鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

鉄線図鐔 古美濃

2010-01-28 | 
鉄線図鐔 古美濃



① 鉄線図鐔 無銘古美濃




② 三猿図小柄 無銘古美濃

 Photo①のような古美濃と呼ばれている時代の上がる美濃彫の特徴の一つに、極端な高彫、あるいは深彫があるのだが、鐔のように表面からのみ鑑賞が可能な作について、その様子を写真で紹介することは少々難しい。耳側から観察すれば、高彫されている文様の側面、即ち彫りの際の様子が分かるのだが、耳があるために紹介し難い。そこで、分かり易いPhoto②の三猿図古美濃の小柄を紹介する。特にこの小柄の側面からの高彫の様子を観察してほしい。一般的に美濃彫の小柄や笄は、地を一段深く鋤き下げたその下の面に文様を高彫表現していることは、これまでの作例で良く理解できると思うが、この小柄は、額状に残された小縁部分がさほど高くないために、高彫の際が良く観察できるのである。高彫の上面はほぼ一定の高さで、彫り際を削ぐようにして文様を際立たせていることも分かる。即ち、逆三角形に文様の下の方が狭く仕立てられているのである。このような視点でPhoto①の鐔を観察すると、図柄が魚子地にくっきりと浮かび上がって見える理由が分かる。古美濃様式の彫刻表現の基礎にある甲冑類の高彫にみられるような、あるいは目貫にみられる抜け穴のような、図柄を鮮明にする意味合いがあったと推測される。この鐔は、秋草というより日当たりの良い夏の野に這う鉄線を題に得たもので、花には金色絵が施されている。唐草状に構成された蔓の様子が美しい。

秋草に兎図目貫 古美濃

2010-01-26 | 目貫
菊花図縁 古金工・秋草に兎図目貫 古美濃



① 菊花図縁 古金工


② 秋草に兎図目貫 古美濃

 もう一つ、時代の上がる無名金工の作品を紹介する。Photo①は室町時代後期あるいは戦国時代と推測される菊花図縁で、造り込みは、古金工や古美濃の目貫で紹介したような薄手の打ち出し高彫として、表面に鏨を加えて文様を際立たせているが、図柄は美濃様式の極端な高彫と深彫を組み合わせたものではなく、古金工に分類されるような薄肉の仕立て。打ち出した鏨の痕跡が分かるように撮影したので、裏行も確認してほしい。言うなれば目貫の裏面を見るような風合い。
 Photo②は古美濃極めの秋草に兎図目貫。山銅(やまがね)地をふっくらと肉高く打ち出し、表からは打ち込みを鋭く立体的な文様とし、主題の際を打ち貫いて文様を際立たせている。表面に施されている金の色絵は、使用により擦れて剥がれ、切り込んだ鏨の中に残る状態だが、むしろこの風合いが好まれ、江戸時代には江戸埋忠(えどうめただ)派などの金工が、色絵作品の表面を擦って古風な味わいとする擦り剥がし(すりへがし)の技法を用いたほどである。

秋草図目貫 古美濃

2010-01-22 | 目貫
秋草図目貫 古美濃・古金工




① 秋草図目貫 古美濃




② 秋草図目貫 古美濃




③ 丁子図目貫 古金工




④ 秋草図目貫 美濃



⑤ 鹿図目貫 無銘大月


 作品には必ず裏側がある。柄に巻き込まれた目貫の裏側を確認することはできないが、柄から外されて作品そのものが鑑賞の対象とされているものでは、目貫の裏側も重要な鑑賞ポイントとなる。
 Photo①②は古美濃、Photo③は古金工、Photo④は美濃と極められている作例である。比較するため、Photo⑤として、秋草図ではないが江戸時代後期の大月派の鹿図目貫を例示する。古美濃あるいは古金工と極められた目貫の端や抜け穴部分の切り口を確認すると、極めて薄く仕立てられていることが分かる。また、際端(目貫の端の立ち上がり部分)は、いずれも内側に圧し返したように仕立てられ、外部からの確認ではふっくらと量感あるように感じられる。その違いは、④の江戸前期の美濃極めの目貫や⑤の江戸後期の大月派の目貫を比較すると良く理解できる。特に大月派の目貫は肉厚く仕立てられている。これが、時代の上がる目貫と鎌倉時代や南北朝時代の鎧に装着されている飾金具が似ている点である。この技法は、裏面から打ち出して表面に量感を持たせ、表面の所々に打ち込みを加えて立体感のある図柄を作り出し、抜け穴も表から打ち抜くように仕上げている。裏側に残されている鎚の痕跡や抜け穴の切り口も鑑賞したい。

