稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

八幡市橋本 遊郭跡にて

2012年03月29日 | 日々
 八幡市橋本にて

 京都府八幡市橋本を訪ねる。

 京阪橋本駅付近。その昔、遊郭があったところ。



 旧国道1号線からも京阪電車からも垣間見える。
ぼくにとって実際に足を運ぶのは初めてだ。


   (国道旧1号線からの風景)  
 
 駅を出て
 駅前に「橋本渡舟場三丁」の石碑。
 この旧遊郭一帯が渡し舟の発着にかかわっていたことを示している。


   
 すぐ近くに大きな木造建物。
 一見、廃屋のように見えるが、共同住宅のようだ。



 ここは歌舞練場だと聞いたことがある。すると祇園(東山)や上七軒(上京)のように芸者がいたのか?
 古びた看板がかかっているが判読できない。



 建物敷地の入り口には石柱が2本。
 門扉の支柱のようだ。さぞかし昔は頑丈な扉がついていたのだろう。



 失礼して敷地に入ると、すぐに祠(ほこら)。



 長年放置されているとみえ、ほこりだらけ。
 お稲荷さんが今も残っている。



 志田さんとの出会い
 近所で仕事をしている年輩の人に話を聞いてみた。
 
 地元で生まれ育ったという志田さん(仮名)。

 その話ではこうだ。

 昔のにぎわい
 このあたりは、明治から戦後しばらくまで、枚方の新地、伏見中書島の歓楽街などとは比べものにならぬほどの大歓楽街だったそうだ。遊女も何百人を数えたらしい。



 対岸の山崎方面をつなぐ渡し舟の着き場であること、岩清水八幡宮参りや高野山への街道筋であることなどで人・物の往来の盛んな土地柄であったことによるそうだ。



 「けんば」の話
 ぼくが関心をもった大きな木造建物。
 あれは歌舞練場ではなく、「けんば」と呼ばれ、地域一帯の事務所、遊女の検診、娯楽場など多目的施設であったそうだ。
 言うなれば、昔のこの街の象徴だったのだろう。 



 遊女たち
 遊女たちは各地の歓楽街を渡り歩く者や買われてきて定着した者などさまざまだったそうな。

 ぼくは、ここで死んだ遊女たちはどこに埋葬されたのか尋ねてみた。
 地元には寺があり、墓が二箇所ある。
 が、寺は格式高く、墓もまた遊女たちの埋葬される場所ではなかったという。
 どこかで合葬されたのだろうが、今となってはその場所もわからないそうだ。


    (駅前にある西遊寺)

 志田さんが子どもの頃、近所の料亭では遊郭を経営する旦那方の飲み騒ぐ声がよく聞こえたという。
 なんとなくやりきれない思いだ。



 街並み
 高野街道と呼ばれたその通りを歩く。
 昔の面影を残すたたずまい。



 戦後、売春が禁止されて以降、歓楽街は急速な衰退をみたという。

 志田さんに、この面影を保存する動きはないのですかと問う。
 「それはありません。エエことならともかく、マイナスイメージがどうも・・・。
 でも、こんな昔のことを知っとるのは私で最後ですよ。ウチの子どもらに話しても『それ何?』ですからねえ・・・。」と。

 桜の下で
 町外れの水防倉庫。やや広い草地。
 桜が二本。つぼみもふくらみ始めている。



 その昔、遊女たちも、陽のあたるこんな場所で桜をめでることがあったのだろうか。
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アマゴ解禁二週目 美山(由良川)水系

2012年03月26日 | トラウト
 我が釣り友 西本さん、本日初の渓流。

 年券の買い求め
 今日は漁協事務所には誰もいない。
 やむなくアマゴの看板をあげた近所の商店へ。
 「エッ、アマゴの年券?もう解禁日は過ぎたのに・・・ホンマによろしいのか?」
 解禁日を外して年券を買いに来るヤツはおらんで・・・とでも言いたげ。

 川へ
 雪が降り出した。
 先週のにぎわいはどこへやら。人っ子一人いない。



 西本さん、ウェイダーに身を固めて出陣。
 向こうからエサ釣り師。
 状況を尋ねると「あかんわ、なんにも残っとらん。1匹もや」と笑う。
 やっぱり。

 さて、西本さん第1投目。
 アジングのキャストの要領で。
 ルアーはたちまち対岸へ着地!

