鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

安宅図鐔 岩本昆寛 Konkan Tsuba

2011-04-30 | 
安宅図鐔 岩本昆寛


安宅図鐔 銘 白峯亭岩本昆寛(花押)

 安宅の関所で捕らえられる恐れがあろうものなら突破せんと企む義経一行。勧進帳など、様々に脚色されて現代に伝えられている場面である。
 関所を前にして如何に進むべきか悩んでいる様子が精巧な彫刻で表現されている。裏にはその様子を眺めているかのように鳥が描かれている。
 銘工岩本昆寛の傑作のひとつ。
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碁盤忠信図鐔 藻柄子宗典 Soten Tsuba

2011-04-28 | 
碁盤忠信図鐔 藻柄子宗典


碁盤忠信図鐔 銘 藻柄子入道宗典製

 義経の逃避行に関わる伝説は、殊に江戸時代には歌舞伎の演題として多く採られている。義経が奥州から鎌倉に出立した頃から、その側近として活躍した佐藤忠信の伝説もその一つ。
 豪傑で知られる忠信は、屋島において義経の身代わりとなって死んだ継信の弟。京へ向かう最中、吉野で義経に扮して囮となり、義経とは離れ離れとなった。その後を追って京に向かい、義経と巡り会うべく潜伏していたが、そこに追手が迫った。力自慢の忠信は、手近にあった碁盤を片手で掴み上げると、これで太刀を受け払い、殴りつけるなどして応戦した。しかし…。
 鐔は鉄地肉彫地透金銀赤銅素銅象嵌。縁頭は赤銅魚子地高彫金銀色絵。

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碇知盛図縁頭 Fuchigashira

2011-04-27 | 縁頭
碇知盛図縁頭


碇知盛図縁頭

 赤銅魚子地に波を文様のように全面に配し、金銀の露象嵌を散らして荒れ狂う瀬戸内の海を表現。ここに碇を背負い薙刀を持つ知盛、数珠を手にする弁慶を高彫色絵の描法で活写している。
 先に紹介した小柄と同場面だが、主題に採り方で、大物浦、舟弁慶、碇知盛(いかりとももり)の題が付される。碇知盛とは、壇ノ浦で最期を悟った知盛が、身体が浮かび上がらぬよう碇を背負って身を投じたことから。
 大物浦から船出した義経の船団の西行を阻止したのは、壇ノ浦において、自らの身体に碇を巻き付けて沈んだ平知盛の亡霊であった。特にこの場面は江戸時代の歌舞伎などに採られて知られている。この図柄構成にも歌舞伎の演出が窺い知れる。これに対するのは弁慶。念珠を振りかざして怨霊を鎮めんとするも、ついには圧し返されてしまった。
 その後の歴史上における義経勢の足取りは不明な点が多い。紀伊国から大和を経て京に至り、ここでしばらく隠棲するも、追手が迫り、北陸を経て奥州平泉へと至ったというのがおおよその道程であろうか。
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大物浦図小柄 Kozuka

2011-04-26 | 小柄
大物浦図小柄


大物浦図小柄 

平家追討に大きな役割を果たした義経は一躍有名になり、合戦以後は京堀川に屋敷を賜り、ここを拠点とし、京の公家とも関わりを深めて次第に権力を高めていった。このように、鎌倉の頼朝は理解した。頼朝にとって武家の構造は、頼朝を頂点とするピラミッド。その一角が特殊な構造となっては、ピラミッドが崩壊しかねない。自らの指示なしに行動する義経は排除の対象と判断された。そこには、血を分けた兄弟という意識はなかった。
 追われることとなった義経勢は九州を目指して逃避を断行。ところが大物浦(兵庫県尼崎辺り)から船出したものの嵐に遭遇。船団は散り散りになり、押し流されて住吉辺りに上陸、九州への逃避は不可能と判断し、奥州藤原氏の許へと向かうことを決意した。
 九州へと向かう船を押し返す嵐は、瀬戸内に沈んだ平家の亡霊が起こしたものと伝説されている。この小柄は、船の先に現われた平知盛の亡霊に立ち向かう弁慶を描いている。
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八艘飛義経図鐔 Tsuba

