稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

天安門事件 民主の風はつぶされても

2019年12月30日 | 日々
BS1で「天安門事件から30年」。

 二時間ものの長編ドキュメントだ。

 この番組では、改革派と言われた胡耀邦元総書記の死を悼む学生たちの
デモが次第に膨れ上がっていった経過を伝えている。

 学生たちの運動は統一的な組織によるものでなく、その要望は
自由や民主主義が基調で、中国の統治制度そのものを否定していたわけではない。

     
       ( BS1「天安門事件から30年」から )

 それでも、運動に市民が加わり始め、中国各地で広がりをみせるなか、
戒厳令の施行、そして1989年6月4日、軍による銃撃の悲劇に至る。

 死者の数は公式発表で319人だが、実際には数万人という説もあり、
正確な数は今も不明のままだ。

 死体は一夜でどこかに撤去されたというから驚きだ。

 現代中国の街頭で市民にこの事件に関するインタビューをすると、
ほとんどの人は何も話そうとしない。

 おそらくこの事件は中国に恐怖政治をもたらしたのだろう。

     
        ( 同 上 )

 列強の植民地であった時代に終止符を打ち、
輝かしく独立国家を打ち立てた革命が息苦しい警察国家に道を開いてしまったかに見える。

 市場経済での著しい発展をみせた一方でこのありさま。

 実に異様な姿だ。

 この国の強烈な力による統治はまだ続きそうだ。

 けれども、いつまでも続くことはなかろう。

 香港でも火の手が上がったように必ずそのうねりは来る。

 追記

 もともと中国に民主主義を根付かせようとし、事件後、
軟禁された改革派の趙紫陽氏は過去に党の最高幹部会議の席上でこう言っていたそうだ。

「なぜ欧米や日本の民主主義が本物に見え、
我々の民主主義が偽物に見えるのか・・・」と。

     
        (趙紫陽氏 同上から )

 日本をそう見てくれていたことにうれしいやら恥ずかしいやら
と複雑なのはぼくだけだろうか。

 事件での死者たちの冥福を祈りたい。
 
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元気になったアジたち

2019年12月27日 | 
 若狭に着くと先行者が4人。

「どうですか?」と尋ねると
「遠くで大きなメバルがライズしているんですが・・・」と言う。

 遠くを見ると確かにバシャ、バシャ。

 それなら!とキャロをつけて遠投。

 届いた。

 けれども反応なし。

 ライズとはいえ、魚が全身を見せて海面からはねている。

 『あれはボラのジャンプ』とみなし、底探りにきりかえ。

 なんのアタリもなし。

 暗くなってきたので海面にワームを走らせてみた。

 すぐにジャボッ!

 外れた。

 この繰り返しのあと、やっと1匹。

      

 が、アタリはこれで終わり。

 短い時合いは終わってしまったうようだ。

『しもた、遅かった!』

 真っ暗になり、常夜灯の下へ。

 アジらしきがライズしている。

 この前は活発なライズにもかかわらず、ワームには見向きもしなかった。

 ところが、今日は小さいながら、一投目からクククッ。

     

 先日、カツヲさんと釣りまくった港に比べれば勢いは弱いものの、そこそこあたる。

 アジングはこの程度がいいのかもしれない。

 それにしてもアジたちのこの変わり様はどういうことなのか?

 寒い方が・・・と聞くが、やはりエサとなる小魚が入ってきているということかな。

 大きめのアジをねらって深みを探ったが、メバルを追加しただけに終わった。

 まだしばらく楽しめそう。

 釣果 ア ジ 19匹(11~13cm)  
     メバル  3匹(13~15cm)
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年賀状じまい あれこれ

2019年12月24日 | 日々
 テレビでみたが、「年賀状じまいビジネス」が活況だとか。

「年賀状スルー」したいが、どうやって?という悩みに
印刷会社がこたえるもので、例えば「来年からはメールで・・・」などという転換だ。

     
       (MBS「ミント」から ) 

 街の声を拾って
「あなたは年賀状のやりとりをどう終わらせていますか?」
というインタビューに、ある主婦が
「転居したときなどに、相手に新しい連絡先を伝えないとか」
ときまり悪そうに笑いながら答えていた。

