鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

葵木瓜形鍔 Tsuba

2011-06-30 | 鐔の歴史
葵木瓜形鍔 (鍔の歴史)


葵木瓜形鐔 銘 武州住赤坂忠則

 鉄地高彫の鐔。糸巻太刀の鐔と全く同じ意匠だが、大切羽が本来の大切羽ではなく高彫で表現されている。銘の方向と小柄笄の櫃穴の存在から、打刀拵に装着することを目的に製作されたものと考えて良い。もちろん太刀拵にも装着された可能性はある。赤坂忠則は、江戸時代後期の工で、赤坂一門独特の透かし鐔を製作すると共に、独創的な分野にも視野を広げている。83.7ミリ。

葵木瓜形鍔 Tsuba

2011-06-29 | 鐔の歴史
葵木瓜形鍔 (鍔の歴史)



葵木瓜形鐔

 江戸時代に糸巻太刀拵に装着された鐔。本体は四方に猪目透を設けた葵木瓜形で、厚く仕立てた耳は金色絵覆輪、大切羽と呼ばれる葵木瓜形に剣形を意匠した赤銅金具を表裏に装着し、更に金、赤銅、金というように三枚の切羽を表裏に装着する。これによって切羽を含めた鐔
の厚さが大きくなり、太刀の目釘穴の位置は刀に比較して1センチほど下に位置することになる。
 糸巻太刀拵とは江戸時代に流行した拵洋式の一つ。恩賞品、献上品、贈答品などに用いられたようだ。収められている刀身は、古作だけでなく、江戸時代の刀も用いられている。江戸時代の刀で、目釘穴が1センチほどの間隔で二つ穿たれている作は、糸巻太刀拵などに入れられた可能性がある。



葵木瓜形鐔

前作の赤銅地に金色絵を多用したものと違い、赤銅地に控えめに家紋のみを金色絵で表わしている。鞘はいずれも金梨子地塗りで華やか。

葵木瓜形鍔 Tsuba

2011-06-28 | 鐔の歴史
葵木瓜形鍔 (鐔の歴史)



葵木瓜形鐔

 江戸時代の毛抜太刀拵に装着されている、優れた意匠の葵木瓜形の鐔。葵木瓜形とは葵の葉を四方に組み合わせたような木瓜形のこと。この鐔は、総体が金色絵で華やかでありながらも重厚感がある。古様式になる厚手の耳の仕立てで、薄い地には掛け外しが可能な大切羽が備わっている。文様は唐草文の毛彫。大切羽には四方剣形と猪目が透かされている。
 本来の毛抜太刀は、柄に毛抜形の透かしが施されている。毛抜形目貫を添えるのは後代のもので、正確には毛抜太刀と言うべきではないだろう。

牡丹獅子図鍔 Tsuba

2011-06-27 | 鐔の歴史
牡丹獅子図鍔  (鍔の歴史)


牡丹獅子図鐔 無銘 美濃後藤

 豪壮華麗な太刀鐔風の鐔。打刀拵の鐔として製作されたものだが、明らかに古典的な太刀の意匠を採り入れている。後藤家では伝統の目貫、小柄、笄の三所を専らとしているが、江戸時代には鐔の製作も手がけており、多くは無銘。本作のように後藤の獅子を、やはり古典的な牡丹との組み合わせで描いている。伝統を重んずる後藤本家としては、決して製作しなかったとは思われないが、この趣の鐔は遺さなかったのであろう。
 赤銅魚子地に、美濃彫を想わせる彫り込み深く主題の際が切り立つような高彫とし、金の色絵手法。耳際には粗い魚子を打ち、耳にも櫃を切って牡丹文を配している。拵に装着しては、頗る華やか、しかも後藤の伝統が覗い見えて重厚感に満ちている。73ミリ。□

唐草文図鍔 Tsuba

2011-06-25 | 鐔の歴史
唐草文図鍔 (鍔の歴史)


唐草文図鐔 無銘 平戸

 先に紹介した肥前平戸國重の、無銘鐔と鑑定されている作。確かに造り込みは良く似ている。これも太刀鐔を打刀の鐔として意匠したもの。小柄笄の櫃穴が左右同じような州浜形とされていることから、図柄に表裏の差異がない鐔で、時代も上がるような意匠とされたものであろう。簡素な仕立てに、唐草文が活きている。五ツ木瓜形も変った意匠であり、肉厚に仕立てられた耳の構造にも注意されたい。古い太刀鐔を手本としたことがわかる。75.5ミリ。