2011-04-23 | 
八艘飛義経図鐔


八艘飛義経図鐔

 八艘飛びとは、上下に揺れる舟のタイミングを計って隣の舟へと跳躍する波の力を利用した術だが、教経には真似ができない。
 義経の近くまで迫りながら、ついに逃してしまった教経は、ここが最期の場と悟り、源氏の雑兵を捕まえると、これをそのまま道連れに海中に身を投じた。
 この鐔は、義経の背を悔しそうに見やり、届かぬまでも腕を伸ばす教経の姿が印象的に表現されている。真鍮地高彫色絵。

 このほか、壇ノ浦に取材した図の装剣小道具には、幼い安徳天皇と共に身を投じた二位尼(平徳子)図などもあったが、残念ながら写真資料が見出せなかった。
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八艘飛義経図縁頭 Fuchigashira

2011-04-22 | 縁頭
八艘飛義経図縁頭


八艘飛義経図縁頭

 得意な弓矢を使い果たしてしまった教経は、舟を操り義経に迫る。ようやく義経に手の届く所まで到達した教経が太刀に手を掛けようとした、その直後、いやその瞬間にはすでに義経は宙を舞っていた。
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八艘飛義経図笄 後藤廉乗 Renjo-Goto Kougai

2011-04-21 | 
八艘飛義経図笄 後藤廉乗


八艘飛義経図笄 銘 紋廉乗光美(花押)

 扇の的図小柄と二所物とされた笄。屋島を逃れて瀬戸内を西に進み、彦島を拠点とした平家にとって、ここが最後の砦であった。すでに九州は源範頼が制覇していた。壇ノ浦の決戦の場である。ここでも戒めを秘めた多くの物語が生み出されている。
舟から舟へと飛び移る武者のこの図も、弓流し図に関連して義経の身軽さが主題とされている。弓流しではその負の要素が主題を成すが、ここでは義経の姿が華々しいほどに浮かび上がる。
 追うのは平教経。正にライバルとして執拗に義経に迫ったその姿が義経と対比されて描かれている。


八艘飛義経図小柄 無銘
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弓流し図鐔 藻柄子宗典 Soten Tsuba

2011-04-20 | 
弓流し図鐔 藻柄子宗典


弓流し図鐔 銘 藻柄子入道宗典製

 先に紹介した逆櫓図の表の図。鉄地肉彫地透金銀素銅象嵌。
 義経が、落としてしまった己の弓をなぜに危険を冒してまで奪われまいと争ったのか。良く言われていることだが義経は小さかった。それが故に使っている弓も小振りである。義経を狙い続けていた平教経と比較すれば何と弱弱しく感じられようか。
だが、そもそも、京五条の橋で弁慶をねじ伏せた義経の戦法は、伝説ではあるが欄干から欄干へと飛び移る、身軽さを利用したもの。小がら故である。平家物語では豪傑平教経と義経を比較するような場面が各所に展開されている。小がらであっても勇敢な義経は、画題としては頗る面白い。
 弓流しが史実とすれば、義経は自らの身体的な弱さを平家勢に知られたくなかったのであろう。


弓流し図目貫 無銘

 この後に梶原景時率いる源氏の軍団が軍船を連ねて到着。その勢いに圧されるように、平家軍は海路を西にとった。
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弓流し図小柄 春貫・光壽 Harutsura・Mitsutoshi Kozuka

2011-04-19 | 小柄
弓流し図小柄 春貫・光壽


弓流し図小柄 銘 青春貫


弓流し図小柄 銘 光壽(花押)

 青木春貫(はるつら)の小柄。江戸時代後期の京都に活躍した青木春貫は大月派の流れを汲む金工だが、後藤流の精巧な人物描写を得意とした。殊に人物表現に優れている。この小柄でもその技術が発揮されている。後藤宗家十一代光寿の同図小柄と比較鑑賞されたい。
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弓流し図鐔 後藤栄乗 Eijo-Goto Tsuba

2011-04-18 | 
弓流し図鐔 後藤栄乗


弓流し図鐔 無銘 後藤栄乗

 先に紹介した扇の的図鐔の反対面がこの図。源平屋島の合戦に取材し、弓に関わる出来事をテーマとしたのであろうか、表裏どちらを表にしても使えそうな作。桃山時代以前にはこのように裏面という意識の低い作が多い。
 美保谷十郎と景清の一騎打ちの後、ついに乱戦に突入した。この戦いの中で、義経は自ら用いていた弓を落としてしまった。その弓を捨ててしまわずに拾い上げようとする義経。そして弓を奪おうとする平家勢の争う様子もまた画題に採られることが多い。
 この鐔では平家勢の姿は描かれてはいないが、戦場の混乱振りが見事に表現されている。名鐔である。
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錣曳図鐔 Tsuba