秋草図鐔 古金工

2010-01-21 | 
秋草図鐔 古金工 ・枝菊図鐔 太刀師

 
① 秋草図鐔 無銘古金工

 
② 枝菊図鐔 無銘太刀師

 Photo①は室町時代の古金工の製作になる秋草図鐔。赤銅魚子地を竪丸形に造り込み、耳は金の色絵で覆輪のように仕上げ、図柄は秋の野の様子を写したかのような構成とし、裏には唐草文との組み合わせになる秋草を彫り描いている。表の写実風と裏の文様風は、いわば対極にある表現。立体感を考慮せずにほぼ同じ高さに仕上げ、彫り際に適度に肉を付けることによって立体感と量感を感じさせる手法。主題は菊花で、撫子、桔梗、薄を組み合わせている。色絵は金、銀、素銅。この鐔の魅力は全体を包み込む素朴な香り、鄙びた土の香りと言ってはおかしいだろうか。表には全くと言って良いほど貴族的な風合いが感じられないのだが、裏の文様を見ると、唐草の様式が強く示されていて貴族的な風趣が窺いとれよう。耳には垣根を意匠したものであろうか、篭目状に意匠されている。
 Photo②は室町時代の太刀師(たちし)の鐔。太刀師も言うなれば古金工に含められる存在であり、作者というより、太刀様式の金具を専らとした太刀師の作として分類しているのである。古風な色合いの赤銅地を木瓜形土手耳に仕立て、四方に猪目を切り施し、大切羽を組み合わせている。図柄は葉を茂らせ咲き誇るといった風情の枝菊。菊は、銘酒菊水の呼称でも知られるように、神仙の説話では名水と関わり長寿の薬と考えられている。端午の節句に飾られた薬玉は菖蒲湯と共に薬として良く知られているが、同様に重陽の節句では秋の菊花など薬用植物が茱萸袋(ぐみぶくろ)として飾られたことを知る人は少ない。菊花が文様の題材として良く採られる理由は、このように確かにあるのである。写真の太刀鐔の彫刻は、いわゆる古金工に分類される手法で、図柄部分の高さは比較的抑えられているものの微妙な量感の中に立体感があり、鏨の切り込み手法に力があって図に活かされており、この鐔では特に勢いが感じられる。背景は魚子地。四方に施された猪目(いのめ=ハート形の文様)、備えられた大切羽部分にも小さな猪目がある。

秋草図目貫・小柄 古美濃・古金工

2010-01-20 | 小柄
秋草図目貫・小柄 古美濃・古金工   

  