波龍図鍔 Tsuba

2011-06-24 | 鐔の歴史
波龍図鍔  (鍔の歴史)


波龍図鐔 銘 平戸國重

 太刀鐔のデザインを打刀拵の鐔として使用した例。江戸時代を通して、このような太刀鐔に見紛う作例は多い。構造は兵庫鎖太刀の鐔と似ているが、小柄笄の櫃穴が設けられ、しかも天地と表裏が厳然として想定されており、明らかに江戸時代のもの。作者の國重(くにしげ)は、肥前国平戸の金工で、南蛮文化の影響を受け、南蛮の趣のある鐔も製作している。72ミリ。

雪華文透図鐔 Tsduba

2011-06-23 | 鐔の歴史
雪華文透図鐔 (鍔の歴史)


雪華文透図鐔 古金工

 太刀にも打刀にも使用したであろう鐔。かつて紹介したことのある鐔だが、この存在感が興味深いので紹介する。
 六ツ木瓜形の六方に猪目を配し、地面には毛彫で唐草文を廻らしている。素材は山銅あるいは真鍮、古拙な魚子地とし、恐らく別彫りした雪華の透かし文を嵌め込んでいる。文様の方向性に天地が想定されていないことから、太刀にも打刀にも使用可能な鐔として製作されたもの。大きく桃山頃と捉えたが、戦国時代を含めてのもので、室町時代末期の可能性もある。85ミリ。□

太刀鐔 Tsuba

2011-06-22 | 鐔の歴史
太刀鐔 (鍔の歴史)


太刀鐔 写し

 鎌倉時代を想定し、現代金工によって製作された兵庫鎖太刀の写しである。鞘の装飾は金の下地に銀を用いて文様が映えるよう構成された華やかな作ながら、鐔は文様のない質素な風合い。銀地泥障形(あおりがた)で磨地仕上げ。大切羽を菊花形に仕立てて鐔の装飾としている。この種の鐔は比較的装飾性に乏しい。
 泥障とは鞍の下に装着する馬具の一つ。鐔がこの形状に似ていることからの呼称。太刀鐔においては、上部がやや広く、下部が狭い偏った角丸形と考えれば良い。江戸時代に打刀拵の鐔としても泥障形は流行している。打刀拵の場合には、逆に、上部がわずかに幅の狭い偏角丸形となる。

練革鐔 Tsuba

2011-06-21 | 鐔の歴史
練革鐔 (鐔の歴史)


練革鐔(太刀鐔)

 幕末頃に、鎌倉時代を想定して製作した太刀拵。黒造と呼ばれ、総体を黒漆塗りとし、鐔は練革製であるところに特徴がある。これも刀を保持する際のバランスを考慮したものと考えられ、鞘の仕立ても革包み。革包太刀とも呼ばれている。この作では、練革鐔に放射状の鑢を施した大切羽を装着している。
 練革鐔とは、叩いて平滑に柔らかくした牛革などを複数枚漆で貼り合わせた下地で、表面は黒漆仕上げとされたものが多い。軽くしかも堅牢であり、全体を革包とした太刀拵などに装着される。鬼丸國綱の呼称で知られる太刀拵がこの造り込み。

唐草文図鐔 太刀師 Tsuba

2011-06-20 | 鐔の歴史
唐草文図鐔 (鐔の歴史)


唐草文図鐔 太刀師

 室町時代から桃山頃の作であろう、赤銅地の柏文鐔と同様に太刀鐔の造形を打刀の鐔に転じたもの。同趣の鐔で室町時代の太刀鐔と極められた作もあるが、このような文様の配置から考えると、太刀鐔ではなく、打刀に用いられるべく製作されたものであることがわかる。明らかに太刀様式を残しているものであり、時代は、大きく眺めてのもの。山銅地の耳を局厚に仕立て、地は薄手、地と耳に薄肉彫で唐草文を彫り出している。74.8ミリ。

唐草文に桐紋図太刀鐔 Tsuba

2011-06-18 | 鐔の歴史
唐草文に桐紋図太刀鐔  (鐔の歴史)




