鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

張果老図小柄 一宮長常

2009-10-31 | 小柄
張果老図小柄 一宮長常                         

        
張果老図小柄 一宮長常
 大胆な線と極細密の線による描写、これに鮮やかな平象嵌を加えた一宮長常の技法の完成が芸術面での高揚を見せると共に、この軽やかな作風が町人文化を刺激して新たな世界を展開していることを示している作品。
 主題の張果老とは、紙に描いた駒を瓢箪の中に入れておき、駒を必要とした際にはこれを取り出し薬をかけて現実のものにするという秘術を用いた古代中国の仙人の一人。その術を使う場面は装剣小道具や絵画に間々採られている。
 朧銀地を微細な石目地に仕上げて伸びやかに線刻を施し、金銀赤銅素銅の色絵を巧みに配している。
 敦賀市立博物館で開催している《一宮長常展》では、平素見られない名品が多数展示されている。その作品数も数十点に上る。この機会に鑑賞しておかれることをお薦めする。

親子鶏図目貫 一宮長常

2009-10-30 | 目貫
親子鶏図目貫 一宮長常




                 





 一宮長常作親子鶏図目貫。この目貫も敦賀市立博物館で開催中の《一宮長常展》にて展示されている。
迫力あるこの表情をご覧いただきたい。片切彫鏨や毛彫鏨で刻され切り込まれた身体が滲み出しているのは、まさに生命。殊に目玉が活きている。雄鶏は赤銅地、雌鳥は朧銀地、雛が金無垢地と、素材を使い分けている点も見どころ。
 鳥を描いた絵画として思いつくのは、古くは室町時代の屏風などに採られた花鳥。自然の一場面を構成する鳥であり、平安王朝が求めた自然美の流れを汲むもの。江戸時代に中頃には円山応挙などが写生を下地に絵画を製作。その正確で精密な描写を尊ぶ流れは金工の世界で活性化し、ここに紹介するような作品へと至った。伊藤若冲にも鶏を題に得、細い絵筆を駆使し、多彩な色絵を用いて描いた作品がある。ところが装剣金工は、鐔で8センチほど、小柄で左右10センチ、目貫ではわずか3センチ。絵画表現とは描画面積が天地ほどにも差がある。この極小空間に、数種類の金属と鏨のみで描き表わす驚異の世界を堪能してほしい。

親子虎図目貫 一宮長常

2009-10-29 | 目貫
親子虎図目貫 一宮長常 









 敦賀市立博物館で開催されている《一宮長常展》のポスターにも使用されている親子虎図目貫。金無垢地を肉高く打ち出し、丸みのある身体を実体的に表わし、鏨を強く切り込んで顔、手足、体毛やその縞模様を表現している。
 長常(ながつね)は、その初期には雪山(せつざん)と銘していたと言われている。雪山銘の作品は後に紹介するが、完成された片切彫平象嵌の手法とは異なる高彫が主である。だが、仔細に観察すると、高彫に片切彫を加えて表情に強みを与えているところなど後の片切彫を巧みとした素質が覗える。
 この目貫などは長常の技術が極まった頃の作と考えられ、四肢や肩の筋肉の動き、雌雄対峙するその表情、雄虎を怖れて母の陰に隠れようとする子の様子などが、生命感という言葉が陳腐に思えるほどに強く伝わってくる。裏行も鑑賞してほしい。性の良い金無垢地を肉厚く造り込み、際端を絞って立体感を出している様子が良く分かる。

 11月の末まで開催されている《一宮長常展》には数十点の長常作品が展示されている。時間があったらぜひ見ておきたい。

車胤(蛍の光)図小柄 一宮長常

2009-10-28 | 小柄
車胤図小柄 一宮長常 


       
車胤図小柄 一宮長常
 蛍の光や窓の雪明かりを頼りに勉学したという古代中国の賢人車胤を題に得た作品。朧銀を磨地とし、得意の片切彫と金銀赤銅の平象嵌で絵画調に仕上げている。黒木売翁図のような動きは抑えた図柄構成だが、片切彫の線が太く細くと切り込まれて姿も顔も表情が豊か。左端に蛍が描かれている。
 敦賀市立博物館で《一宮長常展》開催中。

