稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

心痛むネタニヤフ演説と米国議会

2024年07月26日 | 日々
 24日、イスラエルのネタニヤフ首相が米国議会で演説した。

 氏はガザへの攻撃を指してこう言った。
「これは文明同士の衝突でなく、文明と野蛮との衝突だ」と。

 だから文明側が勝利するためには、
米国とイスラエルが結束しなければならないのだと。

 ここでの「野蛮」との呼び方に
差別と憎悪に満ちたネタニヤフ首相の思いが見える。

 かつて虐げられてきたユダヤの民が
今やパレスチナの人々にその矛先を向けているかのようで、心が痛む。

 驚いたのは、その演説に大きな歓声をあげ、
ときには起立して拍手を送るたくさんの議員たちの姿だ。

     

 これがアメリカ国民を代表する意志なのだろうか。

 狂気のような異様ささえぼくには感じられる。

 演説に抗議の意思を表したり、欠席した議員たちもいたと聞くが、
少数であったとしても、それがせめてもの救いだ。

 が、あまりに遠い道のりに茫然となりそうだ。
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夏のアマゴを探して

2024年07月18日 | トラウト
 きびしい夏のアマゴ
 さて、先日も記したように、
ぼくは古座川をきっかけに久多川で本格的にアマゴ釣りを始めた。

 よく釣れた。

 ところが梅雨が明け、
暑くなるにつれ、アマゴたちはだんだん姿を見せなくなった。

 ぼくは、放流されたアマゴたちが釣り切られ、その数を減らしたものと解釈した。

 「アマゴとはそういうものなのか、また来年なのか」という気分だった。

 翌二年目、久多川に加え賀茂川水系の年券も買った。

 3月、賀茂川の解禁の日、京都市内とあって、たくさんの釣り人。

 割り込みもむずかしいほどだったが、隙間を見つけながらの転戦、転戦。

 解禁日はよく釣れた。

 楽しかった。

 しかしそれは一瞬のこと。

 アマゴたちは解禁当日、その大半が釣られ、釣り人たちもすぐにいなくなった。

 ぼくはしばらくは「落穂拾い」に通って楽しんだ。

 しかしそれも4月半ばくらいには終わった。

     

 こうして、ぼくの初期のアマゴ釣りは放流区域が中心だった。

 夏の日、上流でアマゴに出会う
 ところが、何年目だったか、上桂川に入った年のことだ。

 もう夏も終わろうという時季、ぼくはまだ落穂ひろいを続けていた。

 釣れなかった。

 ある日、上桂川でも奥地域にある広河原地区に入った。

 小さかったけれど、アマゴが釣れた。

 ところが、さらに2匹、3匹と釣れる。

 これはめずらしいと喜んだ。

 このとき、ぼくはハッと思った。

「ひょっとして、これは上流域あるいは支流だから釣れたのではないか?」と。

 ぼくは早速試しに上桂川の別の支流に向かった。

     

 本流と支流では水温が2度ほど違っていた。

 そうして、支流に入ると釣れるではないか!

 集中放流区のアマゴたちは釣り切られたかもしれないが、
上流部や支流のアマゴたちは夏でも健在なのだ。

 なんということ、ぼくはアマゴのほとんどいない水域を釣っていたわけだ。

 ベテランの諸氏に対しては恥ずかしいが、当時のぼくにとってこれは大発見だった。

 転機となった遠回りの末の「発見」
 ここからぼくの釣りは季節とともに場所を変えるものになっていった。

 当然といえば当然のことながら、
いかにぼくが情報や知識、経験を持っていなかったかということだ。

 当時、ぼくには渓流釣り仲間がいなかった。

 また、釣り場で教えを乞うルアー師に出会うこともなく、条件は悪かった。

 思い返せば、ひどい遠回りをしたものだった。

 それでもこの「発見」のうれしさは何ものにも代えがたく、
ぼくの渓流釣りにとっては大きな転機となった。
 
 
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「組織文化の問題」克服はできるのか?

2024年07月13日 | 日々
 12日、防衛省で異例といわれる218人もの処分。

 多くは海自関係の「特定秘密保護法」違反のようだ。

 海自といえば、先日も川崎重工への「たかり」同然の事実が発覚したばかり。

 加えて潜水手当の不正、何千万円にのぼるという。

 また、「不正喫食」なる「無銭飲食」まで。

 あまりにもセコいとあきれはてる。 

 結局、その財源は?といえば血税ではないか!

