鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

秋草に虫図鐔 光仲

2010-02-27 | 
秋草に虫図鐔 光仲

 
秋草に虫図鐔 銘 美濃住光仲

 耳を金覆輪に仕上げ、魚子を打ち施して装飾性を高めた、江戸時代中頃の美濃彫様式の鐔の例。作者は、在銘作品が比較的多く遺されている光仲(みつなか)である。古典的な美濃彫様式である深彫を基本とし、図柄構成も古典的。虫の描写や配置などに江戸時代中頃の様子が窺え、色使いにも江戸時代の特色が窺いとれよう。大輪の菊の花、桔梗の花、撫子の花などを観察してほしい。
 さて、お気づきになられた方もあろうと思う。筆者自身もこの写真試料を探している際に気づいたのだが、前回紹介した秋草花車図鐔と比較鑑賞されたい。秋草花車図鐔では植物の種類は少ないのだが、萩の花と葉、菊の花などの構成、彫口、鏨使いが極めて似ているのである。同一作者とは断定できなくとも、極めて近い存在であったと推測されよう。

秋草図鐔 加賀後藤

2010-02-26 | 
秋草図鐔 加賀後藤

 

① 秋草図鐔 無銘加賀後藤


② 枝菊図鐔 無銘美濃


③ 秋草花車図鐔 無銘美濃

 Photo①は、背景に潜む重厚美から江戸時代の美濃後藤の作とみたが、華やかさが決め手とされたものであろう加賀後藤と極められた江戸時代後期の鐔。耳側から秋草が生えているかのような構成は、先に紹介した作例にもあるように、江戸時代の美濃彫様式の鐔には間々見られる。この鐔は恰も野にあるように感じられるも、下端に束ねた様子を描き添えて花束を印象付けているところが印象深く、新趣が感じられる。そして見どころは耳の表現である。
 鐔の耳は、拵を腰に差した状態では最も目につく部分であるが、装飾性が求められていない場合が多い。機能的な面や美観から金覆輪が掛けられた例もあるが、本来の覆輪は次第に装飾となり、色絵式の覆輪、耳への高彫金色絵、鐔面の図と連続させた装飾、表裏への図の連続の一部、文様として表裏を分けるための装飾などが多くなる。
 Photo②とPhoto③はいずれも江戸時代中期から後期にかけての美濃様式の意匠とした鐔。②は耳際を二重に構成し、耳の周囲には桐紋を散らして装飾としている。図柄は枝菊を全面に散らし配しており、清楚に花作様子が表現されている。古典的な菊の花の表現に加え、花弁が八重に組み合わされている新趣の菊花も配されており、ここに時代観がある。③は秋草を花車の生け花とした図柄。土手耳構造(幅を設けた肉厚の耳)とした耳には這龍文が構成されている。美濃様式の金工作品には古くから龍の図も多く、美濃龍と汎称されている。秋草とは無関係ながら、美濃様式を伝えていることの証しとして用いたのであろうか、豪華でもある。花束のような構成と共に、生け花の構成も比較的多い。
 ①を再度鑑賞しよう。図柄構成に洗練味がある。琳派の美観が流行した江戸時代中頃以降、多くの金工もこの影響を受けたが、ここでは自然を美しく表現するのではなく、明らかに鐔という空間を構成するために秋草を用いているのである。耳を這う菊と萩の葉、鐔面になだれ込むように花が構成され、露を光らせる薄の葉は野の景観。鐔の中心に流れ込むような葉の円弧の美観が要点と言えよう。色違いの金、銀、金と銀を混ぜ込んだ金など、多彩な色金の組み合わせになる美観も新しい。
 鐔の表面が綺麗に揃った微細な点の連続であるため、モアレが生じて見難くなる場合があります。ご容赦下さい。

