鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

勿来関図小柄 山崎一賀

2010-03-31 | 小柄
勿来関図小柄 山崎一賀



勿来関図小柄 無銘山崎一賀

 江戸時代後期の京都金工山崎一賀の作と極められた華麗な小柄。一賀は後藤風の作行で瀟洒な図柄を得意とした金工。赤銅魚子地を高彫とし、背後に続く山並みは春霞に淡く溶け込むように、さらに遠く霞の掛かる空の果ては素銅地で空気感の違いを印象付けている。馬上の義家を包み込むようにゆったりと咲きかかる桜。赤銅地高彫に銀の花金の蕾で伝統的。裏板も金の削継とした、美しい作品である。


合戦図小柄 無銘

 満開の桜の下での合戦。如何なる場面であろうか、ここに描かれている様子だけでは判断できない。世を分けての戦いか、隣国との領地争いか、いずれにせよ、桜の花には関わりのないこと。桜は毎年のように鮮やかに咲き、散ってゆくだけ。後藤門流の金工の作であろう。赤銅魚子地高彫金銀素銅色絵。

桜花文図鐔 光忠

2010-03-30 | 
桜花文図鐔 光忠

 
桜花文図鐔 無銘 光忠

 かつて紹介したこともあるが、資料的な価値が高いので再度提示する。江戸時代の金工芸術の基礎になったとも考えられる、桃山時代の京都金工、埋忠派の一人、光忠(みつただ)の作と鑑られる桜花文図鐔である。装剣金工における芸術性の開花は、実はこの時代と考えられている。古い例では唐草文や霊鳥や霊獣図を装飾としたものが多くみられ、室町時代の装剣小道具における文様は、このような古様式の流れを受けたものであり、強い創造性や芸術性はない。この鐔も素見しただけでは古様式の流れの中での作とも見られるが、天地左右に切り込みを設けた特異な造り込み、耳際を厚く打ち返し状に仕立てた微妙に抑揚のある平面、殊に桜花を金と銀の繊細な線描としている装飾性の高い文様など、明らかに新時代の到来を感じさせるものがある。その背景には、京都に育まれた織物文化があると筆者は考えている。埋忠派とは埋忠明壽に代表される、桃山時代の金工の流派で、活躍は琳派の美意識の興隆期に当り、後藤やいわゆる古金工、古美濃などの作風とは全く異なる世界観、創造性を抱いていたと考えられる。それが故に埋忠明壽は、刀造りにおいても時代の上がる古様式を捨て去って新しい技術の模索をしている。
 さてこの鐔は、先に述べたように、真鍮地を薄手に、耳際を厚く仕立て、造形は天地左右に切り込みを設けた木瓜形(木瓜形は太刀鐔の一様式だが、ここでは天地左右に切り込みを設けることによって刀を床などに置いた際に転げないよう考慮している。丸い鐔では容易に転げてしまい、咄嗟の場合に探り取れないということにもなりかねない。それ故に、実用鐔としては全く転げない角鐔が重宝されているのである)。真鍮地の表面には黒漆が塗られて自然味のある叢が生じ、これを分けるように金の桜が浮かび上がり、その背後の銀の桜が潜んでいる。素朴な風合いで、手捻りの茶器のような美しさがある。

勿来関図縁頭 竹乗

2010-03-29 | その他
勿来関図縁頭 竹乗

  
勿来関図縁頭 銘 竹乗

 桜と関係のある人物として、まず第一に思い浮かぶのは、平安時代の武将、源氏の武士団としての基礎を固めた八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)であろう。義家が陸奥守として奥州に赴いたおり、勿来の関(なこそのせき)を通過したのが桜の季節。歌枕にも採られているこの地に至った義家の、遠く離れた都を偲ぶ姿が画題として採られているのである。武将として名高いと同時に歌人としても知られているためか、義家は装剣小道具の画題として好まれており、この図も比較的目にする機会が多い。
 朧銀地を磨地に仕上げ、高彫に金銀赤銅の色絵を的確に施し、馬上の義家の振り返る先に、桜の散りかかる勿来の関がある。高彫の表面がなだらかに仕上げられて柔らか味があり、武家の姿を捉えた作品とは言え、振り向いた表情などに京の雅を漂わせている。桜はごくわずかに添え描いているのみだが、印象深く美しい構成である。この縁頭には竹乗の銘があるも、作者については不詳。