     

 辞任を表明した酒井良海上幕僚長が述べたそうだ。

「きわめて私の個人的な見解ながら・・・組織文化に大きな問題がある。
 個々の事案の対応策では対応できない・・・長期的な対策を講じなければ・・・」

 幕僚長としての責任を認めつつも、その「組織文化」なるものは
深く根付いており、改革は容易でないことを率直に語ったもののようだ。

 歴代の幕僚長が問題を認識しながら手を打たなかった、あるいは打てなかったとも考えられる。

 この種の難題の克服、つまるところ自浄は望めず、結局「外圧」頼みしかないのだろうか。

 ため息が出そうな気分になるが、一国民としてはこの機会を是非とも生かしてほしいものだ。
 
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高知でのプール死亡事故 思い出す学校水泳のこと  

2024年07月09日 | 日々
 高知のプールでの事故から
 7月5日、
高知の小学4年生がプールでおぼれ、病院に搬送されたが亡くなった。

 報道によれば、
その生徒が沈んでいるのを見つけ、引き上げたのは同級生たちで、
その時点まで三人いた教諭は誰も気づかなかったという。

 対処はすみやかだったのか?、
 また蘇生のための応急手当は施されたのか?

 いずれにしてもいたましい事故だ。

 これを機に、学校側が
水泳指導をやめてしまいはしないかという心配もまた起こる。

 思い出す学校水泳の日々
 こんなとき、ぼくは郷里串本の「学校水泳」のことを思い出す。

 ずいぶん昔、ぼくが小学生だったころ、
毎年7月ともなれば午後の授業は毎日海水浴だった。

 泳力に応じた等級制度もあり、
7級(5メートル)から1級(遠泳 1300メートル)まであった。

     
        ( 学校からの引率で )

 夏休みに入ると、
学校が指定した町内の三か所の水泳場で午後の2時間、海水浴ができた。

 PTAが組んだ当番制で、
水泳場ごとに3人くらいの保護者が毎日監視員として詰めた。

 ぼくら小学生は保護者なしでの水泳は禁じられていたが、
指定された水泳場なら小学生同士でも泳ぎにこられた。

 これが「学校水泳」だった。

 海で遊ぶのが好きだったぼくは友達と誘い合わせ、毎日通った。

 楽しくて楽しくて、夏休みがずっと続けばいいと思った。

 学校水泳の危うさ
 しかし、大人になってぼくはプール事故の報道に接するたびに、
この学校水泳にある種の危うさを感じることになった。

 PTAの監視員たちはたいていお母さん方だった。

 仮りに誰かがおぼれたとしても、助けに行けるとは思えなかった。

 いや、それ以前に実際、監視員たちが砂浜に座り、
百人以上の子どもが広い範囲で水遊びに興じているなか、
おぼれているなどの異常に気づけるなどできっこない。

 プールのような限られた範囲の監視とはワケが違うのだ。

 ぼくはある年の夏休み、
これから泳ごうと砂浜で服を脱ぎながら歩いていたとき、
足の裏にするどい痛みを感じた。

 ガラス瓶のかけらを踏んでしまったのだ。

 かなり出血した。

 監視員がやってきて
「これはあかん、医者や」と言われ、医院に送られ縫合処置を受けた。

 監視員の役割というのは、
実態からみればこうした「連絡」だったのかもしれない。

 結局ぼくのケガのときと同じように、
もしも水難事故が起きれば監視員たちは児童から連絡を受け、
一方では可能なら救助、もう一方では警察や学校に連絡といった、
あくまでも事後的対応、それが限界だったのではないか。

 発見、救命という点では明らかに遅い。

 学校水泳は、つきつめれば
この限界を認めた上に成り立っていたという気がしてならないのだ。

 昨今、プールでの事故が起こるたびに
厳しく問われる現場の教諭たちの責任、そして学校や教育委員会の責任。

 今なら、当時の串本の学校水泳制度などは、
危険すぎるとして、学校側もウンとは言わないだろう。

 また責任を問われることを恐れ、
監視員になる保護者も出てこないだろう。

 時代とともに
問われる責任の重さがまったくちがってきたと感じるところだ。

 されど思い返す学校水泳のありがたさ
 けれども、もしもぼくらの小学生時代、
あの学校水泳制度がなかったら、ぼくらは夏休みにほとんど泳ぎには行けなかった。

 というのも、ぼくの親は自営業で、
当時の仕事には休みというものがなく、友達の多くも同じような事情だったからだ。

 おそらく、あの当時なりに、教育委員会や教職員、
PTAなどでも安全性をめぐっての議論はあったはずだ。

 そのうえで知恵をしぼって学校水泳の実施を決断したのは、
子どもたちに健康的で楽しい夏休みを!という願いからだったのではなかったか、

 そう思うと、ぼくの心は感謝の気持ちでいっぱいになる。

    
       ( 指定水泳場のひとつ 上浦 )

