稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

刻まれた爪あと

2014年02月26日 | 日々
 近づいてきた山ザクラの季節。

 ぼくがよく通る道で、山ザクラのひときわ多い山がある。

 一度その森に入ってみたいと思っていたが、入る道がわからない。
 
 だが今度その道を探し当てた。

 森に入ると、山ザクラがいっぱい。
 こんな濃密な森は初めて!と喜ぶ。

 が、張り紙。

     

 「檻 わな 危険」?
 まさか違法な「トラばさみ」?
 そんなものに引っかかってもがいていたら大恥じ。

 足元に注意しながら慎重に歩く。

 この森もツルがひどい。

     

 ギーコ、ギーコと切り進む。

 山ザクラの成木。
 ここに鋭い爪あと。

     

 これは熊ではないのか!
 思わずあたりを見回してしまう。
 もっとも傷はかなり以前のもののようだ。

 このあたり、熊が出るという話はよく聞く。
 けれども、どの話も「らしい」ということで、どれもあいまい。
 が、これを見ると「やっぱり!」と思わざるをえない。

 森というのは絶えず音がする。
 木の実が落ちる音。
 枯れ枝が落ちる音。
 それに風で揺れる木々のきしむ音など。

 今回は、音がするたび、熊?と過敏になってしまう。

 こちらの桜は鹿の食いあとか?

     

 いずれにしても野生動物が多いところのようだ。
 ぼくの入る森では、こんな光景は今まで見たことがない。

 まあ、大丈夫や!
 そう自分に言い聞かせながら、ツル切りに汗。

 山ザクラの季節が待ち遠しい。

 
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渓流早春

2014年02月23日 | トラウト
 久しぶりに笙の川へ。
 
 といっても釣りではなく様子見。

 2月1日解禁のはずながら、釣り人はいない。
 漁協のホームページも未更新につき、状況わからず。

 野坂岳を望む。

     

 
 山は白くも河原は雪なし。
 水量も多くはない。

 本格的な雪解けになると川はまた違った様相を見せるはず。

 水温を計ると7℃。


 続いてイワナの谷へ。

     

 今年は雪が少ない。
 森に通じる道には車のわだちも。

 さらに昨年高水温にもかかわらず釣れた上流へ。

     

 ここは川岸や山の斜面に残雪。

 ここも水量は少ない。

 アマゴたちが動き始めるのはまだ先だろう。

 まずはウェイダーを買い替えなくては。
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「風姿花伝」の今

2014年02月20日 | 日々
 小さい場ながら、仕事で人の前に出ることがよくあった。

 その時々によく感じたのは、いわばそれが聞き手との間に緊張をもったひとつの舞台であったこと。

 そんなことから、「風姿花伝」、いつかは読んでみたいと思っていたが、やっと読めた。
 (中央公論社『日本の名著』10 * 現代語訳) 

          

 この書、足利の時代、1400年頃に書かれたらしい。
 能を芸術として高めたとされる観阿弥の子、世阿弥が執筆したもの。

 ひもとくと、稽古の在り方、動作、上手・下手等々、詳細をきわめる。

 もっとも、能はぼくにとってまったく無縁。
 
 それでもこの書はおもしろい。

 が、世阿弥はひたすら芸術の道を究めようとしたのか。
 そうでもない。

「他座と競演する場合に、相手側に勝つ手段はどうあるべきであろうか」(P 123)
「・・・演者としての実力はあっても、一座を繁栄させるための、演出家的な創意工夫がなくては駄目なのである。」(P 141)

 ここには世阿弥の興業者としての一面が見える。

 おそらく世阿弥は観客の反応を常に意識していたのだろう。
 そこが興味深い。

 また、こうもある。
「能の演出や演戯についてもその時々の観客や土地柄などを考慮し、時代の普遍的な要求というものを常に念頭において舞台づくりを考える。これがすなわち時代の要求をみたす花なのである。」(P 162)と。

 能に無縁なぼくに語る資格はないかもしれない。
 けれども、この世阿弥の考え、今も生き続ける能に果たしてどれだけ受け継がれているのだろう。
 機会があれば一度みてみたいのだが。

 寝てしまうかなあ。
 何しろ、あの謡いがさっぱりわかんもんで。 
 (能楽愛好者には失礼!)
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山ザクラ 大木との出会い

2014年02月17日 | 日々
 渓流禁漁後、すっかり運動不足となってしまった。

 日曜日、久しぶりに山へツル切りに。

 これまで使っていた折りたたみ式ノコ。
 ついに折れてしまったのでホームセンターで新調。



 この日入ったのはおよそ10年ぶりの場所。

 当時、真っ黒に焦げた倒木に出会ったところ。
 落雷にでも見舞われたのか?

