鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

刀匠鍔 Tsuba

2011-07-02 | 鐔の歴史
刀匠鍔 (鍔の歴史)

 刀匠鐔と甲冑師鐔という分け方も、刀匠が製作した鐔あるいは甲冑師が製作した鐔というように、考えられがちだが、この点も実は、作者についてはわからない。この区別と呼称は明治時代以降のものである。ただし、少ない例だが、刀に生ぶの状態で装着された鉄の板鐔やハバキがあるそうで、これが刀匠の作と推測されている。
 甲冑師鐔については、耳の造り込みが桶底式であったり環耳であったりと構造的であることから、筋兜など甲冑金具の製作に通じた職人の手になるものとの判断が為されているようだ。また、車透のように、透かしを多用するのも甲冑師で、この点が技術的に刀匠より上と考えているようだ。
 単なる板鐔で耳の立たない甲冑師鐔もある。刀匠鐔とは似ているのだが、刀匠鐔については、切羽台に比して耳際の厚さがやや薄手になる傾向がある点、甲冑師鐔はほぼ一定している点を極め所としている。
 鉄味は、保存状態に左右されるので、なんともいえない。この保存状態から、時代の下がる鐔が一時代上がって判断されたり、逆に綺麗過ぎることから時代を下げて鑑られることもある。即ち、最初に述べたように、見ることによって受ける感覚的なところで判断せざるを得ないのである。
 鐔に含まれている元素を分析すれば、ある程度の時代範囲で判明するが、世の中にある多くの作例を分析する手立てがないのも現実。「分からないところは分からない」が正しい判断と言えよう。


茸透図鐔 古刀匠

「くくりざる」とも言われているが、何を意匠したものか不明。古い鐔には間々みられる図である。鐔の表面には鎚の痕跡が地衣類のように残り、その風合いは、まさに鍛鉄の表面。やはりこの透かしの意匠がいい。80.2ミリ。

刀匠鍔 Tsuba

2011-07-01 | 鐔の歴史
刀匠鍔・甲冑師鍔 (鍔の歴史)

 鉄地を丸い板状に仕立て、茎櫃を設けるほか、小透と呼ばれる文様化された透かしを施しただけ、あるいは全く装飾の加えられていない鐔がある。刀匠鐔、及び甲冑師鐔と呼ばれているもので、実戦の時代およびその影響の残る桃山時代以前の作を、それぞれ古刀匠鐔、古甲冑師鐔と呼び分けている。
 研究家はこれらの時代の判断に苦しんでいる。時代の上がる鐔は、薄手、大振り、地鉄鍛えに強みがあるという特徴、即ち、「古く見える」という視覚による判断によって時代判断をしている。その古く見えるという基準だが、研究家個人の感覚によるところが大きい。この点は、刀匠鐔や甲冑師鐔に限らず、在銘作がないという、各流派の初期の作品群についても言えることである。
 だが、鐔が刀身を保持する際のバランスに重要な役割があるとするなら、規格化されたようにすべて大振りに造り込むはずがない。命を預ける刀に規格化された鐔を装着して扱い難くするものであろうか。即ち、厚手の鐔、小振りの鐔があって然り。実際に、古く見え時代が上がると推考される刀匠鐔で、脇差ほどの小振りの作例がある。
 先に紹介した太刀拵の鐔と打刀拵の鐔という分け方もある。太刀には70~80ミリほどの太刀鐔しか装着しなかったのであろうか。装飾のない泥障形鐔や、練革鐔も結構簡素な構造で、古いと言われている甲冑師鐔ほど大きくはない。
 かつて『足利尊氏図』と言われていた馬上の武者図がある。南北朝時代の武士の戦闘の姿を現す好資料とみられているのだが、その鐔が大振りで、車透が施されている。現在でいうところの古甲冑師鐔の類ではないかと考えられている。先に紹介した上杉家伝来の打刀拵に装着されている簡素な菊花透鐔と同趣の鐔である。ただし、こうした絵画資料は、誇張されている可能性がある。
 薙刀に装着されていた大振りの鐔もある。総ての薙刀や長巻が鐔を装着していたとはいえないので、このような例もあると考えたい。むしろ、馬の足を薙ぎ払うための武器であれば、大きな鐔があっては扱い難いと思うがいかがであろうか。薙刀の鯉口の形は刀に比して丸みがあることから、薙刀に装着されていた鐔は違いが分かると思う。
とにかく、記録がない、銘がないので真実は分からないということ。幾つか作例を紹介する。