 このやり方、確かにあるがぼくには「どうか」と疑問符がつく。

 ぼくの就活体験
 古い話だが、ぼくは二十代後半で職探しを始めた。

 当初は『就職口など、新聞の求人広告をみればいっぱいある』
と楽観していたが、すぐ現実の厳しさに打ちのめされた。

 かろうじて合格した雑誌社も良心の痛むようなくわせものですぐやめた。

 就職しやすいところとはこんなのばかりかヨ。

 就職口が見つけられぬまま、だんだん焦りと無力感におそわれながら、
京都、大坂を回った日々。

 そんなとき、和歌山県庁の大阪事務所を紹介され、そこで小川さん
(仮名)という人が和歌山県人たるぼくの力になってくれた。

 小川さんはぼくを連れて大阪の職安などを精力的に回ってくれた。

「こういうことは個人で行くより、役所同士で話を進める方がいいんです」
と小川さん。

 ふーん、そんなものかと感心。

 ともかく、小川さんの助けは暗闇の中の灯火のようで、
当時のぼくにはどんなに心強かったか。

 そんなおり、結局ぼくは自力で就職口を見つけることができた。

 小川さんに報告すると、力になれなかったことを詫びつつも喜んでくれた。

 その年からぼくらは年賀状をやりとりするようになった。

 ところが、ある年の正月明け、小川さん宛ての年賀状が戻ってきた。

 「転居先不明につき配達できません」とのスタンプ。

 ぼくは茫然となった。

 小川さんにとってぼくとの関わりは単に仕事の一部でしかなかったのかと。 

     

 それっきりだった。

 年賀状じまい

 それは誰にでも訪れることがらであるに違いない。

 ただ、この場合、最後に向き合って感謝をこめ、
お別れのあいさつをしたかったという気持ちに今もかわりはない。

 しまい方はむずかしい。
 新ビジネスが登場するのもそれ故か。
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カツヲさんにもアジ

2019年12月20日 | 

 豆~小アジが楽しめる時季。

 我が釣友で永遠の初心者たるカツヲさんと若狭へ。

 到着した18時、ライズはまったくなし。

 が、30分ほどたつとバシャッ・・・バシャッと間欠的に始まった。

 カツヲさんの竿にも豆アジが4連発。

    

 ところがライズとは別に、あたりはそこで停止。

 19時頃、ライズはさらにいっそう活発に。

 ここでカツヲさんに海面の表層ねらいをおすすめ。

 するとアジは次々にかかりだした。

「ハリを外すのがめんどうだヨ」と苦笑するカツヲさん。

 クーラー・ボックスがだんだん重く。

    

「もうこんなところで・・・」と打ち止め。

 カツヲさん、初の爆釣体験、よかったよかった。

 このアジ、家族が南蛮漬けにするそうだ。

 釣果 アジ43匹(豆~15cm)

  
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小さくともアジ活発に

2019年12月18日 | 
 今夜も若狭へ。

 例年、陽が暮れるとライズが起こる場所、今年は沈黙したまま。

 あちらこちらと回り、先行者が一人いる岸壁に到達。

 ここはライズが活発。

 大津から来たという先行のおじさん
「大きいのはいませんけど、小さいのなら。
 今夜は南蛮漬の材料の仕入れに来てるんです」とのこと。

 ぼくも割り込ませてもらうことにした。

 ワームがゆっくり沈んでいく途中でクククッというあたり。

   

 これが続く。

 あたりが遠のいたところで、水面を泳がせるとこれまたすぐにヒット。

 足元には2~3cmくらいの半透明の小魚がいっぱい泳ぎ回る。

 アジはこれをねらっているようだ。

 足元で8の字や、チョンチョンという水面たたき、これにも。

 とても楽しい。

 ぼくも大津のおじさんに協力して、アジを全部クーラーボックスへ。

 しばらくするとおじさん
「もうこれ以上持ち帰るとカミさんが怒ります」

   

 あとはリリース。

 いやあ楽しい。

 けど、もう少し大きいのが釣りたいのだが・・・と望みはふくらむ。

 釣果 アジ 22匹(豆~13cm)
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喪中はがき考

2019年12月16日 | 日々
 今年も喪中はがきが届いた。

 最近思うのは喪中はがきの届くのが早くなったこと。

 以前は12月上旬頃だったが、最近は11月の早くから届き始める。

 相手への配慮からなのだろうが、それにしても早い。

 ところで、その喪中はがきで、喪に服していることだけを伝えるものがあった。

     

 普通なら「○○が○月○日、○○歳で・・・」という文面だ。

 なるほど、亡くなった人のことは
第三者には特段知らせる必要はないということなのだろう。

 これからはこういう喪中はがきが増えてくるのかもしれない。

 思えば、亡くなった人に関わりのない人々が葬儀に大勢押し寄せ、
家族が応対に追われて故人をしのぶどころではないなどということから、
家族、親族たちだけで行われることが増えてきた、そんな流れと同じだ。 

 時代はゆっくり確実に変わっている。
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なぜ向き合えない環境問題

2019年12月13日 | 日々
 11日、COP25での小泉環境相の演説。

 具体策がなく失望したなどの理由で「気候行動ネットワーク」から化石賞。

     

 もっとも小泉氏も閣僚の一人。
 彼が勝手に温室効果ガス排出削減目標をブチ上げるわけにはいかない。

 要は日本の国策がどうか?なのだ。

 環境問題の悪化を憂えるぼくには日本政府の重い腰はやはり残念だ。

 先日、これも化石賞を招いた梶山経済産業相の
「(資源小国日本では)石炭開発など化石燃料(の使用)を・・・
選択枝として残しておきたい」というのはわかる。

 ならば、解決すべき課題はいろいろあろうが、
再生可能エネルギーの開発にもっと積極的であってもいいのでは?