唐草文に桐紋図太刀鐔 室町時代

 小太刀の拵に装着されている鐔、山銅地を薄手に仕立て、鐔の厚さが八ミリほどの中空の造り込みのため、外観は小振りでがっしりとした感があるのだが、殊のほか軽い。総体のバランスを考慮したものであろう。深い切り込みの木瓜形に四方猪目を透かしている。浅い毛彫で五三桐紋と唐草文を配し、金色絵として華麗。高級武将の所持という感じはなく、むしろ戦場で扱い易い寸法であることから、中あるいは上級武将の太刀の添え差しのような形で実用とされた小太刀であったと考えられる。総金具も同様の簡素な造り込みであり、高級品ではないにもかかわらず、状態良く遺されている。この拵に収められた刀剣類は何であろうか。もちろんこの時代に大小の小という脇差は存在しない。腰刀から脇差へ、あるいは小太刀から脇差へと変遷してゆく過程の武具であると言えよう。大変に貴重な資料である。□

柏葉文図鐔 Tsuba

2011-06-17 | 鐔の歴史
柏葉文図鐔  (鐔の歴史)


柏葉文図鐔 桃山時代

 上質の赤銅地を肉厚い地造りとし、深彫で地と耳に柏文を高彫している。天地を逆にして眺めると、太刀鐔の様式であることは理解できるのだが、櫃穴が存在し、明らかに打刀を想定したもの。即ち、太刀鐔の意匠を打刀拵に採りいれたもの。後に太刀鐔を意匠した打刀の鐔をいくつか紹介するが、その比較的初期のもので、基本構造は太刀鐔と言える作である。描かれている葉の構成も打刀を想定している。78ミリ。

枝菊文図太刀鐔 Tsuba

2011-06-16 | 鐔の歴史
枝菊文図太刀鐔  (鐔の歴史)


枝菊文図太刀鐔 室町時代

 過去に紹介したことがある。泥障木瓜形でずんぐりとした猪目が四方に配されている。耳は極厚で、耳にも菊文が高彫されている。大切羽にも同じ文様が高彫され、小さな猪目も組み合わされている。太刀拵そのものは残されていないが、おそらく総体が枝菊文で装われた、豪壮な趣が充満したものであったと推測される。この菊文で興味深いのは、古金工に間々見られるような菊の表現ながら、その所々に十六葉の菊紋が散らし配されている点。如何なる意味があるのであろうか。櫃穴が後に明けられ、赤銅で埋められた痕跡があるところから、江戸時代には打刀拵に装着されたことが判る。このような使用はごく普通のことであると理解されたい。縦82ミリ。

太刀鐔 Tsuba

2011-06-15 | 鐔の歴史
太刀鐔 (鐔の歴史)




太刀鐔 鎌倉時代

 兵庫鎖太刀の鐔の一例である。地面に比較して耳を極端に厚く造り込み、地面と耳に薄肉彫で唐草文唐花文などを装飾としている。素材は素銅や山銅に金の色絵。色絵は江戸時代のような薄い金板をロウ着せするのではなく、鍍金のように薄いため、擦れて下地が見えるものが多い。
 この鐔は拵の総金具と同作で、山銅地に唐華唐草文を高彫している。極厚の耳にのみ装飾を施しており、一段低い地面には装飾が施されていない。巴に構成された瑞鳥が彫り描かれているのは、取り外しが可能な大切羽である。

分銅形鐔 銘 安親 江戸時代中期

2011-06-14 | 鐔の歴史
分銅形鐔 銘 安親 江戸時代中期


分銅形鐔 銘 安親 江戸時代中期

 江戸時代中期の土屋安親(やすちか)の作。安親は奈良派の金工で、それまでの金工が古典的な画題や後藤家のように時代の器物などを図に採ることから発展させ、同時代の風俗や新趣の文様など様々な画題に挑んでいる。
 この鐔は分銅鐔ではないが、分銅形鐔を手本とし、楯状に意匠してかつてない作品としたものとして紹介する。江戸時代には、このような太刀鐔そのものをデザインした打刀の鐔も製作された。後に紹介するが、それ以前から、太刀鐔の意匠はそのまま打刀の鐔に採られている。
 鉄地を薄肉彫で唐草唐華文を廻らし、猪目を品良く配して腕抜緒の小穴としている。上下を繋いでいる耳には龍頭を意匠し、中国伝来の風情を演出している。縦80.5ミリ。□


分銅形鐔 後藤清乗

 分銅形鐔を打刀鐔に意匠したもので、江戸時代後期の作。後藤家清乗家七代目の工で、雪心斎と号する。後藤家にあって、後藤らしからぬ作風を専らとし、鉄地に正確で精巧な構成になる絵画風作品などを見る機会が多い。この鐔は、朧銀地に龍文を高彫した、もので、造形のみを分銅形から採っている。安親の作と、製作と使用の目的が同じである。