稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

増水の源流部にイワナを訪ねたが

2020年07月29日 | トラウト
 笙の川水系、予想どおりの増水だ。

 今日は源流部にイワナを訪ねてみた。

 もっともこの水域、例年初夏を過ぎると増水でもイワナはきびしい。

 源流部、さすがにここは濁りがない。

     

 しかしルアーを追って出てくるはずの場所、やはりイワナの反応がない。

 やっと1匹。

     

 とにかく迎えてくれたことに安堵。

 釣り上がって行くと、
落ち込みでルアーを追い払うようなイワナの姿を確認。

 しかし食わずに没してしまい、これっきり。

 どうやらここのイワナたち、今年も姿を隠してしまったもよう。

 下流に転じ、ヤマメねらい。

 増水で白泡がひどく、苦戦したがなんとか釣れた。

     

 いよいよ減水が始まるか・・・。

 本日 水温 18℃
     イワナ 1匹(20cm)
     アマゴ・ヤマメ 5匹(14~19cm)
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苦戦しつつ尺イワナ

2020年07月24日 | トラウト
 連休だが雨予報。

 これなら車も釣り人も少なかろうと笙の川へ。

 水位は少し下がったかな?と思ったが逆だった。

     

 敦賀方面はかなり降ったのだろうか、白泡と早瀬の連続。

 瀬の脇にルアーを投げ込むが今日は反応なし。

 が、白泡立った落ち込み、ここで手ごたえ。

 泡の間からクネクネと褐色の魚体。

 岸にズリ上げるとデカい。

     

 先日、釣友 太郎さんからもらった尺イワナのメールが頭をよぎる。


 メジャーをあてると31cm!

     

 4月以来の尺モノだ。

 この後はかろうじてヤマメが2匹。

     

 増水というもの、手放しでは喜べない、むしろ苦戦続き。

 雨の帰路、湖西賂は予想に反し大渋滞でため息。

 本日 水温 19℃
     イワナ 1匹(31cm)
     ヤマメ 2匹(16~20cm) 
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まだまだ水位十分の笙の川

2020年07月22日 | トラウト
 明けそうで明けない今年の梅雨だが、昨夜の雷はいよいよの予感。

 もう半月ほどもごぶさたの笙の川へ。

 賀茂川水系に比べると水位はまだまだ十分。

 ところが、いつもなら釣れるはずの落ち込みや流れ込みがさっぱり。

 追ってくる姿さえ見えない。

 どうしたものか?と思っていると瀬でようやく小さいのが1匹。

     

 さらにこの少し上流で、今度は少し重いのが。

     

 なかなか体高のある1匹。

 釣った場所は上流に長く続く瀬。

          

 いつもなら浅いところだが、今日はヒザ近くまでの深さ。

 流れが速く、歩くのも手探りならぬ足さぐりで。

 その流れのたるみからさらに1匹追加。

 増水の今、ヤマメたちはこんな早瀬の脇に出張しているのかもしれない。 

 とはいえ、こんないい瀬も長くは続かない。

 速い流れに足をとられ続けた苦戦の一日。

          

 いよいよ夏枯れの始まりかと思っていると、釣友 テンカラ太郎さんからメール。

 「笙の川で尺イワナ」と。

 うらやましい!

 まだまだイケるんや。

 本日 水温 18℃
     ヤマメ 7匹(14~21cm)
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久々の晴れ間で

2020年07月19日 | トラウト
 長い雨だったが、この土日は久々に晴れた。

 そのせいか、今日は郊外に出る車がいっぱい。

 ぼくも午後から賀茂川水系に出かけてみた。

 さぞや水位も高く、歩きにくいのでは?と思っていたがそうではなかった。

 上流部ではすでに減水が始まっている。

 水はふだんよりも少し多いくらいの感じだ。

     

 で、アマゴはというと、ますます少なくなっている。

 すでに夏モードの感。

 やっと浅瀬で出たアマゴ。

     

 さらに上流におもむく。

 上流は姿を見せるものの、魚体は小さくルアーについてくるだけというのが多い。

 釣友 椿さんからは滋賀で21cmを頭に11匹とのメール。

 ぼくも少し期待した晴れ間だったが、結果はもうひとつ。

     

 本日 水温 20℃
     アマゴ 4匹(13~18cm)
 
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わかりにくい歌詞、されど流行するというおもしろさ

2020年07月16日 | 日々
 歌が表現するものはいろいろ。

 情景であったり、小さな物語であったり・・・。

 ところが中にはその歌詞が何を意味しているのか
よくわからないものもたくさんある。

 その一例として、ぼくが長年ひっかかっている
「星屑の町」(三橋美智也 1960年)がある。

     

 「やさしかった 夢のかずかず」
 「まだ遠い 赤いともしび」
 「忘れない 花のかずかず」
 作詞者は何をイメージしているのだろう?

