稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

久しぶりに立ち寄った水口さんの店で

2020年10月31日 | 日々
 京都 百万遍知恩寺で古本まつり。

 天気もいいので出かけてみた。

 いまどき古本人気はどうなのだろう?

 と思ったが、会場は結構な人出。

 年配者が多いのではと想像したが、若いカップルなど年齢層はさまざまだ。

 が、あまり読みたくなる本もなく、
買い求めたのは「フロイスの日本覚書」、一冊だけ。

     

 帰りに水口(仮名)さんが営む小さな喫茶店を訪ねた。

 もう5年、いやそれ以上立ち寄っていなかった店だ。

 水口さんとは仕事で知り合っての長い付き合い。

 店に行けばお互いの仕事の話や音楽の話など、はずんだものだった。

 さて、店に入ると客は誰もいない。

「いやあ、水口さん、久しぶり。お元気そうで」

「はい、いらっしゃい」

 が、水口さん、表情も声もいまひとつ。

 コーヒーをたてながら、水口さんがぼくに尋ねてきた。 

「あのう・・・お名前は?」

「神田ですよ、〇〇の」

「ああそうでしたか、神田さんでしたか」 

「で、どういう関係のおつきあいでしたかいな?」 

 このときぼくはすっかり忘れられていることに気がついた。

 ところで、水口さんは以前、足の関節が痛んで困るとぼくに話していた。

 ぼくは早めの受診、必要なら手術をと勧めていた。

 ずっと気になっていたので、改めてそのことを尋ねると
「手術は済みました。今は痛くもかゆくもありません」

「それはよかった、ところで水口さん、
手術されたのは両足ですか、それとも片足ですか?」

 水口さん、しばらく考えて
「さあ、どっちやったか、もう忘れました」

 このときぼくには事情がのみこめた。

 コーヒーを飲み終え、店を辞した。

 水口さんは、ぼくがかつていつもワクワクしながら
訪ねていったあの人ではもうなくなっていたのだ。

 なにかやりきれない気持ちだった。
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初耳 コロナ禍の釣りブーム

2020年10月26日 | 日々
 MBSの「新・情報7days ニュース・キャスター」で
特集「若い女性の間で空前の釣りブーム」(10月24日)。

 なにごとか?と興味深く拝見。

 最近、コロナで三密を避けるため、釣りが注目され始めているという。

 例示された千葉県市原市の海釣り公園では、平日の早朝6時から長い行列。

     
   ( 早朝の海釣り公園 MBSから借用 以下同じ )

 施設関係者の話では、最近は若い初心者が急に増えているとか。

 また女性の比率も高まっているらしい。

 番組スタッフの調べによると、
ゲームで釣りをしているうちに本当の釣りをしたくなったとか、
女性が釣りをインスタ投稿すると「いいね」がたくさん着く傾向があるからとか、
きっかけはなかなか今風だ。

 また、釣り用品の改善も大きいという。

 昔は釣りといえば、臭い、汚い、キツい、気持ち悪いと典型的な4K(と番組は言う)。

 ところが、魚をつかむための専用トング、アミエビに「フルーティな香り」を着けたもの、
しかもチューブ式で、アミエビに直接手で触れる必要がないものなどいろいろ登場し、
ハードルは下がったと説明する。

     
       ( フルーティな香りのアミエビ )
 なるほど、なるほど。

 また、ある釣り船では、まったくの素人が手ぶらで行っても一切合切レンタルで歓迎。

 さらにリールの扱い方からエサのつけ方の指導までと至れり尽くせり。

 果ては釣りが終われば釣った魚の料理を味わえる!とくる。

 釣りを終えたカップルに釣ったばかりのヒラメやアジの刺身を大皿で「どうぞ」。

     
       ( 釣りを終えて・・・ )

