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稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

梅雨明けの渓流でアブラハヤ

2025年07月06日 | トラウト
 朝の食事、洗濯、散歩を終え、落ち着いたところへ電話。

 釣友 森さんからだ。
「今から釣りに出かけることになりました。
 急な話で悪いけど、いっしょに行きません?」

「エッ!今から?」と思ったが、まあ予定もなし、行くかと承諾。

 こうしてぼくの家に森さんが迎えに来てくれた。

 久しぶりの再会で、車中の話はあれこれ止まらない。 

 途中でコンビニに立ち寄り、昼食を買うことにしたが、
森さん「笙の川のあたりにヨーロッパ軒というレストランがあって・・・」と話し始めた。

 ぼくは「では、そこで食べては?」と提案、話は即決。

 ヨーロッパ軒に着いたのはもう12時50分。

 駐車場には車がいっぱい。

 さて、レストランに向かうと「終了」の張り紙。

 「エーッ!」

 中にはまだ客がいっぱい。

 「まさか、何かの間違い?」と店員を探し「もう終わりですか?」

 店員は忙しそうに「はい、終わりです」と言い、小走りに去った。

 どうやら予定していた食材が出尽くしたようだ。

 ぼくらは「メシ屋なのにメシがない?、まだ昼の1時にもなってないのに」とブツブツ。

 結局、コンビニで腹ごしらえのあと渓流へ。

 渇水を心配したが、まだそれほどの深刻さではない。

 森さんが早々にスピナーで10cmに満たないアマゴ。

 しかしその後は苦戦、ミノーにもスピナーにも追ってくる気配がまったくない。

 ぼくも森さんから借りたタックルで試してみた。

 「オッ」と思ったがアブラハヤ。

     

 結局、二人でアブラハヤ4匹だけ。

 どうやらヒルのヨーロッパ軒でつまずいたか?
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涼しげなイワナの写真

2025年07月03日 | トラウト
 梅雨は早々に開けてしまい、ニュースでは毎日猛暑の報。

 このまま続けば記録的なものになりそうだ。

 昨年も猛暑でコメの「不良」が伝えられていたが、
今年も野菜類を含め、どうなることやら不安な夏だ。

 渓流の渇水もひどくなるかもしれない。

 そんな最近、釣友 バッキーさんからメールが届いた。

 彼はぼくが貧果にあえいでいるときなどでも、一人釣果を上げる友。

 だが、ここ最近は数匹しか釣れないと不調を訴えている。

 しばらく仕事で釣りに行けないそうだが、
「次に向かうときは渇水になりそうで心配」とあった。

 それでも最近の写真が添えられていた。

     

 このイワナのきれいさ、それに水の透明感がなんともいえない。

 こういう涼しげな写真を送ってもらえるよう、ほどよい雨を期待したいものだ。
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映画「伊豆の踊子」にみる時代

2025年05月02日 | トラウト
 BSで久しぶりに「伊豆の踊子」(1963年 吉永、高橋主演)。

 旅芸人一座のかおる(踊子 16歳)と学生(東京の高等学校生)との淡い恋と別れを描いた作品だ。

 伊豆半島を徒歩で南下する旅芸人一座と学生が出会い、連れ立っての旅、物語はそこから始まる。

 作品の一つの柱は二人がお互いに惹かれ合う展開、
もうひとつは旅芸人が置かれた社会的地位を明らかにしていく展開、作品はこれら二つの柱から成る。

 映画のはじめ、一行が伊豆のある村を通過する場面、村の入口には木札が立てられている。

 「物乞ひ 旅芸人 村に入るべからず」と。

 一行は村の子どもたちにはやしたてられながら、足早に村を通り過ぎる。

 茶店では、ばあさんが学生に一行を指して「あんな者・・・」と。

 さらに、着いた宿場で一行が呼ばれたお座敷。

 宴席での歌や踊り。

 宿場は男たちの欲望の渦巻くところ。

 それらはかおるの決して明るくない将来をも予感させる。

 やがて、二人はますます惹かれ合うようになるが、
一座の母親役(浪花千栄子)は二人を引き離そうとする。

 どう考えても成就しえない恋との思いからだ。

 下田に着いた学生はそこから船で東京に帰ることになる。

 二人の辛い別れ、物語はここで終わる。

     