黒木売翁図小柄 一宮長常

2009-10-26 | 小柄
黒木売翁図小柄 一宮長常 


      

 福井県敦賀市の敦賀市立博物館において《一宮長常展》が開催されている(2009年10月16日~11月29日)。
 長常(1721~1786)は敦賀の出身で、活躍したのは江戸時代中期の京都。円山応挙の門人石田幽丁に絵画を学び、写生を基礎とする動きのある人物図を得意とした。それまでの画題といえば教訓を秘めた歴史や伝説などに登場する人物図が多かったが、長常は市井に目を移し、祭りや伝統行事などのどこにでもありそうな場面を装剣小道具に採りいれるようになった。同様に少し先輩格に当る元禄頃の細野政守や土屋安親(1670~1744)も市井の人物を描いており、これらはいずれも英一蝶などのような市井風俗に目を向けた絵師の影響を受けていると考えられる。
 長常が得意とした彫刻手法は、鏨を切り込んで表わす線描と金銀の平象嵌を組み合わせた片切彫平象嵌(かたきりぼりひらぞうがん)や薄肉彫(うすにくぼり)。絵筆を鏨に代えて表わしたもので線描写が力強く、これを踊りの図などに採り入れることによって、動きと、平面描写ながら立体感を生じせしめるというものである。
 写真は黒木(くろき)を売る翁の姿を描いた小柄。黒木とは焚き付けにされる柴のことで、大原女(おはらめ)などが黒木を頭にのせて京都の街を売りあるいた背景がある。黒木売りは女のみの仕事ではなく、この図のように老人も背に売り歩いたものであろう。野良仕事の延長線上にある黒木売りではなく、桜の花を挿して洒落た風情を漂わせているところに京の香りが感じられる。このような場面が京の街に見られたものであろう、歴史と風俗史の意味でも興味深い図である。裏には三日月とその下に広がる雲。鑢を斜めに掛けて迫る夕暮れ時を表現したものであろうか、振り返って月を見る翁の表情が素晴らしい。地金は朧銀地に金銀赤銅の色絵、ごく薄く彫り出しているが立体感に富んでいる。

《一宮長常展》敦賀市立博物館

桐透図鐔八題 

2009-10-25 | 
桐透図鐔八題 



 桐を意匠したその他の鐔を並べてみた。左上から右へ順に、西垣、西垣、赤坂、神吉、神吉、神吉、肥後、神吉の各極めになる。写真はモノクロしかないので透かしの意匠を楽しんでほしい。

桐樹透図鐔 中井友幸

2009-10-24 | 
桐樹透図鐔 長州萩住友幸 




中井友幸
 桐樹を題に得た鐔は肥後の意匠を基礎としたものだけではない。写真は長州萩の鐔工、中井善兵衛友幸(ともゆき)の、長州鐔工らしい正確で精密な彫刻表現がなされた構成美溢れる作。長州鐔工は江戸の伊藤派に学び、殊に正確で写実的な構成、精密な描写になる植物図を得意とした。爽やかな春の風に揺れる桐の花を動感のある写実的な構成とし、葉には毛彫で葉脈を切り込み、虫食い痕をその周囲や花の萼部分に微細な点刻で表わし、量感と立体感のある肉彫ながら透かしの切り口を垂直に処理して主題を際立たせている。肥後金工の作風とは異なる桐樹を楽しんでほしい。

窓桐透図鐔 土佐明珍

2009-10-23 | 
窓桐透図鐔 土佐明珍  




窓桐透図鐔 土佐明珍
 赤坂と同様に肥後の美観を手本とした鐔工がある。甲冑工(かっちゅうこう:兜などの職人)の流れを汲む土佐明珍(とさみょうちん)派で、鉄の熟しに優れ、専ら西垣の作風を写し、勘四郎に紛れる作品もある。写真はその例で、無銘の場合には、同作が鑑定家によっては西垣とされる場合がある。特にこの鐔は差がないと言っても良いほどの出来であり、あるいは筆者も鑑違えている可能性を否定しない。それほどに技術と感性が優れているということである。
 わずかに歪んだ中高の造り込み、素朴な毛彫の表情、その指先に伝わりくる質感、錆味の妙味、10月14日に紹介した勘四郎と比較されたい。