物売娘図鐔 川原林秀興

2010-03-28 | 
物売娘図鐔 川原林秀興

 


物売娘図鐔 銘 文龍舎宝斎鐫之

 春の京都の街を歩く物売り娘の姿を描いた鐔。作者は江戸時代後期の京都金工、大月派の中でも殊に技術と感性が優れた川原林秀興(ひでおき)。この鐔では号の文龍舎宝斎と銘している。
 京の街を歩く物売りで、良く知られているのが黒木売りの大原女や、桂川で獲れた鮎を売る桂女。この他にも、現在では忘れられてしまったのであろうが、地域の産物を商っていた物売りがおり、独特の風情を漂わせていたに違いない。このような京の風俗を知る上で大きな手掛かりともなる、貴重な資料でもある。この鐔では、頭上に円形の大きな櫃と茣蓙をのせている。どこか、空き地や道端で茣蓙を広げ、櫃をその前に開いて商っていたのであろう。
 添えられている桜が大きな見どころである。表には桜の気配を漂わせず、対して裏面には桜の花と、これに誘われて舞いきた蝶のみを描いている。あたかも表裏別の場面であるかのように描いているのだが、耳をご覧いただいて分かるように、表から裏へと連続した表現である。洒落ているというか、計算された巧みな構成である。
 大月派が好んで用いた真鍮地を微細な石目地に仕上げ、主題の物売り娘は正確な構成になる高彫に金銀素銅赤銅朧銀の色絵、裏の桜も高彫金銀素銅の色絵、蝶は高彫に金と朧銀の色絵。花蕊の表現に特色がある。細かな部分まで毛彫を加えて花弁や新芽の柔らかな様子、蝶の羽の滑らかな様子を表現している。

桜に富嶽図大小鐔 安壽

2010-03-27 | 
桜に富嶽図大小鐔 安壽



桜に富嶽図大小鐔 銘 安壽(花押)

 鉄地の美しさを活かして、大には桜を、小には富嶽を、流れるような構成で高彫金銀の象嵌で彫り描いた作品。安壽(やすとし)は江戸時代後期の仙台金工。いずれも表は右上から左下に斜に構成している。画面を斜に切る構図は意図したものであろう均衡を崩して美しい。今が盛りの桜花は写実的な高彫。その背後には朧に霞む夕日を金象嵌で描いている。富嶽も同様に老松を近景に高彫で配して雲を金象嵌、雪の残る頂は銀象嵌。桜に色金を用いていないにもかかわらず、桜花が活きいきとしている。我が国の美しさが的確に捉えられた、爽やかな印象の作品である。

花尽図鐔 中川一匠

2010-03-26 | 
花尽図鐔 中川一匠



 
花尽図鐔 銘 東叡麓音なし川の辺韜雲一匠(花押)

 春を彩る植物を、洗練味のある毛彫平象嵌を駆使して描き表わした、壮麗でしかも繊細、軽やかな趣であるにもかかわらず強く目をひきつける作品である。作者は中川一匠。銘に「東叡麓音なし川の辺」とある。先に紹介した二所物にも銘されている音無川とは、源を小金井辺りとする石神井川の下流、桜の名所として知られる飛鳥山辺りの呼称で、かつては瀧に清水落ちて夏涼やかな名所として知られ浮世絵にも遺されており、流れはさらに下って隅田川に至る。一匠はこの辺りに居住したことから、作品に音無川の銘を刻している。
 色合い明るく、しかも表面が微細な石目地とされて、まさに春霞のごとく柔らかな光を反射させる朧銀地が見どころ。これを平滑に仕上げ、桜、白木蓮、牡丹の艶やかな様子を描き、牡丹には蝶を組み合わせて空気の清浄感を高めている。美しい作品である。背後には気の流れ、あるいは霞を意図したものか、金の微細な真砂象嵌を散している。金は鮮やかに、木蓮の銀もまた爽やか、強弱変化のある毛彫を加えて自然味を高め、樹幹には一乗一門が得意とした甲鋤彫(こうすきぼり)の技法を採っている。

桜楓図小柄笄二所 中川一匠

2010-03-25 | 小柄
桜楓図小柄笄二所 中川一匠


 
① 桜楓図小柄笄二所 銘 音なし川辺一匠作

 
② 桜楓図鐔 銘 杉岡一拳(花押)