 伊豆の踊子の時代
 原作(川端康成)が書かれたのは大正末期。

 あまりに若すぎる二人の恋はむずかしいが、
それ以上に厳しい格差が恋の成就を阻んだのもこの時代の現実だったろう。

 どこでもさげすまされる旅芸人たち。

 他方で、学生はまわりから「書生さん」「学生さん」と大事にされるいわば当時のエリートだ。

 恋の深まりの過程と格差の厳しさが明らかにされていく過程の終末にある別れ。

 そこにこめられたある種のメッセージ性が、単純な悲恋物語とは異なり、
この作品を今日まで読み継がせ、何度もの映画化を果たさせたのかもしれない。
 
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王さんにイワナ釣りを案内

2025年04月19日 | トラウト
 サクラも散り、暖かくなった。

 釣りには縁遠くなってしまったぼくだが、
今日は釣友の王さんに笙の川のイワナ釣りを案内することになった。

 京都から郊外に出ると、
比良山のふもとなどは淡い緑がいっぱい、またやわらかな地面にはタンポポが群生している。

     

 春らしい幸せ感に包まれたような世界だ。

 さて、釣り場に到着。

     

 ぼくの経験を基に、王さんにポイントを指し示す。

 王さんがそれに従ってルアーを投入。

 小さな落ち込みでイワナがヒット。

 しかしルアーを上げたとたんにイワナはポチャッ。

 こんなことが数回続いた。

 ややあって、少し広い深みで王さんのルアーにイワナが追尾。

 が、惜しくも反転して深みに戻ってしまった。

 ぼくらはお互いの顔を見合わせ、大興奮。

 王さんは「もう一回!」と投げ込む。

 そうして数投目についにかかった。

 「やったあ!」とぼくらは歓喜。
  
     

 イワナがルアーをねらって威嚇し、体当たりし、
最後にくわえ込む、この一連の流れは何度目にしてもワクワクしてしまう。

 もう釣竿を手にすることはないぼくだが、やはりあの興奮だけは忘れられない。

 本日 王さん イワナ 4匹(13~20cm)
 
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秋深まる笙の川べりを歩く

2024年09月29日 | トラウト
 釣友の森さん、今季は多忙で
あまり釣りには行けなかったが、最終盤で行くことにしたとのこと。

 ぼくにも声がかかり、追従することにした。

 ぼくにとっては4月以来となる笙の川。

 そこへの道そして山並みはもちろん、看板類までがなつかしい。

 今日は写真でも撮ろうかと思ったが、あいにくの曇り空だ。

 さて、釣り場に着いた。

 予想はしていたが、やはりひどい渇水だ。

     

 さて、森さんについて歩き始めた。

 が、坂道になると、とたんに足が重く、息が苦しい。

 釣りをやめてから、体力が落ちたことを実感。

 しばらくして、森さんが道から渓流に降りて行った。

 ぼくはゆっくりと示し合わせた橋に向かって林道を歩いた。

 しばらくして、森さんがやってきた。

 網には今しがた釣ったというイワナ。

     

 細身だが25cmほどの魚体。

 りっぱなもの。

 森さんの話では、
ルアーへの追いはあるが、全般に小さく、なかなか食わないとのこと。

 渇水の影響なのかもしれない。

 このあとは目立った釣果もなし。

 今季の最終盤は厳しそうだ。
 
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トラウト釣りから見た笙の川

2024年08月20日 | トラウト
 笙の川との出会い
 トラウト釣りでは、
ぼくは特定の川に固執せず、なるべく多くの川に入ることにしてきた。

 そうしているうちに出会ったのが笙の川で、その後の最大のお気に入りとなった。

 何がいいのか?といえば、ひとつには遊漁期間全体を通じてよく釣れること、
もうひとつはこの川で釣れるトラウトが、元は放流されたものであっても、
自力で繁殖し、生育するものが多いと思われることからだった。

     

 漁協のていねいなアマゴ放流
 笙の川は日本海に注ぐ。

 当然、元々はヤマメの川だ。

 ところが、ぼくが通い始めたころ、釣れるのはヤマメでなくアマゴばかり。

 これは漁協が釣り人の要望に応え、
長年アマゴを放流してきたからで、この事情は美山川(京都)などと同じだ。

 そこでぼくはぜひとも在来種のヤマメを釣ってみたいものと思い、上流にもよく足を運んだ。

 例えばこの水系の一部を成す黒河川での体験。

 林道をずんずんさかのぼり、山深い釣り場に到着。

 「このあたりまで来ればヤマメか?」
 と思ったが、釣れるのは朱点鮮やかなアマゴばかり。

     

 そこから釣り上がり、大堰堤に遭遇。

 「この堰堤の上ならヤマメがいるのでは?」

 いやそこもアマゴ、さらに・・・。

 いやはや、こんな最上流部までアマゴだとは!