秋草に虫図鐔 光善寺

2010-02-24 | 
秋草に虫図鐔 光善寺

 
秋草に虫図鐔 光善寺

 江戸時代に美濃彫様式を専らとした尾張名古屋の金工に、光善寺(興善寺:こうぜんじ)と呼ばれる一派がある。在銘作はなく、時代も江戸中期から後期にかけてと漠然であり、流派を成していたものか不明な点が多い。作風は、秋草など伝統的な美濃彫、あるいは美濃後藤と呼ばれるような題材を主に、より繊細で、構成美豊かな画面を演出しているところに特徴がある。同様の作風で、尾張徳川家に仕えた一光堂友休(ともひさ)があるも、この流れを汲む工であろうか。
 写真が光善寺の例。赤銅地を木瓜形に造り込み、耳を美濃彫と同様に高く仕立て(写真では分かり難いが耳にも高彫色絵が施してある)、綺麗に揃った魚子地を施し、主題を量感のある高彫とし、金の色絵を華やかに施している。線描写が細く美しく、微細な毛彫や鏨を各部に加えて秋草や虫をより現実のものとしており、時代の上がる美濃とは世界観を異にしているようだ。もちろん琳派の美意識が背景にある。描写の点では、桔梗の花の様子が美濃彫様式のそれらとは異なっている。萩は秋草の象徴的題材だが、ここでは吾亦紅(われもこう)、茅(ちがや)であろうか、小さな穂をつけているその様子をも描いている。
 作品の表面が綺麗に揃った小さな点の連続であるため、モニターによってはモアレが生じて見難い場合があります。ご容赦下さい。

秋野に兎図鐔 在哉

2010-02-23 | 
秋野に兎図鐔 在哉

 
① 秋野に兎図鐔 無銘在哉

 
② 秋草に虫図鐔 銘 筑紫住有國造

 金工細工における平面的な表現は、平象嵌の手法だけではない。陰陽に意匠した透しによる図柄構成もまた平面を活かした表現で、古くは鉄地に簡潔な花文などを陰に意匠して透した甲冑師鐔や刀匠鐔、あるいは平安城透しや尾張鐔と呼ばれる大胆な透し構成を施した鉄鐔がある。江戸時代に入ると、このような透しを複雑に施したり、高彫に加えて主題の印象を高めたりする以外に、繊細な線描写や面との組み合わせによる、洒落た趣とした作品が生み出されるようになる。
 Photo①は出羽国庄内に繁栄した金工郡の中の一人で、江戸時代前期から中期を活躍期とする渡部在哉(ありちか:一六六一~一七四二)と極められた、この工の特徴が良く現われている鐔。図柄は、たなびく雲間に顔を出した月を見上げる兎で、辺りには笹と草が生い茂っており、透しによる兎も月明かりに浮かぶ陰影と捉えたものであろう、構成の美しい作品である。赤銅地を微細な石目地に仕上げ、簡潔な透しと毛彫のみで描写し、拵に装着した際の美観を考慮して耳には金の平象嵌で唐草文を廻らしている。綺麗な線弧を描いているのは未だ穂の出ていない薄であろうか、夜露が月明かりに小さく輝いている様子も美しく描写している。
 Photo②は江戸時代中期から後期と鑑られる筑紫国の金工有國(ありくに)の、秋草に虫図を、透しの陰影、毛彫、平象嵌の手法を組み合わせて表現した鐔。線描のみになる表現ながら、多彩な技法を駆使しており、作者の創作意識の現われと考えられよう。赤銅地を石目地に仕上げ、耳際に抑揚変化をつけ、薄の茎は糸のように細い透しで、葉は毛彫、穂は金平象嵌。桔梗も金の平象嵌に毛彫を加え、蟋蟀も金の平象嵌による線描。金平象嵌には更に繊細な片切彫を加えている。

秋草図鐔 光中・夏雄

2010-02-22 | 
秋草図鐔 光中・夏雄

 
① 秋草図鐔 銘 大泉詰然居光中(花押)

 
② 田舎家春秋図鐔 銘 甲子仲夏於東都造夏雄(花押)

