稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

賀正

2014年12月31日 | 日々
 新年おめでとうございます。

 旧年中は多くの方々にご訪問いただき、深く感謝いたします。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジング仕掛けでミニバス

2014年12月28日 | 日々
 今年の12月はことのほか寒い。

 例年なら日本海 若狭へアジやガシラを釣りに行くのだが、今年は雪の連続。

 しかたなく、アジング仕掛けをもって琵琶湖へ。

        

 漁港に係留された小舟の間でミニバス(15cm前後)と遊ぶ。

 深く落とし込んでもあまり反応がない。
 しかし表層だと小さなバスがワームをねらって体当たりのような食い。

        

 近づいてきたバスの鼻先でチョコンと動かしたときに食う。
 垂直の動きよりも水平の動きに反応がいいようだ。

        

 釣ったバスを路上に置く。

 するとカモメが群れ集まってそれをくわえに降りてくる。

        

 それでも割り込んできたトンビがカモメを蹴散らし、ワシづかみで去る。
 カモメはいったん地上に降りなければくわえることができない。
 その点、トンビは一瞬でかっさらうから早いのだ。
 
 その光景を飽きずに見ながらなるほどと感心。

 そろそろ天候もゆるんでほしいのだが。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名盤「ベラフォンテとクリスマスを」

2014年12月25日 | トラウト
 クリスマスの音楽。
 いい曲がいっぱいある。
 
 けれども時季を外すと気が抜ける。

 毎年そう思いつつ、この時季に聴こうとすれど果たせない。

 が、今年は久しぶりに聴いてみた。

 「ベラフォンテとクリスマスを」(廃盤)

        

 十代半ば、ラジオの新譜レコード紹介で初めてぼくは耳にした。
 たちまちそのとりこになり、なけなしの小遣いをためて買った一枚。

 久々に聴く。
 改めて感じたのは、ハリー・ベラフォンテがとてもていねいに歌い通していること。
 そう感じるとすばらしさもひときわ。

 昔々共に聴いた弟にこの気持ちを伝えたい衝動にかられる。
 もっとも、弟は壮年期に突然他界してしまっている。

 心をゆさぶられるアルバム、そのなつかっしさ、うれしさを分かち合う者がいない哀しさ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「軍師官兵衛」終わる

2014年12月24日 | 日々
 大河ドラマ「軍師官兵衛」が終わった。

 最終回、少しくどく、やや失望したが、年間とおしてとてもおもしろかった。

        

 ただ気になるのは底流に一貫させていたもののひとつ。
 官兵衛の願いとして、「乱世を終わらせる」とされていた点だ。
 この願いは家康にも共通していたと描かれている。

 こうした描き方は多くの戦国ドラマに共通する。
 が、これは明らかに虚構ではなかろうか。

 戦国武将たちは、その時々に掲げた大義はともかく、天下をとるためにこそ戦ったはず。
 そのあたりまえのことをねじまげ、粉飾するのはいかがなものか。

        

 さて、それとは別に、「関ケ原」が長引いていれば官兵衛の乱はどうなっていたか。
 官兵衛は九州を平定して東上、関ケ原の勝者と争うことになったのか?

 歴史をふりかえって「たら・れば」など無意味だといわれるが、官兵衛ファンとしては想像してみたくはなる。

 けれども、調べてみると、官兵衛は1604年、関ヶ原の4年後には没している。
 他方、家康はさらに12年を生き、没したのは1616年となっている。

 戦国の世、秀でた武将の寿命が決定的な意味をもった。

 信玄、秀吉、謙信、信長・・・寿命のもつ意味は大きい。
 そのかぎりでは、官兵衛がいかにすぐれていても天下取りはむずかしかったろう。

 大河ドラマ、来年はどんな物語になるのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またしても過少計上

2014年12月22日 | 日々
 千葉県警の交通事故による死亡件数がおかしいとの報道。

 過去3年間で死亡事故30件が統計に記載されていなかったのでは?との疑い。

 千葉県警はこの指摘を受けて調査を始めたようだ。

        

 事実であれば、からくりはいろいろ考えられる。
 例えば、事故後24時間を越えて死亡した場合は交通事故死とはみなされない。
 自殺や病気の場合もそうなるらしい。
 さらに、私有地内での事故など、いわゆる「道路外」事故なども計上されないなどだ。

 報道機関の調査のなかでわかってきたのは、24時間以内の死亡なのに24時間外と「みなされ」ていた例などいろいろだ。

 背景には2013年交通事故統計で、千葉県はワースト・スリー、2014年は「アンダー170」を目標に掲げていたことがありそうだ。

 同様の過少計上は1991年、愛知県警でも起こっている。

 が、この奥には、死亡事故=警察の責任(「成績」)という意識がありはしないか。

 交通事故による死亡者は1970年の16,765人を頂点に、現在では4,000人台にまで減っている。
 その理由はいろいろながら、エア・バッグやシート・ベルトの普及、車体の構造改革などハード面での改善が大きいといわている。
 そのようにみれば、警察の関与はここではむしろ補助的とさえいえる。

        

 さて、これらの改善の基礎は事故の資料・統計の分析であるはずだ。
 
 その事故資料・統計は警察関係者でなければつくれないのが現実だ。
 改善のために必要なのは、単に件数だけではない。事故が起こるに至る経過、死に至る経過を含めてだ。

 その意味で、警察は「成績」などという偏狭な意識を捨て、ありのままを報じる機関であってほしいものだ。
 それが長い目で見て、事故と死亡者をなくしていくことにつながらないか。

 それにしてもワースト・スリーの圧力でウソの統計を作らされる側にも同情は禁じえない。
 雇われモノはいつでもどこでも辛く、情けない。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風呂 いまむかし