 ふりしきる雪。が、西本さん黙々とキャスト。



 その後二人でところを変えつつキャストしたが、何の反応もない。
 「ここは出そうや!」
 といった堰堤下も無言。



 昼前に退散。

 水温7℃。アマゴの季節は遠く。
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夢の島にて 

2012年03月25日 | 日々
 東京出張最後の日。
 江東区 夢の島にある都立 第五福竜丸展示館を訪問。



 第五福竜丸の遭難
マグロ漁船 第五福竜丸が1954(昭和29)年3月1日、ビキニ環礁で操業中、アメリカの水爆実験に巻き込まれ、乗組員全員が被爆。無線長久保山愛吉さん(当時40歳)が死亡に至ったもの。

 かねてからの念願
 今回とくに訪問したのは、ひとつには小学生の頃、学校からみに行った映画「第五福竜丸」から受けた強い印象から。
 もうひとつは、あとから知ったことながら、この船がぼくの郷里 串本の隣、古座町で建造されたという意外さからだ。


   (館内の展示写真)


 展示された船は見上げるような大きなものだ。


 


 当時の経過
 資料による、亡くなった久保山愛吉さんの死因。
 日本の医師団は「放射能症」と判定したが、アメリカ側は病死としてゆずらなかったらしい。
 また、日本での抗議運動を沈静させるべく200万ドルを被害者たちに贈ったが、これも賠償金としてではなく、好意による見舞金という名目を押し通したという。

 アメリカ側は水爆実験による責任を認めたくなかったのだろう。

 政治、なかんずく国際政治の非情さを見せつけるような経過だ。

 一枚の写真から
 が、遺族たちの写真。



   (館内の展示写真)

 おさえても、おさえてもあふれ出す涙。
 巨大な壁を前になすすべもない市井の人の姿。
 写っている奥さん、子どもたち、それに老いた人はお母さんか。
 あきらめきれぬ無念の思いが伝わってくる。

 志ある人々
 しかし、こうしたものを保存する東京都のふところの深さには感心する。
 というよりも、その志をもった都民にそれは支えられていると言うべきだろう。

 貴重な記念館だ。
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最後の東京出張

2012年03月24日 | 日々
 東京出張。これで最後となる。
 というのも、3月末でぼくも失職することになったからだ。
 3年間の大阪勤務が終わる。

 仕事のあとは送別の宴。
 ありがたいことだ。

 宿泊は千代田区のダイヤモンドホテル。



 ずいぶん昔のこと。
 高校時代からの親しい友人が東京で結婚式、ここはそのときにぼくが泊まったホテルだ。

 「千代田」「ダイヤ」というかすかな記憶を頼りに検索して見つけたものだ。
 ホテルはまだ健在だった(失礼ながら)。

 フロントの雰囲気の記憶があるような、ないような・・・。



 フロントで尋ねると創業60年とか。
 浮沈の激しいこの業界、これだけ長く続けてくるのも大変なことなのだろう、と素人ながら感心。
 それでも最近は客の宿泊地帯もよそに移り、別棟は廃止、つまり縮小になっていた。

 さて、その親しい友もかなり以前、働き盛りで病死してしまった。
 亡き友への供養のつもりでの再訪となった。

 
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南紀のヤマザクラ

2012年03月22日 | 日々
 串本から京都へ。

 太平洋岸の日差しは明るい。
 驚いたのはヤマザクラがもうあちこちで咲いていること。
 さすがに早い。


 (串本二色で)

