鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

鍾馗図鐔 常重 Tsuneshige Tsuba

2011-09-30 | 鍔の歴史
鍾馗図鐔 (鍔の歴史)


鍾馗図鐔 常重

 江戸中期の奈良派の金工と伝えられることから、安親とほぼ同時代あるいはその直後の金工と推測される。和漢の人物を題材とした大胆な人物描写で知られている。専ら真鍮地を用い、古色溢れる風合いを演出している。
 真鍮地は、先に紹介したことがあるように、室町時代中頃の応仁鐔と呼ばれる作から多くみられる。多くは文様部分にとられる程度で、地金を真鍮に求めるのは桃山頃の埋忠派辺りからであろうか、その渋い質感は適切な画題と適合すると、見事な調和美となって視覚を刺激する。奈良派の金工も真鍮地を多用している。そして、多くが成功しているようである。76.5ミリ。

檀渓渡河図鐔 直随 Naoyuki Tsuba

2011-09-29 | 鍔の歴史
檀渓渡河図鐔 (鐔の歴史)


檀渓渡河図鐔 望窓軒濱野直随〔印〕

 これも三国志から取材したもの。朧銀地高彫色象嵌。この図のように、表裏を巧みに連続させている点が興味深い。鐔や目貫には表裏がある。古い鐔には、表裏掛け替えられるよう、あるいは表裏を掛け替えたと推測される作があり、それらの多くは文様表現であることから表裏の意味は不要であったが、このような鐔を見ると、表裏の存在が強く意識されていることが理解できる。
 鐔の表裏を見分ける方法。小柄櫃が左、笄櫃が右に位置しているのが表。一般に表は、裏に比して華やか。裏に比して文様の配分が多い。金などの色金の量が多い。主題が表。茎櫃周囲の責め鏨は表に行う。このように見ると、判り難い鐔の表裏も容易に判断できる。
 この鐔のように、主題を表裏に連続させる表現は、実は奈良利壽にすでにみられるのである。表現、構成などの点においても奈良派の感性は凄いと思う。

三国志飛張図鐔 濱野直随 Naoyuki Tsuba

2011-09-28 | 鍔の歴史
三国志飛張図鐔 (鍔の歴史)


三国志飛張図鐔 濱野直随

 直随(なおゆき)は矩随の門人。奈良系の人物描写を得意としたが、師と異なる点は、鏨の打ち込み痕を強調した、視覚的に力強い作を遺していること。顔の皺など表情に関わる部分はもちろんだが、岩や木々、馬の毛並み、衣服などにも鏨を強く打ち込み、特に岩肌の表情は荒々しい。それが故に迫力のある三国志図など、合戦図を得意としている。朧銀地高彫色絵象嵌。
装剣小道具の画題としては、三国志に題を得たものが多い。江戸時代中期以降、読み物としての『三国志演義』や、歌舞伎で演じられたという背景がある。かつての、武家の学問として古代中国の歴史が学ばれたことによる画題とは随分意味が違っている。73ミリ。□

養由基図鐔 矩隨 Noriyuki Tsuba

2011-09-27 | 鍔の歴史
養由基図鐔 (鍔の歴史)


養由基図鐔 濱野矩隨

 浜野矩隨(のりゆき)は政随の門人で頗る技量の高い金工の一人。和漢の歴史人物図を題に得て写実表現するを得意とした。この鐔の主題である養由基は、「百発百中」の語を残した弓の名手として知られている古代中国春秋時代の武人。天高く飛翔する鶴を弓矢で射落としたといい、木に隠れる猿を射通したともいう。その場面を題に得たもの。朧銀地高彫色絵。この鐔は、現在発売中の古美術雑誌『目の眼』で紹介している。参考にされたい。73ミリ。□

水月図鐔 政随 Masayuki Tsuba

2011-09-26 | 鍔の歴史
水月図鐔 (鍔の歴史)