①秋草(撫子)文図目貫 古美濃


②秋草(撫子)文図目貫 古金工



③秋草図小柄 古美濃


 秋草図の目貫をご覧いただきたい。美濃彫様式、及び古金工に分類されながらも美濃彫様式に近い作風の金工の歴史は、平安時代の飾剣、あるいは春日大社所蔵の梅枝鶯蝶金具赤糸縅鎧(鎌倉時代)や櫛引八幡宮(青森県)所蔵の籬金具赤糸縅鎧(鎌倉時代)に付されている飾金具、少し時代が降って南北朝時代の大鎧に装着されている笄金物のような、薄手の地板をふっくらと打ち出す技法による、高彫に複雑な透かしが組み合わされた金具に始まると考えられる。
 ここに紹介するの目貫の意匠の基礎にあるのは唐草文で、撫子を唐草文に仕立てている。Photo①は古美濃の様式が鮮明である一方、Photo②については彫際がいくぶんなだらかであり、美濃様式の直立したような風合いが薄い。ここから古金工と判断されているようである。
 いずれも、曲線を活かしたゆったりと蔓葉を伸ばす構成で、蔓先の渦巻きが繊細にして優雅。このような唐草文はペルシャ辺りを起源とすると考えられているが、同趣の渦巻き文は世界各地に独自の意識の下で生まれていると考えられる。その背後には自然生命の永遠の成長の様子が窺え、生き物としての人間の願いが感じられるのである。それにしても唐草文の魅力は計り知れないほどに大きく広い。①の美濃彫様式の作は葉の先も伸びやかで、花の様子もきりっと立っている感がある。打ち出しと打ち込みの彫口が鋭く際立っているのが写真でも分かると思う。これに比して②の作は、総体に丸みがあり穏やかな感がある。葉先、花の様子、総体の造り込みにも丸みが感じられる。表面に加えられた毛彫にも優しさが感じられる。
 Photo③は時代の上がる美濃彫様式の小柄を補修した作。図柄は菊、撫子、葛を唐草風の構成したもの。彫口はまさに①に似て文様部分の肉が高く、量感があり、加えられた鏨の様子も鋭く、主題が際立たっている。モアレが生じて背後の魚子地が不鮮明だが、文様の背後には金の魚子地が打ち蒔かれている。拡大写真をご覧いただきたい。この、すっと立ち上がる様子が時代の上がる美濃彫の特徴である。

秋草図鐔 古美濃・古金工

2010-01-19 | 
秋草図鐔 古美濃・古金工              



① 金家の鐔 部分

 
② 秋草図鐔 古美濃

 
③ 撫子図鐔 無銘古金工


写真掲示の手違いをしてしまいました 古金工とキャプションしたが美濃の秋草図鐔
訂正してお詫びします

 秋の七草は春の七草と違って食することができない。春の風物でもある七草粥には、神話時代や中国における神仙の思想の背景にある自然を大切にする意識、即ち植物の薬効を尊ぶという意味がある。浅い光の中で芽吹いた草花が示す可憐な風情は、秋草の繁茂する風合いとは自ずと美観が異なる。その通りで、秋草とは夏から連続する繁茂の季節感、作物で言うなら豊穣を意味する植物の姿である。装剣小道具に採られている春の植物といえば、牡丹、春蘭、桜、藤ぐらいしか思い浮かばないのだが、秋のそれは、朝顔、夕顔、撫子、竜胆、萩、女郎花、桔梗、葛、吾亦紅、菊、薄(すすき)などなど数え切れない。
 秋という季節や言葉には、我が国の古典文学『伊勢物語』における『武蔵野』が思い浮かぶように、繁茂した薄と野菊に象徴される風景感がある。枯れてゆく様子を描いた風景図には、冬の向こうに新たな春の到来があるという、輪廻の意識がもちろんあるのだが、景色としては寂色に包まれて美しくもある。
 金家の鐔に薄のような草が毛彫の手法で描かれている作品があることは、これまでの写真をご覧いただいてわかると思う。極めて簡素な筋で茂った葉を描いているだけなのだが、足元に広がる薄原の様子が思い浮かぶのである(Photo①)。
 このような秋草を題に得た作品で、まず採り上げねばならないのが美濃彫様式の金具類。また、それらと同時代と推測され、彫口が微妙に異なることから単に古金工として分類されている作品にも目を向けたい。Photo②が美濃彫様式の鐔、Photo③が古金工として分類されている作。いずれも赤銅魚子地だが、古美濃の作風は、古金工に比して極端な深彫であることが容易に理解できよう。色絵(金銀の着色)の有無は別として、彫口の違いが、美濃様式とそれ以外の古金工というように分類の決め手とされていると捉えれば分かり易い。
 ただし、この分類方法は金工の流派や個人を特定するものではなく、表現技法による分類である点に注意したい。即ち、極端に言えば、同じ金工が、時には美濃彫様式で製作し、別の機会には肉の低い高彫表現をした可能性も否定できないのである。
 構成は文様ながら絵画的ではなく、また、唐草文のような方向性を無視したものではなく、植物の伸びる天地を明確にしている。
(鐔面が微細な点の連続であるため、パソコンなどのモニターによってはモアレが生じて画像が不鮮明な場合もあります、ご容赦下さい)