 しかも、この状況は、支流の五位川や麻生川などでも同じなのだ。

 ここを管轄する漁協(敦賀河川漁協)は
なんと広くていねいにアマゴを放流していることか! 

 ぼくには驚きだった。
  
     

 アマゴからヤマメへの転換はしたけれど
 ところが、2014年だったか、県の指導で放流はヤマメに戻された。

 漁協事務所でこの話を聞いたとき、ぼくは思った。

「それはいいこと。すると、笙の川では
これから急速にアマゴからヤマメに変わっていくことになる」と。

 で、ほぼ10年後の現状はどうだろう。

 確かに本流部、中流部ではヤマメが優勢だ。

 しかし、少し上流部にいくと今もアマゴが優勢なのだ。

 これは何を語っているのか?

 つまり、ヤマメは中流部あたりで放流されるが、
堰堤にはばまれ、上流には向かえないのだ。

     

 その結果、既存のアマゴたちは堰堤の上流で居続けることになる。

 これは昔と違い、今の漁協の放流範囲がかなり狭くなっていることの証だろう。

 豊かな笙の川 生き延びるアマゴたち
 が、他方では、アマゴたちの健在ぶりはすごいことでもある。

 笙の川、エサ釣師も含め、釣り人はけっこうおり、持ち帰る人もいるはず。

 それでも、追加放流がなくとも、
彼らは上流部でたくましく自力で世代交代を重ねているわけなのだから。

 冒頭に記したぼくにとっての笙の川の魅力はここにあった。

 いずれにしても、この川が
永遠にトラウトたちを生み育てる豊かな川であり続けてほしいものだ。

 笙の川、ずいぶん楽しませてもらった。

 ありがとう、さよなら。

     

 付記
 なお、ぼくとしては笙の川だけを特別視して賞賛するつもりはない。
 他にもトラウトたちが自力で豊かに世代をつないでいる川も少なからず見聞きしてきたからだ。
 こうした川がこの先もずっとその力を保ってくれることを願うところだ。
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12月のイワナ

2024年08月11日 | トラウト
 12月にイワナは釣れるのか?
 何年か前の12月。

 ある日、一本の電話が入った。

「神田さん、12月にイワナは釣れますか?」

 電話の主は知り合いの大学の先生だ。

「さあ?どうでしょう・・・」
「研究上、○○川のイワナのサンプルが急に必要になりまして・・・」
「でも、今は禁漁期ですから・・・」
「いえ、〇〇川を管轄する漁協はありません。
 ただ、今の時期の捕獲は条例(都道府県)に抵触するんです。
 でも、そちらの方は私から大学を通じて関係局に許可を申請しますから大丈夫です。
 同行してもらえませんか?」

 そういうことならと引き受けた。

 とはいえ、解禁時のぼくの経験からは、寒い時期のイワナは釣りにくい。

 果たして釣れるのか?
 
 水温7℃の川で
 さて、12月半ば、ぼくは先生とその川を訪ねた。

 見上げる山々の峰はうっすら白く、山道の所々にはザラメ状の雪。

     

 間もなく小さな流れを見つけた。

 盛期であれば、比較的簡単にイワナが釣れそうなところだ。

     

 入ってみた。

 しかし、まったく反応なく、悪い予感。

 水温は7℃。

 イワナたちはどこか深いところでジッと耐えているのではないか?

 そこで、この川の主流部に入ることにした。

          

 ぼくはやや深くなったところをねらってミノーを送り込んだ。

 すぐに黒い影がミノーを追ってきた。

 が、食わずに反転。

 居たっ!