2014年12月16日 | 日々
 我が家の風呂もあちこちいたみがでてきた。

 思い切ってリフォームを、と展示ショールームへ。

        

 あるある、大小いろいろ。

 ぼくの子どもの頃、郷里串本の風呂は五右衛門風呂だった。

 普通に入るときはいいが、まきを焚いているときは底の鉄が熱く、底板が必要。
 また、側面も熱く、もたれるとこれも熱い。
 背筋を伸ばし、正しい姿勢で入らなければならなかった。

 こんな風呂も今はないだろう。

 長じてガス風呂のある家に住んだとき、これは快適と思ったもの。
 それでも今から思えば浴槽は狭く、膝をかかえるような入り方だった。

 当時は外焚きだったが、今はほとんどが給湯式。

 展示品を見ると、やはり大型は豪華。

        

 浴槽も洗い場もゆったりしている。
 が、これは無理。

 小さいのもある。

        

 我が家はこれくらいが限度か。

 それにしても素材は違っている。

 床が保温性にすぐれた素材。
 壁が汚れを簡単に落とせる素材等々。

 やはり細かな点でいろいろ進化しているという実感。

 帰りがけに、浴槽の水抜きに鎖がついていないことに気付く。
 
 尋ねると浴槽のふちにあるスイッチを押すのだという。

 以前、我が家では鎖の取り付けの金具が外れ、空いた穴をふさぐのに苦労したもの。

 いやはや時代は変わっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最年長プロ棋士の誕生

2014年12月09日 | 日々
 8日、アマチュア棋士 今泉健司氏がプロ入りを果たした。
 41歳でのプロ入りは最年長記録となるらしい。

 この世界でプロになるには「奨励会」に入り、期限内に所定の成績をおさめることが要求される。
 今泉氏は介護施設で働く一方、二度落ちながらも三度目でプロ入りを果たしたという。
 苦節27年だとか。

        

 世の中、プロといわれる世界はあまたある。
 野球、サッカー、歌手、演劇、文学、絵画・・・。

 不肖、ぼくも二十歳のころ、そのプロ世界のひとつを目指したことがあった。
 先輩の一人は三十代半ばにしてその世界に入った。
 もう子どもは小学生だった。
 が、ぼくはこの先輩や今泉氏とは違い、二十代後半には見切りをつけた。

 がんばりはするが、しかしいくらがんばっても保証のない道。
 不安は結局プロになれなかった、という日を迎えてしまうことがひとつ。
 それ以上に、「いい年」になって見切りをつけたとき、果たして別の道を歩む気力が自分に残っているだろうか、そこにあった。
 そうしてぼくは遅まきながら平凡な生き方を選んだ。

 今ふりかえれば、早く見切りをつけてよかったというのが本心だ。

 今泉氏のように栄冠を手にした人の影には、ついにそこに到達しえなかった人がたくさんいるはずだ。
 進むも退くもそれぞれの人生。
 こうしている今も目をギラギラさせつつその世界をうかがう人々の姿が浮かぶ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「軍師官兵衛」をみながら

2014年12月06日 | 日々
 NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」が大詰めとなった。

 初回からみているがおもしろい。

        

 正直なところ、ぼくは黒田官兵衛についてはよく知らなかった。

 山本寛助、竹中半兵衛という似た名前の戦国軍師たち。
 誰がどうなのか?と。

 恥ずかしながら、やっと今回よくわかったという次第だ。

 もう昔のことながら、学生運動の盛んなころ、ぼくも「合戦」を経験した。
 幸い、取り返しのつかない傷は負わずにすんだが。
 時代の渦のなかにあったとはいえ、あまり思い出したくはない記憶でもある。

 当時、策などというものは何もなかった。
 自己の党派への確信の度合い、加えて人数と勢い。
 それがすべてであるように思っていた。

 それでも、あのころ、「策」というものに思慮があったら・・・。
 などとつい思い返してしまう。

 そんな遠い日々が苦々しい思いとともによみがえる。

        
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

まずめの頂点 その妙

2014年12月02日 | 
 朝でも夕方でもまずめは食いが立つ。

 だがその中に頂点ともいうべき短い瞬間があるような気がする。

 今日もメッキは陽が傾き始めてから釣れだしたものの今ひとつ。

        

 が、今の時季なら17時前後に必ず来るはず・・・との経験則からの確信。

 そうしてやはり来た。

        

 17時02分、3匹連続。

 そのあとはネグラに移動か?

 ばったり止んだ。

 これはヒラメねらいでも同じ。

 彼らはどんな体内時計をもっているのだろう?
 実に不思議。

        

 本日 メッキ 6匹(17~22cm)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南紀の気まぐれメッキ

2014年12月01日 | 
 さて、京都から串本へ来た客人。

 前日に続き、朝から串本港でエギング。
 しかし、午前中のシャクリも4人で2ハイだけ。

 客人たちは午後から紀伊半島西岸を北上。

 ぼくは串本に残留し、夕刻のメッキ釣り。

 状況は一変。

 雨のあとの強い風、波立つ水面。

 メッキはなかなか顔を出さず。

 最初の1匹が出たのは開始から1時間半後の17:00ちょうど。

        

 このあと2匹を追加。

 しかし日は暮れ、メッキも沈黙。
 何が違うのか?
 気まぐれなメッキ。

 夜は串本港巡回。

 イカ釣りの中田さんが今夜も。

 エサのアジがさっぱり釣れないのでネンブツダイが代打。

        

「でも、今年はこれでけっこうイカを釣ってるんですよ」とのこと。

 アジしか食わない野良猫も多いが、イカはえり好みしないらしい。 

 今年の串本港、厳しい。

 本日 メッキ 3匹(17~22cm)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする