稲村亭日乗

京都の渓流を中心にルアーでトラウトを釣り歩いています

寒波去り若狭へ

2016年01月28日 | 
 我が家のまわり、日陰にはまだ残雪。
 とにかく寒かった。

 正月3日以来、久しぶりに若狭へ。

    

 夕方、若狭に着いたが、やはり寒い。
 手がかじかみそう。

 それよりも海が濁っている。

 遊んでいる子どもたちの話ではひどい風だったらしい。

 釣り開始。

 予想どおり、アジの気配はまったくない。
 困ったのはメバルも反応がないこと。

 やはり、この濁りか?
 
 メバルは寒さに強いはず。
 それでも先日の寒波ではこたえたのか?

 17:40、あきらめかけていたところ、ジグ・ヘッドにゴツン!
 なかなかいい暴れ方。

    

 いよいよマズメ到来かと思ったが、これでおしまい。

 次の釣り場に向かったがいずれもあたりは少ない。

 ほろ苦い今年二度目の釣りになった。

 本日 メバル 2匹(11~18cm)
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そういえば口ずさんでいた「流れ星だよ」

2016年01月26日 | 日々
 バーテン・アルバイトのころ、もうひとつの話。

 その店にはルミちゃんというホステスがいた。

 三十歳前後だったが、店では最若手。

 お客が来るまでの間、おばさんホステスたちはペチャクチャ。
 一方、ルミちゃんはというと、いつも孤塁を守っていた。

 ところでこの店、お客の多くはこのルミちゃんが目当て。
 長身できれいだったことにもよる。

 が、それだけではなかった。
 ルミちゃんはいつもお客から仕事の話、趣味の話、読んだ本の話・・・いろいろ聞いていた。
 というより、話させていたというべきだろう。

 それはほかのホステスにはできない芸当だった。

 いわゆる「聞き上手」なのだ。 
 ぼくはカウンターの内側から「この店はルミちゃんでもっている」と感じていた。

       

 ところがある日、ルミチャンが出勤しない。

 流しの元締めのようなおじさんが店に立ち寄り、何やらしゃべって帰っていった。
 ホステスたちも何やらヒソヒソ。

 聞くところではルミちゃんが駆け落ちしたというのだ。

 相手はこの店にもよく顔を出していた流しの兄さん。
 その人には奥さんと小さい子どもさんがいたとか。

 流しの元締めらしき人はそれを怒り、「探し出す!」と言っているらしい。

 そういえばルミちゃん、あの流しの兄さんが店に来ると、客によく頼んでいた。
「ねえ、この人に一曲歌ってもらってよ」と。
 ホステスに頼まれたら大抵の客は「よっしゃ、ひとつやってくれ」となる。

 その歌のなかには必ず「流れ星だよ」(三橋美智也)があった。
 ルミちゃん自身もときどき口ずさんでいた。
「♪ 酒場の女と流しの男 どうにも浮かべるはずがない」

 ルミちゃんたち、その歌の文句にあえて逆らって決行したわけだ。

 ルミちゃんのあと、若手のホステスが入ってきた。
 しかしただ若いだけで、ルミちゃんの力には遠く及ばないようにみえた。

       

 学生時代を終え、ぼくも社会人となった。

 そこで「話を聞く」ことの大切さとそのむずかしさを併せて実感することに。
 不思議な縁ながら、その後もぼくはルミちゃんの接客を時々思い出すことがあった。

 その後の二人の消息はわからずじまい。

 今や、あの店はなく、ホステスたちも流したちも誰もいなくなった木屋町かいわい。
 
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京都木屋町界隈 今むかし

2016年01月23日 | 日々
 長く会っていなかった友の誘い。
 久々に四条木屋町へ。

 学生時代の話に盛り上がり、再会を約して手を振り合った。

 そのあと、ぼくはこの界隈をしばらく歩いてみた。

        