刀匠鐔 


鉄地丸形無文。茎櫃横の小穴は、鐔止めの穴で、後のもの。100.4ミリ。

葵木瓜形鍔 Tsuba

2011-06-30 | 鐔の歴史
葵木瓜形鍔 (鍔の歴史)


葵木瓜形鐔 銘 武州住赤坂忠則

 鉄地高彫の鐔。糸巻太刀の鐔と全く同じ意匠だが、大切羽が本来の大切羽ではなく高彫で表現されている。銘の方向と小柄笄の櫃穴の存在から、打刀拵に装着することを目的に製作されたものと考えて良い。もちろん太刀拵にも装着された可能性はある。赤坂忠則は、江戸時代後期の工で、赤坂一門独特の透かし鐔を製作すると共に、独創的な分野にも視野を広げている。83.7ミリ。

葵木瓜形鍔 Tsuba

2011-06-29 | 鐔の歴史
葵木瓜形鍔 (鍔の歴史)



葵木瓜形鐔

 江戸時代に糸巻太刀拵に装着された鐔。本体は四方に猪目透を設けた葵木瓜形で、厚く仕立てた耳は金色絵覆輪、大切羽と呼ばれる葵木瓜形に剣形を意匠した赤銅金具を表裏に装着し、更に金、赤銅、金というように三枚の切羽を表裏に装着する。これによって切羽を含めた鐔
の厚さが大きくなり、太刀の目釘穴の位置は刀に比較して1センチほど下に位置することになる。
 糸巻太刀拵とは江戸時代に流行した拵洋式の一つ。恩賞品、献上品、贈答品などに用いられたようだ。収められている刀身は、古作だけでなく、江戸時代の刀も用いられている。江戸時代の刀で、目釘穴が1センチほどの間隔で二つ穿たれている作は、糸巻太刀拵などに入れられた可能性がある。



葵木瓜形鐔

前作の赤銅地に金色絵を多用したものと違い、赤銅地に控えめに家紋のみを金色絵で表わしている。鞘はいずれも金梨子地塗りで華やか。

葵木瓜形鍔 Tsuba

2011-06-28 | 鐔の歴史
葵木瓜形鍔 (鐔の歴史)



葵木瓜形鐔

 江戸時代の毛抜太刀拵に装着されている、優れた意匠の葵木瓜形の鐔。葵木瓜形とは葵の葉を四方に組み合わせたような木瓜形のこと。この鐔は、総体が金色絵で華やかでありながらも重厚感がある。古様式になる厚手の耳の仕立てで、薄い地には掛け外しが可能な大切羽が備わっている。文様は唐草文の毛彫。大切羽には四方剣形と猪目が透かされている。
 本来の毛抜太刀は、柄に毛抜形の透かしが施されている。毛抜形目貫を添えるのは後代のもので、正確には毛抜太刀と言うべきではないだろう。

牡丹獅子図鍔 Tsuba

2011-06-27 | 鐔の歴史
牡丹獅子図鍔  (鍔の歴史)


