稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

丸刈りなんぞしなくていい 

2012年02月28日 | 日々
 ゴールインするたびに倒れ込んだり、意識もうろうでも走ろうとする川内選手(埼玉県庁)。
 そのひたむきさ。最近はアイドル的存在になりつつある。

 その川内選手が東京マラソンで14位、五輪出場が厳しくなった。

 2月27日には「けじめ」と称し、丸刈りで登場。
 「応援や期待してくれた人に応えられず、悔しいし、情けなかった。誠意を示すために剃った」と。

 生真面目な川内選手らしい。

 が、ぼくはこんなとき、古い話ながら、かつてのマラソン五輪代表で自殺した円谷幸吉を思い出してしまう。職場、団体・・・様々な重圧を背負ったうえでの悲惨な死。
「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」で始まる遺書。
 死に際まで感謝と謝罪でつづられたそれは今なお記憶に痛々しい。

 スポーツはあくまでその人自身のものであっていい。
 国家からも、地域からも、応援者からも自由であっていい。 

 ぼくはそう願うのだが。
 
 
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村山君との再会 人の顔というもの

2012年02月25日 | 日々
 村山君のこと
 その昔、ぼくが中南米フォルクローレのバンドを組んでいた頃。京都産業大の学生の中にもグループがあり、そこに村山君(仮名)もいた。
 和歌山県出身で、確かケーナを吹いていた。

 その後、村山君とは年賀状だけの細々たるつきあいとなってしまっていた。
 が、最近「村山君は○○社串本支店長らしい」という人づての話。

 訪問
 先日、郷里串本へ帰省した折、その支店を訪ねてみた。
 支店内を見渡したが、それらしき顔は見えない。
 伝え聞いた話はまちがいか?と思ったが、受付で「こちらの支店長は村山さんでしょうか?」と尋ねる。
 「そうですが・・・」との答え。
 受付員は奥の上司らしき人に取り次いでいる。
 『(アッ、あの顔や、村山君や)』とぼくは気づく。

 なんと、小柄で痩せ型だった村山君、顔は丸々し、背広もきゅうくつそう。
 その村山君、「??」という顔でこちらへ近づいてくる。
 そうしてやっと破顔。ようやくぼくに気づいたようだ。

 何十年ぶりの再会を喜んで
 突然の訪問だったため、あいさつだけして帰るつもりだったが、応接室に通され、ついついお互いの近況を長々と談じることに。

「神田さんが串本出身とは知りませんでした。顔も変わられましたねえ。街で会ってもわかりませんよ。」
「いやあ、村山君こそ」等々。

 
 人の顔というもの。永らく会わぬとホントにわからない。 

 ぼくらは旧知の人と気づかぬままに、すれ違っているのかも知れない。


  (和歌山 串本の町)

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アジング 涙の日

2012年02月22日 | 
 所用で郷里串本へ。

 夕方、桟橋を見て回る。
 中高年3人がアジのサビキ釣り。



 「またトウゴロや」
 と言いながら、ひっきりなしに竿を曲げている。

 どうも釣れるのはアジでなく、外道のトウゴロウイワシ。

 このイワシ。ウロコが硬く、食べるにはいまひとつだそうだ。
 釣果を見せてもらうと、いいアジ。けど、確かに数は少ない。



 さて、夜になって2箇月ぶりのアジング。
 第1ポイントへ。



 しかし釣れない。なんのあたりもない。

 第2ポイント、ここでかろうじて1匹(17cm)。



 第3ポイント。
 前回、タヌキが出た場所。
 今日はクロネコ。
 呼び寄せると、近くへ来て座り込み。



 「よし、アジを釣ったる」と力んだものの、反応なし。
 クロはあきらめたのかいつの間にか姿なし。

 ネコにもバカにされ、退散。
 本日2匹!涙の日。

* 厳寒期、初めてのアジング。
   前回釣れた場所があたりすらないということも。
   アジはこの季節、居場所を変えているのか、それとも寒さで動きが鈍いのか?
   よくわからない。これも修行体験。

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フードファディズム トマトジュースの段

2012年02月20日 | 日々
 スーパーで、トマトジュースのペットボトルコーナーをのぞく。
 品薄と聞いていたが、赤茶色のボトルが並んでいる。
 「ここは売り切れではないんや」と思ったら、野菜ジュースだった。
  トマトジュースはやっぱり売り切れ。