 加賀象嵌の表現手法は、各地の金工が倣っている。Photo①は、以前にも紹介したことがあるのだが、出羽国大泉の金工で鷲田派の光中(みつなか:1830~1889)。朧銀地を平滑な撫角形に造り込んで微細な石目地に仕上げ、耳を金の色絵覆輪として一幅の墨絵を想わせる構成。地金の色も古紙をイメージしたものか、その沈んだ色調の中に金、銀、朧銀などの平象嵌による秋草が、しっとりと浮かび上がる表現。この鐔での草花は、萩、薄、桔梗、女郎花の古典的な植物に加え、花独活(はなうど)であろうか芹科の植物、紫露草(むらさきつゆくさ)。この花独活と紫露草が新しいことと、銀と朧銀の合金の配合を微妙に違え、多彩な金と同様に色彩の変化を追求している点に注目したい。
 Photo②も、かつて紹介したことのある加納夏雄(なつお1828~1898)の田舎家春秋図鐔。早春の田舎家は鉄地高彫表現だが、生い茂る秋草の場面は明るい朧銀地を微細な石目地に仕上げ、金銀、その微妙にグラデーションのついた金銀を平象嵌し、繊細な片切彫と切り込みを加えてむせかえるような初秋の野の様子を表現している。田舎家は鄙びた風景、秋草には琳派の美意識を下地に鮮烈な美観を投影し、その対比の妙を見せている。夏雄も光中と同時代を生きた金工で、元治元年の作品である。

秋草群蝶図鐔 加賀象嵌

2010-02-20 | 
秋草群蝶図鐔 加賀象嵌

 
秋草群蝶図鐔 無銘加賀象嵌

 色合いに変化を求め、金の調子を二色三色にし、銀、朧銀、素銅を組み合わせるなど多重な色使いとし、また、金線描写によって面に小縁を付けるなど、多彩な描写を試みたのが写真の鐔。一方の面には秋草のみを、また一方には蝶のみを濃密に文様表現している。古典的な秋草群に秋海棠(しゅうかいどう)を加えているところが新しく、爽やかな趣がある。丸形の赤銅地を平滑に仕上げ、平象嵌に切り口鋭い片切彫を加え、鮮やかさを高めている。葉脈を片切彫で表わし、鑑賞の際の光線によってそれが鋭く浮かび上がるような効果も狙っているのであろうか、蝶の文様に切り施した片切彫も鮮やか。もちろんここでも細い線描写になる平象嵌が装飾の要。これでもかというほどに華麗さを追及した、加賀象嵌の極致と言い得る作品である。時代の下がった製作であろう、写真は大刀鐔一点の表裏のみだが、大小揃いである。