 学生時代、ぼくはバーテンのアルバイトをしたことがあった。
 このあたりにあったバーだ。

 当時、平均時給が150円前後の頃、300円という破格。

 バーというから若いホステスさんがいるのかと思ったら、おばさんばかり。
 中にはおばあさん?という人も混じっていた(もっとも接客はピカイチ)。

 当時、学生運動で革命か改良か、変革の主体は・・・などという青臭い議論に明け暮れていたぼくら。

 それがここでの話といえば、男と女、セックス、カネ・・・。
 有線放送で流れ続ける「ムード歌謡」。

 一方、手もつけられずに捨てられていく料理や酒、高い支払。

 そんな光景を目にしていると「なんという世界!」とぼくには衝撃。
 
 大学でクソまじめに議論していることがバカバカしく思われさえしたのもなつかしい。

        

 ところで、店には「ヤエちゃん」という年輩のホステスさんがいた。

 デップリした人で、ひまなときには「カァンダッ!」と呼びかけ、カウンター内のぼくによく話しかけてくれた。

 歯医者がきらいなこと、自分のところに「ヤドロク」が通ってくること、広島出身であること・・・話はいろいろ。
 ぼくにとっては店で数少ない気の置けない人だった。

 そんなこともあって、その後、年賀状のやりとりはずっと続いてきた。

 ところが、数年前からこのヤエちゃんから年賀状がこなくなった。
 ぼくの出す年賀状は戻ってきてはいない。
 ということは届いているのだろう。

 ヤエちゃん、もう年賀状を書く体力も気力もなくなってしまったのか?。
 それでも、枕元に届くならばとぼくは今も毎年出し続けている。

 さて、久しぶりに歩くこの界隈。
 本当に変わった。

        

 昔、バーテン・チーフに連れられて入った店、ワイン・リバー、又兵、上海、南大門・・・どれもこれも今はない。
 バーという形の店も目に入らない。

 あの頃、ギターをかかえた流しの人が行き交ったこの街。

 すっかり別の街になってしまった。
 ヤエちゃんが見たら、さぞびっくりするだろう。

        
       ( 唯一記憶にある喫茶店 築地 開業82年だとか )
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映画「二十四の瞳」

2016年01月20日 | 日々

 BSの「二十四の瞳」(1954)をみる。
 
 島の小学校で教鞭をとった大石先生(高峰秀子)と児童たち12人との交流物語。

            

 先生と児童たちののびやかで明るかった小学校期。
 が、戦争の拡大、貧しさや因習の下、その後の児童たちは苦難に直面していく。

        
        ( 奉公に出され、修学旅行に行けなかったマッちゃん )

 災厄は児童たちだけのものではなかった。
 大石先生にも夫の戦死、末娘の事故死などとしてふりかかる。 

 終戦後の同窓会。

       
        ( 失明したソンキこと磯吉を迎えて )

 男子は半数が戦死、一人は戦場で失明、貧しかった女生徒の病死・・・。

 それでも輝いていた当時を映した一枚の写真。

      

 それが時を越えてみんなの顔を華やがせる。
 
 映画の手法は古い。
 また原作者 壺井栄さんの主人公に投影した戦争忌避感のやや不自然なこと。
 そういった疑問は残るけれど、交流物語を時代全体の中に設定した構想力はすごい。

 映画の随所で、はからずも涙ぐんでしまった。

 日本人の心にいつまでも残ってほしい秀作。
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冬の信州 二日目

2016年01月18日 | 
 朝、諏訪湖をながめる。
 琵琶湖を見慣れたぼくには、いかにもこぢんまりという感じだ。

 冷えこみで氷でも張っているのかと思ったが、まったく。

      

 地元の人に尋ねると
「今年は暖冬でだめですね。
 御神渡りは一日や二日の冷え込みではできません。
 十二月から冷え込みがずっと続かないと・・・」

 ほう、冷気の蓄積ともいうべきものが必要なのか?

