稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

ルアーの技を教えてくれた人々

2024年06月24日 | トラウト
 杉さんとの出会い
 ずいぶん前のことだ。

バス釣りを始めて、ぼくもだんだん釣れるようになってきた頃。

 ある日、漁港で釣りまくっている人を見かけた。

 ミノーで釣っているようだ。

 それを見てぼくもミノーで釣り始めた。

 釣れる。

 けれども、その人には遠く及ばない。

 何が違うのだろう?と思ったがよくわからない。

 尋ねてみようか?と迷ったが切り出せず、そのままになった。

 ところが、その後再びその人に遭遇。

 相変わらずミノーでたくさん釣っている。

 ぼくは意を決してお願いした。
「よく釣れますね、どうやって釣っておられるんですか? 教えてください」と。

 氏はこころよく話してくれた。

 ミノーの動かし方の緩急、一時停止、
各ミノーの個性の把握と使い分け・・・話は多岐にわたった。

 ぼくは「はあー、なるほど、なるほど」と感心するばかり。

 このときに受けた教えは、その後のぼくの釣りに大きく影響した。

 が、このとき同時にぼくは思った。

 ルアーの技というものは、我流のままでは気づけないことがいっぱいある。

 また、人を真似るだけではその勘所がなかなか会得しにくい。

 そこで、気恥ずかしさやプライド、そんなものは捨て去って、
正面から「教えてください」とお願いすることが大切ではないかと。

 以後、ぼくは釣り場でよく釣っている人を見つけると、
できるかぎり教えを乞うことに決めた。

 このときミノーを教えてくれた人は「杉さん」といい、以後仲良しとなった。

     

 さらにトップ・ウォーターで
 ある年の5月の連休、ぼくはバス釣りに出かけた。

 小さな漁港に着くと、人、人、人。

 竿を出す場所もないほどの混雑ぶり。

 「これはダメかもしれない」と思いつつ、ぼくも割り込み。

 が、案の定、まったく反応がない。

 ねばっていると、そこにあの杉さんが現れた。

 ぼくに「どうですか?」と尋ねる。

 「はあ、さっぱりです、なにしろこのとおり釣り人がいっぱいで。
誰も釣れていません、ひとつやってみてください」と答えた。

 「はい、やってみますワ」

 けれども、ぼくは内心、いくら達人の杉さんでもこの状況では?とあきらめ気味だった。

 ところが、ほどなく杉さんの「ヨッシャア、のった」という声。

 こうしてバスが杉さんの手元に。

 「ホンマかいな?」とぼくにはおどろきだった。

 さらに杉さんは、すぐに二匹目!

 たちまち人だかり。

     

 ぼくはここでも杉さんに「教えてください、どんなルアーを?」と尋ねた。

 それはトップ・ウォーターで「レッドペッパー」というルアーだった。

 御存じの方も多いと思うが、一般的なトップが水面に平行に浮かぶのに対し、
それは垂直に浮かぶ型で、当時のぼくには初めて目にするものだった。

 さらに、どんな風に使えばいいのか?尋ねた。

 杉さんは「バスのいそうなところに投げ、着水後にチョコンと引きます。
ただし、着水後、少し待つこと、そうしなければ・・・」と縷々説明。

 そのほか、細かなことをいろいろ教えてもらった。

 ぼくはそのルアーを早速買い求め、後日同じ場所で試してみた。

 遠くへ第一投。

 着水のしぶきが上がる。

 息をこらしてしばし待つ。

 チョコン。

 その瞬間、水面が盛り上がり、ルアーが白い水しぶきに包まれた。

 ぼくは思い切り合わせ、リールを巻いた。

 竿先から重みが伝わってくる!

