鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

文散図鐔 

2011-07-30 | 鍔の歴史
文散図鐔 (鍔の歴史)


文散図鐔 応仁

 鉄地を菊花形に造りこみ、その花弁を意匠したものであろう放射状に筋を刻み、表裏全面に真鍮地による文様の象嵌と線象嵌及び点象嵌を散し配している。先に紹介した文散しの鐔とは、文様の意匠が良く似ている。唐草風の植物、その葉の描法、菊花や木瓜形紋なども同様である。象嵌の色合いは赤みが強いものの、真鍮であり、保存によって色調に変化が生じたもの。作者を想定するとしたなら、一つの門流のような形で継承が行われたものであろうか、あるいはかなり近い工、極端な見方では同人の可能性もある。あるいは全くの流行なのであろうか、実はこのような作が比較的多いのである。86.3ミリ。□


文散図鐔 応仁 Tsuba Onin

2011-07-29 | 鍔の歴史
文散図鐔 (鍔の歴史)


文散図鐔 応仁

 平安城象嵌鐔と呼ばれる一類がある。鉄地に真鍮や素銅などを象嵌する装飾で、専ら唐草や植物、風景の一部、家紋、小動物などを簡素な文様として、わずかに盛り上がる程度の肉取りの象嵌とする。その初期の鐔に応仁鐔と呼ばれる作類がある。
真鍮という素材は、室町時代中頃に中国から伝えられたといわれている。宣徳と呼ばれている器物の材料がそれである。宣徳とは中国の年号(1426~1435)のことで、我が国では応永末から永享頃に当たる。これが応仁の頃に広まり、鐔の装飾にも利用されたと考え、真鍮象嵌鐔の初期の作を応仁鐔と呼び慣わしているようである。ただし応仁という時期は不確かであり、先生方も首を傾げているのだが、呼称だけは江戸時代から伝わっているため、かなり曖昧であるが伝統的に用いている。意味の不確かな応仁鐔に代わる、時代や特徴を良く捉えた呼称が生まれることを願っている。単に宣徳象嵌鐔でも良いのだが。
 この鐔は、点象嵌、櫃穴の周囲に線象嵌を加え、鐔全面に無造作な風合いで文を散らし配した、応仁鐔の典型。
これに続く平安城象嵌とは、広い意味では同じ流れで、単に時代が下がって「平安城○○」という銘が見られはじめる桃山頃という見方でよい。文鉄地への文様表現鐔の初期の作と考え、透鐔と並列して、文様表現の変遷を楽しむのも良いだろう。

菊花透図鐔 Tsuba

2011-07-28 | 鍔の歴史
菊花透図鐔


菊花透図鐔 銘 房吉

 甲冑師の系統と鑑られる、放射状の線が古調で魅力ある鐔。在銘でもある。九州に房吉(ふさよし)と銘する工があると言われており、これがその鐔であろうか。初めて見たもので、銘が作者のものか、後のものかも不明。ただ、時代の上がる作であり、小柄笄の櫃穴の様子も古調、その仕立ては古拙であり、面白みはここにもある。江戸時代の完成された菊花透とは趣が異なり、見ているだけで飽きない。扱い易い大きさであり、打刀に装着されたもので、時代背景もイメージができる。80.4ミリ、切羽台厚さ2.7ミリ、耳際厚さ5.4ミリの、中低の造り込み。鉄地は色合い黒く、質感も上々。

梅樹透図鐔 Tsuba

2011-07-27 | 鍔の歴史
梅樹透図鐔 (鍔の歴史)


梅樹透図鐔 甲冑師

 梅の花の一部が欠けているが、総体の魅力を減ずるものではない、優れた鐔である。指先で弾くと、カランとして乾いた響きがあり、古鐔のそれと風合いは同じ。肌合いも古調であり、意匠の新鮮味から江戸時代の作と極められたものであろう。少なくとも桃山時代はあろうかと推測している。花蕊の極細の線の繋ぎが繊細であり、
これでは錆び込んで欠落しても仕方あるまい。意匠も優れている。江戸時代に流行した赤坂や肥後のそれとは全く異なる、根元の構成などは古金工の図採りをも思わせよう。厚さは3ミリの平坦で、縦86.9ミリ。□

茸透図鐔 Tsuba

2011-07-26 | 鍔の歴史
茸透図鐔 (鍔の歴史)


茸透図鐔 甲冑師

 保存が良かったのであろう表面状態が良く、見かけが綺麗な鐔。図柄は松茸であろうか霊芝であろうか、簡潔な意匠で透かしを施し、その背景として、地面に毛彫による花のような、あるいは炭目のような放射状の文様が切り施してある。この点が装飾的である。地鉄は鍛えの強さが良くわかり、素質は頗る良いのだが、なぜか甲冑師の極め。耳は平地が3ミリ、桶底式の耳際が5ミリと厚手。頗る優れた鐔であることを再度述べておく。87.5ミリ。