 しかも動きは早い。

 これは予想外で、驚きだった。

 第二投目にも黒い影、しかしこれも食わずに反転し、あとは沈黙。

 これは釣れそう!とそこから釣り上がることにした。

 イワナたちはもう産卵を終えているだろうから、
ぼくらは産卵床を傷めないよう岸や護岸を伝って歩いた。

 次の落ち込み、ここでぼくの竿が曲がった。

 イワナだ。

 ぼくの当初の心配をよそに、12月のイワナはあっさり釣れた。

     

 その後岸際を歩くと、驚いたイワナが下流に向かって逃げていく姿も目にした。

 全般に川は浅かったが、イワナの密度はかなり高いと思われた。

 こうしてぼくは比較的短い時間で3匹(16.22.23cm)のイワナを釣った。

 この時点で「もう十分です。このあたりでやめておきましょう」と引き上げることにした。

 12月という時期のイワナ
 そんなわけで、12月のイワナは意外にもあっさり釣れた。

 しかもイワナたち、2月や3月の解禁時に比べれば、
瘠せ衰えはみられず、動きも活発に見えた。

 思うに、夏から秋に貯えた体力がまだ十分残っているからなのだろう。

 歩きながら川面や山道を見回した限りでは虫は一匹も飛んでいなかった。

 イワナたちにとっては、これからが本格的に厳しい寒さ、そして空腹の季節となるようだ。

     

 先生のおかげで12月のイワナ釣りという貴重な体験をさせていただいた。
 
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古座川アマゴへの思い

2024年08月03日 | トラウト
 古座川への夢
 南紀を代表する古座川。

 ぼくにとっては子どもの頃から慣れ親しんできた川だ。

 竹を切ったヤスでアユを追った日々もなつかしい。

 この川の水がかすかに帯びる青あるいは緑の色合い、
それは思わずうっとりするような深い透明感を伝えてくれる。 

 その古座川でぼくが初めてアマゴに出会ったことはすでに書いた。

 以来、ぼくはこの広い古座川水系の隅々までアマゴを釣り歩きたいものと夢みてきた。

 望みはたくさんのアマゴに出会うこと、できればノボリ(サツキマス)、
そして古老から聞いていたイワナにも出会うことだった。 
  ( 本ブログ 2011.9.15「古座川 まぼろしのイワナ」参照 )

 こうして退職後、ぼくの京都からの古座川通いが始まった。

     

 きびしかった古座川釣行
 しかし、ほぼ3年かけた釣行も、結果はきびしかった。

 土地の人の話を聞きながらのノボリ釣りは、
結局大きなウグイをたくさん釣っただけに終わった。

 また、イワナについては土地の人々に聞いても
「知らない」というばかりで、情報もなく、やはり釣れなかった。

 この間、ぼくはアマゴが放流されたと思われる水域は避け、
できるかぎり支流の奥など上流部を重点に探った。

 その結果、支流の奥地などで、在来種と思われるアマゴたちに出会うことができた。

 これはうれしかった。

     

 アマゴがいるはずなのに
 しかし他方では、地図で見るといい支流なのに、
一匹も釣れないどころか、追いすらなかったところも多かった。

 ある日ぼくは古座川漁協の組合員の方に出会い、放流状況を聞かせてもらった。

 古座川漁協では三か所の定点放流で、それ以上の分散放流はしていないこと、
また漁協内では「アマゴの放流事業をやめよう」という意見もあるそうで、漁協の主な関心はアユだという。

 ぼくには放流方法があまりに乱暴では?という印象だった。

 というのも、この方法では放流されたアマゴは堰堤にはばまれ、その上流や他の支流には広がらないからだ。

 もう一か所の放流現場にも出くわしたが、ここでも同じだった。

 堰堤の分布状況を考慮しながら、もっと分散放流しては?
と思ったが、労力、予算などいろいろな制約があるのだろう。

 アマゴのいない支流や谷があることの背景には、こうした事情もあるようだ。
 が、気になったのはもうひとつのケースだ。

 これも地図で見るといい支流。

 しかし、アマゴの追いがない・・・。

 と思っていたら、かろうじて10cmあまりの小さいのが釣れた。

 そんな支流がいくつかあった。

 そこでのアマゴたちは型、数ともにとても貧弱に見えた。

 いったいこれらの状況は何を語っているのだろう?

     

 古座川アマゴの衰退という予感
 いい支流なのにアマゴがいない。

 これは漁協の放流の仕方が不適切だから?

 しかし、太古の昔にはアマゴはいたはず。

 ならば漁協の放流がなくとも、天然モノが自力で命をつないでいてもおかしくないはずでは?