 そもそも冒頭の「両手をまわして帰ろう・・・」という部分。

 ぼくは主人公が両手を後ろに組んで歩く姿を想像していたが、
そうでなくこれは蒸気機関車のまねごとだという解釈もあるらしい。

 とにかくこの歌、誰が解釈しても意見が分かれるのはまちがいない。

 さらにもう一曲あげれば、
なつかしい「川は流れる」(仲宗根美紀 1961年)。

 失恋を歌ったもののようで、
言葉はよく選び抜かれ、作詞者(横井 弘)の苦闘が伝わってくる。

 けれども作詞者が何をイメージしているのかはわかりづらい。

     

 もっと後年でいえば「さらば青春」など小椋佳の一連の作品などもその典型だ。

 いずれも作詞者に尋ねてみたいところだ。
 
 不思議なのは、これらわかりにくい歌がともに大流行したことだ。

 聴き手は、全体はわからなくとも
象徴的で断片的な言葉の中に自分の思いを重ねているのだろうか。

 別の見方をすれば、具体的過ぎない歌詞の方がかえって
たくさんの聴き手の共感を呼ぶのかもしれない、聴き手側の解釈の適否は別として。

 そう考えると、歌詞のわかりにくい歌の流行というもの、実におもしろい。
 
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歌手たちの変わりゆく歌い方

2020年07月14日 | 日々
 梅雨、今年はいつになく降り続く。

 すでに九州で起こった水害だが、この先はまだわからない。

 早く明けてほしいものだ。

 さて、今年はコロナ禍でカラオケ同好の友ともすっかりごぶさた。

 雨続き、家で古い歌謡曲やポップスを聴くことが多くなった。

 最近、パソコンの動画で「星影のワルツ」(1966年)
のオリジナル版を探してみた。

 あった!

        

 ずいぶん以前に買ったシングル盤のジャケット、なつかしい。

 このオリジナル版を改めて聴きたかったのだ。

 それというのも、最近よく出回っている千昌夫の録音は後年のものが多く、
かなりクズれた歌い方に様変わりしてしまっているからだ。

 早速聴いてみると、レコードのザラザラしたノイズはともかく、
素直にまたていねいに歌っているところがとてもいい。

 千昌夫に限らず歌手というもの、何百回と同じ曲を歌っていると、
余裕あるいは慣れで歌い方が変わってしまうのかもしれない。

 そう考えると慣れ親しんだ曲、
やはり自分が初めて出会って記憶の奥底に刻まれたその歌い方こその感。 
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雨の中 歩きまわったけれど

2020年07月03日 | トラウト
 今日の予報は昼過ぎから雨。

 雨になる前にと、笙の川水系にて昼前から開始。

 ところがどうだ、ルアーを追う影さえ見られない。

 水量は十分ながら、いったい?と川をながめる。

     

 釣り場を変え、三つ目の場所で雨。

 ずいぶん以前に講談社の「釣りの科学」という本を読んだことがある。

 著者は雨降り前に釣れないことを解説していた。

 雨の前は気圧が連続的に下降、
魚は体内の浮袋を調節するため摂餌どころではなくなる、だから釣れないのだと。

 ただ、ぼくの体験では、
必ずしもそれはすべてではないような気がするのだが・・・。

 けれども、こう魚の姿を見ないと
「あるいは、そうかも・・・」などという気がしてくる。

 そうしているうち、とにもかくにも遅まきながら、やっと最初の1匹。

     

 このあとポツポツ。

 釣れ始めたのは雨が降り出したからなのか?

 それでも目立ってヤマメたちの活性が上がったとも思えない。

 歩きまわってグッタリ、ここで納竿。

 本日 水温 19℃
     ヤマメ・アマゴ 6匹(13~19cm)
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香港国安法の施行をめぐり

2020年07月02日 | 日々
 中国で「香港国家安全維持法」が施行された。

 「香港衆志」など民主派の七つの政治団体が次々と解散あるいは活動停止を宣言。

 運動の象徴でもあった周庭女史たちも運動からの脱退を表明した。

 あまりにもあっけないという印象も受けるが、
この法律の容赦なさを思えば無理もない。

 運動の指導者の一人 黄之鋒さんが「香港で民主化運動をすると命に関わる」
と述べたのはそれを端的に表している。

 一方、「生きてさえいれば、希望があります」と言った周庭女史。

 彼らは将来に向かって運動の水脈を保ち続ける、
という意思を示したのかもしれない。

     

 しかし、施行の翌1日、
やはり香港では抗議運動が行われ、たくさんの逮捕者が出た。

 政治団体が解散しても運動は雲散霧消したわけではなかったのだ。

 多くの運動団体の解散と抗議運動の継続がどう関わっているのか、
そのあたりはぼくにはよくわからない。

 ただ、逮捕者の中から「見せしめ」に極刑を課される者が出ないよう祈るばかりだ。

 それとは別に、
案ずるのは抗議継続者が脱退者を「裏切り者ッ」ととらえる可能性だ。

 これは予想されることではあるし、脱退者の胸中も複雑なはず。

 それが香港民主派の人々の間に相互不信を生み、
心の奥底にわだかまり続けなければよいが・・・と案ずるところだ。

 香港をめぐる法律制定と施行に見るこの国の不合理。

 もちろん、こんな不合理が永遠に続くはずはない。

 が、自由な時代が来るには長い年月を要するだろうということに
暗澹たる思いを抱くのはぼくだけではないはず。

 香港市民が「生きて」一日も早く再び「希望」の時代を迎えられることを!
コメント (2)
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