 若い女性は「おいしそうッ!・・・さっきまで魚だったのに」と。

 これには思わず笑ってしまった。

 いやはや、面白い特集だった。

 知らなかった。

 そういえば、今年の渓流、
学生風のグループが珍しく2人組や3人組で釣り上がっていくのを見かけた。

 渓流をグループで、しかもウェイダーなしで?と不思議だった。

 コロナ禍、ひょっとすると彼らも根っこのところは同じだったのかもしれない。
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「捨てられる宗教」から

2020年10月22日 | 日々
 9月新刊の『捨てられる宗教』(島田裕巳 著 SB新書)を読んだ。
 副題は「葬式・墓・戒名を捨てた日本人の末路」。

 著者の島田氏は冒頭で、新興宗教を含む日本人の宗教離れを紹介する。

 この傾向は世界のキリスト教も同じで、特に欧州での教会離れが顕著であることも。

 氏はその原因として死生観の変化を説く。

 災害、飢饉、疫病等々に見舞われ「いつまで生きられるかわからない」という死生観Aの時代。
 そこから、寿命が大幅に延び、
「現世は決して苦と困難に満ちたものではなくな」った時代、死生観Bへの転換だ。

 ここのところはぼくにはよく理解できない。

 その区別はあるとしても、相対的なものでは?との思いからだ。

 むしろ、ぼくは時代が進むにつれ、極楽と地獄、来世・・・
といった迷信のような観念から人々が解き放たれ、
今日の宗教離れという傾向に至っているように感じるのだ。

 その限りでこうした流れは歓迎すべきことだと。

       

 一方、著者は国内外の宗教離れを説きつつも、「イスラムを除き」とことわっている。

 ぼくにとってイスラムには固い宗教信条や様々な生活規範があり、
とても理解しがたく窮屈そうに見える。

 が、その同じ宗教としてのイスラムはなぜ衰えを見せないのか? 

 本書の主題とは異なるが、それがとても不思議に見えるのだ。

 ともかく興味深い一冊。
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琵琶湖のネコと平穏な一日

2020年10月16日 | 日々
 渓流も終わり、気が抜けたような日々。

 今日は久しぶりに琵琶湖へ。

 お目当てはハス(ケタバス)。

 ところが、ハスの姿はどこにもない。

 時々ミノーにかかるのは小さなバスばかり。

 草むらで小柄なネコがこちらを見ている。

     

 このネコ、ぼくが近づくと逃げてしまう。

 かなり警戒心が高そうだ。

 それでも釣れた小バスを投げると、草むらからサッと出てきてくわえこむ。

 どこかへ運び込んで食べ、
そのあとは舌なめずりをしながら再び元のところで待機。

 こうしてネコは小さなバスを4匹平らげた。

 今度は30cmほどのバスがかかった。

 待っているネコにそれを投げた。

 しかし今度は手を出さず、ジッと見るだけ。

     

 食べるにはあまり大きすぎるのだろうか。

 ややあって、バスがその場ではねた。

 ネコは反射的に前足で魚体を押さえ、エラのあたりをくわえこんだ。

 そうして尾びれをズリズリひきずりながら草むらの奥に消えてしまった。

 このネコ、今日はそれっきり現れなかった。

 もう十分だったようだ。

 平穏な一日。
  
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次善の策としての屋上避難 ここでも

2020年10月10日 | 日々
 8日、韓国蔚山市の高層住宅で火災。

 火は下の方から出たようだが、一気に最上の33階に達したようだ。

 報道では、燃え広がった原因は外壁の断熱材とも、あるいは接着剤とも。

 そういえば、数年前ロンドンで起こった高層住宅の拡大原因は
外壁の断熱材(可燃性)だったと聞く。

 あのときには七十人余りが亡くなったはずだ。

 幸い今回、死者は出なかったようだが「なんで?」という疑問。

 というのも、日本国内の高層マンションなら、
たいてい一室でおさまっているからだ。

     

 知り合いの建築通に電話で尋ねると
「日本の建築法規に従えばあんな広がり方はありえない。
 今回の原因は、一般的には韓国の建築法規の不備か、
 あるいは違法工事が考えられるが、情報不足でわからない」とのこと。