 缶飲料のコーナーをみると、ここも同じ。
 在庫は野菜ジュース缶。



 「血液中の脂肪増加を抑える成分がトマトに・・・」との論文を発表した京大の河田教授のチーム。必ずしも劇的に脂肪を燃やすものではない旨のコメントもしているらしい。
 が、トマトジュースの争奪戦、もう止まらない、という感じ。
 こういうのを「フードファディズム」というらしい。

 最近になって、新聞ではトマトジュースを飲むことによる塩分の過剰摂取を危ぶむ声も。

 片言隻句の情報をうのみにして行動に走ることの危うさ。

 ここ1年よく語られた「風評」、果ては「福島から避難してきた子どもに近づくと放射能がうつる」といった恐るべき誤解まで。根は似ているかにみえる。

 いやはや、ぼくもうっかりはまらないようにしなければ。  
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雨水に至り

2012年02月19日 | 日々
 今日は雨水。

 今年の日本海側の雪は猛烈ながら、京都はいつもより少ない。
 けれども、昨日は一日中断続的な降雪。



 今日も冷え込んだ。

 釣友、安村さんから淀川で撮ったウグイスの写真を送っていただいた。



 早い!
 ぼくのところでは、早くて2月末くらいでないと聞けない。 
 渓流もいよいよの感。
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流氷を訪ねてオホーツクへ(4)

2012年02月17日 | 
 4日目
 北海道の雪
 層雲峡温泉、朝は明るい晴れ。
 出発前にホテルの周りを歩く。


  (ホテル前国道)

 知床でもそうだったが、ここでも雪の量は多くない。
 雪は小粒でサラサラ。京都でみるようなヒラヒラしたのとは違っている。
 水分が少ないからか。
 子どもの頃、よくさわった片栗粉を思い出す。
 袋の外から押すとキュルキュル鳴ったのも同じ。
 おそらく地吹雪というのはこうした雪質に関係しているのだろう。
 低温だとこんなきれいな雪になるのだろうか。



 燃料消費型生活
 バスガイド(網走市在住)の話。
 「私たちは本州とは違って、暖房のため平均的には灯油をドラムで12本ほど燃やします。早いときはお盆過ぎあたりから燃やします。」とのこと。
 なんと2400リットル。18リットルに換算すれば、約130缶!
 しかも使い方は「屋内でTシャツで過ごせる」というからすごい。

 そういえば、仕事の関係で北海道から京都にしばらく滞在した人に尋ねたことがある。
「京都は温かいでしょう?」
「いえ、寒いです。北海道では建物の中に入れば半袖なんですよ」
 冬の過ごし方が違っているわけだ。

 確かに北海道の建物内は温かい。
 ホテルの客室から凍りそうな石狩川を見下ろす。寒暖の対照、実に不思議でさえある。


  (石狩川)

 冬のこの地域。仕事も何もかも、生活はすべて屋内になるのかもしれない。
 屋外はもっぱら移動の場、そこではしっかり防寒具で固めて、ということなのだろう。

 その昔、先住民アイヌの人々はどうやって冬を越していたのだろうと思ってしまう。



 さて、4日目は、層雲峡の観光、糠平温泉への立ち寄りのほか、特になにごともなく帯広空港に至り、羽田を経て伊丹空港へ。

 氷点を大きく下回る環境。それはぼくには初体験となった。
 しかし、また来てみたいと思うことしきり。       (完)


  (帯広 雪に埋もれた畑)
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流氷を訪ねてオホーツクへ(3)

2012年02月16日 | 
 斜里から網走へ
 3日目朝、オホーツク流氷列車に乗るため斜里駅へ。
列車は満席。流氷人気の高さを改めて知る。
 
 間もなく海が見えてきた。
 ところが、海岸に流氷はなく、波がザンブリコ。
 車内アナウンスで「流氷は見えません、目をこらせば沖合にわずかに見える・・・かも知れません・・・」とか。


 ノロッコ号(北浜駅)
 
 知床方面には流氷がたまっていたものの、それ以北は接岸していない。一同がっかり。

 しかしツアー添乗員が問い合わせた情報では、破氷船オーロラ号で、沖合にて流氷群に出会えるとのこと。
 なんと、ぼくらは船に乗って流氷群を追いかけ、その中に入ろうというわけだ。
 一同、再びハイに。
 
