵌の手法で笹の葉を印象付けている。しなやかな帯状に耳を廻らし、赤銅覆輪を掛けて特に際立たせるという、緻密な計算の上に成り立っている。耳を意匠の上で重要な部分として位置づけた、組合せの美観に優れた作と言えよう。

唐草文図鍔 正阿弥伝兵衛 Denbei Tsuba

2015-09-17 | 鍔の歴史
唐草文図鍔 正阿弥伝兵衛


唐草文図鍔 出羽秋田住正阿弥伝兵衛

 耳を印象付けた作という点では全く同じ。地は周囲を透かし去って二重構造の帯あるいは輪を木瓜形に構成したもの。硬質の鉄地を柔軟な帯に見立てて組み合わせている点が面白い。伝兵衛は出羽国を代表する名工であると高い評価を得ているのは、こうした個性的で構成美に優れた作を遺しているからに他ならない。

唐草文図鍔 正阿弥伝兵衛 Denbei Tsuba

2015-09-16 | 鍔の歴史
唐草文図鍔 正阿弥伝兵衛


唐草文図鍔 出羽秋田住正阿弥伝兵衛

 正阿弥派の特質を良く伝え、しかも独創的な作。鉄地を糸巻形に仕立て、その周囲を円筒状の耳で繋いだ簡潔な構成。全面に金の布目象嵌を廻らして装飾としている。総体の意匠は円形の組合せになる、所謂七宝文であり、布目象嵌の文様も細やかであることから、古典的な文様表現を意匠の要としたものと思われる。このように説明すればその通りなのだが、要点は耳が強く意識された作であること。異風と言えるほどに大振りの耳を持ち、拵に装着した状態での観察でも耳は強く主張している。

紋透図大小鍔 薩摩 Satsuma Tsuba

2015-09-15 | 鍔の歴史
紋透図大小鍔 薩摩


紋透図大小鍔 薩摩

 耳際に円周状に家紋を配した意匠に特色がある。明らかに耳を意識し、複雑な透かしを施すことによって美観を高めている。透かし文様の切り口が鋭く起っており、精密で精巧、繊細な印象がある。真黒な赤銅の存在に対して透かしの無という、陰陽を明確にした色調である点も美しさの要であろう。同じように家紋を布置した図柄で、赤銅魚子地の耳際に桐紋を円周状に配置した作を紹介したが、それらとは印象がまったく異なっている。二引両紋で円周状に繋いでいるのも美点。

小札透図鍔 甲冑師 Katyusi Tsuba

2015-09-14 | 鍔の歴史
小札透図鍔 甲冑師


小札透図鍔 甲冑師

 長方形の小透を点在させた意匠。小札はコフダではなくコザネ。鎧などに用いられる部品で、この細長い革や鉄板を組み、縅糸で編み上げることにより、身体に沿う柔軟性のある甲冑とした。その単片を意匠に採り入れたものと思われるが、視点を変えれば源氏車の一部にも見える。優れた意匠が、耳際に施されているところが面白い。明らかに円形が意匠構成の基礎にあり、耳が意匠の一部として意識されているのだ。

猿猴図鍔 古正阿弥 Ko-Shoami Tsuba

2015-09-10 | 鍔の歴史
猿猴図鍔 古正阿弥


猿猴図鍔 古正阿弥

 簡潔で大胆な表現からなる作。ここでも耳が、効果的に、あるいは巧みにと言うべきか画面に採り入れられている。猿猴の腕をそのまま耳に構成しているだけの図であるが、この図には深い意味が隠されている。櫃穴を構成しているのは三日月。即ち、水に映った月を捕ろうとしている「猿猴捕月」。正阿弥鍔工は、図の意味も巧みに示していた。もちろんこの鍔の面白さは猿を巧みに採り入れたという高い教養があってのものというだけではない、透文様という陰影からなる構図を生み出す点においても優れている。

瓢箪透図鍔 古金工 Ko-Kinko Tsuba

2015-09-08 | 鍔の歴史
瓢箪透図鍔 古金工


瓢箪透図鍔 古金工

 簡潔な構造からなり、耳をそのまま鍔としている点では武蔵と同じだ。だが装飾性を含んでいる点では全く異なっている。巴状に瓢箪を組み合わせ、さらに耳際に瓢箪を唐草風に高彫しているのだ。優れたデザインも見どころである。銘がなく、江戸時代後期の有名金工とは違って精巧精密ではないが、面白味のある作と言えよう。

瓢箪透図鍔 古正阿弥 Ko-Shoami Tsuba

2015-09-07 | 鍔の歴史
瓢箪透図鍔 古正阿弥


瓢箪透図鍔 古正阿弥

 耳を意識した鍔。正阿弥派は、鉄地肉彫に金布目象嵌で装飾を加える手法を得意とした。もちろん布目象嵌のない作もある。優れた意匠、優れた鉄地に鍛え上げた例もあり、金山や尾張に比較して人気が低いというのは解せない。先人の評価を鵜呑みにして、なんとなく出来が悪いと思い込んでいる方も多いのではないだろうか。この鐔は、特に意匠が優れている。透かしは天地を対称にしたものだが、耳の金布目象嵌には対称性がない。このように、耳に布目象嵌を施した例が多々あり、拵に掛けた際の美観を考えていたようだ。この作例では、確かに耳の布目象嵌が活きている。肥後に枯木象嵌と呼ばれる意匠があるのは、古正阿弥からの変化とみて良いだろう。

海鼠透図鍔 宮本武蔵 Musashi Tsuba

2015-09-04 | 鍔の歴史
海鼠透図鍔 宮本武蔵


海鼠透図鍔 宮本武蔵

左右二つ木瓜に造り込み、海鼠形の陰の透かしを施しただけの鍔。武蔵の考案と言われている。図柄というより、機能性を追求した簡潔な形。鍔という機能そのものといった印象だ。いかにも武蔵らしい。ここでは耳が鍔としての存在そのもの。

山水図鍔 長州貞次 Sadatsugu Tsuba

2015-09-02 | 鍔の歴史
山水図鍔 長州貞次


山水図鍔 長州有田源右衛門貞次 

 「打返耳」という技法を取り入れて水辺の風景を絵画風に表現した作。古くは桃山時代の埋忠派にある。この耳際の構成をどのように捉えたら良いのだろうか。何か別の絵画、例えば屏風絵や襖絵などの一部を破りとったような、古画の存在を意識させよう。題材もなんとなく古いもののように見え、地金も素銅という古寂な風合いの和紙を想わせる。また、打返耳とは言うものの、はたして本当に鎚などで打ち返したものであろうか。確かに作品によっては、耳際に皺が生じているものがあり、叩いたであろうと考えられるも、中には彫り込んで抑揚をつけた作例もある。装飾効果はどちらも同じようなものであり、どちらが優れているとか言うつもりはない。絵画としては、この耳の存在が重要であることに気付くだろう。明らかにこの手法が活きている。