 これは青臭い議論なのだろうか。

 年々ひどくなる自然災害と環境の悪化。

 去って行くぼくらの世代がこんな負の遺産を残すとすればとても悲しい。

 
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若狭 初冬の風景

2019年12月12日 | 
 夕方、若狭に着くと帰り支度の釣り人。

 釣果を訪ねると
「今日はダメでした。
 ここは尺のキスが釣れるんですけど、ちょっと遅かった」
 とのこと。

「キスは夏の魚では?」と尋ねると
「そうです、でもここは晩秋に尺モノが釣れるんですよ」

 ボックスの中を見せてもらうと、確かにキスはいるが小さい。

   

 いろいろな釣りがあるもんや。

 さて、暗くなり始めたころ、突堤先端で重い手ごたえ。

 上がってきたのはいいメバル。

 サイズを測ると21cm。

 小メバルばかり釣っているぼくにはいい型。

 が、カメラを取りに車に戻っている間に逃げられてしまった。

   
     (あとで釣った小メバル)

 ヨシッ!と気合の入れなおし。

 真っ暗闇の中、ねばったけれど、あとは沈黙。

 常夜灯のところに移動。

 若いアジ釣り師と出会い。

 彼が言うには
「昨日ネットで、このあたりで尺アジが5本ほど上がったと聞き・・・」

 常夜灯に照らされた足元には豆アジがいっぱい。

 けれどもワームには見向きもしない。

 お互い「ダメですね」とここを離れた。

 次の場所では若い二人組。

 アオリイカをねらっているが、釣果なしという。

「12月でも釣れるんですか?」と尋ねると
「11月末日には釣れたんですよ、それでもう一回!と。
 でもやっぱりだめでした、もう遅いですね」

   

 いよいよ冬。

 釣果 メバル 3匹(13~21cm)
     豆アジ 2匹
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アジはまだ

2019年12月09日 | 
 久しぶりに若狭へ。

 冷え込んできたのでマシなアジが姿を見せているか?

 現地に着くと、岸壁の先端でおじさんが竿を3本出している。

「釣れましたか?」
「いや、小さいメバルが1匹だけです。アジは全然です。」

 おじさんのバケツの中でメバルが1匹泳いでいる。

 オキアミをつけて垂らしていると言う。

 ぼくもその近くで試みたが、あたりはまったくなし。

 場所を変えると、早速あたり。

 オッ、こちらもメバル。

   

 この漁港も、もうそんな季節になったのか。

 それに続いてグインと引っ張っていくあたり。

 けどのらない。

 その繰り返し。

『ひょっとすると』と思い、アシスト・フックをつけてみた。

 今度はのった。

    

 やっぱり豆アジ。   

 これが先ほどからワームをつついていたようだ。

 が、スレたようで間もなくあたりはなくなった。

 まだ早いようだ。

 釣果 豆アジ 2匹
     メバル 2匹(13~15cm) 
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映画「キューポラのある街」 今なお・・・

2019年12月02日 | 日々
 BSで「キューポラのある街」(1962年)。

 確か中学時代だったか、原作を読んだ記憶がある。

 埼玉の鋳物工場が立ち並ぶ川口市を舞台にした家族の物語だ。

 一家の娘、主人公のジュン(吉永小百合)の家族は
頑固な鋳物職人の父のもと、貧しく子だくさん。

 父は解雇の憂き目にあうが、
労働組合からの支援にはそれを拒むという職人気質。

     

 父の解雇のあと、生活はますます苦しく、母は家計のため酌婦となり、
ジュンは高校進学さえ迷ってしまうというありさま。

 それでも非行、堕落などへの誘惑、
それらを乗り越えながらジュンや弟たちが前向きに歩んでいく。

 一方、この作品で貫かれているもうひとつの柱は、
ジュンたちと在日朝鮮人との交わりだ。

 おそらく貧しさが両者にその接点を自然に生み出したのだろう。

 友人の北朝鮮への帰還。

 見送りのシーンは、あの時代のことでもあり、
希望をもって描かれているといってよい。

     
     ( 駅前での見送り風景 )

 そう思えば、労働組合の役割について触れたシーンなど、
この作品は行く先の体制変革を志向しているのでは?という予感さえする。

 が、今となっては北朝鮮への帰国運動も社会主義も、その後の時代の歩みは
それらをすべて色あせさせてしまったというのが現実だ。

 ただそのこととは別に、この作品を貫く、貧しくはあっても
自分の夢を懸命に追い求める生き方への称賛、その輝きは今もって失われていない。

     

 映画のなかで合唱される「悲しいときには見つめてみよう・・・」
の歌はなつかしく、またジュンたちの心をよく表している。

 秀作だ。
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