 やがてぼくらは卒業。

 その何年か後には串本小学校にもプールができた。

 それを機にか、学校水泳はいつしかなくなったようだ。

 學校水泳の期間中、水難事故があったという話は聞かなかった。

 「よかった」としみじみ思う。

 大水崎(おおみさき)、夏休みにぼくらが毎日遊んだ
そのなつかしい砂浜もすでに埋め立てられ、今はもうない。

 改めて学校水泳のために尽くしてくれた当時の先生方や
PTAの方々の努力に感謝したい。

 あの楽しかった夏の日々の記憶は今もぼくの宝物なのだから。
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アマゴとの出会いとバス釣りの終わり

2024年07月03日 | トラウト
 渓流釣りへの関心
 さて、バス釣りにのめり込んだ日々。

 が、ある時点でぼくは他の釣りにも関心をもつようになった。

 そのひとつが渓流釣りだった。

 ルアーの入門書や雑誌には時折り触れられていた。

 しかしどこでどうやって釣るのだろう?

 ぼくのまわりにはバス釣り友達はいたが、ルアーでのアマゴ釣りは誰もいなかった。


 初めての渓流 古座川へ
 そこである年の6月、郷里串本に帰省したとき、ダメ元で古座川奥に出かけてみた。

 とりあえず竿はバス用の180cmをそのまま使い、釣り糸は8ポンド(2号)、
ミノーは5センチ程度の小型を持参、足元は普通の長靴といういでたちだ。

 日券を買った家のおばさんに
「どこへ行けば?」と尋ねると「よう知らんのです」とすまなさそう。

 これもとりあえず、松根という最奥集落のひとつまで行き、そこから入渓することにした。

 さて、ぼくのミノーの技がアマゴに通じるか?期待と不安。

 が、すぐに気づいたのは、長靴では川歩きは無理ということ。

 ぼくは頭のなかで、
水の中に入らず川岸を伝って歩き、川岸に立ってルアーを投げると想像していた。

 そんなことはできっこないのだ。

 しかたがない、濡れてもいいか、と川にザブザブ。

 次なる問題は、いったいアマゴはこの比較的広く長い川のどこにいるのか?

 これもしかたがない、どこでもいい、ところかまわず投げながら釣り上がることにした。

     

 念願のアマゴ
 さて、最初の手応え。

 上がってきたのはカワムツだった。

 うれしかった。

 ぼくのバス釣りの技が少なくともカワムツには通じたのだ。

 次いでやや水深のある瀬に至ったときのこと。

 水が集まる地点、そこにミノーを投げ、トゥイッチ。

 突然、水面から魚体が跳ね上がり、それが近くの平らな石の上に乗り上がった。

 その魚はすぐにもう一度はね、水中に没した。

 「???、大きい!」

 バスがトップに食わずに威嚇するような動きにそっくりだ。

 次いでもう一度同じところに投げ、トゥイッチ。

 今度はミノーを激しく追いかける、いや追い立てるといったふう。

 そうして反転、戻っていった。

 もう一度!

 今度は着水してトゥイッチしたとたんに重みが手元に伝わってきた。

 リールを巻くと、水しぶきをあげながらの激しい抗い。

 なんとかそれを岸にズリ上げ。

 アマゴだ。

 初めて近くで見るパーマーク、とてもきれい。

 測ってみると29.5cm。

 これは正にビギナーズラック!

 その後もぼくはズブ濡れになりながら、釣り上がった。

 しめて5匹ほど釣れたろうか。

 けれども、6月とはいえ、川の水は冷たい。

 だんだん体が冷え、ついに耐えきれず納竿。

 しかし、ぼくの釣り方がアマゴに通用したこと、このことが何よりもうれしかった。

 本格的に渓流釣りへ
 京都に戻り、早速買い求めたのはウェイダーだった。

 そうして安曇川水系久多川の年券を買った。

     

 久多川はこじんまりしていて、古座川の松根よりも釣りやすかった。

 ここで初めてイワナを手にした。

 「ほう、これがイワナか」とまじまじ。

 こうして、ぼくは急速に渓流ルアーに傾斜していくこととなった。

 なお、これを境にぼくはバス釣りから遠ざかり始めた。

 もともと気になっていた生態系の破壊という議論や琵琶湖の漁師たちの怒りや嘆きの話。

 他方では、ぼくが湖沼や河川にバスを放流したわけではないし、
また、バスに罪があるわけではないとの思いも。

 しかしそんなモヤモヤ感のなか、秋月岩魚氏が著した
「ブラックバスがメダカを食う」(宝島社)を読んだとき、
生態系の問題の深刻さを改めて感じざるをえなかった。

     

 このころからぼくは釣ったバスの再放流をしなくなり、
やがてバス釣りそのものをしなくなっていった。
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