 流氷クルージング
 さて、出航。
 15分も航行したころか、氷が見え始めてきた。
 一同「アッ、流氷や流氷や!」と喜ぶ。あちこちで中国語も飛び交う。



 さらに進むと、氷はますます増え、一面流氷の海となった。



 ぼくらがパンフレットなどで想像していたものに比べると、かなり氷は薄い。厚さは5センチくらいまでだろうか。

 が、この流氷クルージング。
 最近では流氷に出会えるのは幸運らしい。
 同じツアーで大阪から来た夫婦。「3度目の正直です。これまで2回来ていますが、2回ともだめでしたわ」。
 「で、そのときはどうされたんですか?」
 「ただのクルージングでしたわ」
 『(うーん、気の毒・・・)』



 流氷は年々少なくなっており、2030年頃には接岸は期待できなくなる、というバスガイドの話。

 層雲峡温泉へ
 そこから一路、内陸上川の層雲峡温泉へ。
 この段階で、添乗員もツアー参加者に流氷を見せることができ、肩の荷を降ろしたという安堵の表情。
 「次は寒いですよ」と念押し。

 層雲閣グランドホテル着。

夜はこの地域の観光「氷瀑まつり」。
 まつりはどうでもいいが、歩きに行こうと会場へ。


 (会場への道 朝撮影)

 ところが、突風の連続。そのたびに地表の雪が巻き上げられ、容赦なく全身に吹き付ける。「これが地吹雪というやつか!」と初体験にワクワク。
 是非この地吹雪を撮影しようとカメラを構える。しかし、電池切れマーク(低温では電池が働かないらしい)。
「??」とやっているうちに手がしびれてきた。痛くてたまらない。
 撮影をあきらめ、手袋をはめ、また歩く。しかし、突風が吹いてくると眉間が痛い。メガネの金属フレームが凍ってくるのだ。
 
 反転して、やっとホテルにたどり着く。
 ホテルの玄関は二重扉。 
 その表扉に雪が吹き付けられ、扉が動かなくなる。そこで従業員がせっせと雪を外に運んでいた。


 (ホテル玄関 朝撮影)

 なんとすごいところ。
 気温を尋ねると氷点下十何度とか。

 厳寒期の北海道。
 初めてながら、こんな体験、うれしいかぎり・・・と子どもになったような気分。

 明日は最終日、帯広へ。
  
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流氷を訪ねてオホーツクへ(2)

2012年02月15日 | 
  札幌から釧路へ
 2日目朝、ホテルからタクシーで札幌駅へ。

 市内幹線道路は一夜ですっかり真っ白。
 それを突っ走るタクシー。
 「大丈夫かいな」と案じつつ、札幌駅到着。

 雪道に慣れた現地のドライバー。限界をよく知っているのだろう。ぼくにはとてもあんな風には走れない。

 特急スーパーおおぞら、ほぼ定刻の発車。

 車窓から札幌郊外の山や畑。木々の先まで白い。



 凍った川。



 いかにも北海道らしい風景。

 釧路から湿原へ

 釧路駅でSL冬の湿原号に乗り換え。

 

 釧路湿原、その総面積は減少しているらしい。
 前回の旅行では、周辺の開発がその原因と聞いた。しかし、今回聞いたところでは、釧路川の河川工事で、川が氾濫しなくなり、そのため湿原をうるおせず、乾燥が進んだからだという。なんとも心配なことだ。
 確かここにはイトウもいたはず。



 (湿原を流れる釧路川)

 とうろ駅で下車。バスに乗り換え。


(とうろ駅)

 摩周湖。
 前回の旅行のときとは違い、霧はほとんどなく、5年ぶりという全面凍結の姿。


 知床ウトロへ
 ここから硫黄山を経て知床ウトロへ。

 「皆様、ジャーン!左手をごらんください」とバスガイド。
 左を見ると海面が真っ白。接岸した流氷だ。
 バス内は歓声!
よく見ようと曇った窓ガラスを指でこする。しかしこすった所がすぐ凍り付く。

 オシンコシンの滝で停車。
 一同外に出て接岸した流氷群、その真っ白な世界に見入る。



 ウトロ温泉
 知床グランドホテル北こぶしに到着。
 ホテルの裏にウトロ漁港。
 うす暗くなってはいたが、港へ。
 港内は、所々に亀裂はあるものの、すっかり氷で覆われている。船は一艘も浮かんでいない。すべて陸揚げされているようだ。いわゆる「海明け」を待っている様子。