 後藤一乗一門でも一琴と並ぶ上手が中川一匠(いっしょう:1829~1876)である。一匠は、津山松平家に仕えていた金工中川家の勝継の子で、藩命によって一乗の門人となった。Photo①の小柄笄の二所物は、先に紹介した一秀の小柄と同様に桜に楓の取り合わせの図。銀地に平象嵌と毛彫の手法。平象嵌は色合いの異なる金と素銅で、金の真砂象嵌も加えている。明るい銀の色合いは春の朧なる空気感を想わせて桜を表現する上でも効果的であり、微細な石目地が魅力的。美しさを追究した作品である。一匠の活躍期は幕末から明治初期で、他の金工と同様に新たな金工芸術模索の時代の一人である。
 Photo②は同じ一乗門下の杉岡一拳(いっけん)の鐔。鉄地を高彫とし、春秋の風景画としている。桜と川瀬の取り合わせで、吉野、あるいは吉野の雅よ京に移した嵐山が知られている。楓と川瀬の組み合わせは古歌「千早ふる神代もきかず竜田川、から紅に水くぐるとは」で良く知られているところで、画題としても間々みられる。この鐔は高彫に金銀の象嵌、川は銀、金真砂象嵌を散すことにより、春はほころび始めた草の芽の鮮やかな様子を、秋は吹き寄せられた枯葉の様子表現している。



桜花文金具拵

2010-03-24 | 
桜花金具拵



① 花筏図小柄 銘 磯部一秀(花押)

 
② 桜花図鐔 銘 一琴(花押)

 
③ 花筏図目貫 舟田一琴


④ 桜花文図頭




Photo①は満開の桜樹の下を流れる筏に取材し、その光景を文様ではなく写実味ある空間として表現した作。作者は出羽国庄内の金工で後藤一乗門人舟田一琴に学んだ磯部一秀(いっしゅう:信義同人)。素銅地を高彫とし、背景はさざ波立つ川面、筏は赤銅色絵、ここに桜が散りかかり、宙を舞う花弁は高彫銀色絵、波間に漂うそれは銀の平象嵌。裏板は春の桜に対する紅葉した楓で、春秋図としているのである。このような春と秋を対比で表現する例もあるが、春の風景としての桜と楓を採り合わせた桜楓図とした例もある。Photo②は一秀の師匠に当る舟田一琴(いっきん)の鐔。素銅地に毛彫のみで枝垂桜を簡潔に描き表わしている。一琴は後藤一乗の門人で、正確な高彫も遺しているが、本作のように強弱変化のある毛彫や片切彫、殊に幅広く断面に丸みのある甲鋤彫を得意とした。簡潔だが美しい鐔である。Photo③の花筏を文様化した目貫も舟田一琴の作。素銅地に銀の桜を、散りかかっているかのように添えている。Photo④の縁頭は桜花を文様化した作。横の留め金部分には桜を思わせる透かしを施している。これらはすべて素銅地。そしてこれらの取り合わせとなる拵が以下の写真である。折金部分は鹿図だが、鞘塗も花筏の文様。

花筏図小柄 古後藤

2010-03-23 | 小柄
花筏図小柄 後藤


① 花筏図小柄 無銘古後藤


② 花筏図鐔 銘 正随(花押)


③ 花筏図鐔 銘 長州萩住友久作

 京を彩る桜の名所と言えば、御室、円山などを思い浮かべるが、先の嵐山辺りも装剣小道具に採られている。最も多いのは嵐山に添うように流れ降る大堰川の景観であろう。大堰川は渡月橋辺りの呼称で、下流が桂川、上流域は大井川、嵐山辺りを保津川と呼び分けている。古くから山中で伐採した材木を筏に組んで流し、京都や大坂へと供給した歴史があるも、その筏流しの様子は風物として愛され、殊に桜の季節には散り掛かる桜花と共に鑑賞の対象とされたという。この雅な景色は後に文様化され、筏に桜花を添えた『花筏(はないかだ)』と呼ばれる雅な模様として完成する。
 Photo①は、初、二、三代の頃の後藤家の作と極められた、武家の持ち物らしい格式が感じられる豪壮で美しい小柄。赤銅魚子地を高彫とし、桜花に金の色絵を施して配色鮮やかな空間を創出している。着物などにもみられるように、筏と花の大きさは現実とは異なって文様美が極められている。何とも優雅である。時代は室町後期。この頃には既に花筏の文様は完成されていたのである。
 Photo②と③はいずれも同じ趣を題に得た鐔。赤銅地を丸形と木瓜形の違いはあるも高彫にし、背景を透かしさって主題を鮮明にし、筏と桜花を巧みに組み合わせ、要所に金の色絵を施している。②の正随(せいずい)は武州伊藤派に学んだ江戸時代後期の工であろうと推測される。③の友久(ともひさ)は江戸時代後期の長州鐔工の一人。いずれも武州伊藤派の影響を受けている。伊藤派は植物を題に得て正確な構成を専らとしている。