寒山指月図鐔 山城國伏見住金家

2010-01-14 | 
寒山指月図鐔 山城國伏見住金家               


 
寒山指月図鐔 銘 山城國伏見住金家
 過去に、海野勝作の寒山拾得図鐔を紹介したが、同じ題意を探り、月を指し示す寒山の姿のみを捉え、拾得を留守模様とした、桃山時代の名工金家(かねいえ)の鐔。
 鉄地を二ツ木瓜形に造り込み、耳を打ち返して抑揚変化を付け、個性的な高彫と鉄地高彫象嵌、金銀象嵌、特徴的な毛彫の手法を組み合わせた技法。過去に紹介した金家の作品と同様に地面に施された鎚の痕跡が最大の魅力。この地相は、時には気の動きを感じさせ、時には古紙のようにも見え、指先に触れてのみ知ることのできる乾いた質感とは別世界。裏面は、金家の作品に特徴的な、同時代の京都近郊の風景を採ったもの。桂川であろうか、遠く山陰に堂塔がみえ、釣り糸を垂れる漁師の姿が印象的である。

芦雁図鐔 山城國伏見住金家

2010-01-13 | 
芦雁図鐔 山城國伏見住金家              


 
芦雁図鐔 銘 山城國伏見住金家
 京都大徳寺に伝えられた襖絵の一、曾我蛇足(じゃそく)筆と伝えられる芦雁図、及び同じく大徳寺に伝えらた小栗宗湛と宗継の親子による芦雁図(延徳二年:1490)を想わせる、金家(かねいえ)の枯れた味わいの鐔。図柄は花鳥山水図の伝統を下敷きとしているが、裏面には、霞む山並みを遠景として芦辺を想わせる川の流れを、干網と共に描いている。薄手丸形に仕立てられた鉄地は色合い黒く、鎚の痕跡が全面に活かされて雲と気の流れを暗示、鉄地高彫象嵌の手法と、なだらかな鋤き出し彫、草木や川の流れには独特の毛彫を加え、ごくわずかに金の象嵌を配している。カランとした鉄板。この肌合いを掌中で、指先で感じとって欲しいのだが、金家の真作は極めて少ない。
 蛇足については不明な点が多い。墨渓に始まる曾我派の絵師が用いた号と考えられ、大徳寺真珠院の創建時代の曽我派の絵師、即ち宗丈とみる研究家もいる。墨渓と共に一休禅師の影響を強く受け、禅の美意識を絵画に取り入れ、その後の我が国の絵画表現に多大な影響を与えたのである。
 金家がこの襖絵を見て自らの鐔に採り入れたことは明白。室町時代の鐔工の多くは同様に古画を手本とし、あるいは和漢の伝説に取材して作画している。再び述べるが、金家の素晴らしいことは、鐔におけるこのような絵画表現の先駆者としてではなく、同時代の京都近郊の風景を取材している可能性が頗る高い点である。この鐔の裏面は、洛西を流れる桂川であろうか、あるいは賀茂川であろうか。