 ここでぼくが推測したのは、
これは古座川アマゴの衰退を示しているのではないかということだった。

 そんなとき、串本の知り合いがぼくに言った。

 「和歌山県のあちこちの川でアマゴ釣りをしている人が言っていました。
 古座川のアマゴは放流事業をやめればすぐ絶滅ですよと」。

 この話を耳にしたとき、ぼくにもわかるような気がした。

 専門的なことはともかく、古座川は元々四国、九州などの南部と並び、
アマゴやヤマメの分布はほぼ南限といってもいいだろう。

 温暖化という長きにわたる環境変化のなか、
古座川のアマゴたちには自然の繁殖や生育がむずかしくなりつつあるのではなかろうか。

 数値的裏付けのない、ぼくの個人的推測ではあるが、この予感はぼくを愕然とさせた。

 さよなら古座川
 こうして、ぼくの古座川通いの結果は、残念ながら当初の期待に沿うものではなかった。

 それでも奥地でのアマゴたちとの遭遇のうれしさは何ものにも代えがたかった。

 せめて彼らがこの先、少しでも長くその命をつないでくれることを願うばかりだ。

 慣れ親しんできた古座川、いつまでもあの深い透明感を伝える美しい川であってほしいもの。

 ありがとう古座川、さよなら。

     

 
* なお、ぼくの解釈はあくまでも個人的な体験を基にした推測で、 
 ほかにもいろいろな解釈があることと存じます。可能であれば御教示願います。

* また、同じ古座川水系に属する七川漁協の放流状況については確認できていないことをお断りしておきます。
 
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夏のアマゴを探して

2024年07月18日 | トラウト
 きびしい夏のアマゴ
 さて、先日も記したように、
ぼくは古座川をきっかけに久多川で本格的にアマゴ釣りを始めた。

 よく釣れた。

 ところが梅雨が明け、
暑くなるにつれ、アマゴたちはだんだん姿を見せなくなった。

 ぼくは、放流されたアマゴたちが釣り切られ、その数を減らしたものと解釈した。

 「アマゴとはそういうものなのか、また来年なのか」という気分だった。

 翌二年目、久多川に加え賀茂川水系の年券も買った。

 3月、賀茂川の解禁の日、京都市内とあって、たくさんの釣り人。

 割り込みもむずかしいほどだったが、隙間を見つけながらの転戦、転戦。

 解禁日はよく釣れた。

 楽しかった。

 しかしそれは一瞬のこと。

 アマゴたちは解禁当日、その大半が釣られ、釣り人たちもすぐにいなくなった。

 ぼくはしばらくは「落穂拾い」に通って楽しんだ。

 しかしそれも4月半ばくらいには終わった。

     

 こうして、ぼくの初期のアマゴ釣りは放流区域が中心だった。

 夏の日、上流でアマゴに出会う
 ところが、何年目だったか、上桂川に入った年のことだ。

 もう夏も終わろうという時季、ぼくはまだ落穂ひろいを続けていた。

 釣れなかった。

 ある日、上桂川でも奥地域にある広河原地区に入った。

 小さかったけれど、アマゴが釣れた。

 ところが、さらに2匹、3匹と釣れる。

 これはめずらしいと喜んだ。

 このとき、ぼくはハッと思った。

「ひょっとして、これは上流域あるいは支流だから釣れたのではないか?」と。

 ぼくは早速試しに上桂川の別の支流に向かった。

     

 本流と支流では水温が2度ほど違っていた。

 そうして、支流に入ると釣れるではないか!

 集中放流区のアマゴたちは釣り切られたかもしれないが、
上流部や支流のアマゴたちは夏でも健在なのだ。

 なんということ、ぼくはアマゴのほとんどいない水域を釣っていたわけだ。

 ベテランの諸氏に対しては恥ずかしいが、当時のぼくにとってこれは大発見だった。

 転機となった遠回りの末の「発見」
 ここからぼくの釣りは季節とともに場所を変えるものになっていった。

 当然といえば当然のことながら、
いかにぼくが情報や知識、経験を持っていなかったかということだ。

 当時、ぼくには渓流釣り仲間がいなかった。

 また、釣り場で教えを乞うルアー師に出会うこともなく、条件は悪かった。

 思い返せば、ひどい遠回りをしたものだった。

 それでもこの「発見」のうれしさは何ものにも代えがたく、
ぼくの渓流釣りにとっては大きな転機となった。
 
 
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アマゴとの出会いとバス釣りの終わり

2024年07月03日 | トラウト
 渓流釣りへの関心
 さて、バス釣りにのめり込んだ日々。

 が、ある時点でぼくは他の釣りにも関心をもつようになった。

 そのひとつが渓流釣りだった。

 ルアーの入門書や雑誌には時折り触れられていた。

 しかしどこでどうやって釣るのだろう?