 谷あいの農地では農作業も活発。
 田んぼには水が入ったところも。
 早い。

 帰りにJAみなべいなみ産直店に立ち寄り。



 いつものことながら、「優糖星」と「赤糖房」を買う。
 誰が作り出したのかは知らんが、このミニトマト、割高ながらうまい。
 


 地元での試行錯誤の末の成果なのだろう。
 輸送・保存が可能なら、アジアに進出してもいいと思うのだが。
 


 日本の農業の内からこんなのが生まれてくるのはうれしい。

 いや、おすすめ。
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アジング 満潮・干潮

2012年03月21日 | 
 所用で郷里串本へ。



 夜はアジング。
 しかし、イカ釣りの人はわんさ!ながら、アジングの姿なし。

 5箇所を回ったが、あたりは2回だけ。
 しかもアジ風のあたりではない。

 ベテランらしき中年が到着。
 おじさん、しばらく投げてやめ。
 帰りがけのところ、教えを乞う。
 「今はあきません。干潮でしょう。潮が下げのときはあきません。上げで活気づきます。どこもだめです」と。
 『(ふうむ、そんなもんか。アマゴとは勝手が違う)』と納得。 

 後で調べると、この日、串本の満潮は16:43、干潮23:10。
 潮は下っていたわけだ。

 またもや涙の日。


 
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美山(由良川)水系のアマゴ解禁

2012年03月18日 | トラウト
 3月18日、京都府下では、賀茂川水系と並び、一番遅い解禁。

 ゆっくり出発。
 支流深見川を通過するとき、たくさんの釣り人が目に入る。
 どれもこれも中高年釣り師ばかり。

 美山漁協の事務所で年券(7500円)を買い求める。ぼくにはこの川は7年ぶりだ。
 ついでに、漁協のおじさんの話をしばらく聞く。



 この川は本来ヤマメなのに、なぜアマゴを放流するのか?
 「釣り人には朱点のあるアマゴが人気。ヤマメは地味で人気がない。だからアマゴ」だと。

 来る道で釣り人を見ると、中高年ばかりだが? 
 「そのとおり。釣り人も高齢化が進んでいる。券を買い求める人もだんだん少なくなり、若い人は来ない。
 若い人の趣味が多様化したのが原因と思われる。
 けれども、同じ水系の佐々里川のルアー・フライ特別区では若い人が増えている」と。

 アマゴ釣りも時代は変わっていく。
 この先どうなっていくのだろう。
 それはともかく、それでもやはりヤマメを放流すべきではないのかな。

 さて、釣り場、濃密放流区へ。
 ポイントには人がいっぱい。
 竿を片手に杖をついて移動している爺さんも。
 ぼくも将来そこまでやるんかなあと一瞬思案。



 が、驚いたのは、この濃密放流区域帯。以前に比べほぼ半減している。
 加えて、以前にあったような翌週の追加放流はなしとのこと。
 
 ということは、漁協も苦しいのかもしれない。
 漁協の担い手自身の高齢化も関係しているのかもしれないが。

 さて、川に降りる。水温は8℃。
 釣り人の少ないところでルアーを投げる。
 が、反応はない。
 やっとゴツン。
 けど、バラシ。フックにうろこが1枚。
 スレがかりだったようだ。あとは沈黙。

 11時。あちこちで釣り人の帰り仕度が始まる。



 釣ったアマゴを雪の上で山分けしている人。
 写真をとらせてもらう。
 夜明けからがんばったという。

 

 鶴ケ丘小学校前で昼食。
 白壁のきれいな校舎だ。



 地元のおばあさんと話す。
 「きれいな校舎ですがな」
 「そうですやろ。ペンションみたいですやろ」
 が、この学校も生徒数27名。子どもの数が減り、遠からず廃校になるとのこと。
 学校前には雪の山。これでもやっと解けて三分の一くらいになったそうだ。



 このあと、あちこち歩くもBOSE。

 毎年のことながら、スタートはいつも苦しい。
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「荒野の七人」と「七人の侍」