雪文透図鐔 Tsuba

2011-07-25 | 鍔の歴史
雪文透図鐔


雪文透図鐔 甲冑師

 雪の表現になる図で過去に紹介したことのある鐔。モコモコとした雪の様子を意匠したもの。土手耳とされた耳際の厚さが6.5ミリと極厚であり、縦が93ミリであるから、かなりどっしりとしている。これによって江戸時代の作、即ち甲冑師鐔と極められている。耳際の厚い部分はわずかに傾斜が付き、表面の観察では鑢仕上げの痕跡が残って景色となっており、地面は中高で、厚手の耳際が幾分薄い仕立て。さらに表裏では地面の肉取りもごくごくわずかに異なっている。構造にも妙趣が感じられる名鐔である。
 幾度か述べているが、鐔は刀のバランスを調整するためにもある、総ての古い甲冑師鐔が薄いわけではない。厚手の古い甲冑師鐔があって然りであるが、否定しておられる方もおられるようだ。江戸時代に入ってから、どのような目的でこの鐔が製作されたのであろうか。戦国時代末期の天正頃から江戸時代に入って慶長、元和頃までの、南北朝時代写しのがっしりとした刀に装着されたものであろうか。それともさらに時代は下がると鑑ておられるのであろうか。江戸時代も降ると、拵総体の意匠についてなかなかイメージできない。この鐔は鉄味も良く、保存状態も良く、表面が平滑で錆薄く綺麗であるところも時代が下がると判断された要点のようでもある。□

輪宝透図鐔 Tsuba

2011-07-23 | 鍔の歴史
輪宝透図鐔 (鐔の歴史)


輪宝透図鐔 甲冑師

 十二方に突き出した形状だから輪宝ではないだろう。その意匠化、あるいは他の何かを意匠したもので、図柄の面白さと同時に、地鉄の強さを確認されたい。平滑に仕立てられ、しかも保存状態が良かったために甲冑師鐔と極められている。即ち江戸時代に入ってからの作という意味である。表面には鍛えた鎚の痕跡が残り、色合い黒く、強みが感じられる。耳には覆輪が掛けられているが、後世の手になる。89.3ミリ。厚さは3ミリで平坦。

巴透図鐔 Tsuba

2011-07-22 | 鍔の歴史
巴透図鐔 (鐔の歴史)


巴透図鐔 古甲冑師

 なんと大胆な透かしの構成であろうか、巴、くくり猿、唐華文の陰の桶底式に構成された耳はやや幅広で、厚さは7ミリほど。地は2.4ミリとごく普通だが、がっしりとした感があるのは透かしのためであろう。耳を厚くしている理由は、相手の刀を受ける際、耳が頑丈であればより効果的であろうと考えるのは当然だが、果たして本当に効果があったものだろうか。刀匠鐔のように耳を立てない例もある。厚手の耳や桶底式の耳は、太刀鐔からの伝統的な意識もあるのではなかろうか。93.2ミリ。

輪宝透図鐔 Tsuba

2011-07-21 | 鍔の歴史
輪宝透図鐔 (鍔の歴史)


輪宝透図鐔 古甲冑師

 黒漆が全面に塗り施されたままの鐔。地鉄の様子は所々の漆が剥げた部分でしか判断できない。このような鐔を、自ら手入れするのも鉄鐔の楽しみの一つであろう。このような車状の透かしも甲冑師の手になると考えられている。技法としては、薄く鍛えた鉄地を透かし抜いて車状に仕立てる方法と、円環状の耳に放射状の地板部分を接着するという方法で、まさに甲冑師の技術を以て製作したと考えられる例もある。これは透かし抜いた作。切羽台厚さ3.5ミリ、耳際厚さ2.5ミリで、刀匠鐔のような平坦な厚さだが、透かしの点から甲冑師と鑑られている。縦84.5ミリ。□

波頭透図鐔 Tsuba

2011-07-20 | 鍔の歴史
波頭透図鐔 (鐔の歴史)


波頭透図鐔 古甲冑師

 指先で弾くと、カランという乾いた音が響く。鎚の痕跡が残されて色合い黒々とした鉄味優れ、打ち返して寄せた耳際の鎚痕の様子も魅力的。もちろん意味の不明な小透かしの存在感はこの鐔の最大の魅力である。波であろうか、瑞雲であろうか、巴であろうか、心象表現された何かであろうが…。製作は室町時代と鑑ている。

