鐔鑑賞記 by Zenzai

鍔や小柄など刀装小道具の作風・デザインを鑑賞記録

野々宮図縁頭 Fuchigashira

2013-08-30 | 縁頭
野々宮図縁頭


野々宮図縁頭

 光源氏の愛人の一人であった六条御息所は、光源氏の心が定まらないことから、自ら身を引くことを決意する。我が子が伊勢神宮の斎宮として上がるため、一年のあいいだ野々宮で潔斎する慣わしから、これを理由に自らも光源氏とは会わぬつもりであった。ところがこの間に光源氏の正妻葵上は懐妊。思考は離れようとしているも心は未だ離れ得ず、葵上への恨みも重なる。その怨念のためか、葵上は夕霧を出産した直後に他界。こうした背景の中で、光源氏は野々宮の六条御息所を訪ねる。六条御息所は頑なに拒んだが・・・。この場面も良く題に採られている。
 赤銅魚子地高彫金銀色絵。野々宮の象徴でもある黒木の鳥居が印象的。

夕顔図小柄目貫二所 Goto Hutatokoro

2013-08-24 | 小柄
夕顔図小柄目貫二所


夕顔図小柄目貫二所

 時代が下ると、自然観やその美意識は平安時代のそれとは大きく変わったようだと述べた。江戸時代の金工は、夕顔の絡まる様子に独特の美を見出したと言い得る。この作品にも『源氏物語』の意味するところとは別の構成美が窺えよう。赤銅魚子地を高彫にし、金銀を巧みに使い分けて華麗な空間表現を試みた作。光源氏もいなければ夕顔の下女に仕えた女もいない。車を引く牛もおらず、車には夕顔の蔓が巻き付いているのみの留守模様。見方によってはずいぶんと濃艶な趣がある。しかも彫口精妙で美しい。後藤家の作品である。

夕顔図小柄 Kozuka

2013-08-23 | 小柄
夕顔図小柄二題


夕顔図小柄

 光源氏が夕顔の繁る屋敷の女主と一夜の恋。後の展開にも関わることから、ことのほか装剣小道具の画題として多く見られる。平安時代、食用にされる植物は忌避される傾向にあり、夕顔の生い繁る屋敷に住む女性は、即ち品位が低いとみなされたのだが、江戸時代にはずいぶん意識も変化したと思う。ただ、この小柄では、夕顔の存在感は少々怖い印象がある。物語に忠実であろうとしたためか。


夕顔図小柄

小松曳図鐔 Tsuba

2013-08-19 | 
小松曳図鐔


小松曳図鐔

平安王朝人の正月の行事。根の付いた若松を曳き、その生命力を体内に採り入れる。あおくすがすがしい香りが生命の原点であると感じられたものであろう。七草粥の行事もこれに関連している。雪を分けて芽を出した植物の生命力を体内に採り入れる。写真の鐔は『源氏物語』の一場面であろう。


筒井筒図縁頭 夏雄 Natsuo Fuchigashira

2013-08-09 | 縁頭
筒井筒図縁頭 銘 夏雄


筒井筒図縁頭 銘 夏雄

 何度か紹介しているが、平安時代の王朝美を表現した作品として、採り上げないわけにはゆかない作品である。とにかく美しい。下地の処理から高彫、金銀素銅の色絵の構成と処方。すべてが美しい。

あだくらべ図小柄 Kozuka

2013-08-05 | 小柄
あだくらべ図小柄


あだくらべ図小柄

 伊勢物語に採られている話である。自由奔放なる恋愛が普通であった平安時代のことゆえ、現代に擬えて説明はできないが、自由恋愛を背景に女心を分らぬ男と、この男を想うがゆえに恨む女の話と言えよう。

男 鳥の子を十づゝ十は重ぬとも 思はぬ人をおもふものかは
女 朝露は消え残りてもありぬべし 誰かこの世を頼みはつべき
男 吹く風に去年の桜は散らずとも あな頼みがた人の心は
女 ゆく水に数かくよりもはかなきは 思はぬ人を思ふなりけり
男 ゆく水と過ぐるよはひと散る花と いづれ待ててふことを聞くらむ
この、「ゆく水と・・・」の部分を描いたもの。


東下り図鐔 後藤光孝 Mitsutaka Tsuba

2013-08-03 | 
東下り図鐔 後藤光孝


東下り図鐔 銘 後藤光孝(花押)


 「富士見業平」の別称があるように、歌人は在原業平と考えられている。この鐔は、後藤宗家十三代光孝の作。後藤家では鐔の製作が比較的少ないことは良く知られている。鐔の作例としても貴重である。赤銅地を微細な石目地に仕上げ、片切彫で、簡潔に描いている。太刀を手にする侍従を描き、歌人の姿は省略している。東国に下るとは、落ちぶれた姿を想わせる。業平は東国の風情を脳裏に刻もうとしているのだが、侍従のほうでは主を軽んじているのであろうか、装剣小道具の作例によっては、いかにも主の供をしているのでは退屈という態で、のんびりとした様子に表現することもある点は面白い。


東下り図鐔 額川保則 Ysunori Tsuba

2013-08-02 | 
東下り図鐔 額川保則


東下り図鐔 銘 額川保則(花押)

 富士山は、我が国東西を分けるという意味で巨大な存在であったと思う。富士の裾野を巡り経て危険がいっぱいの東国へと向かう。平安時代の東国は、印象として芦原が続き葛の蔓が繁る荒れ野。京人はその中に雅な景色を見出して歌に詠んでいたのである。八橋が読まれたのはまだ富岳の西。雅な風情が漂っていることは、物語の内容からも明瞭。そして富岳を眺めるこの場面を東下り図と呼んでいるように、京人にとっては東国へと向かうキーポイントであった。
 松の木陰で遠く富岳を眺める歌人の姿を、鉄地高彫象嵌の手法で彫り描いたもの。日本的な情緒のある作。額川保則は水戸の名工。水戸金工らしい精巧な彫刻表現。