牡丹獅子図鐔 無銘 美濃後藤

 豪壮華麗な太刀鐔風の鐔。打刀拵の鐔として製作されたものだが、明らかに古典的な太刀の意匠を採り入れている。後藤家では伝統の目貫、小柄、笄の三所を専らとしているが、江戸時代には鐔の製作も手がけており、多くは無銘。本作のように後藤の獅子を、やはり古典的な牡丹との組み合わせで描いている。伝統を重んずる後藤本家としては、決して製作しなかったとは思われないが、この趣の鐔は遺さなかったのであろう。
 赤銅魚子地に、美濃彫を想わせる彫り込み深く主題の際が切り立つような高彫とし、金の色絵手法。耳際には粗い魚子を打ち、耳にも櫃を切って牡丹文を配している。拵に装着しては、頗る華やか、しかも後藤の伝統が覗い見えて重厚感に満ちている。73ミリ。□

唐草文図鍔 Tsuba

2011-06-25 | 鐔の歴史
唐草文図鍔 (鍔の歴史)


唐草文図鐔 無銘 平戸

 先に紹介した肥前平戸國重の、無銘鐔と鑑定されている作。確かに造り込みは良く似ている。これも太刀鐔を打刀の鐔として意匠したもの。小柄笄の櫃穴が左右同じような州浜形とされていることから、図柄に表裏の差異がない鐔で、時代も上がるような意匠とされたものであろう。簡素な仕立てに、唐草文が活きている。五ツ木瓜形も変った意匠であり、肉厚に仕立てられた耳の構造にも注意されたい。古い太刀鐔を手本としたことがわかる。75.5ミリ。

波龍図鍔 Tsuba

2011-06-24 | 鐔の歴史
波龍図鍔  (鍔の歴史)


波龍図鐔 銘 平戸國重

 太刀鐔のデザインを打刀拵の鐔として使用した例。江戸時代を通して、このような太刀鐔に見紛う作例は多い。構造は兵庫鎖太刀の鐔と似ているが、小柄笄の櫃穴が設けられ、しかも天地と表裏が厳然として想定されており、明らかに江戸時代のもの。作者の國重(くにしげ)は、肥前国平戸の金工で、南蛮文化の影響を受け、南蛮の趣のある鐔も製作している。72ミリ。

雪華文透図鐔 Tsduba

2011-06-23 | 鐔の歴史
雪華文透図鐔 (鍔の歴史)


雪華文透図鐔 古金工

 太刀にも打刀にも使用したであろう鐔。かつて紹介したことのある鐔だが、この存在感が興味深いので紹介する。
 六ツ木瓜形の六方に猪目を配し、地面には毛彫で唐草文を廻らしている。素材は山銅あるいは真鍮、古拙な魚子地とし、恐らく別彫りした雪華の透かし文を嵌め込んでいる。文様の方向性に天地が想定されていないことから、太刀にも打刀にも使用可能な鐔として製作されたもの。大きく桃山頃と捉えたが、戦国時代を含めてのもので、室町時代末期の可能性もある。85ミリ。□

太刀鐔 Tsuba

2011-06-22 | 鐔の歴史
太刀鐔 (鍔の歴史)


太刀鐔 写し

 鎌倉時代を想定し、現代金工によって製作された兵庫鎖太刀の写しである。鞘の装飾は金の下地に銀を用いて文様が映えるよう構成された華やかな作ながら、鐔は文様のない質素な風合い。銀地泥障形(あおりがた)で磨地仕上げ。大切羽を菊花形に仕立てて鐔の装飾としている。この種の鐔は比較的装飾性に乏しい。
 泥障とは鞍の下に装着する馬具の一つ。鐔がこの形状に似ていることからの呼称。太刀鐔においては、上部がやや広く、下部が狭い偏った角丸形と考えれば良い。江戸時代に打刀拵の鐔としても泥障形は流行している。打刀拵の場合には、逆に、上部がわずかに幅の狭い偏角丸形となる。

練革鐔 Tsuba

2011-06-21 | 鐔の歴史
練革鐔 (鐔の歴史)


練革鐔(太刀鐔)