水月図鐔 政随

 凄い鐔である。真鍮地を打返耳に仕立て、地面は鋤きこんだ上に地叢状に鎚目を施し、それを空気感としたものか、あるいは裏面では岩場の質感としたものか、これを背景に高彫赤銅銀の色絵で波間に三日月、波濤に烏を描き表わしている。柳生厳包は柳生流剣術を三十六歌仙に擬えて三十六種類の鐔に表現したといわれている。その中にある水月から発想したものであろうか。水に映る月のように平常心を保つことが水月に意味だが、この鐔からは激しさの方が伝わりくる。波烏も同様。鵜の真似をした烏は水に溺れる。暗喩に満ちた、意味の深い作である。64.4ミリ。


蝦蟇仙人図鐔 政随 Masayuki Tsuba

2011-09-24 | 鍔の歴史
蝦蟇仙人図鐔 (鍔の歴史)


蝦蟇仙人図鐔 乙柳軒政随

 奈良派四天王のひとり浜野政随の、蝦蟇を大胆に写実描写した鐔。迫力に満ち満ちている。図柄に凄みがある。実は、この蝦蟇の高彫は極端に肉の高い実体的描法になり、鐔面から飛び出している。まさにそこにいるような表現である。
 江戸時代、蝦蟇仙人あるいは蝦蟇を操る伝承は、我が国において歌舞伎の演題『自来也』に発展している。今ではマンガのキャラクター(ナルトのガマブン太)にも採られているように、確かに存在が面白い。誰も秘術を使い、敵を翻弄する、そんな役割を担いたいもの。荒唐無稽とはいえ、大きな憧れでもある。現代においてもこのような話が好まれるのだから、江戸時代にはどれほどのものであったろうか。73.8ミリ。


仙人図鐔 随友(花押)

 随友なる金工は銘鑑に出てこない。知名度の低い金工ながら、この鐔を見ても判る通り、頗る上手な工である。赤銅地高彫に金銀の色絵。正確な構成で精密な彫刻と表面処理により、人物が際立っている。ここでも高彫と肉合彫を組み合わせた描法であり、立体感に満ちている。

鉄拐仙人図小柄 乗意 Joui Kozuka

2011-09-22 | 鍔の歴史
鉄拐仙人図小柄 (鍔の歴史)


鉄拐仙人図小柄 乗意〔金印〕

 蝦蟇仙人も描かれることが多いのだが、これと対で描かれるのが鉄拐仙人。自らの身体から意識のみを遊離させ、遥か彼方に移動できるという術をもっていたが、あるとき、意識を身体から遊離させている間にその身体が葬られてしまった。返る身体をなくした鉄拐は困りはて、死人の身体を探してこれに戻ったという。仮死状態で夢でも見たんじゃないの、と言われそうだが、そうかもしれない。また、仙人とは薬種に関わる伝承が多いことから、薬で幻影を見たのではないか、とも考えられる。こうした背景には、天然の薬種の発見とその人体実験の繰り返しがあり、現代の漢方薬の完成に繋がっている。この伝承が生まれるまでには多くの人々が薬の人体実験で死んでいるのであろう。鉄拐とはそのような一人の可能性もある。漢方薬の発見と完成の歴史の一面だが、落語にでもまとめられそうな話で面白い。
 これも乗意の名品。朧銀地を微細な石目地とし、肉合彫に金と赤銅の色絵をわずかに加える程度。ここでも細かな点描で吐き出した気を表現し、遊離した意識を暈けた輪郭で色合いの濃い金属の象嵌で表現している。頗る手の込んだ描法である。とにかく身体描写が凄い。