2012年03月17日 | 日々
 久々に「荒野の七人」(1960)をみる。
 なつかしい。
 
 あらすじ
 盗賊からの度重なる略奪に悩むメキシコの一寒村。
 たまりかねた農民がなけなしのお金を集め、7人のガンマンを用心棒として雇う。
 紆余曲折を経て、ガンマンたちと村人が力を合わせ、盗賊をせん滅する、という筋書き。

 典型的な勧善懲悪の筋書きながら、みていて文句なくおもしろい。

 黒澤監督の技
 この映画、黒澤明の「七人の侍」(1954)のリメイクだというのは有名な話。
 常々世界の映画関係者たちを注目させてきた黒澤監督。
 観客を映画にひきつけ、楽しませる技をよく心得ていたのだろう。

 リメイカーのこだわり
 さて、映画でのガンマンたちの活躍は別として、ストーリー中、一貫してテーマとなっているのは「(わずかな報酬にもかかわらず)なぜ命がけで農民を助けるのか?」という点だ。

 盗賊の首領カルベラが死に際に発する「なぜ・・・?」という問いかけ。
 製作者がこだわった意図をはっきり示している。
 原題 The magnificent seven(「気高き七人」)の magnificentという言葉にもそれは現れている。

 アメリカでの評価は?
 これは日本的に言えば「任侠」、「義侠」の精神にあたろう。
 日本の時代モノ、ヤクザモノに至るまで広く大衆演劇にそなわるモチーフのひとつだ。
 ならば、当時のアメリカの観客たち。活劇はともかく、そのmagnificentをどう受け取ったのだろうか。
 興味の尽きないところだ。
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倒木の上に

2012年03月14日 | 日々
 朝起きると、外は春の雪。



 午後、晴れ間を見て山に。
 雪もかなりとけている。



 久しぶりに見るカラマツ。
 葉を落とし、幹と枝だけ。
 が、その細かさ。一見、職人が造り上げたような精緻さ。



 突然「キーン」という甲高い鳴き声。
 尾根で鹿が1頭、こちらを見ている。その声を合図にするかのように7~8頭の群れが音をたてて森の中に姿を消す。
 どうやらぼくを上から見張っていたようだ。

 水の音が聞こえる。
 沢に降りる。

 沢の上に古い倒木が何本もかかっている。



 倒木の上に新芽。
 ヒノキのようだ。



 その隣には杉の子。



 いっぱいある。
 倒木上はコケが厚く、発芽しやすいのか。
 しかし、この新芽たち、倒木が崩れれば生き延びることはむずかしかろう。

 メッキの哀しい「死滅回遊」を思い起こさせる。

 花粉禍はともかく、杉であれヒノキであれ、命というものはたくましく、またいとおしい。

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初めての山道で

2012年03月09日 | 日々
 山に入る。

 ウグイスが鳴いた。
 京都では今年初めて聞く。
 ウグイスも、生きているかぎり、冬の間も飛び回っているはず。なぜ冬には鳴かないのだろう。

 杉林。いよいよ赤くなってきた。



 近づくと花粉らしきものがいっぱい。



 間もなく最盛期。ぼくの家の窓越しにも黄色い噴煙が見られそう。

 さて、これまで気づかなかったが、いつもの山道のわき、別の道らしきものがある。
 これは道なのか?それとも木々の間のやや広いスペースなのか?



 そちらへ道草。
 すると、やはり道のよう。

 登り道の右側はヒノキ林、左側は雑木林。
 この細い道で山の地番が分かれているようだ。



 やたらと倒木が多い。人が入らないのでそのまま。

 大きなアカマツ。
 一瞬、マッタケがないかと根元を見る。この時季、んなはずはないと苦笑。
 アカマツの苗はないかと探す。
 1本もない。クロマツの苗はよく見るのだが。


 
 さらに歩くと道におおいかぶさるようにヤマザクラ。
 斜めに幹を伸ばしている。力強い。



 見上げると、樹冠はヒノキ、ドングリなどと重なり合っている。このせめぎあい、かなり厳しそう。



 人のほとんど入りそうにない道。
 4月には、ここだけ、白い花びらが散り敷かれそうだ。
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