水玉透図鐔 Tsuba

2011-07-19 | 鍔の歴史
水玉透図鐔 (鍔の歴史)


水玉透図鐔 古甲冑師

 縦が72ミリの小鐔である。ところが、そのサイズにしては茎櫃がかなり大きい。どのように使用されたものであろうか。たいへん面白い鐔であることは間違いない。時代は室町と鑑たが、それも怪しく、むしろ時代は遡るとすら考えられる。小鐔だから片手打ちの刀の鐔というように単純に解釈してしまって良いものであろうか。鐔とは、刀を保持する拳を護るためだけではなく、バランスをも調整する道具である。それゆえ、時代の上がる甲冑師鐔はすべて大振りであるかのような論じ方をされているが、写真のような小鐔があってもなんら不思議ではない。計測した厚さは2ミリほどだから、表面の凹凸を考慮すると実際はさらに薄いはず。表面には鎚の痕跡と、点刻が叢に施されており、その様子からは、装飾性よりも道具としての鐔の存在感が伝わりくる。地鉄の一部に割れがあり、これも自然な景色となっている。頗る興味深い鐔である。

左右宝珠透図鐔 Tsuba

2011-07-16 | 鍔の歴史
左右宝珠透図鐔 (鍔の歴史)


左右宝珠透図鐔 古甲冑師

 室町時代の作と鑑られる地鉄の強みの感じられる鐔。切羽台厚さが3ミリで、耳が8ミリ。鉄色黒く光沢があり、鍛えの強さが良くわかる。図柄の意味が不明で、これも面白い。左右の宝珠形の透かしは小柄笄の櫃穴ではない。上下に施された触覚のような透かしと茎櫃の四方に配した小丸と共に鐔の意匠である。この小丸も何を意匠したものか不明。切羽を装着すれば半分ほどが見えなくなるはずであり、それら、切羽から覗かせる小透かしの様子を想像されたい。97ミリ。

梅花透図鐔 Tsuba

2011-07-15 | 鍔の歴史
梅花透図鐔 (鍔の歴史)


梅花透図鐔 古甲冑師

 鍛えた鉄地はおよそ2ミリ。桶底式の耳は数ミリほどで、耳の際には地鉄を寄せたような鎚の痕跡があり、これも魅力。地面には放射状の鑢目が切り施されているが、鎚の痕跡、錆込みと働き合って所々消えかかっており、風化してゆく物の時の移ろいを視覚に訴えかけているようで、意図せぬ景色となっている。このような美観から、後に破扇などの創造された図案が生み出されたのであろう。また、茶器の素朴な美観にも通じることが改めて感じとれよう。88ミリ。

後光透図鐔 Tsuba

2011-07-14 | 鍔の歴史
後光透図鐔 (鍔の歴史)


後光透図鐔 古甲冑師

 鉄味の優れた板鐔で、耳の処理はなく平滑な造り込み。大胆な放射状の透かしを施しており、車透の図からの変化であると推測される。後に時計透とも呼ばれるように、時計の歯車をも想わせる意匠の面白さがこの鐔の魅力。とにかく鉄味が良くて色黒く光沢が強く、味わい格別。甲冑師鐔には、このような透かしが大きく施された例がある。耳の処理も桶底式ではなくわずかに丸みを持たせたもので、刀匠に分類しても良いような造りだが、透かしの構成から甲冑師と分類されたようだ。円形の鉄板を鍛え、三角を透かし抜いたのであろう、耳にその歪んだ様子が現われて一つの景色ともなっている。縦88.8ミリ、切羽台厚さ4ミリ。□

繭玉透図鐔 Tsuba

2011-07-13 | 鍔の歴史
繭玉透図鐔 (鍔の歴史)


繭玉透図鐔 古甲冑師

 蚕が作った繭玉を題に得た、洒落た透かしの鐔。繭玉は正月飾りにも採られているように、自然の恵みの豊かさを示している。繭玉を一つだけ透かすのではなく、二つを組み合わせて綺麗な文様としているところに魅力がある。耳は環状に仕立てられてはいるが土手耳と言うべきか。このような耳の仕立てには幾つかの方法がある。①一枚の板鐔の耳を鋤き込みや打ち返しなどで厚手に仕立てる方法、②別造りの環を地板と鍛接する方法、③薄い鉄板を中空の環状に仕立て、これで耳を包むように組み合わせる方法。この鐔は③の方法ではなさそうだ。地板は厚さが2.2ミリと薄手、耳は数ミリほどに仕立てられている。地には鎚の痕跡が良く残り、黒漆が塗られていたと思われる痕跡も窺える。縦78.2ミリ。