馬師皇図小柄 乗意 Joui Kozuka

2011-09-21 | 鍔の歴史
鍔の歴史

 奈良派が描いたのは和漢の歴史人物だけでなく、架空の人物も題としている。興味深いのは仙人図が多いこと。仙人とは道教に関わりのある、自然に生き自然の霊力を身につけた人々のこと。かつて、我が国に道教は入っていなかったと考えられていたが、都市造りから建築物、日々の生活に関わることなどにも、教義としてではなく道教は浸透していた。仙人の図とは、もっと初期の、教義となる以前の自然の産物から得られる、特に健康や長寿、さらには不死に関わる薬物利用の、即ち科学に近い理念をもった、あるいは実践した人々と考えると理解し易い。科学は、古代人にとっては魔術に近い。仙人が示した飛行も心身離脱も化学的タネはあろう。だが伝承としての魅力は人々の心を掴んで離さなかったようだ。江戸時代の人々が、仏教によって死んだ後の世界を約束されるより、現世利益の意識を高め、生きている今楽しいことをしたいと願ったのは当然。仙人伝承は江戸時代に流行した七福神思想にも通じているのである。

 
馬師皇図小柄 乗意
                                     
 奈良三作のひとり、杉浦乗意の小柄である。人物描写では最先端にあった乗意の技法は、決して量感のある高彫ではなく、むしろ薄肉彫に近い作風ながら、写真で見たとおり立体感と量感、奥行き感、微細なところでは皮膚感、それらから生み出される微妙な表情まで精巧に再現されている。身体だけでなく身に着けているものの衣擦れの音まで聞こえてきそうなこの正確で精巧な描法は、身体の輪郭をごくわずかに鋤き下げ、高彫部分は地の表面程度の高さにまで仕上げる、肉合彫と呼ばれる手法。高彫部分を極肉高に現す手法も迫力はあるのだが、このような薄肉で精巧な人物表現を行うのも凄い。
 図の馬師皇は、古代中国の仙人で、龍の病を治すのを得意としていた。装剣小道具の図としては比較的多くみられる。この小柄は、朧銀地を細かな石目地とし、肉合彫と片切彫を駆使して馬師皇と龍神を描き、龍神の周囲には大小、殊に細かな点描を加えて大気の流れを表現している。


鯉魚図鐔 安親 Yasuchika Tsuba

2011-09-20 | 鍔の歴史
鯉魚図鐔 (鍔の歴史)


鯉魚図鐔 安親

 ゆったりと大波を掻き分けて進む鯉魚。登竜門の言葉を意味している作であり、激しく立つ波は瀧のそれを意図している。安親には、月見図のような市井の人物図、風俗的な図、純粋に文様表現もあるのだが、当然のこと武家の伝統的な美意識を暗示させる図が多い。なにもかも多いのだが、このような古典的な図柄を巧みな彫刻で表現する。鉄地高彫金象嵌。
 安親は鯉魚のほかに蟹や貝などの水中に生きる小動物を題に得た作品も多く遺している。特に蟹図縁頭は頗る多い。それぞれに異なった場面を描き、地金も真鍮、素銅、赤銅など様々。縁頭には鯉魚図もある。このように多くの蟹図を残していることから、蟹に何らかの意味があるのではないかと考えて調べたところ、やはり登竜門と関わりのある古代中国の制度、中国の古典が背景にあることがわかった。野の小さな自然風景に目を向けたものと思われがちだが、装剣小道具の初期のものには、やはり何らかの意味が秘められていることは確かなようだ。
 そのような時代背景の中で、全く発想を異にする、洒落気を含んだ図を生み出す安親の感性を、このようなところからも再確認するのである。

虎の子渡し図小柄 利壽 Toshinaga  Kozuka

2011-09-17 | 鍔の歴史
虎の子渡し図小柄 (鍔の歴史)



虎の子渡し図小柄 利壽(花押)

 利壽の虎は凄い。獅子図にもみられるように、表情が険しく目が鋭く、地から実体的に飛び出してきそうなほどに高彫の肉の量感が高い。安親の虎と比較してみれば一目瞭然。もちろん荒れ狂う川を渡ろうとする姿と洞窟に佇む姿とでは主題も異なろうが、本質が違っている。鉄地高彫に金象嵌。
 利壽は奈良三作の一人で、安親、乗意とともに江戸金工の祖ともなった名人。鉄地や真鍮地高彫色絵象嵌の手法で和漢の歴史人物や風景図を採り、武家の伝統的な美意識を表現した。