霞桜図鐔 京金工

2010-03-22 | 
霞桜図鐔 京金工

  
霞桜図鐔 無銘京金工

 京都金工らしい、洗練味のある意匠構成が魅力の鐔。朧銀地を石目地に仕上げ、満開の桜花をまさにこぼれるように配し、その前後に春霞のたなびく様子を真砂象嵌と呼ばれる微細な金を蒔絵のように散す手法で描き添えている。表の下に川の流れを簡潔に描いて大堰川を暗示させるとすれば、春真っ盛りの嵐山を表現したものと考えられよう。殊に桜の色使いが優れている。高彫に金の色絵だけでなく、『墨染の桜』や『淡墨桜』を意図したとは思えぬが、赤銅による真っ黒な桜花を交えており、これによって美しさが際立っている。

桜花文透図鐔 甲冑師

2010-03-21 | 
桜花文透図鐔 甲冑師

 
桜花文小透図鐔 無銘甲冑師

 甲冑師鐔の例をもう一つ紹介する。鐔全面に桜花を散した華やかな風情の作である。鐔の造形は八重の桜を想わせる八つ木瓜形に仕立て、鉄肌に鍛えた際の鎚の痕跡を強く残してこれを景色とし、陰の桜を美しく配している。透かしの構成線は部分的に細くなって、実用を意図した鐔ながら繊細な趣が充満。桜の花房がたくさん存在するが故に一層繊細さが際立つのであろう。強さの中に美しさがある。特異な作風から桃山頃の作と推測される。指先に伝わり来る鉄肌の質感、手触りも良いが、眺めているだけでも浮き浮きしてくる作品である。

桜花文透図鐔 刀匠・甲冑師

2010-03-20 | 
桜花に松皮菱透図鐔 刀匠


① 桜花に松皮菱透図鐔 無銘刀匠

 
②桜花文透図鐔 無銘甲冑師

 時代の上がる鐔の装飾は、Photo①の例のように極めて簡素である、この小穴は、腕抜緒(うでぬきお)と呼ばれる紐を通すためのもので、本来は装飾性が求められる要素ではないのだが、洒落者が単調な小穴に独創的で簡潔な装飾を施し、後に流行に至ったのであろう、桜花の他にも、梅花、酢漿草(かたばみ)などなど似た小透かしがある。鉄地を平滑にし、単純に小穴を穿っただけの作である。刀匠鐔(とうしょうつば)の起こりは、古い時代に、刀匠が自らの作刀に合わせて製作したことによるという。
 Photo②も同様に鉄地に簡潔な桜花の小透かしを設けた鐔。耳を一段高く仕立てており、この技法が甲冑金具に通ずるところがあるため、甲冑師鐔(かっちゅうしつば)と呼び分けている。ただし、刀匠鐔と称しても刀匠が、あるいは甲冑師と呼ばれる鐔を必ずしも甲冑師が製作したとは断定できない。
 鉄鐔の場合、彫刻の技術より、鉄肌そのものを楽しむ風があり、これが金工作品との大きな違いである。しかも掌中で撫でることによって鉄の風情を直接楽しむことが出来るところに古鉄鐔の魅力がある。一般に金工物は、手で触れると、微量の酸や塩気など汚れによって変色することがある。

桜に雉子図小柄(『花鳥十二ヶ月揃小柄』より)  堀江興成

2010-03-19 | 小柄
桜に雉子図小柄(『花鳥十二ヶ月揃小柄』より)  堀江興成




桜に雉子図小柄 銘 堀江興成(花押)