「去年はどうでしたか?」
「去年もできませんでした。」

 御神渡り、温暖化でますます遠のきそうだ。

 さて、バスからJRの列車に乗り換え、中央アルプスや南アルプスを眺める。

      

 真っ青な空に白い峰々が映える。
 それにしても遠くの山々以外はまったく雪がない。

 続いて天竜舟下り。
 乗船前に救命胴衣の付け方講習。

 何年か前の転覆事故でしっかりやっているのかと思ったが違った。
 舟下りは、ここ飯田市域と下流の浜松市域に分かれているらしい。

 死者がでたあの事故は浜松市域だったとか。

 さて舟下り、意外に浅いところがほとんど。
 川底が真下に見える。

      

 終わってみれば「こんなものか」という感じ。

 みやげもの屋や食事に立ち寄るたびに気づいたが、ほとんどほかのバスがない。

     

 このシーズンは観光の空白期にあたるそうだ。
 添乗員の説明では「国の地域住民生活等緊急支援のための交付金」を活用して、一人あたり5000円が助成されているという。
 というと、ぼくらは5000円割安の代金でツアーに参加したということ?

 なにやらバラマキくさい。
 喜んでいいのか、悲しんでいいのか、複雑。

 ともかくこうして、雪景色への期待は無残に裏切られ、帰途に。
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冬の信州

2016年01月17日 | 

 「美しき信州 五つの冬景色二日間」というバスツアーに参加。
 信州の雪景色を見たいと、京都八条口をバスで出発。

 午前中に古刹 光前寺に到着。

     
      ( 光前寺の本堂 )

 パンフレットには「雪化粧の名刹」とある。
 が、雪などどこにもない。

 それでも杉の巨木の奥にある山門、本堂、三重塔。
 860年の創建とされるが、このたたずまいはすばらしい。

     
      ( 三重塔 )

 いすれも1800年代に再建されたもので古色蒼然。

 さて、境内の一角にある延命水といわれる山水。
 ここにみんなが集まっている。

     

 その横には注意書きの看板。

     

 なにやら「知らんでえ」というニュアンスがおもしろい。

 いずれにせよ、この寺、ご利益のあるお札や小物を売るでもない。
 そのあっさり加減がすがすがしい。

 諏訪湖を経て旅館へ。

 上諏訪温泉というそうだが、ぼくは初めてだ。
 諏訪湖の東岸に旅館、ホテルがズラリと並ぶ。

 温泉に入る。

       

 床はタイルなどではなく、たたみ(風)。
 この旅館では、すべって転ばないようそうしているらしい。

 肌にはぬめり感。
 とても感触はいい。

 表示には源泉60.5℃、弱アルカリ、単純泉とある。

 温泉の臭いのないのは少々ものたりないが、なかなかのもの。

 明日は天竜川へ。
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ツル切り 手始めに

2016年01月14日 | 日々
 例年なら山に分け入り、ヤマザクラにからんだツルを切る季節。
 今年はなぜか足が重い。

 前から気になっていた幹線道路沿い、ソメイヨシノの並木。
 今回、ノコギリをもって立ち寄った。

 やっぱりツルにすっかりからまれている。

     

 もう手遅れかもしれないと思いつつ、ツルの根元をバッサ、バッサ。

 枯れてしまったのもいっぱいある。

     

 さすがに疲れる。
 それでも、この爽快感はなんともいえない。

 そろそろ本格的に山のツル切りに入ろう。
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松川先生からもらった宝物

2016年01月11日 | 日々
 前回に続いて中学卒業アルバム。

 中学時代を通じてぼくは諸先生の誰にも目をかけてもらうことはなかった。
 まあそれが平均的なところなのかもしれないが。

 特に怒られもせず、ほめられもせず。

 ただ、写真の3年生の担任 松川先生には一度だけほめられた。

       
        ( ちょっとヤラセっぽい写真だが・・・ )

