先祖の位牌
仏壇の前に並ぶ先祖の位牌。
そこに記された戒名を見ても誰の位牌かわからない。
裏を見て初めて名前(いわゆる「俗名」)がわかる。
母の位牌はまだ白木のまま。
四七日にはホンモノができあがるらしい。
父が拒んだ戒名そのもの
戒名については、亡き父のことを思い出す。
寺の総代もつとめ、仏事には詳しかった父。
その父は戒名についていろいろ調べた末、ぼくに言い残した。
「ワシには、意味のない戒名などは要らん。ワシの本名を位牌に記してくれ」と。
8年前、父が他界した日、ぼくは母とともに寺に向かった。
当時の住職がぼくらにこう尋ねた。
「戒名をつけたいが、父君はどんな方でしたか?」
ぼくは戒名不要との父の遺志を住職に伝えた。
住職は当惑した様子で
「??・・・それは・・・できませんよ・・・戒名というのは・・・」
「いえ、亡き父の遺志ですから」
住職もゆずらない。
押し問答が始まり、ぼくも次第に熱く。
そこへかたわらにいた母が割って入り
「では戒名をいただけますか」
熱くなっていたぼくは一気に拍子抜け。
『(腰くだけかヨ)』と。
信心深いというか、迷信深い母には戒名がないことに耐えられなかったのかも知れない。
こうして父の「仕方なし戒名」ができてしまった。
いわゆる「俗名」こそ
が、ぼくには父の思いがよくわかる。
「俗名」といわれる生前の名。
これこそ、それぞれの両親が願いを込めてつけ、また生前の家族、友人たちが親しく呼び、さらには没後にもしのぶ名ではないのか。
位牌を見て誰にもわからぬ名。
そんなものをこれ以上付け加えるなど何の必要があろうか。寺側にはそれなりの理屈があるのは承知しつつも。
そんなゴタゴタを経た今、母の戒名はともかく、ぼく自身は早くから決めている。
戒名も位牌も、そして僧侶も要らないと。