 阿波蜂須賀家に仕えた江戸時代中後期の堀江興成(おきなり)作の花鳥十二ヶ月揃小柄は、『新古今和歌集』の撰者として知られる藤原定家(ふじわらのていか)自選全歌集『拾遺愚草』の中巻に収められている『詠花鳥和歌各十二首』を題として金工作品化したもの。この花鳥十二ヶ月を題に得た絵画類は世に多数あり、いずれも平安王朝美への強い憧れ、雅なる空間の再現が成されている。その中の三月、桜に雉を描いた小柄である。

 かざしをる道行人のたもとまで 桜に匂うきさらぎの空
  かり人のかすみにたどる春の日を つまどふ雉のこゑにたつらん

 描かれている図の、定家の本歌である。春の訪れは誰もが待ち望んでいる。匂い起つ桜。求愛のディスプレイをする雉子。我が国の自然の美しさが、たとえ現実の風景を知らなくとも脳裏に浮かびくる場面。移ろいが顕著で、しかも美しい我が国の四季は、琳派の絵師が好んで採った題材である。
 赤銅魚子地を高彫とし、金銀の色絵を施す表現は後藤家に倣ったものだが、より華麗な世界を再現するべく、江戸時代後期の諸金工は感性を高めると共に、古典の美意識をも大切にしていた。
 写真の揃小柄は、現在は徳島市立徳島城博物館が所蔵している。特別展などで公開された際には、ご覧になることをお薦めする。

桜に雪華図鐔 壽矩

2010-03-18 | 
桜に雪華図鐔 壽矩

 
桜に雪華図鐔 銘 壽矩(花押)

 桜の花が春の到来を確かなものとすると思いきや、時に桜花に雪が降りかかることもある。農家にとっては思いもよらぬ天候異変の類だが、江戸時代にはこれも風流と楽しまれたことであろう。抑揚変化を付けた地面を雪雲に見立て、雲間に桜花を覗かせ、木々に花を咲かせた雪の結晶を散し添え、裏面には雲間に朧な三日月を描いている。洒落た空間構成の作品である。
 鉄地を専ら用い、耳の造形線に変化をつけて時に二重三重構造とし、地面は古画の紙面を思わせる肌合いに仕上げ、ここに特異な構成になる風景を描く。東龍斎清壽を祖とする一門の特徴的な表現方法である。この鐔の作者宮下壽矩(としのり)は天保元(1830)年、江戸芝の生まれ。東龍斎清壽に学んでその特質をより強めて美しい作品を生み出したが、時は幕末、三十九歳にて明治を迎え、他の金工と同様に装剣金工だけでなく様々な金具を製作せざるを得なかった。江戸好みの作風から人気を得た一人でもある。東龍斎派は、多くの金工流派の中でも、特に幕末期に流行した。
 この鐔の魅力は、簡潔な表現ながら実に計算の行き届いた、構成力のある点。鐔の造形は下ぶくれの泥障形で、団扇形の地文散し絵の一枚を見るように動きがある。変化に富んだ地造りも美しく、雲の流れとその隙間に景色を見る点、小窓を通して眺める構成もこの派の特徴。銀象嵌による月の表現は、銀の滲みを活用しており、これも美しい。

幔幕に桜図小柄 氏忠(加賀象嵌)

2010-03-17 | 小柄
幔幕に桜図小柄 氏忠(加賀象嵌)



幔幕に桜図小柄 銘 加州住金子氏忠作

 加賀金工独特の平象嵌による表現は、過去に数点紹介している。繊細な線を極細の平象嵌で描き表わす手法であり、この線の集合に多彩な色金の平面構成が加わると驚異の世界となる。
 この小柄は、赤銅地を石目地に仕上げ、爛漫の桜と、これを目当ての宴の幔幕を組み合わせて華麗な平面を創出している作。赤銅地は青味のある光沢を呈し、石目地処理によって朧に霞む春の空気感が示されている。陰陽の描写によって網目のように表現された桜の枝花、そして蕾。花蕊はより繊細な線描写であり(小柄の幅が15ミリ弱であることから金線の幅が想像できよう)、美しいと感動すると同時に技術の確かさに驚く。幔幕も陰陽の表現であり、これに施された毛彫も、より一層技術の高さを感じさせる。
 金子氏忠(うじただ)については詳らかではないが、加賀国に金子姓の金工がおり、また氏某と銘を切る工がある。一般的に、加賀金工には銘が刻された例が少ないことから、他にもあまり良く知られていないながらも上手の工が存在したと考えられる。氏忠もそのような一人。