 今回はその残骸すらなくなっていた。
 おそらく朽ち果てたのだろう。

 一方、ツルの繁茂はすごい。

 ドングリにからみついたツル。
 まるでモンスターのごとし。



「今、助けたるでえ」とツルを根元から切断。
 さすが新しいノコ、切れ味が違う。

 


 続いて根元から3本に枝分かれしたドングリ。
 山フジがからみついている。



 左の1本はもう折れている。
 真ん中の1本も枯死状態。
 右の1本だけがかろうじて生きているようだ。

 これも大ナタ。

 さらに分け入ったところで山ザクラの大木。



 これはみごと。
 根回りにメジャーを当てると3.6メートル。

 久々にいいのを見た。

 渓流シーズンも遠からず。
 しばらくは森を歩いて楽しもう。
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雪道を歩きながら

2014年02月14日 | 日々
 予報どおり雪。
 寒い朝となった。



 よりによって、今日は眼科の予約診察日。

 以前から健保事務局より届いていた「薬をジェネリック医薬品に」のお願い文書。
 個人はもちろん、健保財政にも負担が軽くなるというもの。
 今日はそのお願いもすることにした。

 診察のあと、医師に「点眼薬をジェネリックにできますか?」

 医師は少し考えて「できます。受付でそう言ってください。」

 受付で申請。
 やや時間を置いて別の受付員が出てきた。
「あのう・・・ちょっとできないんです・・・処方箋薬局で言ってもらえますか?」
「わかりました」

 なにやら事情がありそうな気配。

 近所の処方箋薬局へ。
 が、「医師の処方箋に明記されていないとできません」と。
 ???

 簡単なことと思っていたが、なかなかむずかしそう。
 背後に何かあるのか?などと勘ぐってしまう。

 増え続ける日本の医療費。

 
 こんなことすら容易でないのか。

     
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続「感動物語」

2014年02月11日 | 日々
 週刊「AERA]2月17日号。
 「アエラは騙されなかった」の見出し。

 思わず買って読んでみた。

        

 当誌は昨年、この「現代のベートーヴェン」を取材したが、数々の違和感から掲載を見送ったという。

 作曲法に関わるインタビュー

 佐村河内氏の答え。
「いま自分が目指している曲に集中していると・・・大きな宇宙船の中にノイズの壁があって、その隙間から音が降りてくるんです。」

 今となってはバレバレのこと、大まじめに語っていたわけだ。

        

 佐村河内氏の耳が聞こえないということへの疑問

「手話通訳の動きが終わる前に彼が話し始めることが何度もあった。」
「帰りのタクシーが到着し、インターホーンが鳴ると、彼は即座に立ちあがって『来ましたよ』と言った。」(同誌 P19)
 等々。

 おそらく佐村河内氏はゴースト・ライター新垣氏やマスコミ関係者など、相手によって「聞こえる」「聞こえない」を使い分けていたのだろう。

 が、「思わず」、「うっかり」・・・とほころびが随所に現れたのではないか。

 編集部は「メディアが虚実を見誤ったときの影響は計り知れない」と自戒をこめる。

 同じく、11日付『朝日』紙面でも。
「偽りの『物語』 感動生む『装置』に」との自戒記事。(吉田純子 署名)

         
       
 今回の騒動、多くのマスコミ関係者に深刻な落胆、自責の念を呼び起こしたようだ。

 ただ、すでに昨年、月刊誌『新潮45』で音楽家 野口剛夫氏が批判的な論考を掲載していたらしく、これらがせめてもの救いか。

 多かれ少なかれ情報の受け手でしかないぼくらには、この教訓を生かすすべはあるのだろうか。

 
 今日のニュース。
 桐朋学園大学の辞職を決意したといわれる新垣氏。

 学生の間から、大学当局に辞職させないよう求める署名運動が起こっているとか。

 ぼくも新垣氏には、残留して再出発してもらいたいと感じる。
 

 
 
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交響曲HIROSHIMA 崩れた感動物語

2014年02月07日 | 日々
 6日、新垣隆氏の記者会見でほぼ経過がみえてきた。

 氏が18年にわたって佐村河内氏のゴースト・ライターをつとめてきたというもの。

 はじめの小さなウソが次第に大きく。
 佐村河内氏は広島市民賞を受け、またNHKでは『魂の旋律 音を失った作曲家』とされる等々、一躍著名人に。

 佐村河内氏の「手腕」には怒りを禁じえない。



 一方、会見を機に全著作権を放棄した新垣氏。
 おそらく、現在の職はあやうく、作曲家としての今後もむずかしかろう。

 が、ウソを重ね続けることを拒んだ新垣氏の苦渋の決断。
 ぼくはそこに誠実なものを感じる。
 (もっとも「いやこれにはさらに裏が・・・」などとなったらもう一度ひっくり返りそうだが)

 ソチ五輪、高橋大輔の曲が氏による「バイオリンのためのソナチネ」だとか。
 一度聴いてみたい。

 それにしても新垣氏の佐村河内氏に関する述懐。
「初めて会ったときから、耳が聞こえないと感じたことは一度もない」

 どういうことなのか?