秋草に虫図小柄 加賀象嵌

2010-02-19 | 小柄
秋草に虫図小柄・鐔 加賀象嵌




① 秋草に虫図小柄 無銘加賀象嵌

 
② 秋草に虫図鐔 無銘加賀象嵌


 赤銅地や朧銀地の表面を極微細な石目地あるいは磨地に仕上げ、その渋くも上品な光沢のある地面に金、銀、素銅、朧銀などの色金を平象嵌の技法で表わし、毛彫や片切彫をこれに加えて平面の美観を展開したのが加賀象嵌とも呼ばれる独特の平象嵌である。殊に線描写は細く、時には幅が0.2ミリ以下とされることがある。色合い鮮やかな構成とする点も魅力。
 平象嵌とは、平滑に仕上げた地面を図柄に合わせて彫り込み、これに図柄となる別の金属を嵌め込み、それらの表面を平滑に仕上げることによって平面描写とする技法である。以前、一宮長常や細野惣左衛門政守の作品で紹介した技法である。金工によって微妙に象嵌部分の肉取りが違う。加賀象嵌の場合には地と面を一にするところに特徴があり、多くの場合毛彫や片切彫が加えられる。
 Photo①は『源氏物語』に取材したものであろうか撫子に虫図小柄。小柄の幅が15ミリほどであることから、最も幅の狭い花の部分は0.1~0.2ミリぐらい。脱落せぬよう0.5ミリほどの深さに切り込んでいるのだから驚愕の精巧さである。それ故に美しい線描写になる画面が生み出されるのであろう。もう一つ美しいのは、用いられている金が赤味の強い素材と、青味の強い素材とが組み合わされている点。裏板は朧銀地を石目地に仕上げて大空に見立て、これを背景に秋草の伸びやかな様子を簡潔に図取りし、鏨の種類を違えた毛彫で変化のある描写を試みている。
 Photo②は赤銅地の色合いを活かした薄に秋虫図鐔。余白を残して闇の深さを表現、裏面に銀で三日月を描き、その淡い明かりに浮かび上がる夜露の様子を、金の平象嵌に毛彫の手法で表わしている。
 高彫が全くない絵画のような、平蒔絵のような平面世界。表現手法としては簡単そうにみえるも、極小空間を画面とする技術と、芸術までに高めた感性は類例が他にない分野と言えよう。いずれも無銘。加賀象嵌の作品の多くは銘が刻されていない。

秋草に虫図鐔 水野

2010-02-18 | 
秋草に虫図鐔 水野

 
秋草に虫図鐔 銘 金澤住水野作

 後藤家に学んだ加賀金工の主流に、桑村(くわむら)家と水野(みずの)家がある。いずれも後藤家に学んで赤銅魚子地に色絵表現を得意としたが、加賀象嵌(かがぞうがん)と呼ばれる平象嵌様式の作品も製作している。平象嵌による作品は御に紹介するとして、まず、水野家の手になる在銘の、加賀後藤流の秋草に虫図鐔を紹介する。
 野の静かな自然の光景を題に得、鐔の表裏の構成を違えて連続するような絵画的な図案とし、さほど高肉彫ではないにもかかわらず彫り口鋭い描法で特徴的な秋草を写実表現し、濃密な金の色絵を要所に配して華麗な空間を創出している。構成は琳派の影響を受けたものであろう、洗練美に溢れている。背景は上質の赤銅魚子地。金の含有量の高い赤銅地は、光沢にわずかな青味を含んでいるもので、地金そのものも贅沢。唐草文の美意識が背景にあるのであろう地を這うように構成された萩の葉は地と同じ赤銅ながら、微細な点の連続になる魚子地にくっきりと浮かび上がって見え、花芽は金の色絵で鮮やか。桔梗、菊、女郎花であろうか、その叢咲く様子は金の色絵。薄が背後に伸び出して画面に変化を与えている。蟋蟀(こおろぎ)も高彫に金の色絵。正確精密な描写とされている。銘は「金澤住水野作」とあるが、銘字から代別までは即断できない。江戸時代後期に至っての作品と鑑られる。
 作品の表面が綺麗に揃った微細な点の連続であるため、パソコンなどのモニターによってはモアレが生じて見難い場合があります。ご容赦下さい。

