6月11日、大阪で「北韓人権映画視聴会」があり、足を運んだ。
視聴会の共催団体「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」、
ここで熱心に運動に取り組んでいるのがぼくの学生時代の友人だ。
今回の催しも彼からの連絡で知ったものだ。
映画の間の講演によれば、「守る会」では、北朝鮮政府を被告として、
北朝鮮に帰国してひどいめにあった人々の損害賠償を求める裁判を行っているようだ。
ぼくが初めて在日朝鮮人の帰国事業(1959~1984)を知ったのは中学の頃で、
早船ちよさんの「キューポラのある街」を読んだときだ。
この作品では、貧しい日本の労働者家族とならんで在日朝鮮人たちの姿が描かれ、
在日朝鮮人が帰国事業に賛同し、希望に燃えて祖国に帰っていくという、
新しい時代の予感が漂っていた。
まだ当時のぼくにはむずかしく、事情はよくわからなかったが、
その希望に燃えた彼らの姿にはとても胸打たれたことを覚えている。
しかし、北朝鮮政府が在日同胞を帰国させるのに用いた宣伝、
「地上の楽園」等々はウソであり、帰国した人々は辛酸をなめることになる。
今となっては広く人の知るところとなってはいるが、
当時は厳しい情報統制で、その実態は日本には伝わってこなかった。
かえりみて、結局ぼくは著者の早船ちよさんにだまされていたのか。
いや、早船さんもまただまされていたのではなかったか。
帰国した人々だけでなく、事業にかかわった多くの人々がだまされていたということなのだろう。
許せないことだ。
裁判を続ける「守る会」の人々のねばり強さには敬服する。
20世紀は社会主義が夢をふりまき、またそれが砕けた時代でもあり、
とりわけ北朝鮮はそのなかでも最悪の事例にみえる。
21世紀、ぼくのあとにはどんな「夢」の時代がくるのだろう。
視聴会の共催団体「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」、
ここで熱心に運動に取り組んでいるのがぼくの学生時代の友人だ。
今回の催しも彼からの連絡で知ったものだ。
映画の間の講演によれば、「守る会」では、北朝鮮政府を被告として、
北朝鮮に帰国してひどいめにあった人々の損害賠償を求める裁判を行っているようだ。
ぼくが初めて在日朝鮮人の帰国事業(1959~1984)を知ったのは中学の頃で、
早船ちよさんの「キューポラのある街」を読んだときだ。
この作品では、貧しい日本の労働者家族とならんで在日朝鮮人たちの姿が描かれ、
在日朝鮮人が帰国事業に賛同し、希望に燃えて祖国に帰っていくという、
新しい時代の予感が漂っていた。
まだ当時のぼくにはむずかしく、事情はよくわからなかったが、
その希望に燃えた彼らの姿にはとても胸打たれたことを覚えている。
しかし、北朝鮮政府が在日同胞を帰国させるのに用いた宣伝、
「地上の楽園」等々はウソであり、帰国した人々は辛酸をなめることになる。
今となっては広く人の知るところとなってはいるが、
当時は厳しい情報統制で、その実態は日本には伝わってこなかった。
かえりみて、結局ぼくは著者の早船ちよさんにだまされていたのか。
いや、早船さんもまただまされていたのではなかったか。
帰国した人々だけでなく、事業にかかわった多くの人々がだまされていたということなのだろう。
許せないことだ。
裁判を続ける「守る会」の人々のねばり強さには敬服する。
20世紀は社会主義が夢をふりまき、またそれが砕けた時代でもあり、
とりわけ北朝鮮はそのなかでも最悪の事例にみえる。
21世紀、ぼくのあとにはどんな「夢」の時代がくるのだろう。