 うれしいレッドペッパーでの初モノだった。

 このとき、教えを乞うことの大切さを改めて実感した次第だ。

     

 日々名言を胸に
 作家の吉川英治さんだったか、
「会う人、出会うもの、みなわが師」と言われたそうだ。

 ぼくは釣りを通じてそれを名言だと受け止めてきた。

 バス釣りでぼくに技を教えてくれた多くの人。

 バス釣りをやめてからは会わなくなってしまったけれど、みんないい歳になったろう。

 ありがとう。みんな元気で!
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ルアーとの出会い

2024年06月16日 | トラウト
 釣り再び
 小学生時代、ぼくの釣りはアジ釣りから始まり、
6年生のころにはアカハタやクエの子など根魚釣りにまで及んだ。

 けれども中学生になってそれは突然終わってしまった。

 きっかけは大阪への転居で、海が身近なものでなくなったことによる。

 ところが、忘れたころに再び釣りはぼくのところにやってきた。

 ある日の仕事の休憩時間、
バス釣りを楽しむ垣内さんがぼくら同僚にルアーを見せてくれたのだ。

 赤や黄色に塗られたプラグ、そのきれいな仕上がりにぼくはとても感心した。

 垣内さんはこのプラグにバスが食いつくという。

 しかし、いかにきれいでも、これはどう見てもつくりモノのオモチャ。

 これをバスがホンモノの魚と間違え、食いつく?

 信じられんッ!というのがぼくの率直な感想だった。

     

 そこで次の休日、みんなで琵琶湖へバス釣りに行こうと話がまとまった。
 
 初めてのバス釣り
 さて、その休日、ぼくら初心者十数人は琵琶湖に集合。

 垣内さんからひととおりの手ほどきを受け、全員釣り開始。

 「動くものなら何でも食いつく」と聞いていたバス。

 みんな簡単に釣れると思いこんでいたが、そうはいかなかった。

 夕刻の集合。

 結局釣ったのは垣内さん一人だけで、あとは全員釣果なし。

 みんながっかりしてそれぞれ帰路についた。

 ぼくもその一人だった。

 しかしぼくはくやしく、あきらめられない。

 一匹でいい、その一匹を釣るまではやめない!

 と、そこからぼくの琵琶湖通いが始まった。

 が、まったく釣れないのだ。

 ある日、釣り好きの先輩 井上さんが見かねてぼくに言った。
 「神田さん、苦労してますね。
 よかったらぼくといっしょに行きませんか? 必ず釣れますから」と。

 ぼくは喜び「ゼヒッ!よろしく」とお願いした。

 釣行の前夜には初めてバスを釣った夢をみたほどで、
この夢のことは今でも苦笑しながら思い出す。

     

 初めて釣れたバスだったが・・・
 さて、当日ぼくは井上さんの準備した手漕ぎボートにのせてもらい出航。

 井上さんからワームでの釣り方を教えられ、釣り開始。

 ところが釣れないではないか、その井上さんにも。

 井上さん「あれエ、おかしいなあ・・・釣れるはずなんやけど」
と首をひねることしきり。

 結局、二人とも一匹も釣れないまま夕刻。

 このときのぼくの落胆は大きかった。

 期待が大きかったぶん、あたかも神に見放されたかのようで・・・。

 緊張の糸が切れたぼくは、遊び半分でワームをミノーにつけかえ、ポチャン。

 糸ふけをとると、何やらもぞもぞ。

 リールを巻くと、
9センチミノーに10センチあまりのバスが食いついているではないか!

 ただ、ぼくにはこれをどう受け止めたものか?と胸中は複雑だった。

 釣ったという実感はなく、偶然釣れてしまったという感じ。

 とても喜ぶ気にはなれなかったのだ。

     

 バス釣りにのめりこむ
 そんなわけで、ぼくのバス釣り挑戦はさらに続いた。

 その後、ぼくは釣り場で知り合った人に
クランクベイトを教えられ、ここから安定した釣果に恵まれ始めた。

 さらに、知り合った人からミノーの使い方を伝授され、
以後ミノーはぼくの基本ルアーともいうべきものになっていく。

 さて、一匹釣るまではやめないと思っていたバス釣りだったが、
その後ぼくはやめるどころか、本格的にのめりこむことになってしまった。

 初めて目にしたときは「つくりモノのオモチャ」に見えたルアー。

 が、釣り人がそこに命を吹き込んでやれば、それはたちまちホンモノのように動き出す。

 なんとも不思議でおもしろいルアー。

 ぼくはその魅力にとりつかれてしまったのだ。

     