塔山水図鐔 山城國伏見住金家

2010-01-12 | 
塔山水図鐔 山城國伏見住金家                  


 
塔山水図鐔 銘 山城國伏見住金家
 金家(かねいえ)の特徴が良く示された鐔を紹介する。図柄は中国の山水画を想わせる構成ながら、我が国の京都近郊の風景を取材したものであろう、山陰に佇む塔頭や左下に小さく添え描かれた鳥居の様子など、今でも洛西辺りを散策すればこのような景色に遭遇することがある。地鉄は良く鍛えられて甲冑師鐔を見る如くに薄い仕立てとされ、表面には鎚の痕跡が残されて景色となり、耳は打ち返して抑揚をつけた変り形とされており、これは古紙に描かれた山水図を想わせる構成。金家の特徴として良く知られているのが、厚さが一~二ミリほどの地面に、同じ鉄地の塑像を象嵌している点。一見して高彫にも感じられるが、仔細に観察すると、塑像の周囲に象嵌の痕跡が窺いとれるのである。如何なる理由で薄手の鉄地に象嵌を施して図としたものであろうか、作品上の問題点では象嵌より高彫のほうが遥かに表現域が広がり、技術的にも容易なはずである。金家の意識は表現にあらず、困難な技法に敢えて挑むという技術にあると考えれば得心されられよう。鉄肌は槌目によって微妙否凹凸があり、指先に伝わりくるその感触は刀匠鐔や甲冑師鐔の古作の素肌に似ており、古釘を掌中で楽しむ感覚とも重なり合う。所々に施された象嵌は過ぎることなく、金の鮮やかさはそれゆえに効果的な視覚を刺激するが、加えて、銀の趣は黒化した銀が周囲の地に染み入って自然な景色を生み出し、これこそが大きな美観となっているのである。

猛虎図鐔 東雨(土屋安親)

2010-01-01 | 
猛虎図鐔 東雨(土屋安親)

 



 寅年を迎え、猛虎図鐔を紹介する。以下の解説は古美術雑誌《目の眼》に掲載したもの。

 梁の武帝に自らが説く仏教を理解されなかった達磨大師は、嵩山の少林寺に引き込んで外界との接触を断ち、九年のあいだ洞窟に座してその壁面に向かい、岩のように動ぜず己の姿を見つめ続けたという。これが今に残されている壁観、あるいは面壁九年の語の由来であり、禅宗が思考よりも実践を本意とするところにある座禅の真理を伝えるものである。
 禅宗は達磨大師によって構築されたが、我が国に伝来してより深められ、鎌倉時代以降は殊に武家社会に理解され、後の我が国の文化の重層を成してきたことは良く知られている。それが故に武家美術の題として達磨像が採られたこともあり、また、金家や信家、ここに紹介する土屋安親(1670~1744)などのように、製作を通して己の中にある仏を知るという禅を追求した者もあった。
 安親は古典に捉われることなく猛虎を題に得た図を多々遺している。その中でも印象を異にする作品と対面することがある。その一つがここに紹介する巌上猛虎図鐔。獲物に狙いを定めて今にも襲いかかろうとしているような猛々しい姿ではなく、静寂の中に佇む老武者を想わせる図。岩壁を前にした様子はまさに達磨のそれ。背を丸くしてふっと後方に首を向けたその表情には、かつて争い獲り合ったその過去の己の行動を省みているかのような、思索する者の姿が映し出されている。
 安親は木彫りの達磨像を遺している。質素な木肌を活かした簡素な彫法ながら、まるめられた頭、背にかけての構成線は凛とし、達観した者のみが備える優しさが表現されている。
 世の中に存在する全ての事物を画題として捉え、作品にしてしまうほどの安親であったが、時には己が過去を振り返る機会もあったに違いない。それが達磨像や作中の人物に投影されたのであろう、ここに紹介する猛虎図鐔も同様、己の姿を達磨大師に擬え、老いた虎に擬えて壁に向かう図とした作品ではないかと考えられるのである。
 鍛えた鎚の痕跡が残る鉄地を鋤き下げ、背後を透かし去ることによって奥行き感を表わし、流れ落ちる瀧と水の流れを添景として虎を包み込んでいる空間を不動の世界として表現している。孤高の虎は肉彫地透の描法を主体とし、身体は肉高く量感を持たせ、独特の縞模様のある体毛は金象嵌に細い毛彫で、目玉は金の点象嵌で一段と光を強く表わしている。裏面は岩場のみで、静寂の時の流れを暗示している。