秋草に虫図鐔 加賀

2010-02-17 | 
秋草に虫図鐔 加賀


① 桜樹図鐔 無銘加賀後藤

 
② 秋草に虫図鐔 無銘加賀

 加賀国において発展した独特の文化は、この地を治めた前田家の芸術指向と美意識により成り立っている。京都の文化を採り入れて古い時代の加賀の伝統と融合させ、豪壮華麗でしかも繊細緻密、殊に金工では鮮やかな空間構成を創出したところに特徴がある。その一つに、後藤の高彫表現を下地としてより華麗に表現した作がある。また、馬具の鐙(あぶみ)などに用いられていた布目象嵌(ぬのめぞうがん)の技術を、より繊細な平象嵌(ひらぞうがん)に進化させた点が一つ。前者が先に紹介した加賀後藤と呼ばれる作品群で、赤銅魚子地を高彫に仕上げ、様々な色金を多用して華麗な空間を創出したもの。加賀国の御用を勤めた後藤家とは、顕乗、程乗、悦乗などの理兵衛家、顕乗の弟で喜兵衛家の琢乗、覚乗や演乗などの勘兵衛家。先に紹介した小柄の作者後藤光房も演乗の子で勘兵衛家の当主、加賀後藤の一人であった。また、顕乗の門人にはじまる加賀の武士市右衛門に始まる系統も加賀後藤と呼ばれているが、この系統の正確な資料は少ない。
 Photo①は秋草図ではないが、加賀後藤の典型的要素を備えているため参考に紹介する。爛漫の桜を文様として捉え、全面に華麗に布置した図柄で、地金は赤銅の魚子地。桜樹は高彫、銀と金の色絵を施し、漆黒の赤銅を背景に色合いの妙をみせている。
 Photo②は江戸時代中期から後期と鑑られる、加賀後藤の影響を強く受けながらも、切羽台の周囲を方形に仕立てて独創と装飾性を高めた、秋草に虫図鐔。画面を斜に切り進む直線が意図せぬ美しさとなっている。専ら秋草などの古典的な図は曲線による構成とされ、その組み合わせが美しさの根源ともなっていた。曲線を排除しているわけではないが、画面を横切る直線的構成線は、例えそれが何らかの事物の図案であったとしても視覚に強い刺激を与える。その妙味、その美しさであろう。特筆すべきは高彫の彫際を鋭く仕立て、より写実的に事物を鮮明に、細部まで緻密に描写している点。この繊細さが加賀の大きな特徴でもある。これまでの美濃様式や古金工とは異なり、あるいはまた吉岡因幡介とも異なり、余白を活かした空間構成としている点も新しい。
 作品の表面が綺麗に揃った微細な点の連続であるため、パソコンの画面によってはモアレが生じて見難い場合があります。ご容赦下さい。

秋草図鐔 吉岡因幡介

2010-02-16 | 
秋草図鐔 吉岡因幡介

 
秋草図鐔 無銘吉岡因幡介


秋草に虫図鐔 無銘美濃

 幕府の御用を勤めた金工は、後藤家の他にもある。赤銅魚子地に家紋などを高彫金色絵で表わす手法を専らとした金工が、吉岡因幡介(よしおかいなばのすけ)家の各代である。活躍期は江戸時代を通し、末は明治期に至っている。多くは無銘、あるいは吉岡因幡介と切るのみで個銘は入れない。
 吉岡因幡介には、Photo①のような秋草図を題に得た作品が間々みられる。家紋散し図にしても、赤銅地の黒と金の組み合わせながら華やかに過ぎる装飾はせず、どちらかというと、しっとりと落ち着いた感があるのは家康好み。この鐔では耳(鐔の外周部)の際に秋草を配しており、表からの鑑賞では空間を大きく残して引き締まった感もある。それに比して耳には秋草の高彫と濃密な金色絵を施しており、このような装飾性は、鐔を拵に掛けた際の美観を考慮したもの。
 この趣で思い浮ぶのは、京都の高台寺に残されている、秀吉の正室北政所が用いた厨子や調度類に施された高台寺蒔絵と呼ばれる秋草図蒔絵であろう。木瓜形に造り込んだ赤銅魚子地を平滑に仕上げ、秋草の典型ともいうべき菊、薄の葉、萩を組み合わせて文様に仕上げ、葉に朝露を散らしている。古美濃や江戸初期の美濃に比して肉の低い高彫ながら立体感に溢れ、まさに控えめで繊細な趣が充満している作。この美点は、彫刻の写実性や正確さというより優れた構成にあると断じて良い。
 別の視点からだが、耳の美観を追求する手法の一つとして覆輪がある。古い時代の覆輪はわずかに可動式とされているところに特徴があるも、時代が下ると、色絵を施すなどPhoto①の例のように装飾性のみの理由となる。Photo②も同様に金色絵の覆輪を設けた美濃極めの鐔。赤銅地を古作の再現を意識して深彫にし、図柄部分には色絵を施さず、耳と櫃穴のみに金を配している。しかも色絵に魚子を施して印象を高めている。耳、あるいは耳際の装飾については後に作例を紹介して説明する。