2011-04-16 | 
錣曳図鐔


錣曳図鐔 無銘 

 後藤の目貫に比較し、豪傑然とした両者の姿が表現されている鐔。目貫に比較して大きな画面であり、迫力もある。鉄地に立体感のある肉彫とし、金銀素銅の象嵌。
 美保谷十郎は、源平合戦の後に敦賀に居住。義経が都を追われて奥州に逃れる際にはその手助けをし、加賀国への山道を案内したと伝えられている。
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錣曳図目貫 後藤顕乗 Kenjo-Goto Menuki

2011-04-15 | 目貫
錣曳図目貫 後藤顕乗


錣曳図目貫 無銘 後藤顕乗

 藤原景清の名前に冠されている悪七兵衛の悪とは豪傑のことで、決して悪人の意味ではない。その名は源氏にも知られているほどで、これに比べれば小柄な美保谷十郎では一騎打ちに不利。しかしこの時代、強豪に埋もれてしまいそうな中で少しでも己の存在感を高めるためには、負けることなど意識していられなかった。
 この目貫は後藤宗家八代顕乗の作。栄乗の目貫と比較されたい。
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錣曳図目貫 後藤栄乗 Eijo Menuki

2011-04-14 | 目貫
錣曳図目貫 無銘 後藤栄乗


錣曳図目貫 無銘 後藤栄乗

海上に逃れた平家であったが、次第に義経軍の実数に気付き始め、中には上陸を試みる猛者がある。その一人が悪七兵衛景清であり、薙刀を片手に上陸、義経軍の前に進み出た。これに自らが応じると名乗り出たのが美保谷十郎。ところが馬を射られて転倒。ここに景清が駆け寄って討ちとろうとするも、十郎も逃げては恥と応戦。火花を散らして太刀と薙刀を打ち合うも、ついに太刀が折れた、と思いきや、景清の薙刀も折れていた。既に無用の得物ながら捨てることを忘れ、両者は激しく組み合う。そのとき、景清が十郎の兜をむんずと掴んだ。しかし抗う十郎にも力はあり、もみ合ううちに、ついにその錣が剥ぎ取られてしまった。
この場面も描かれることが多い。一騎打ちという戦闘様式を重んずる源平の時代の意識が窺いとれる。後藤宗家七代栄乗の作。赤銅地容彫金銀色絵。
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扇的図鐔 後藤栄乗 Eijo-Goto Tsuba

2011-04-13 | 
扇的図鐔 後藤栄乗


扇的図鐔 無銘 後藤栄乗

 後藤家は小柄笄目貫の三所物を専らとし、元来は鐔を製作していなかった。時代の要求であろうか、桃山頃の徳乗や栄乗から鐔がみられ、赤銅魚子地に高彫、華やかな色絵の施された作を特徴とする。鐔に限らず源平合戦図などが多くなるのも時代の要求からであろうか。
 桃山時代以前の鐔は、表裏の区別がつかない例が多い。小柄笄の櫃穴の形状も左右同じで、図柄の華やかさにおいても区別がつかない。表裏を掛け替えることを意図していたものであろうか。この鐔は小振りで、脇差に用いられたものと推測される。写真の面は裏。大振りの櫃穴は州浜形で笄用ではなかろうかと考えるも、左に位置して小柄櫃とされている。小さな角形の櫃穴が右に位置して、これが笄用であろう。
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扇の的図小柄 廉乗 Renjo Kozuka

2011-04-12 | 小柄
扇の的図小柄 廉乗


扇の的図小柄 銘 紋廉乗光美(花押)

 水際を境界とした対峙が続く中で、舟上の平家の女房が扇の的を掲げ、波に揺れるこの的を射てみよと挑発する。義経は、誰か腕に自身のあるものはおらぬかと言う。そこで名指しされたのが那須与一。激しく揺れる舟上の扇を見事に射抜いたこの場面はあまりにも有名。
 小柄は後藤宗家十代廉乗の作であることを、同十五代光美が極めたもので、後に紹介予定の義経八艘飛図笄とは二所物の一つ。


扇の的図笄 無銘
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