 もしそういうことなら、マスコミなどが描いた感動物語は、さらにその基から瓦解する。



 2007年、北海道滝川市を中心に身体障碍者手帳(聴覚)集団不正取得事件があった。
 福祉行政を寄ってたかって食い物にした事件として記憶に新しい。

 今後の経過を注目したい。
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熱き日々は遠く

2014年02月06日 | 日々
「東大紛争 秘録 45年目の真実」
 というテレビ番組(NHK)があった。

 東大紛争の最終局面をどう収束させるか。
 この経緯について記録を残そうとした当時の東大執行部 6人の座談記録。

 これから検証が必要ということだが、ぼくにはさほど関心はない。
 今さら・・・の感。



 ただ、これをみて改めて感じる。

 大学の在り方とは・・・
 学問研究の目的とは・・・
 大学自治とは・・・

 東大のみならず、全国の大学で口角泡を飛ばして議論された多くの主題。 

 今の学生諸君が早くから就活に励み、それでも困難が伝えられる昨今。
 思えば、ある意味、あの時代はゆとりがあったともいえる。
 が、ファナティズムを生み出すほどに熱く真剣な時代であったとも。



 驚くのは、当時の東大執行部6人のうち、存命はただ一人。
 法学部教授だった坂本義和氏のみということ。

 
 あの頃、総長代行として任にあたった加藤一郎氏。
 当時46歳。

 東大を代表するにはあまりにも若いという印象だった。
 だが、その加藤氏もすでに故人。



 森山良子の歌に「We Shall Overcomeを歌った日」がある。

 その一節。
 「あれから どれくらい この世界は 変わったのかしら」

 作詞者の意図はともかく、ぼくが青春時代に描いた未来の世、あれはなんだったのか。

 あの熱い日々も遠くなった。

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幾つになっても恐怖の歯医者

2014年02月04日 | 日々
 旅行から帰って早速歯医者へ。

 先週の初診。
「これは根ェが深いなあ。穴は小さいけど。・・・麻酔が要るなあ」
 と医師から言われていた。



 二カ所に麻酔。

 いよいよ削り始め。

「痛かったら手ェ上げてな」と医師。

 口を開けたまま「ファイ」と言ったが、
『エッ、麻酔を打っても痛い?』と不安。

 ウィーン、ウィーンという音。
 自然に指先がこわばる。

「はい、口をゆすいで」
 ホーッとため息。
『やっと終わった、うれしい』
 と思ったら、第二ラウンド。

 再びウィーン、ウィン、ウィン、ウィーン。

 いやあ、長かった。

 子どもの頃、削られながら、突如やってきた激痛の記憶。

 幾つになって変わらぬ恐怖。

 型をとって放免。

 歯医者を出るときはスキップしたいような心地。 
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入道崎から仙台空港へ

2014年02月02日 | 
 朝、男鹿半島の先端、入道崎へ。



 ここも風ばかり。
 雪は吹き飛ばされている。

 次いで「なまはげ館」へ。

 中に入るとたくさんのなまはげが展示されている。



 なまはげは地区ごとに行われ、ここには現役のなまはげに加え、使われなくなったものも展示されているそうだ。
 33地区60体というから勢ぞろいというところか。

 なまはげはニュースで子どもたちが泣き叫ぶところをよく見る。

 しかし、それはなまはげの一面にすぎないという。
 無病息災を願い、毎年大みそかに行われる神事なのだそうだ。



 各家々では当主が正装してなまはげを迎える。
 時代とともに変わりつつあるとはいえ、地区によっては当主となまはげとの問答など、古い形式を今に伝えているところもあるらしい。

 郷里串本の祭りについて聞いた話を思い出す。
 厳しい定めごと、しかし時代とともに崩れゆくそれ。
 
 ここも例外ではなさそうだ。

 それにしても、このなまはげの面構えはどうだろう。
 ユーモラス、素朴、力強さ・・・。



 20年ほど前、沖縄に行ったことがある。

 シーサーをぜひ買いたいと思っていた。
 が、どこのみやげもの屋でも欲しいと思うものはなかった。
 
 家々の屋根についているシーサー、この一つひとつはとてもすばらしいのに。

 当地、男鹿のみやげもの屋でもなまはげは売っている。


  (みやげもののなまはげ)

 でも、これはおもしろくない。
 いかにも作りものの「おみやげ」でしかないのだ。

 職人芸ではなく、地区ごとに手作りされた面の数々。
 それは一つひとつ、いつまでたっても見飽きない。



 ぼくはバスの出発時刻ぎりぎりまでこの表情に見入った。



 次いでバスは角館へ。
 武家屋敷の並ぶ通りは一面真っ白。



 さすが東北の内陸だ。

 ここで昼食のあと、一路仙台空港へ。

 秋田から岩手に抜ける道はまさに深い白銀の世界。



 さらば、また訪れてみたい冬の東北。
 
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