投桐透図鐔 赤坂忠重

2009-10-21 | 
投桐透図鐔 赤坂忠重 


投桐透図鐔 無銘 赤坂忠重
 江戸中期の赤坂派を代表する巧手忠重(ただしげ)の、肥後西垣勘四郎を彷彿とさせる投桐透図鐔。鉄地は鍛え強く槌目が鮮明に残されて色合い黒く光沢渋く、指先にもねっとりとした感が伝わりくる。勘四郎の特徴は歪みのある造形にある。赤坂の洒脱とは当然のことながら美の観点を異にしているはずだが、忠重はそれを見事に再現している。




投桐透図鐔 銘 忠則作
 鍛え合わせた鉄地を碁石状の中高竪丸形に造り込み、肥後鐔にもみられる動感に溢れた投桐を陽に表わしている。鉄色黒く締まりが感じられ、焼き手によるものであろう、耳には筋状の鉄骨と鍛え合わせの筋が明瞭に現われ、赤坂の特質を鮮明に示して味わい格別。葉脈の毛彫も肥後のそれで活きいきとしている。赤坂忠則(ただのり)は三代忠時の門人で、忠重にも学んだと伝えられ、優れた陰影の作品を遺している。

投桐透図鐔 赤坂

2009-10-20 | 
赤坂派の投桐透図鐔 


 肥後鐔のデザインを採り入れた鐔工として良く知られているのが赤坂(あかさか)派である。赤坂派とは、江戸時代初期の寛永頃に京都から江戸の赤坂に移住した初代忠正(ただまさ)、二代忠正、三代正虎(まさとら)の、所謂古赤坂に始まり、四代以降は幕末まで忠時(ただとき)銘を切り、独特の意匠で隆盛した鐔工である。忠時の弟子の中でも特に優れた力量を示したのが忠重(ただしげ)で、他にも忠則(ただのり)など名を残している工もある。
 赤坂鐔の特徴は、古い時代の尾張鐔や京正阿弥、京透と呼ばれる透鐔を下地として個性的な意匠構成とした点。後に江戸の美意識の基礎ともなる粋に通ずる、即ち粋の美意識を先取りした感のある作品を残しているところに魅力がある。同じ投桐を意匠としても、赤坂のそれは、透かしの線の構成が美味に異なるのが写真でも判ると思う。



投桐透図鐔 古赤坂
 赤坂鐔工の初、二、三代はすべて無銘であり、戦国時代あるいは桃山文化の影響を多分に残すこの三代を特に古赤坂(こあかさか)と呼び分けている。後の赤坂鐔の意匠の原点がここにあると言っても良いだろう。
 この鐔は太く丸い耳によって切り取られた空間に、一見しただけでは桐とも何とも判らないような、草にくずした枝桐を見事な構成で表わしている。鉄色黒く、耳にはこの派の特徴でもある筋状の鍛え肌と鉄骨が窺える。


 
投桐透図鐔 忠時(八代)
 肥後鐔をそのまま写したような作。一般に赤坂鐔は厚手である点に特徴があるも、この鐔は肥後を意識したもので厚さ五ミリ弱(赤坂鐔は六ミリ前後)。葉花の構成、毛彫の表情なども肥後のそれであり、八代忠時(ただとき)が、己が技術を明示せんと製作したものとも考えられる。ただし、層状の鍛え肌を鮮明に出して赤坂派の作であることをも明らかにしている。



巴に桐透図鐔 赤坂
 江戸時代後期の赤坂の作。桐だけでなく二つ巴を意匠の要とし、唐花を想わせる構成としている点に特徴がある。地鉄は密に詰んでこの時代性が良く現われている。

桐透図鐔 神吉

2009-10-19 | 
神吉極めの鐔 



窓に桐透図鐔 神吉
 鉄地をわずかにゆがみのある泥障形に仕立て、毛彫と銀布目象嵌を施した、西垣を想わせる鐔。茶室の窓からの眺めを意匠したもので、銀象嵌は光琳窓など質素な設えを感じさせる。投桐と共にこの窓桐も江戸時代に好まれた意匠。地鉄造りと寄せ鑚などに神吉派の特徴が良く現われている。