雉子に狐図縁頭 利壽

2010-02-15 | その他
雉子に狐図縁頭 奈良利壽

 
 
雉子に狐図縁頭 銘 利壽(花押)

 元禄頃を活躍期とする金工で、その後の江戸金工の活性化、芸術性の発展の基礎を築いた一人に、安親及び乗意と共に奈良三作(ならさんさく)と呼ばれて崇められている奈良派の利壽(としなが)がいる。後藤の家彫に対抗するように正確で緻密な彫刻技法を展開し、高彫、色絵、象嵌、更に平象嵌などを駆使して独特の彫金空間を創案した名工の一人である。その、雉子を狙う狐の図の縁頭を紹介する。野に繰り広げられている自然味のある風景を題に得たものながら、その意味するところは武士が備えておかねばならない心構えにある。空間を演出するために配しているのが秋草で、菊と薄であろうか。
 奈良派の遠祖を辿ると、江戸時代初期の寛永頃に利輝が塗師として幕府の御用を勤めており、その子の利宗が金工細工物の飾職人として幕府に使え、この次の利治と共に奈良派の基礎を固めたといわれている。その弟子が利壽、安親、乗意などである。だが利宗や利治の時代に如何なる金工の影響を受けたものか、あるいは古作を手本に独創を高めたのか不明な点が多い。この作品を見る限りでは、江戸時代の美濃と極められるような美濃彫様式や、肉の低い高彫など古金工のいずれかに分類される様式を備えており、いずれとも判断し難い。古作を参考により写実的な表現を目指し、独特の世界観を抱くようになったと考えるべきであろう。江戸時代後期に隆盛した華やかな花鳥図などと比較して華飾を抑えた作風から、古武士の美意識が遺されているようにも思える。桃山時代あるいは江戸時代初期の秋草図と、奈良派のそれの違いなどを比較鑑賞されたい。 
 この作品の詳しい解説は、古美術雑誌『目の眼』3月号に掲載しました。ご参照下さい。

四季草花図小柄 後藤光房

2010-02-14 | 小柄
四季草花図小柄 後藤光房



① 四季草花図小柄 銘 後藤光房(花押)




② 秋草に虫図三所物 無銘美濃後藤

 草花の選択に新趣を示した作。桔梗や女郎花は桃山時代以前から題として良く採られているが、江戸時代も中頃になると、様々な植物が古典的な秋草と組み合わされるようになる。Photo①の作者は、後藤勘兵衛家三代光房(みつふさ)。宝永六年に四十四歳で没していることから、活躍は元禄頃。この小柄では、桔梗と女郎花に水仙(冬)、わすれなぐさ(春)、百合(夏)といったそれぞれの季節の花が採られており、美濃彫様式の意匠とは異なり、生け花の素材のように一枝切り置いた構成。高彫の量感が少ない割りに彫り際の描写が優れ、立体感に富んだ写実的表現。大輪の百合は華やかで、水仙は清楚、愛らしいわすれなぐさと、いずれも特徴を良く捉えている。桃山時代以前の作品に見られる桔梗と比較すると、その違いが歴然。妖艶な風合いが魅力である。
 Photo②は江戸時代中頃の美濃後藤と極められる秋草図三所物。美濃後藤とは、後藤の流れを汲み、しかも美濃彫様式を専らとする工のこと。光曉、光政などに「後藤光曉」などと後藤姓を刻した作があることから、これらの工を美濃後藤と呼び慣わしている。多くは無銘で、赤銅魚子地に秋草などの図を高彫し、金銀素銅の色絵を施した作が多く、美濃に極められたものの中で後藤風の貫禄がある作品がこれに当ると理解すれば良い。この三所物も美濃様式の構成で、秋草の下に虫を描く図は美濃鐔極めの作例に良く似ている。秋草の配置に抑揚があり、画面全体に濃密に施している古風な文様とは様子が異なり、新趣の風景観が顕著である。高彫表現になる図柄の際の立ち上がりなどは時代の上がる美濃に比して穏やか。目貫も画面から溢れんばかりに構成しており、抜け穴はない。表の鑑賞では量感があるも、裏行の観察では地造りが肉厚く、際端の返しもさほどなく、古美濃とは風合いが明らかに異なる。
 作品の表面が綺麗に揃った点の連続であるため、モニターによってはモアレが生じて見難くなる場合があります。ご容赦下さい。