虎の子渡し図小柄 乙柳軒味墨(花押)

 下は同図を採った、同じ奈良系の浜野家四代味墨政信の小柄。虎の目がいい。ゆったりと泳ぐ姿には川を恐れる様子が感じられず、堂々としている。

猛虎図鐔 東雨 Touu Tsuba

2011-09-16 | 鍔の歴史
猛虎図鐔 (鍔の歴史)


猛虎図鐔 東雨

 良く知られている鐔である。そしてまた、後の多くの金工が同図を手本として製作している作である。岩場の洞窟に潜む虎を題に得た構図に利壽の鐔があるも、後に紹介するように利壽のそれは猛虎としての厳しい表情。安親の作ではどことなく人間味が感じられるのは、意図してのものであろう、筆者は面壁達磨を思い浮かべる。鉄地高彫に金象嵌。背景には山水図がある。瀧があり湖水を経て霞む山並みが見える。だがこれを、現実を思い浮かべる風景と捉えてよいものだろうか。心象風景とするなら空間の不思議さは受け入れられる。色々と思索させてくれる、言うなれば禅の趣を感じ取る作である。75.7ミリ。

松樹に馬図鐔 東雨 Touu Tsuba

2011-09-15 | 鍔の歴史
松樹に馬図鐔 (鍔の歴史)


松樹に馬図鐔 東雨

 構成が頗る良い作品である。川辺に佇む老松。その傍らに寝そべる馬、走る馬がいるというだけの風景だが、その構成が頗る良い。二度も重ねて言うほどに良い。このような意匠を生み出したところに安親の凄さがあるのだ。
 切羽台厚を中心として左右に枝を伸ばす松樹の逞しさは、馬のそれに重ねられよう。馬もまた並んで疾駆するという構成ではなく、身体の一部だけを見せてその全体を想像させる趣向。寝そべる馬もただ寝ているだけでありながら動きが感じられる。また、用いられている金はごくわずかでありながら、画面を引き締めている。
 では、この鐔の面白さは構図の奇抜さだけであろうか。筆者は、一本松といえば能舞台の背後に象徴的に描かれている松樹を思い浮かべる。政随の磯馴松とは明らかに異質に思える。斬新とはいえ、古典がその背後に潜んでいるように感じられるのである。
鉄地に薄手の高彫、耳を打ち返している。75ミリ。

浜松千鳥図鐔 政随 Masayuki Tsuba

2011-09-14 | 鍔の歴史
浜松千鳥図鐔 (鐔の歴史)


浜松千鳥図鐔 政随

 安親、利壽、乗意の三者は奈良三作と呼ばれて有名だが、これに政随を加えて四天王と呼ぶことがある。先の三者の次の世代に当たり、自らだけでなく多くの弟子が活躍して江戸金工の隆盛を直接担っており、いわば金工の大きな主流となったのが政随の浜野派である。安親のように多方面に興味を抱いたものであろう、多くの作品を遺している。
 この鐔の千鳥もかなり文様化されている。松樹は切羽台を中央に大胆な構成。鋤下彫りと薄肉彫を組み合わせた手法ながら立体感に満ち、風に馴れて屈曲した様子が的確。その背後には夕日か。金、銀、朧銀、赤銅の千鳥が、姿態を異にして飛翔する様子を高彫象嵌で表わしている。下地は鉄地に簡潔な波文。優れた作品である。72.8ミリ。

浜千鳥図鐔 東雨 Touu  Tsuba

2011-09-13 | 鍔の歴史
浜千鳥図鐔 (鍔の歴史)