 (夜のウトロ漁港)
 ホテルからのライトで港内は明るい。アジさえいれば、広範囲にアジングできそうと思ったが、この氷では・・・。

 翌朝、再び漁港へ。
 港から水平線まで、流氷のさんざめきが聞こえてくるかのごとく、実に雄大だ。



 春にはまた活気を取り戻すのであろうけれど、目の前に広がる光景、生きとし生けるもの、すべてが凍り付いて見える。
 まさに最果ての感。
 


 次は網走へ。
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流氷を訪ねてオホーツクへ(1)

2012年02月14日 | 
 伊丹空港から新千歳空港へ。
 空港玄関の外に出る。手足にしみこんでくるような冷たさ。
 さすがは北海道!いそいそとツアーのバスに乗り込む。

 雪まつり会場
 札幌到着。自由行動で雪まつり会場へ。
 


 造り上げるのは大変だろうが、ぼくにはいまひとつ。

 陽が少し傾いてきた。会場の気温はー5℃だという。
 バスの中で誰かが「北海道は寒いんやない、冷たいんや」と言っていた。その微妙なところ、納得。

 三大がっかり
 バスガイドが言っていた札幌市の時計台。
 沖縄の守礼門、土佐の播磨屋橋と並んで日本の観光の「三大がっかり」だそうな。
 「それは見てみたい」と足を向ける。
 雪まつり会場の近く。あったあった。



 なるほど、ビルの谷間にかくれるというより、埋もれるという感じ。
 元々は明治の札幌農学校関連の記念碑的な建物ではあるのだが・・・こうなっては手遅れ。

 札幌の街
 幹線道路に雪はない。しかし、歩道は雪が踏み固められ、厚い層になっているのもある。これが滑る。




 (夜の歩道)

 地元の人はスタスタ。
 時々滑りながらも転倒はせず、体勢を立て直しては足早。さすが!と感心。
 歩道にはあちこちにゴマ粒のような小石がまかれている。これは誰かが滑り止めにまいたのか?と思っていたら、街角にこんなものが。



北海道開発局が提供するすべり止めの砂。
 誰でも自由に使えるように置かれているらしい。
 ところ変わればいろんなのがあるもの、と感心。

 日没とともに冷えてきた。
 ホテルの窓から夜の街をながめる。



 細かい粒のような雪、降り止まず。
 明日は知床へ。
 
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『瞼の母』考  忠太郎とシェーン

2012年02月09日 | 日々
  BSで映画『瞼の母』(中村錦之介 1962)。

 あらすじ
 江州番場の忠太郎、5歳のとき母と生き別れ。母をさがし求めてついに江戸で再会を果たす。が、今の安定した生活を失いたくない母親は忠太郎を我が子と認めず、追い返す。
 娘(忠太郎の妹)の説得で思い直した母親、忠太郎を追う。しかし、やくざの自分がいては母妹に迷惑がかかる、と忠太郎は会わずに去る。

 根強い人気と底にあるもの
 この原作は、股旅もので有名な長谷川伸。昭和初期の傑作だと言われている。
 これまで4回にわたって映画化やテレビドラマ化。
 歌謡曲や浪曲でも。
 『忠臣蔵』と並び、人気の根強さがうかがえる。 

 自分は孤独で寂しくとも、人(母と妹)が幸せになってくれさえすれば・・・という忠太郎のひっそりとした去り方。それが観衆の同情を呼び、涙を誘ってきたのかもしれない。
 これは茶道・華道といったむずかしいレベルとは別に、日本人の大衆感覚にある美意識なのだろう。 

 もっとも、観ていて母への思慕の異様な強調、別れの涙・・・というあたり、ぼくにはいかにも田舎芝居風、浪花節風にみえてしまい、食傷気味。
 時代とともに、合わなくなっている感は否めない。

 「シェーン」との重なり
 が、ふと気づいたのは、この展開の型がアメリカ映画『シェーン』(1953)と同じではないか、ということ。

 そう言えば、映画解説の淀川長治さんが生前語っていた。
 「シェーンはアメリカだけでなく、何よりも日本で大人気となりました。それは浪花節そのものだったからなんですね・・・」と。

 なるほど、なるほど!
 ぼくは「シェーン」が好きで何度も観てきた。
 ふうむ、ぼくの美意識もつまるところ浪花節だったのか!と今更ながらの発見に苦笑。


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