枝菊図小柄 後藤光理

2010-02-13 | 小柄
枝菊図小柄 後藤光理



① 枝菊図小柄 銘 後藤光理(花押)


② 花束図小柄 無銘野村

 藻柄子宗典(生没不詳:享保と寛延の年紀作がある)とほぼ同時代を生きた後藤宗家十二代光理壽乗(1695~1742:寛保二年相続)の秋草図小柄を紹介する。唐突に後藤宗家の作品が登場することになるが、後藤家は代々が為政者に仕えて装剣小道具類の製作と共に、大判など信用の基礎となる貨幣の製作と経済面での協力者として幕府や有力大名家に仕え、金工という立場を超越して権力者の近くにあり、すべての金工に少なからず影響を与えていた存在。室町時代中後期の初代祐乗から、二代宗乗、三代乗真、四代光乗、五代徳乗、六代栄乗、七代顕乗、八代即乗、九代程乗、十代廉乗、十一代通乗、十二代光理、十三代光孝、十四代光守、十五代光美、十六代光晃、幕末の十七代光則が宗家。この他に分家がある。古くは赤銅地あるいは金地を用い、高彫に色絵象嵌を加え、専ら獅子や龍などの霊獣、武士の戒めに通ずる画題や雅な画題の目貫、笄、小柄を製作し、桃山頃からは鐔も製作するようになるが、その数は少ない。十二代光理(みつまさ)の時代は武家芸術が停滞気味で、武家とは次元を異にする町人文化が高まり、絵師だけでなく、文学、芸能など様々な分野で個性を煌かせた人物が登場する。装剣金工界も同様に、市井にあって武家のみならず町衆の装具をも製作する金工が新趣の作品を生み出し、大きな流派の祖となる人物も登場する。
 後藤宗家も、このような世の中の動きを目の当たりにして古典とも言いうる伝統を保守するだけではいられない状況となっていた。それに応えるように、光理あるいは十一代通乗の頃から新しい画題を採り入れるようになった。その一つというわけではないがこの小柄は、菊花を題材に綺麗な画面を創出した作。高彫は江戸時代の美濃彫に倣ってさほど量感は感じられないものの立体感に富んだ表現。色絵は金と銀を用いている。図柄の表面に切り施す鏨は、花弁、葉脈などを鮮明にするものだが、この鏨を効かせる手法が後藤家の特徴でもある、次のPhoto②と比較して鑑賞されたい。
 Photo②は後藤宗家七代顕乗に学んで独立した正時を初代とし、各代が阿波蜂須賀家に仕えた野村(のむら)家の、江戸時代前~中期頃の作と鑑られる小柄。菊花を主とする秋草を花束とした図だが、赤銅魚子地に金の色が冴えて桃山時代風の豪壮華麗な趣がある。高彫された文の部分は金無垢地を目貫のような技法で肉高く打ち出し、表面には打ち込みを施して立体的な画面を創出したもので、魚子地に据紋している。それ故にPhoto①の高彫色に比して肉高く、実際に立体的である。鏨使いの違いを観察されたい。野村家も後藤の流れであるが故に表現手法の印象は後藤に近いものがある。時代も後藤光理や宗典と同じ頃、あるいは少し遡るかもしれないが、野村の、後藤を越えて新たな世界を切り拓かんとする意思が覗えるような、強みのある出来となっている。

