28日、宮崎で起きた事故は痛ましい。
報道では73歳の運転者は数年前から認知症だったらしい。
この事故で思うのはぼくの亡き父のこと。
高齢になってなお運転を続けていた父。
母にとっては、買い物にはどうしても父の運転する車が必要だった。
「もうそろそろ運転は・・・」と案じ始めていたぼくには悩みの種だった。
父は認知症とはいえなかったが、それでも記憶力は衰えていた。
というより、認知症患者とそうでない人との境界は必ずしもはっきりしない。
要は歳をとれば誰でもそれなりに・・・というのがの実感だ。
幸いにと言おうか、父は運転免許の更新で、視力検査で不合格となった。
今から思えば、よくぞ運転をやめるきっかけをもらえたもの。
本人自身が運転をやめると言い出すケースは少ないだろう。
家族たちもあやうさは承知のうえで「本人のプライドを傷つけては・・・」とか
「車がなかったら買い物や送り迎えも困る」などの事情もあろう。
が、この事故だけでなく、数々の逆走事故や衝突事故など、運転を制止させるべき実例は枚挙にいとまがない。
そう考えれば、やはり運転者本人にもまわりの家族たちにも決断を促す条件整備が急務ではなかろうか。
報道では73歳の運転者は数年前から認知症だったらしい。
この事故で思うのはぼくの亡き父のこと。
高齢になってなお運転を続けていた父。
母にとっては、買い物にはどうしても父の運転する車が必要だった。
「もうそろそろ運転は・・・」と案じ始めていたぼくには悩みの種だった。
父は認知症とはいえなかったが、それでも記憶力は衰えていた。
というより、認知症患者とそうでない人との境界は必ずしもはっきりしない。
要は歳をとれば誰でもそれなりに・・・というのがの実感だ。
幸いにと言おうか、父は運転免許の更新で、視力検査で不合格となった。
今から思えば、よくぞ運転をやめるきっかけをもらえたもの。
本人自身が運転をやめると言い出すケースは少ないだろう。
家族たちもあやうさは承知のうえで「本人のプライドを傷つけては・・・」とか
「車がなかったら買い物や送り迎えも困る」などの事情もあろう。
が、この事故だけでなく、数々の逆走事故や衝突事故など、運転を制止させるべき実例は枚挙にいとまがない。
そう考えれば、やはり運転者本人にもまわりの家族たちにも決断を促す条件整備が急務ではなかろうか。