 外国でのできごとであり、情報はこれ以上は得られないのが残念だ。

 ただ、報道では数十人が屋上に避難して救出されたとあった。

 屋上への出入りが可能だったからこそながら、
改めて避難方法の次善の策としての屋上避難、その有効性を再確認する思いだ。
 
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新型コロナ臨調の報告から

2020年10月09日 | 日々
 10月8日、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」が報告書を公表した。

 全体として、日本は死亡率を低く抑え、
経済の後退を抑えたものの、判断や対応は「場当たり的」だったとの指摘。

 そうかもしれない。

 もっとも、安倍さん以外の内閣ならどうだったか?
を考えればあまり変わらなかっただろう。

 いずれにしても、
政府は体系的な防疫策をもっていたわけではなかったようにみえる。

     
       ( 臨時調査会の発表模様 )

 日本は奈良時代あたりから天然痘などの疫病に見舞われてきた。
その後も江戸時代のコレラ、大正期のスペイン風邪など。

 こうした経験はのちの世にあまり引き継がれないものなのか?

 というのも、台湾での新型コロナ封じ込めの実績がぼくの頭をかすめるからだ。

 台湾では2013年のSARSでの経験から防疫策を体系化し、訓練もしてきていたらしい。
今回の成果はまさにこれによるものだという。

 新型コロナ対応はまだ終わらないが、
ぜひとも体系的な策を確立し、後世に残してほしいものだ。

 ところで、「新型コロナ対応・民間臨時調査会」なる機関。

 これはどんな性格のものなのだろう。

 よくわからないが、政府に対し、
第三者的な立場からモノ申しているように見え、説得力がある。

 そういえば、最近話題の「日本学術会議」6人の任命拒否問題。

     
          ( 6人の任命拒否をめぐる論戦 )

 政府は今も拒否理由を明らかにしていないが、
状況からは6人が過去に政府に異論を唱えたことがありそうだ。

 これに対し、
「学問の自由の侵害」という声もあるが、ぼくにはピンとこない。
 
 ただ、学術会議の存在意義のひとつは、
政府に対し耳の痛いことも提言できるということではなかったか?

 時の政府の意向とは別に、いろいろな考え方が許容される会議であることを望みたい。
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さらば渓流 2020

2020年10月01日 | トラウト
 半年余りにわたる渓流釣り、今年も終わった。

 今季は早くからいいイワナに恵まれたことが最高だった。

     

 それにしても8月は記録的な猛暑。

 幸い、いつもならアッという間に終わってしまう梅雨、これが長かった。

 そのせいか、例年なら8月は渇水で釣りも中休みになりがちなのに、
今季は十分楽しませてもらった。

 ただ、その反動でか、
いつもは良型に恵まれる9月が渇水に見舞われ、がっかり。

 もっとも渓流釣り、期間を通じてずっと恵まれ続ける年はほとんどない。

 いつだったか、5月が全国的に記録的な少雨で泣いたことも。

     

 一方、ぼくは現役時代から釣り場は開拓の姿勢で!
と自分に言い聞かせてきた。

 慣れた水域だけにこだわらず、未知の場所に行くべし!と。

 が、ぼくも歳をとった。

 もうそんな気力もなくなってきた。

 とはいえ、今季ただひとつ、地図をにらんでいて気になる一筋の流れがあった。

 そこを切り開くべく不案内の地に分け入ってみた。

 小さかったがそこでアマゴに出会ったときはうれしかった。

 「やっぱり居た!」と。

 同時に心に残ったのはそこで見た小さな橋のこと。

     

 長く使われず、草むしたその姿、
かつては杣人たちが盛んに行き来したのかもしれない。 

 あたかも時が止まって眠り込んでいるかのようにそれは見えた。

 さて、来季はどんな釣りができるだろう。

 今年出会ったトラウトたち、無事な産卵を祈りたい。
コメント (2)
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