 ぼくのまわりにはバス釣り友達はいたが、ルアーでのアマゴ釣りは誰もいなかった。


 初めての渓流 古座川へ
 そこである年の6月、郷里串本に帰省したとき、ダメ元で古座川奥に出かけてみた。

 とりあえず竿はバス用の180cmをそのまま使い、釣り糸は8ポンド(2号)、
ミノーは5センチ程度の小型を持参、足元は普通の長靴といういでたちだ。

 日券を買った家のおばさんに
「どこへ行けば?」と尋ねると「よう知らんのです」とすまなさそう。

 これもとりあえず、松根という最奥集落のひとつまで行き、そこから入渓することにした。

 さて、ぼくのミノーの技がアマゴに通じるか?期待と不安。

 が、すぐに気づいたのは、長靴では川歩きは無理ということ。

 ぼくは頭のなかで、
水の中に入らず川岸を伝って歩き、川岸に立ってルアーを投げると想像していた。

 そんなことはできっこないのだ。

 しかたがない、濡れてもいいか、と川にザブザブ。

 次なる問題は、いったいアマゴはこの比較的広く長い川のどこにいるのか?

 これもしかたがない、どこでもいい、ところかまわず投げながら釣り上がることにした。

     

 念願のアマゴ
 さて、最初の手応え。

 上がってきたのはカワムツだった。

 うれしかった。

 ぼくのバス釣りの技が少なくともカワムツには通じたのだ。

 次いでやや水深のある瀬に至ったときのこと。

 水が集まる地点、そこにミノーを投げ、トゥイッチ。

 突然、水面から魚体が跳ね上がり、それが近くの平らな石の上に乗り上がった。

 その魚はすぐにもう一度はね、水中に没した。

 「???、大きい!」

 バスがトップに食わずに威嚇するような動きにそっくりだ。

 次いでもう一度同じところに投げ、トゥイッチ。

 今度はミノーを激しく追いかける、いや追い立てるといったふう。

 そうして反転、戻っていった。

 もう一度!

 今度は着水してトゥイッチしたとたんに重みが手元に伝わってきた。

 リールを巻くと、水しぶきをあげながらの激しい抗い。

 なんとかそれを岸にズリ上げ。

 アマゴだ。

 初めて近くで見るパーマーク、とてもきれい。

 測ってみると29.5cm。

 これは正にビギナーズラック!

 その後もぼくはズブ濡れになりながら、釣り上がった。

 しめて5匹ほど釣れたろうか。

 けれども、6月とはいえ、川の水は冷たい。

 だんだん体が冷え、ついに耐えきれず納竿。

 しかし、ぼくの釣り方がアマゴに通用したこと、このことが何よりもうれしかった。

 本格的に渓流釣りへ
 京都に戻り、早速買い求めたのはウェイダーだった。

 そうして安曇川水系久多川の年券を買った。

     

 久多川はこじんまりしていて、古座川の松根よりも釣りやすかった。

 ここで初めてイワナを手にした。

 「ほう、これがイワナか」とまじまじ。

 こうして、ぼくは急速に渓流ルアーに傾斜していくこととなった。

 なお、これを境にぼくはバス釣りから遠ざかり始めた。

 もともと気になっていた生態系の破壊という議論や琵琶湖の漁師たちの怒りや嘆きの話。

 他方では、ぼくが湖沼や河川にバスを放流したわけではないし、
また、バスに罪があるわけではないとの思いも。

 しかしそんなモヤモヤ感のなか、秋月岩魚氏が著した
「ブラックバスがメダカを食う」(宝島社)を読んだとき、
生態系の問題の深刻さを改めて感じざるをえなかった。

     

 このころからぼくは釣ったバスの再放流をしなくなり、
やがてバス釣りそのものをしなくなっていった。
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