稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

『瞼の母』考  忠太郎とシェーン

2012年02月09日 | 日々
  BSで映画『瞼の母』(中村錦之介 1962)。

 あらすじ
 江州番場の忠太郎、5歳のとき母と生き別れ。母をさがし求めてついに江戸で再会を果たす。が、今の安定した生活を失いたくない母親は忠太郎を我が子と認めず、追い返す。
 娘(忠太郎の妹)の説得で思い直した母親、忠太郎を追う。しかし、やくざの自分がいては母妹に迷惑がかかる、と忠太郎は会わずに去る。

 根強い人気と底にあるもの
 この原作は、股旅もので有名な長谷川伸。昭和初期の傑作だと言われている。
 これまで4回にわたって映画化やテレビドラマ化。
 歌謡曲や浪曲でも。
 『忠臣蔵』と並び、人気の根強さがうかがえる。 

 自分は孤独で寂しくとも、人(母と妹)が幸せになってくれさえすれば・・・という忠太郎のひっそりとした去り方。それが観衆の同情を呼び、涙を誘ってきたのかもしれない。
 これは茶道・華道といったむずかしいレベルとは別に、日本人の大衆感覚にある美意識なのだろう。 

 もっとも、観ていて母への思慕の異様な強調、別れの涙・・・というあたり、ぼくにはいかにも田舎芝居風、浪花節風にみえてしまい、食傷気味。
 時代とともに、合わなくなっている感は否めない。

 「シェーン」との重なり
 が、ふと気づいたのは、この展開の型がアメリカ映画『シェーン』(1953)と同じではないか、ということ。

 そう言えば、映画解説の淀川長治さんが生前語っていた。
 「シェーンはアメリカだけでなく、何よりも日本で大人気となりました。それは浪花節そのものだったからなんですね・・・」と。

 なるほど、なるほど!
 ぼくは「シェーン」が好きで何度も観てきた。
 ふうむ、ぼくの美意識もつまるところ浪花節だったのか!と今更ながらの発見に苦笑。


コメント (2)
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