浜千鳥図鐔 東雨

 先に紹介した帰雁図苫舟図鐔のように、薄肉に仕上げており、画面構成意匠は瀟洒な文様化された風景。琳派の文様化とは異なり、江戸好みの風合いがある。安親、奈良派は千鳥に題を得た多くの作品を遺している。このような文様化の途中にある作、さらに文様化が進んだ干網に千鳥の透鐔は余りにも有名。この鐔は、泥障形の鐔の造形は地紙散らしの形紙のようにも感じられ、地紙に軽やかに描かれた墨絵になる浜辺の光景、といった風情。先に紹介した安親の先輩格に当たる利治と浜松千鳥と比較鑑賞されたい。安親の技量の凄さはだれもが認めるところだが、利治も決して負けてはいない。総じて奈良派の資質の高さが窺い知れよう。東雨は安親の号銘。81.2ミリ。

牛引図鐔 安親 Yasuchika  Tsuba

2011-09-12 | 鍔の歴史
牛引図鐔 (鍔の歴史)


牛引図鐔 武州住安親(花押)

 赤銅地を高彫にし、金銀素銅の色絵象嵌を加えて農村の一光景を捉えた作。もちろん主題は牛引きの農夫だが、背景は山水からの借景とでも言おうか。鉄地でも同趣の表現が可能であったと思われるが、人物描写で精巧さを求めたものであろう。81.2ミリ。
 過去にこの鐔を紹介した際、安親の視点の置きようが、鄙びた農村の一風景にあり、それまでの古典に求めた題とは異なるのではなかろうかと筆者は考えた。江戸時代中頃、装剣小道具の画題は、古典から現代へと向けられるようになり、長常や正楽などは、明らかに市井の風景を題に得ている。絵師が古典から同時代へと目をむけたのと同じである。
 ところが、とある読者から、この牛引の図は、『十牛図』の一つではないかとのご意見をいただいた。筆者はこの有名な『十牛図』の存在を失念していた。禅の教えの一つで、牛と、それを見る人との関係を、禅を学び取ることに擬えたもので、その一つ『得牛図』がこれに当たるのではないかというものであるが、全く思いが及ばなかった。
 筆者の考えは先に述べた通りであり、金工の視線が古典から次第に同時代に向けられるようになったことの例としてこの鐔を採り上げたのである。
 武士としての安親は、作品の画題には武家の意識を鮮明にする作品を多数遺している。その一方では新たな視点での、古典のそれとは異なる文様化された風景図、コミカルな風景図、自然の一場面を切り取るような図なども遺している。そこで、筆者の認識は間違っていたものであろうか再考してみた。
 同様の図の小柄をご覧いただきたい。作者は銘字から二代安親。初二代と作者は違えど、同様図を描いているところは思考を一にしていると考えるべきであろう。牛引図だが、牛の手綱を引いているのは子供のようである。恐らく引きずられているのであろう、当人にとっては必死の行動だが、眺める側からすればけっこうコミカルである。陰になって描かれていないが引いているのは首に掛けられた綱ではない。おそらく鼻輪に繋がる綱を引く様子であろう。即ちこの小柄の図は十牛図の一ではない。同様に鐔を再度確認すると、綱は捕えようと首に掛けられたものではなく、鼻輪に繋がる手綱に間違いない。すでに飼われている牛を引く農夫の図である。筆者が当初考えていた通りの農村の鄙びた風景へ視線を広げたものと考えられる。
だが、作品を見て、直感的に鄙びた風景と思いを狭めてしまったのは失敗である、すくなくとも、十牛図を引き合いに出し、その上で同時代を描いた作であると説明すべきであった。ついつい思考が狭くなってしまうところである。この件でご教示いただき感謝しております。



牛引図小柄 東雨

 赤銅魚子地に高彫金銀の色絵。漫画のようだと言っていいのであろうか、安親も同様に感じた光景とみる。高彫表面の仕上げの美しさ、ぐっと歯を食いしばった二人の顔つき、表情、総てがいい。