 幕末頃に、鎌倉時代を想定して製作した太刀拵。黒造と呼ばれ、総体を黒漆塗りとし、鐔は練革製であるところに特徴がある。これも刀を保持する際のバランスを考慮したものと考えられ、鞘の仕立ても革包み。革包太刀とも呼ばれている。この作では、練革鐔に放射状の鑢を施した大切羽を装着している。
 練革鐔とは、叩いて平滑に柔らかくした牛革などを複数枚漆で貼り合わせた下地で、表面は黒漆仕上げとされたものが多い。軽くしかも堅牢であり、全体を革包とした太刀拵などに装着される。鬼丸國綱の呼称で知られる太刀拵がこの造り込み。

唐草文図鐔 太刀師 Tsuba

2011-06-20 | 鐔の歴史
唐草文図鐔 (鐔の歴史)


唐草文図鐔 太刀師

 室町時代から桃山頃の作であろう、赤銅地の柏文鐔と同様に太刀鐔の造形を打刀の鐔に転じたもの。同趣の鐔で室町時代の太刀鐔と極められた作もあるが、このような文様の配置から考えると、太刀鐔ではなく、打刀に用いられるべく製作されたものであることがわかる。明らかに太刀様式を残しているものであり、時代は、大きく眺めてのもの。山銅地の耳を局厚に仕立て、地は薄手、地と耳に薄肉彫で唐草文を彫り出している。74.8ミリ。

唐草文に桐紋図太刀鐔 Tsuba

2011-06-18 | 鐔の歴史
唐草文に桐紋図太刀鐔  (鐔の歴史)




唐草文に桐紋図太刀鐔 室町時代

 小太刀の拵に装着されている鐔、山銅地を薄手に仕立て、鐔の厚さが八ミリほどの中空の造り込みのため、外観は小振りでがっしりとした感があるのだが、殊のほか軽い。総体のバランスを考慮したものであろう。深い切り込みの木瓜形に四方猪目を透かしている。浅い毛彫で五三桐紋と唐草文を配し、金色絵として華麗。高級武将の所持という感じはなく、むしろ戦場で扱い易い寸法であることから、中あるいは上級武将の太刀の添え差しのような形で実用とされた小太刀であったと考えられる。総金具も同様の簡素な造り込みであり、高級品ではないにもかかわらず、状態良く遺されている。この拵に収められた刀剣類は何であろうか。もちろんこの時代に大小の小という脇差は存在しない。腰刀から脇差へ、あるいは小太刀から脇差へと変遷してゆく過程の武具であると言えよう。大変に貴重な資料である。□

柏葉文図鐔 Tsuba

2011-06-17 | 鐔の歴史
柏葉文図鐔  (鐔の歴史)


柏葉文図鐔 桃山時代

 上質の赤銅地を肉厚い地造りとし、深彫で地と耳に柏文を高彫している。天地を逆にして眺めると、太刀鐔の様式であることは理解できるのだが、櫃穴が存在し、明らかに打刀を想定したもの。即ち、太刀鐔の意匠を打刀拵に採りいれたもの。後に太刀鐔を意匠した打刀の鐔をいくつか紹介するが、その比較的初期のもので、基本構造は太刀鐔と言える作である。描かれている葉の構成も打刀を想定している。78ミリ。

枝菊文図太刀鐔 Tsuba

2011-06-16 | 鐔の歴史
枝菊文図太刀鐔  (鐔の歴史)


枝菊文図太刀鐔 室町時代

 過去に紹介したことがある。泥障木瓜形でずんぐりとした猪目が四方に配されている。耳は極厚で、耳にも菊文が高彫されている。大切羽にも同じ文様が高彫され、小さな猪目も組み合わされている。太刀拵そのものは残されていないが、おそらく総体が枝菊文で装われた、豪壮な趣が充満したものであったと推測される。この菊文で興味深いのは、古金工に間々見られるような菊の表現ながら、その所々に十六葉の菊紋が散らし配されている点。如何なる意味があるのであろうか。櫃穴が後に明けられ、赤銅で埋められた痕跡があるところから、江戸時代には打刀拵に装着されたことが判る。このような使用はごく普通のことであると理解されたい。縦82ミリ。