 私立高校の合格発表の日。
 放課後、ぼくは電車を乗り継いで大阪市内の高校に向かい、合格を確認。
 帰りに市内のレコード屋などをウロウロ。
「あ、そうや、学校に報告しとかなあかんかった・・・」

 そうして学校の職員室に着いたときは日が暮れて真っ暗。
 そのうえ雪が降り服は真っ白。

 松川先生は待っていてくれた。
「よかったね、神田君、次は公立の試験がんばってね」
「はい」

 あくる日、先生は授業に先立って
「昨日は遅い時間に神田君が受験の結果を報告に来てくれました。
 雪で帽子まで真っ白になりながら。
 みんなも合格発表の結果は必ずすぐに知らせるんですよ」

 何やらうれしい誤解もあり、照れ臭かった。

 高校に入り、ぼくは社会問題に関心を向けはじめた。
 2年生のとき、ある社会運動の一環で署名とカンパを集めたとき、ぼくは松川先生にもお願いに行った。

 先生は笑顔で応えてくれた。
「がんばってね。
 ウチの息子も今日は大学で座り込みとかで出て行ったわ」

 松川先生とお会いしたのはこれが最後だった。

 ぼくはこの写真をみて、改めて先生にもう一度お会いできないかとも思った。
 が、あれから何十年・・・。
 それはあきらめた。

 それはともかく、松川先生からほめられた記憶。
 ぼくにとって、それは15歳以来の今なお貴重な宝物であり続けている。
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団塊の世代の教室

2016年01月09日 | 日々
 年末からのアルバム整理。
 まだ続けている。

 このほど実家で中学時代(守口第1中学)の卒業アルバムを掘り出した。
 
 すっかり忘れていたのでとてもなつかしかった。

「ある日の教室」と題されたページ。

     

 ここに写っているのは下口先生の教室。

 下口先生は若手で眼光鋭く、いわゆる問題生徒も黙らせた先生。
 生徒の間では、中学教師になる前は大阪で闇露天商だったと言われていた。

 真偽のほどはわからないが、「それで怖いんや」とみんな納得。
 
 それにしても、一クラスにこんなに生徒がたくさんいたのかと驚く。

 集合写真で数えると、どのクラスも53人~54人。

 いつだったか、放課後のこと。
 下口先生たちが机やいすを運び出しにやって来たことがあった。

 なんでも教育委員会とか何かが視察に来るといううわさだった。

 今にして思えば定員過剰の実態を見せてはまずいということだったのだろう。

 そういえば、1年生のときはプレハブ教室だった。
 団塊の世代の入学で急ごしらえだっただろう。

     

 写真に写っているみんな。
 あれからどこでどんなに生きたんだろう。
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若狭の初釣り 2016

2016年01月04日 | 
 3日、王さんと誘い合わせて若狭の初釣り。

 温暖で波は静か。
 さぞかし人がいっぱいではと案じたが、さほどでもない。

 16時20分頃から開始。
 早速かかったのは金魚のようなメバル君。

     

 続いてアジ君も。

     

 王さん、この日が初めてのアジング体験。

 どうなるかと心配したが
「きました、きました!」

     

 アジ君がかかっている。
 このあとも王さん堅調。

 17時、あたりは薄暗く。

 このあたりからメバルが少し大きく、活発になってきた。

 重めのジグヘッドで底近くを探るとかかった。

     

 そうして17時30分には沈黙。

 こうみると、メバルは日没時の半時間近くが最盛期になるようだ。
 藻にはからまりやすいが、このまわりが一番よさそう。

     
         ( 王さんにきたメバル君 )


 このあと二人で三カ所を回ったが、ところによってはあたりすらなし。

 やはり先に人が入ってスレていたのかも知れない。

 まずまずの初釣り。

 本日 ア ジ 9匹(11~13cm)
     メバル 6匹 (9~17cm)
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