秋草図鐔 宗典

2010-02-12 | 
秋草図鐔 宗典

 

①② 秋草図鐔 銘 江州彦根住藻柄子宗典製

 
③秋草図鐔 無銘美濃

 江戸時代中頃、美濃様式の装剣小道具を製作したことで良く知られている一人が、近江国彦根住藻柄子宗典(そうてん)である。その作例二点Photo①、Photo②を紹介する。形は竪丸形と木瓜形だが、いずれも地を鋤き下げて魚子を打ち施し、秋草の文様を編み目のように密に組み合わせて高彫し、金の色絵を華麗に施している。深彫様式は受け継いでいるが文様の彫り際の立ち上がりに古美濃のような鋭さがなく、金の色絵の端縁部もすっきりとせず、それぞれの花が連続している。
 Photo③に江戸時代初期の美濃と極められた鐔を併せて紹介する。文様部分の肉の高さが宗典に比して低く、文様構成も濃密な感はないが、美濃の様式は良く伝えており、肉が低い割りに彫り際がくっきりとし、色絵の際も鮮明であるところが少々時代の上がる要素とされているのであろう。
 藻柄子宗典はこの種の鐔を製作しているだけでなく、和漢の歴史人物や伝説などに登場する人物を題に得、鉄地を肉彫象嵌地透(にくぼりぞうがんじすかし)とし、殊に合戦図などの例では屏風に描かれた合戦絵のように雲などで画面を分けた各場面を巧みに連携させ、奥行き、立体感、時間的な要素などを超越した迫力ある作品を生み出している。その構成の一つでもある背景を透かして図柄を鮮明に際立たせる手法は、確かに古典的な美濃の要素を採り入れていると言えよう。

秋草に虫図鐔 美濃

2010-02-11 | 
秋草に虫図鐔 美濃

 
① 秋草に虫図鐔 無銘美濃

 
② 秋草に虫図鐔 無銘美濃

 江戸時代中頃の美濃彫の様式になる、秋草に虫図鐔Photo①を紹介する。赤銅地を木瓜形に造り込み、切羽台に比して耳際を厚く仕立て地を深く彫り下げて魚子地に仕上げ、耳を地面と見立てたものであろうか鐔の中央へ伸びているように秋草を高肉に彫り描き、虫は正体、所々に金の露象嵌を散し、花には素銅の色絵を加えている。草むらを覗き込んでいるようなこの図は、江戸時代に間々みられる構成の一例である。古美濃極めの笄と比較して、彫際に肉が付いて枝や薄の葉先の線が少し幅広く感じられる。高彫の際を削ぐように仕立てた古美濃と異なる点である。もちろん高彫の高さ(彫り下げの深さ)も異なる。このような耳の周囲を地面に想定した構成は、単純に下から上へと構成する、時代の上がる作とは異なり、風景の文様化という美意識をより強くしたもの。即ち琳派の美観に影響を受けていると思われる。
 Photo②も江戸時代中期から後期にかけての鐔で、色金を多用して華やかな画面を演出した作。秋草の意匠に洗練味があり、虫の表現にも高度な手技、技術の進化が覗えよう。秋草の中で気になるのが朝顔。時代の上がる作品には少ない植物で、江戸時代に流行した新種の朝顔栽培の影響を受けてのものであろうか。高彫は古美濃のそれに比して穏やかであり、極端な描写をせずとも自然味ある景観の表現が可能となってきたことを意味するものでもあろう。濃密な構成は美濃の伝統を受け継いでいるが、この時代になると、果たして美濃彫と呼んで良いものであろうか。多くの金工が美濃様式を下地に新たな表現を試みているわけで、確かに美濃住○○と銘された作品の風合いを受け継ぐも、明らかに変化がみられるのである。