 四十路も近いぼくのルアーとの出会いだった。
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寺島さんからの便り 海のフライに

2024年06月07日 | 
 串本の寺島さんといえば、ぼくの十年来の釣り友だ。

 アジングを始めたばかりだったぼくは
串本港で氏に出会い、いろいろと教えてもらった。

 もっともぼくのアジングは、
その後も氏の域には達しないままになってしまったのは残念だが。

 最近は音信も途絶えがちになっていたが、
ぼくも釣りをやめるにあたり、あいさつとお礼のメールを送らせてもらった。

 氏からの返信によれば、
自身もあと何年かすればやめることに・・・との弁。

 一方、最近は海のルアーに挑戦しているとのことで、
たくさんの写真が添付されていた。 

 送られてきた写真はその一部だ。

     

     

     

     

 メッキ、カマス、アジ、サバ、ヒラスズキ、マルスズキ、
ガシラ、アカハタ、オオモンハタ、メバル・・・とその魚種はとても豊富だ。

 渓流でルアーからフライに転じたとは聞いていたが、海にまでというのは驚きだ。

 あくなき探求と挑戦の心意気には脱帽する。

 氏もまたいい歳になってこられたが、元気なうちにまだまだ進化をとげてほしいものだ。

 寺島さん、ありがとう。

 達者で! 
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釣りをする人、しない人、その分かれ目考

2024年06月01日 | 
 世の中、釣りをする人よりしない人の方が断然多い。

 が、しない人の中にも釣りに接する機会があった人は結構いるはずだ。

 その機会があったにもかかわらず、釣りをしなかったのはなぜだったのだろう?

 初めての釣り
 ぼくがまだ小学校の低学年のころ。

 ある日、父はぼくと弟を釣りに連れて行った。

 ぼくら兄弟には初めての釣りで、興味津々だった。

 防波堤でぼくはエサを垂らした。

 上からエサをじっと見下ろしていると、小さな魚が近づいてきた。

 「食った」と思って竿を上げたがのらない。

 ぼくは必至になって、
「もう一度!」、「今度こそ!」と何度もそれを繰り返した。

 そうして、ついに釣れたのだ。

 上がってきたのはフグの仲間キタマクラだった。

 初めて釣った魚にぼくは大興奮。

 ぼくはこれを機に釣りに強く興味をもつようになった。

 しかしこの日何も釣れなかった弟は、その後釣りに関心を示すことはなかった。

     
       ( 串本の海 右側に漁港の防波堤 )

 ある友の場合
 ぼくのある友のお父さんは大の釣り好き。

 休日には管理釣り場でフナ釣りを楽しんでおられたそうだ。

 その友は小学生のころ、釣りに連れて行ってもらうことがあったらしい。

 しかし、後に彼はぼくに話した。
「小学生のころ、俺は親父にフナ釣りに連れて行ってもらったけど、
釣り糸がからんだり、『おまつり』などで、そのたび親父の手をわずらわせた。
 親父の機嫌は悪くなり、そんなわけで俺は釣りについていくことはしなくなった」と。

 この友も、その後釣りとは無縁になった。

 分かれ目
 釣りをする、しない。

 そこには人それぞれの「狩猟本能」のようなものの度合いが関係しているのかもしれない。

 けれども他方では、
初めて釣りに接したときの状況にも大きく左右されるのではなかろうか。

     
        ( 串本港桟橋での釣り風景 )

 「釣りはちっともおもしろくない」
 「釣りなどもうコリゴリ」
 「釣りはむずかしい」 

 初心者にそんな思いをさせ、釣りから遠ざけてしまうことになるのはとても残念なことだ。

 長く釣りをしていると、初心者から「教えて」と頼まれることがよくある。

 初心者がその後釣りを続けることになるのかどうか?

 そのためには、とにかく釣ってもらい、その興奮を味わってもらうこと、
釣れるという確信をもってもらうこと、ここが分かれ目になるような気がするのだ。

 初心者に接するとき、
うまくいったかどうかはさておき、ぼくはそのあたりに心してきたつもりだ。

 いい釣り仲間ができること、こんなうれしいことはないのだから。
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