投桐透図鐔 神吉
 切り込みをなだらかにした葉を下部に、切羽台に花が隠れるように意匠した、図柄としても風変わりな鐔。神吉派らしい緻密に詰んだ鉄地を平滑に仕上げ、透かしが綺麗にみえるよう透かしの切り口も鋭く仕上げている。




投桐透図鐔 肥後
 個銘は極められないが江戸時代後期の肥後金工らしい地鉄と錆色の美しさを鐔の美観の一つと捉えた作。花のつき方などに独創を求めた跡が窺える。

引両桐透図鐔 深信

2009-10-18 | 




 古い時代の唐草文の多くは、布目象嵌などによる面の描写、あるいは象嵌の幅を細くし得ないが故に幅のある線模様で構成されていた。ところが肥後の二重唐草文は、糸のような細線による縁取りの構成であり、しかも二重の線とされたため、ここから古典的な唐草文にはない華やかさが生み出され、肥後金工を特徴付ける文様の一つとなった。技術的には二代勘四郎辺りからであろうと推考される。写真はその技術をさらに洗練させた、江戸時代後期の神吉深信(かみよしふかのぶ)の鮮烈な趣のある鐔。鉄地を微細な石目地に仕上げ、引両に桐紋を配してすっきりとした平面空間を構成し、引両部分のみに華麗な二重唐草文を散している。

桐透図鐔 西垣

2009-10-17 | 


 

 桐花を藤のように長く巴状に意匠した、優れた構成美の鐔。無銘ながら西垣派の高位の工の作と鑑られる。色合い黒々とした鍛え強い地鉄は光沢が強くねっとりとし、表面が平滑に仕上げられてはいるものの鎚の痕跡がかすかに窺える。興味深いのは切羽台に構成した桐の葉をそれぞれ独立させて量感を違えるという微妙な肉取りをしている点で、掌にのせるとその抑揚変化のある地面の様子が指先に伝わりくる。花の連なる様子を意匠した耳も、表裏で微妙に抑揚を違えるなど優れた演出を試みている。耳の周囲には合わせ鍛えによって生じた層状の肌目とそれに伴う割れが生じており、これも自然味ある景色。

投透図鐔 西垣

2009-10-16 | 



引両に桐透図

 中央辺りを厚く耳際を薄くした碁石形をほぼ真丸形に造り込み、幅の狭く角度の急な斜に引両を、上下に花桐を微妙な均衡で配した、構成美の優れた鐔。耳の内側や各部の線を花房状に華やかな凹凸の連続とし、左右の櫃穴を大きくとっているところも構成的な魅力。地鉄は、鍛えた表面を平滑に仕上げている所々に鎚の痕跡を残し、全面に微細な石目地を加えている。鉄色黒く漆によって光沢強く、変化に富んだ毛彫も意図せぬ景色を生み出している。




投桐透図

 耳の構成線に歪みを持たせることにより不安定な空間を美観の要とした、質素でありながらも華やかさが覗える鐔。鍛え強く色合い黒く、渋い光沢のある鉄地を歪みのある泥障形に造り込み、切り口鋭く透かして地に簡素な毛彫を施している。

投桐透図鐔 西垣勘平

2009-10-15 | 


 

 茶席の装いの如くに桐樹を捉えた鐔で、初代勘四郎にも二代にもない西垣勘平(にしがきかんぺい)独創の意匠。勘平は初代の子で、二代勘四郎は兄。色合い黒々とした鉄地を、ごくわずかに耳際を薄くした碁石形(ごいしなり)に造り込み、表面を微細な石目地に仕上げて素材が持つ質実なる美観を高めている。鋭く切り込んだ陰の意匠になる桐樹は、透かしの構成線が微妙に変化して動きがあり、表裏から彫り込んだ結果であろう、透かし内面の中央辺りに肉が付いてこれが意図せぬ景色となっている。地面に散らされた枯木風の金象嵌も風情を高めている。西垣勘平作七十三歳の作。
 一般的に初代が最も優れ、二代、三代あるいは子と代が下がるに従って力量が劣るとされる傾向にあるが、一考を要する見方である。